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2019年5月25日 (土)

曽田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の1河野稔

曽田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の1大阪居合術八重垣會剣道錬士河野稔

 居合は剣道の一分派なり。古来より居合の勝負は鞘の内にありと称せられし如く、彼の剣道が刀を抜きて後、敵を制するに対し、居合は寧ろ抜刀の以前に於て、気を以て敵を制し、然る後刀を下すものなり。
 居合は攻撃精神の充実せる而も秘めて静かなる気分を養ひ、更に技術的には真剣の用法を以て本則とす。心は本来静かなるものなり。始め事無き時は寂然不動天地万物一体にして、事あるや其迅き事電撃も只ならず。是至静極まるが故なり。静中動あり、動中静ありと云ひ、更に心の体を以て是を動静一貫と云ふ。
 孫子曰く、静かなる事林の如く、迅き事風の如しと。故に居合の術は心静に体胖(ゆたか)にして天理自然に従ひ業を行ふを以て正理となすものなり。
 居合は勝負の理に拘りて勝負を離れ、己に克ちて己を正し業に依りて心気を治むるの心法なり。故に形を正し武夫の武き心を心とし、毫も怠慢する事なく誠を以て学習する時は神明に至らん事必然なり。
 大江正路先生の句
心気力一定一刀瞬息石火無妙術也 (心気力一つに定め一刀瞬息石火無妙の術也)
居合術之要諦於先看破敵気色   (居合術の要諦は先ず敵の気色意向を看破し)
意向即座瞬間振自刀粉砕敵    (即座瞬間にして自刀を振るい敵を粉砕す)


 このスクラップは曽田本その2に出典は何か、定かにされていません。曽田先生がどこかから見つけ出したものを切り抜いて、メモ帳に張り付けたものです。

 無雙直傳英信流居合術の表題で筆者は大阪居合術八重垣会剣道錬士河野稔と有ります。第20代河野百錬先生の記述になるもので、昭和8年1933年発行された「無雙直傳英信流居合術全」の発行以前に八重垣会で稽古の際、会員に配布されたもののスクラップだろうと推測します。第18代穂岐山波雄先生から口伝口授で河野先生が習った業をまとめた参考資料でしょう。
 今回の處は業手附の書き出しの部分です。「無雙直傳英信流居合術全」の書き出しと同じ様ですが幾分言い回しなどに違いがあります。 河野先生は明治31年1898年の生まれですからこの時35才となりす。武ばった様な漢文調の言い回しで意味不明と云った方が良い文章です。居合の有効性を箇条書きした表題にすぎず、解説してもらわなければその言いたいことは伝わりそうもありません。判った振りをしたい人は勝ってです。

 書き出しの「居合は剣道の一分派なり」について曽田先生は「分派にあらず」と否定しています。既にこの曽田本その2で読み解いています。(2019年5月9日曽田本その2を読み解く15居合術)
 「余は居合は一兵法即ち居合兵法と称せられ剣道に附随せるものにあらず一派独立せる武術なりと信ず」と居合は分派では無く独立した武術なんだと解釈されています。

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 この、スクラップと昭和8年に発行された「無雙直傳英信流居合術全」との書き出しの違いをチェックしておきます。あわせて昭和13年発行の「無雙直傳英信流居合道」及び昭和18年発行の「大日本居合道図譜」、更に昭和37年発行の「居合道真諦」ともチェックしておきます。
1、居合は剣道の一分派なり
◉スクラップ「居合は剣道の一分派なり。古来より居合の勝負は鞘の内にありと称せられし如く、彼の剣道が刀を抜きて後敵をせいするのに対し、居合は寧ろ抜刀の以前に於て、気を以て敵を制し、然る後刀を下すものなり。」

◉居合術全「居合は剣道の一分派なり、古来より居合の勝負は鞘の内にありと称せられし如く、彼の剣道が刀を抜きて後敵を制するに対し、居合は寧ろ抜刀の以前に於て、気を以て敵を制し然る後刀を下すものなり。

