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2019年5月 6日 (月)

曾田本その2を読み解く13陸軍戸山学校天覧武道場

曾田本その2を読み解く
13、陸軍戸山学校天覧武道場
長谷川英信流居合
太刀打之位
請込1業
打太刀竹村静夫、仕太刀曽田虎彦
昭和10年10月25日
日本古武道振興会主催明治神宮奉納武道に出席したるを機に戸山学校に招かれて演武したるものなり。
陸軍戸山学校天覧武道場にて(昭和10年10月26日写)
打太刀竹村静夫・仕太刀曽田虎彦
Img_0484
昭和10年11月海南新聞にて
万丈の気を吐く豪勇曽田虎彦氏
傑物、行宗貞義の一の弟子
土佐居合術の為に
土佐の居合術は英信流とて全国的に有名であり京都武徳殿においても特に英信流を日本武術の精華として尊重し中学校でも武道の教科目に編入してをる程だが現代この土佐居合術の代表的人物は何といふても曽田虎彦氏であらふ。
曽田氏の師匠は有名な行宗貞義である、行宗氏は西南戦争の時大尉として各地に転戦した剛の者だが後ち感ずるところあって断然軍服を脱ぎ捨て、一時看守長を勤めたこともあり、其の後ち更に零落して第二中学校の門監にまでなり下っていた。
当時、二中の武術教師は桑山直澄氏であったが或時に行宗、桑山の居合が取り組まれ中島町に居合の古武士で名高かった真田翁がその試合を見物し、行宗氏の妙技を嘆賞して、二中に行宗がをる以上、桑山は教師たる資格がない早速罷めろと言って、行宗氏が門監から昇格して二中の居合の先生となった、大江正路氏の如き剣客も行宗の足許へ寄りつけぬと云ふ評判で其の実力は大したものだった。
この居合術の神たる行宗氏には沢山の門弟があったがそれら数多き俊傑の中で行宗門下の五傑と称せられたのが曽田虎彦、鈴江重吉、弘田弘作、そして海軍大佐の伴次郎、中村虎猪などの人々であった。
此等五傑の筆頭たる曽田氏は元と二中の生徒で、行宗氏が一年から五年まで我が子の如く教へたといふ一事を持って、如何に師の行宗氏が年少曽田氏の将来に望みを臆していたかが判り同時にその曽田氏が如何に居合術の神によって鍛錬せられたかを想像することが出来る、果然その曽田氏は嚢中の錐として鋭脱し二中を卒業するや、高知武徳殿の助教師に抜擢せられここに師の衣鉢を継ひだのである、
すなわち世間から見れば曽田氏は第二の行宗となったわけで堂々たる英信流の指南役に推しあげられた形となった、そこで今一度行宗氏の実力を振り返へて見直す必要が出来た、何でも明治40年頃であったが範士の中山博道氏が態々来県して行宗氏の弟子となり又三重県人で堀田捨次郎といふ柔道の範士も亦来県して行宗氏の門に入った敢えて多くを語らずとも此の二つの事実は行宗氏とその人の畏敬をすべきその妙技と実力とを極めて雄弁に物語ってをるではなかろふか。
本年10月25日、日本古武道振興会の主催で明治神宮奉納会があり、土佐居合術の代表者として曽田氏と竹村静夫氏が出席し帝都の檜舞台において英信流のため万丈の気を吐ひた、そして曽田氏と範士中山博道氏と会見の節、中山範士は曽田氏を尊敬して先輩に対する礼を執り、刀の新しい下緒を贈呈したのであった、斯くして長谷川英信流7代の師範たる曽田虎彦氏は日本の武道界において天下的人物たる折紙を附けられたことを我等土佐の誇りとして読者諸君と共に欣快の拍手を送る写真は曽田氏。
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 海南新聞の記事ですが、土佐のお国自慢は可愛らしいものです。
 今では、読めばすぐにとんでもないと苦情の来るような大尉から「門監」に成り下がるなどの職業の貴賤を平気で述べています。時代の為せるものと云えます。
 行宗貞義をよいしょするのに大江正路は足元にも及ばないと云っています。中山博道にも指導したとかどこまで事実を押さえて書いたのか疑問だらけ、博道を指導したからすごい人と云いたかったのでしょう。と云う事は博道はものすごい人と思えますからそれ以下に土佐人はされてしまったのでしょう。
 昭和10年の新聞ですから、この頃生まれた方がこんな風に育てられたか、とふと思ったりして・・・。

 

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