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2019年2月 8日 (金)

曾田本その2を読み解く3大森流居合抜方3の9勢中刀

曾田本その2を読み解く
3、大森流居合抜方
3の9勢中刀
古伝神傳流秘書
勢中刀:右の向ゟ切て懸るを踏出し立って抜付打込血震し納める此事は膝を付けず又抜付に払捨て打込事も有
行宗先生
勢中刀(月影 大江派):左向ゟ正面へ中腰にて掬ひ上けて敵の二の腕に抜き付け(敵の冠りたる甲手とも云う、二の腕(上膊部)肘のことならん)左足ゟ送り足にて切り血振ひ中腰の侭納刀
大江先生
月影(左斜に向き右真向に抜き付ける):前左斜に向き正座し、同体の儘右足を出し中腰にて刀を高く抜き付け、右敵の甲手を斬る同体にて左足を出しつゝ上段に冠り、右足をだして稍直立体にて敵の頭上を真向に斬り刀尖を胸部にて止む。血拭ひは右足を引き一番と同じ要領にて、刀を納む。但し直立の儘。
 古伝の勢中刀の抜付で「払捨て打込事も有り」の動作が失伝してしまった様です。拂い捨てる部位は何処だったのでしょう。抜付けと払捨の違いも失われたと言っていいでしょう。
 最初の教えは、敵の打ち込んで来るその刀を持つ手(拳、肱)に抜き付け打込みを制止してしまう。払捨ては、打ち込んで来る敵の上膊部を切り捨てる、あるいは低く入って胴を払い捨てる。どれも出来そうです。
 斬り込んで来る敵の腕、若しくは拳に打ち込み斬り込みを制してしまう様な方法もあり得るでしょうが、古伝は斬るが優先していると思います。
 血振りを立ったまま行う理由は特に書かれていませんが、大森流の大血振りは立って行うわけですが、納刀は右足を引いて立ったままに行う事は伝承されました。
*
 大江先生の業名「月影」は夢想神傳流の山蔦先生は「大江先生がこのわざに「月影」と優雅な名付けをしたのは、敵の両肘に斬付けた刀の姿が、下弦の月の形に似ているところからであろう」と書かれていますが、さて無双直伝英信流の先生から聞いたことも無い話です。
 「月影」の業名は元々土佐に伝わる古伝に太刀打之事という組太刀の5本目に「月影」の呼称が存在します。大江先生は古伝の組太刀を改変して7本の組太刀を独創しています。その際業名をそこから転用されたと思います。
 大江先生の組太刀は英信流居合形で五本目鍔留が古伝の月影に相当します。
参考に大江先生の鍔留:互に青眼のまゝ小さく、五歩を左足より引き、打太刀中段となり、仕太刀は其のまゝ下段となる、互に右足より三歩出で、打太刀は右足を左足に引き上段に冠り真直に打下し、仕太刀は右足を左足へ引き上段となり、右足を出して打下して互に刀合す、仕打鍔元を押し合ひ双方右足を後方へ引き左半身となり、刀は脇構として刀尖を低くす、打太刀は直に上段より右足を踏み込み仕太刀の左向脛を切る、仕太刀は左足を充分引き上段となり空を打たせ上段より頭を斬る、打は二歩出で、仕は二歩退り青眼となり互に小さく五歩退り、血拭ひ刀を納む、(打太刀は仕太刀の左膝を打つときは、中腰となり上体を前に流す)。
ついでに、古伝太刀打之事「月影」
 打太刀冠り待つ所へ遣方右の脇に切先を下げて構へ行て打太刀八相に打を切先を上て真向へ突付て留め互に押相て別れ両方共車に取り相手打をはづす上へ冠り打込み勝
 古伝は相手八相に構えて待つ、仕太刀右下段に構え進む、相手八相に打ち込んで来るのを切先を上げて相手咽を突き上げる様にして*摺り上げて受け止め、鍔競り合いに押し合って別れ双方車に構へ、相手車の構えから右足を踏み込んで打ち込んで来るのを左足を引いて外し上段に引被り打ち込む。
 という業です。大江組太刀は双方上段に構え直して真向打ち合い双方の中間で刀をあわせています。
 何のために真向打ちの真似をさせるのか疑問ですが、中学生向きの稽古業として改変されたのでしょう。
 近年の年少者のスポーツ技術の進歩はすさまじい能力を発揮しています。年少者に本物を指導しなかった事は、肉体能力と心のギャップをうずめて人としてのバランスが取れるまで待つ時間を、大人がこころがけていたのかもしれません。
 剣術は人殺しの方法を学ぶ比重が高いものですから、剣技のみ高まる事を恐れたかもしれません。
 打太刀が車から上段に振り冠って「仕太刀の左向脛を切る」是も、車から直接斬り付ければいいものを、帝国剣道型に影響された動作でしょう。
 横道にそれましたが、大江先生は古伝の太刀打之事を捨て去るつもりで居合道型を作られ、その業名を盗用されたと云えます。
 流派の伝承を中学生向きとして安易に改変されたとしても、それはよしとしても、理由も無く抹殺するのは如何なものでしょう。
 現代居合の意味不明な事にいつまでも捉われている事に、警鐘を鳴らすと同時に古伝をしっかり学ばなければ、業技法も、武術の心も知り得ないものです。
 
