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2019年5月14日 (火)

曾田本その2を読み解く19無雙直傳英信流居合術の伝統19の2第2代田宮平兵衛尉業正

曾田本その2を読み解く
19、無雙直傳英信流居合術の伝統
19の2第2代田宮平兵衛尉業正

第2代田宮平兵衛尉業正(武術叢書には重正とあり)
重信の弟子抜刀の妙を得後對馬と改む其の子長勝箕裘の術を継き池田輝政に仕ふ後紀州に赴頼宜に仕へ八百石を領す。

武術叢書とは早川純三郎によって大正4年1915年に発行された武術叢書の事でしょう。其の中の「本朝武芸小伝巻六」の田宮平兵衛重正についての文章の引用でしょう。本朝武芸小伝は日夏繁高によるものでその序文を書いた葛慮林信如が序文に干城小伝序と題しています。本来は本朝武芸小伝でしょう。正徳4年1714年第7代徳川家綱の時代、徳川吉宗の一代前になります。

武術叢書から田宮平兵衛重正について読んでみます。漢文で書かれていますから読み下し文としておきます。
 「関東の人也、刀術を好み東下野守元治に学び神明無想東流奥旨を究む、後又、林崎重信に就いて抜刀の妙を得る、実に変をを盡し神に入る、後對馬と改む。其の子對馬守長勝其の術を継ぎ常圓と號す、紀伊頼宜卿に仕え奉り、子孫箕裘の芸を伝え、芳名千歳に揚ぐ。末流諸州にあり、重正より其の術を学ぶもの若干、特に長野無楽斎槿露、三輪源兵衛傑出たり。」

山田次郎吉の剣道集義による千城小伝では、上記文章に続きがあります。全文掲載させていただきます。
 「田宮平兵衛重正は関東の人也、林崎重信に従って抜刀の妙を得る、実に変を盡し神に入る。後對馬と改む。其の子對馬守長勝箕裘の術を継ぐ。池田三左衛門尉輝政に仕う、後仕え至りて常圓と改む、紀州に赴き大納言頼信卿に奉仕す、采邑八百石を領す。其の子掃部長家後平兵衛と改む。大猷大君田宮の芸を見んと欲し、頼宜卿に命じて江戸に召さる、登営して其の術を台覧に備え奉る、その名を日域に顕わす。其の子三之助朝成後常快と號す。其の子次郎右衛門也常箕裘の芸を継ぐ、中納言吉宗卿に奉仕す。其の末流諸州に在りて千歳に芳名を伝うと云うべきか。
 斎木三左衛門清勝という者あり、紀州人也、幼弱より田宮長家に従って練習年有りて後朝成に従い終に其の宗を得る、延宝年中江都に来たり其芸を以って鳴る。
 北条早雲記曰、勝吉長柄刀をさしはじめ、田宮平兵衛成政といふ者是を伝ふる。成政長柄刀をさし諸国兵法修行し、柄に八寸の徳、みこしにさんぢゅうの利、其の外神妙秘術を伝へしより以後、長柄刀を皆人さし給へり、然に成政が兵法第一の神妙奥義と云うは、手に叶ひなばいかほども長きを用ゆべし、勝事一寸ましと得たり。


 林崎甚助重信の居合は第二代は田宮平兵衛業正(重正、成政)として土佐には伝えられたのでしょう。
東北地方ではどうであったか、江戸時代の伝書から眺めてみます。
 林崎甚助重信公資料研究委員会による林崎明神と林崎甚助重信に依ります。
津軽藩 林崎新夢想流 林崎甚助重信ー田宮平兵衛照常ー長野無楽斎槿露
三春藩 林崎流    林崎甚助重信ー田宮平兵衛重正ー長野無邑斎槿露
新庄藩 林崎新夢想流 林崎甚助重信ー田宮平兵衛尉照常ー長野無楽斎槿露
秋田藩 林崎流居合  林崎甚助重信ー長野無楽斎槿露ー市宮左大夫忠重

 

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