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2019年5月12日 (日)

曾田本その2を読み解く18居合術と剣道との関係

曾田本その2を読み解く
18、居合術と剣道との関係
 剣道、柔道は今や中学校の正科となり且つ武徳会に於ても之れが奨励をなすを以て大に其普及発達をなし益々隆盛に向ひつゝあるは実に喜ぶべきことで而して我が居合術は剣道の一派にて実に剣道とは密接の関係あり。(?対立せるものならん 曽田メモ)
 居合術は剣理用法整然たるものがある所謂普通剣道の基として深味があるから徳川幕府時代には盛に之を習修し一層謄力の養成に資する所がある。
 然るに當今立派なる武道家殊に剣道家に在て単に竹刀の業のみを以て能事卑しくとなし真剣用法は勿論日本刀の名称すら知らざる者多々あるは実に痛嘆に堪へざる所である。
 茲に於て之れを慨し居合術の効果を力説し之が普及に力むることの必然たるを疑はず。
 居合術と剣道とは共に其の目的を一にし且つ其用法は多岐に渡り臨機変通の要諦を尽くしたるものにて剣道とは唇歯捕車(?)の如し。
 然るに世人稍もすれば居合術を単に保存的武術視し敢て重きを置かざるものあるも是れ誤れるの甚しきものにて居合術の真義を解せざるものといふべし。
 この文章も、曽田先生が何処からか見聞きしたものをメモしたものと思えるものです。真剣刀法の重要性を力説している様ですが、手前味噌のレベルを越えるものとも思えません。
 往々にして、居合とか古流剣術の愛好家が陥るレベルで、竹刀剣道は当てっこスポーツとして発展して行けばいいもので、フェンシングと竹刀スポーツは似たような位置づけでしょう。
 竹刀スポーツはスポーツとしてとことんやればいいだけでしょう。古流剣術を習いに来て、竹刀ではなどと云っていても形は真似られても技など決まらないものです。
 居合は見世物演舞と武術と分けてどちらも出来て当たり前、古流剣術も当てっこスポーツと別物として、おおらかにやればいいだけです。まぜこぜにしたい人はまぜこぜに。
 其処に精神論を持ち込んで居合は優れているなど言って見ても、優れた竹刀スポーツ家はそれはそれで優れています。真剣を持っていてもダメなものはダメ。
 居合だとて、指導者の真似っこの形を追って上手いの下手だの、段位がどうしたのと言っているうちはダメなもので同じ事だろうと思います。
 日本刀の名称など知っていてもそれがどうした、日本刀を神聖ししてどうするのでしょう。知らなければ同じ土俵で稽古するのが厄介なだけです。居合術の効果を力説と云っていますが効果など人それぞれの状態によって違うものでしょう。
 足腰不自由な爺さんが、相変わらず長い刀を以って手元も足元も決まらず演舞している姿は決して素晴らしいものでも、優れた武術でもない、ただ頑張っている姿に敬意を表するばかりです。
 武術と云いたいのならば、足腰が幾つになってもしっかりしている事、強く早い運剣も軽く往なすことが出来る事。よく竹刀剣道を長くやってきた人が、このごろ若者に勝てなくてと言ってます、若者に負ける様な稽古しかしてこなければ負けるに決まっているものでしょう。
 武術家を自称するならば武器が無くとも応じられるものを持っているかでしょう。
 居合術の有効性を大声で論じて見ても、認められない自己顕示欲の発揮できないストレスに過ぎません。
 
 
 

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