 

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コメント

ミツヒラ様

お久しぶりです。
…とは言っても、以前1度2度コメントした程度ですので覚えておられないかもしれませんが…w

それにしても驚きます。
というのも、私の教わりやっている形が大江先生の形を古伝に改変(この表現もおかしなものですが)したものなのです。
覚えておられるかは分かりませんが、私の師は若い20代半ば頃までは福井先生に師事しておりましたが(21代目です)、同時に最晩年の頃の河野百錬先生にも師事しており、ほんの短い一時期に両方のやり方を教わっています。
時期は1972年末頃か1973年始め頃から先生が急死される直前までで、この際に今教わっている内容の手付にて稽古されたそうです。
ただし、形の名称は変わらず居合道形に準じています。
奇妙なことですが、私の通う道場では名称変更された古伝と居合道形の2種があるのです。
どちらかと言えば、居合道形を替え業としてやっていると言っても良いと思います。

河野百錬先生も古伝を研究していた者として、大江伝の居合と古伝居合の差に驚きはあったかもしれません。
それどころか、私のやっているのがその証拠として古伝もやることの重要性も理解は十分だったでしょう。
しかし県外人から出た宗家として、他の者よりも一層
師伝道統に務めたんだと思うとその苦労も偲ばれますね。

ですが反面で、河野先生は自身の道場生の幾人かには、この古伝のやり方や詰合(詳しくは分かりませんが恐らく曽田先生からの伝えか?)を教えてもいます。
少なくとも師の知る限りでは、道場生ではなかった福井先生にこの内容は伝わっていません。
もし既に知っておられましたら申し訳ありません。


風来坊さま
コメントありがとうございます。
河野先生の土佐の方々への気ずかいは、宗家であったばかりに大変だったろうと、同感です。
昭和13年発行の無雙直伝英信流居合道に曽田先生の業附口伝が記載されています。江戸末期に演じられていたであろう古伝太刀打之位・詰合之位・大小詰・大小立詰ですが古伝其のものでは無い感じがします。当然河野先生はご研究されていたろうと察しています。
戦後発行された無双直伝英信流居合叢書は曽田先生が発行されたかった古伝の読み下しで、宗家として自ら公に出来ず、伝書として後世に託されたものと思っています。
このところ、土佐の居合の古伝を密かに研究される方とお知り合いになる機会も増えて現代居合に何かが起こる事も有ろうかと思いますが、大江居合はそれは其れ、古伝は古伝として、曽田本の原本を預かった者として、河野先生が進められなかった「読み解く」事及び「復元」に生涯をかけていく所存です。
お力添えいただければ無上の喜びでございます。
   ミツヒラこと松原昭夫

投稿: 風来坊 | 2019年2月 9日 (土) 19時29分

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