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2019年5月26日 (日)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の2傳統

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の2傳統

 流祖 出羽国林崎大明神
 初代 林崎甚助重信
 二代 田宮平兵衛業正
 三代 長野無楽入道槿露斎
 四代 百々軍兵衛光重
 五代 蟻川正左衛門宗績
 六代 万野團右衛門尉信定
 七代 長谷川主税助英信
 八代 荒井勢哲清信
 九代 林六太夫守政
 十代 林安太夫政詡
十一代 大黒元衛門清勝
十二代 林益之丞政誠
十三代 依田万蔵敬勝
十四代 林彌太夫政敬
十五代 谷村亀之丞自雄
十六代 五藤正亮
十七代 大江正路
十八代 穂岐山波雄

長谷川英信以前は大森流と云ひ居りしが、此人大いに研究して英信流を興し土佐の国に傳ゆ。

曽田先生コメント、十一代より二派に岐れたれば何れも英信流の系統に属し居るも大江正路先生になり独創を加へ正流に崩れを生じたり。

 曽田先生は伝書を書き写された方ですから、大江先生の居合に満足できるわけはありません。
無双直伝英信流は第11代大黒元衛門清勝によって根元之巻が依田万蔵以外に流れています。此処から二派あるのに、河野先生は一方通行でしょう、と言っているわけです。
 大江先生に就いては「正流に崩れを生じたり」其の通りでしょうが、泣いても喚いても崩れて居ることも知らない中学生に指導し其の中学生が長じて土佐の居合を広めた事は事実です。指導された人は大江先生の独創と知ってか知らずかありがたがる人が多いわけで、崩れていない所など今時見る事も出来ません。門外不出で他人が見る事が許されない伝書の有り様に問題があったのですが、武術が実戦に於て役立った時代は流派の掟は、むやみに伝書を人に見せない、それで当然です。現代は居合で戦うなどありえない事です。武術文化を正しく伝承するために本物を公開し学ぶ事が急がれる時代になって居るわけでしょう。
 居合ばかりでは無く日本史もそうでしょう。明治維新後それまでの武士の歴史が捻子曲げられた歴史もありそうです。明治以降の歴史も正しくは伝わらないまま現在に在る様で、お隣の国の我が国批判も同じレベルの事でしょう。

分派
 第11代大黒元衛門清勝ー12松吉貞助久盛ー13山川久蔵幸雅ー14下村茂市ー15なし(指導を受けた者細川義昌・行宗貞義・大江正路)

*
 「長谷川英信以前は大森流と云ひ居りしが、此人大いに研究して英信流を興し土佐の国に伝ゆ」と有ります。昭和8年1933年発行の河野先生著による「無雙直傳英信流居合術全」も全く同じ文言で、書かれています。土佐の居合は元大森流と云われていたと堂々と書いたわけで其の謂れは知っていたのでしょうか。
「無雙直傳英信流居合術全」の発行についてその内容の良し悪しは、此の複製本を配布した岩田憲一先生の前書きが付されています。
「第18代穂岐山波雄先生が大阪八重垣会を指導されていた時、現20代宗家河野百錬先生に記録させたものでその製本された時18代宗家が山本宅治先生を訪問し本書を提示されたので丁度居合はせた中西岩樹先生と三人で致道館に行き正座業一本目より読み上げつつ演武して先ずは大江正路先生(第17代)教示のものして足りるものと三名の意見が一致したものだそうであります(山本宅治先生)。
 河野百錬先生も非常に若い折りでもあり穂岐山先生教示のまま記されたものと考えられこれを穂岐山先生が監修されているので現在第17代大江正路先生の技法を追及したり亦正流の技法の根本に触れんとすれば簡明に記録された本書が一番適当なものと考え同好の各位に領布する次第です。書中所々に記入等印されているのは山本宅治先生の記入でありこれもご参考になれば幸甚に存じます。昭和44年4月25日複製(岩田憲一記)昭和44年5月7日受け。」
 この冊子は関東の川久保瀧次先生(山内派の宇野又二先生直門坂上亀雄先生、及び河野百錬先生から学び昭和41年発行無雙直傳英信流居合道の手引著者)が昭和44年5月7日に受け取ったものというものです。
 従って、河野先生の冊子の元は18代穂岐山先生の当流の認識によるものと云えるでしょう。18代宗家ですら土佐の居合の歴史を知らなかったとしか言いようはありません。

 河野先生は昭和13年1938年に「無雙直傳英信流居合道」を発行されて居ます。居合術全発行の5年後に当たります。この頃から曽田先生との交流もあった様で、居合術全の誤りを正されて土佐の居合を認識された様です。
「長谷川主税英信は、其の技古今に冠絶し、精妙神技を以て始祖以来の達人として聞え、古傳の業に独創の技を加へ、茲に流名を無雙直傳英信流と改め・・而して英信は享保の頃、江戸に於て斯道を研究大成し、晩年土佐に帰国して大いに之を弘め・・当流に述ぶる所の正座の業は大森流と呼び、当流9代林六太夫守政の剣道の師大森六郎左衛門が真陰流古流五本の仕形より案出したるものにて、之を無雙直傳英信流に附属せしめたもの也と伝へられる。・・」継ぎはぎだらけの土佐の居合の歴史をたどり、居合の沿革を無理やり仕立てた感は否めない。証拠もないものは不明或は確証はない、または何々に記述されている、自分はこう考える、などの文言を使うべきだったでしょう。河野先生の書物はバイブル的存在感がありましたから、一般には信じられ安易に使われてしまったのは権威に頼り過ぎの武道愛好者の欠点です。その割には、河野先生の「無雙直傳英信流居合兵法叢書」曽田本の写しを蔑ろにされた昭和の居合人は何処か抜けていると思えて仕方がありません。

 土佐の居合の正式呼称は「無雙神傳英信流居合兵法」であって、「本来「無雙神傳重信流」と言うべき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故之を称して英信流とあげられたる由也」とされています。ミツヒラによる古伝研究会は、古伝神傳流秘書による「無雙神傳英信流居合兵法」の研究会です。
 長谷川英信の「古伝の業に独創の技を加え」は何をどの様にしたのか全く不明です。
 当時の武士の作法が正座を主とするようになってきていますから、大森流の取り込みは当を得ています。立膝の所作は戦国時代以前からの踏襲に過ぎません。英信が土佐の人であったなど全く出自は不明です。当時の一般人は殆ど出自が判らなくて当然の事でしょう。

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