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2019年5月17日 (金)

曾田本その2を読み解く19無雙直傳英信流居合術の傳統19の5第7代・第8代

曽田本その2を読み解く
19、無雙直傳英信流居合術の伝統
19の5

第7代長谷川主税助英信
土佐の人江戸に出て信定に▢(就)て居合術の研鑽をなす英信流の一流を起す故に又長谷川流とも云う。

第8代荒井勢哲清信

 長谷川主税助英信について平尾道夫先生の土佐武道史話では「長谷川主税助を土佐の人だと説く人もあるが、そんな確証もないし、また主税助の生涯についても世間には知られていない。当流第5代の百々軍兵衛と同名の人は土佐にいたが、この人の実名は直実といって伝書の軍兵衛光重と同一人だと軽々に決める事はできない」
 お国自慢は何処にでも居て当たり前でしょうが、土佐では明治維新を成し遂げた誇り高きお国なんでしょう。確証が無くとも云い切って来る処が土佐っぽらしい。
 
 北信濃の無雙直傳流の研究をされている南山大学の榎本鐘司先生の「北信濃における無雙直傳流の伝承について―江戸時代村落の武術と『境界性』-」を、原文のままお借りして第7代長谷川英信と第8代荒井勢哲を、考えて見たいと思います。
「無双直伝英信流の祖として有名な長谷川英信の経歴については不明な点が多いが、滝沢家文書では「越中の人」としている。この英信流は土佐に伝承し、これによって現在も居合道の主流として盛んに行われているが、この系統では長谷川英信の次に荒井勢哲清信、そして土佐藩士の林六大夫に継承されたとしている。ここでいう荒井勢哲清信が、滝沢家の系統の小菅哲斎正継であることはまちがいない。『大矢氏物語書留』(滝沢家文書)には小菅精哲斎正継を「荒井兵作」の改名であるとしており、また『朝陽館漫筆』に「荒井清鐵」について次のようにある。「荒井精鐵、又曰、熊谷兵作と云者、やわらを鍛錬して教へける少分なる者のうへ、不仕合有て所を立ち退、江戸へ出、師家を立、渡世とする間に、彌功積て、今は荒井清鐵など名乗り、やわらを脇へなして居合剣術など指南して奇妙不思議を得たりなどと言はやさる。最早80歳計成べければ、奇妙を化るも尤なり。」この記述は、松代藩の神道流師範であった落合保考の宝永年間(1704年~1711年)の著述にもとずいており、兵作(荒井兵作、荒井清鉄、荒井勢哲清信、小菅精哲斎正継)はこの頃に80歳ほどであったと記されるのであるから、元和・寛永(1615~1644)の頃の生まれとなる。すると長谷川英信もこれと同時期、あるいはこれ以前の人とみなければならない。兵作は「越後国高田の牢人」(大矢氏物語書留)とされるが、『朝陽館漫筆』には「少分鳴る者のうへ、不仕合有て所を立退、江戸へ出、師家を立」とある。その後、武州を遍歴して江戸で名をあげ、最後には信州倉科村に住した。もともと「やわら」を得意としたが、常陸国田宮彌兵衛正信という人物から林崎居合の相伝をうけ、江戸では居合剣術を家業としていたとされる。土佐の英信流居合の系統では長谷川英信が協調されるが、滝沢家や松代側の史料では長谷川英信は和(やわら)の相伝者であり、新しい林崎流系統の居合は小菅(荒井)正継によって加えられたことになる。」以上が榎本先生の論文になります。

 長谷川英信も荒井勢哲も榎本先生の論文から「秘密性・非公開を原則とした武士を基盤とする近世流派武術とは次元を異にした、農民の生活様式としての伝承的な武術の存在」によって育まれた武術家であったと推察します。
 この辺の研究はとても面白そうですが、いずれ又の機会に譲るか、どなたか興味のある方にお任せします。無双直伝英信流の道統の出自は長野無楽斎以降は、歴史の記述に書き込む事を望まれない身分の人達によって整えられてきたものと考えられます。
 土佐への伝承は、江戸に於て荒井勢哲から料理番であった林六太夫が学び伝えた武術として認識できそうです。

 

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