曽田本その2を読み解く19無雙直傳英信流居合術の傳統19の12行宗藤原貞義先生
曽田本その2を読み解く
19、無雙直傳英信流居合術の傳統
19の12恩師 行宗藤原貞義先生
・
明治10年西南戦争時代陸軍歩兵大尉の官職にありたるも後定見の衝突より退官一時看守長なれど奉職し居たり、其後零落し明治34年頃第二中学校門衛となりたり居合術は尤も達人にして下村茂市先生の高弟なり。
五藤正亮、谷村樵夫等没後時の大日本武徳会総裁の宮伏見宮貞愛親王殿下の御前にて居合を仕り(明治40年頃ならんか)天下一流の達人なりと御褒▢を賜りしと云う。
後東都武徳会本部の居合術教師たり(明治の末期より大正の初期の頃)故に門弟には東大生、三高学生多数ありたり。惜しむべし大正三年十月没せらる。当大正二年には細川義昌先生、昭和二年には大江正路先生相次で没せられたり。
余虎彦恩師行宗先生に師事する事久し、即ち幼少14才にして入門(第二中学校入学)爾来在学五ヶ年親しく御指導を賜り今日に至るも・・。
*
吉宗貞義先生の年表
嘉永3年1850年 生まれる
万延元年1860年 向髪角入11才
明治維新1868年 18才
明治2年1869年 藩籍奉還19才
明治9年1876年 廃刀令26才
明治10年1877年 西南戦争大尉転戦27才
師下村茂市没す
明治23年1890年 曽田虎彦生まれる
明治36年1903年 曽田虎彦高知二中入学13才
吉宗貞義53才
明治41年1908年 曽田虎彦高知武徳殿助教授18才
大正3年1914年 没す64才
曽田虎彦24才
昭和25年1950年 曽田虎彦没す60才
| 固定リンク
「曾田本その2を読み解く」カテゴリの記事
- 曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の12本目(2019.11.29)
- 曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の11本目(2019.11.28)
- 曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の10本目(2019.11.27)
- 曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の9本目(2019.11.26)
- 曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の8本目(2019.11.25)
コメント