◉無雙直伝英信流居合道「居合は、我が日本精神の象徴たる、肇国の大精神を宿す霊器日本刀の威徳をに依りて、心を修むる道にして、剣道の立合ひに対する所謂る居合の意なり。而して古来より居合の勝負は鞘の中にありと称せられし如く、抜刀の前既に心意気を以て敵を圧し閃光一瞬にして、勝つの術にして、元来敵の不意なる襲撃に際し、能く直ちに之に応じ、先又は後の先の鞘放れの一刀を以て電光石火の勝を制せんがため、剣道の一分派として武士の間に創案されたる刀法にして、坐居の時、又は歩行する時、其他あらゆる時と場所に於ける、正しき刀法と身体の運用を修得し、精神を錬磨する大道なり。」

◉居合道図譜「居合とは剣道の立合ひに対する所謂る居合の居にして、元来敵の不意の襲撃に際し直ちに之に応じ、先又は後の先の鞘放れの一刀を以て電光石火の勝を制する必要より、剣道の一分派として武士の間に創案されたる刀法にして、坐位の時又は歩行する時其他あらゆる場所に於ける正しき刀法と身体の運用を錬磨し己が心を治むる道である。」

◉居合道真諦「居合とは剣道の抜刀後の立合いに対するいわゆる居合(即ち抜刀前の心構へと、抜刀の瞬間に敵を制する刀法)の意にして、元来敵の不意の襲撃に際し直ちに良くこれに応じ、先または後の先の鞘放れの一刀を以て、電光石火の勝を制する必要より、武士の間に創案されたる独自の剣法にして、坐位の時、または歩行する時、その他あらゆる時ところにおける正しき刀法と身体の運用を錬磨し、己が心を治さむる道である。」

2、精神論
◉スクラップ「居合は攻撃精神の充実せる而も極めて静かなる気分を養ひ、更に技術的には真剣の用法を教ふるものなり。居合は静を以て本則とす。心は本来静かなるものなり、始め事無き時は寂然不動天地万物一体にして、事あるや其迅き事電撃も只ならず、是至静極まるが故なり。静中動あり、動中静ありと云ひ、更に心の体を以て是を動静一貫と云ふ。孫子曰く、「静かなること林の如く迅き事風の如し」と。故に居合の術は心静に体胖にして、天理自然に従ひ業を行ふを以て正理となすものなり。居合は勝負の理に拘りて勝負を離れ、己に克ちて己を正し業に依りて心気を治るの心法なり。故に形を正し武夫の武き心を心とし、豪も怠慢する事なく誠を以て学習する時は神明に至らん事必然なり。

◉居合術全 同文

◉無雙直傳英信流居合道「居合の至極は、常に鞘の中に勝を含み、刀を抜かずして天地万物と和する所にあり、所謂る武徳修養の一転に帰す。即ち礼儀慈愛に富む質実剛健の精神を養い、義勇奉公の、誠の心を鍛錬する、処世の大道に外ならざるものなり。而て形より心に入り、業に依りて心を養ふとの教への如く、我が日本刀に依り、正しき刀法と身体の運用を極はめ、以て心剱一如の妙所を悟り、枝の末節に拘るゝ事無く、常に武道を一貫する精神を本とし、終生不退の錬磨により、人格の錬成に努め、夫々与へられたる自己の天職に尽くすは、之即ち武徳を発揮する所以にして、実に斯道の目的とし又た武道の精髄とする所なり。

◉居合道図譜「居合は元攻防の術を得る事に始まったが、今日之が(修養)の目的は定められたる武技を通じて、剛健なる身体を鍛錬し、己が精神の錬磨をなすにあり。(極限)すれば其の根元とする所は所謂る武徳修養の一点に帰す。即ち礼儀慈愛に富む質実剛健の精神を養ひ(一死奉公の誠の心を鍛錬し)以て個々の明徳を明らかにする(処世)の要道に外ならぬものである。

◉居合道真諦「居合は元と攻防の術を得ることに始まったが、今日これが(修行)の目的は、定められたところの武技を通じて、剛健なる身体を鍛錬し、己が精神の錬磨をなすにあり。(換言)すればその根本とするところはいわゆる武徳修養の一点に帰す。即ち礼儀慈愛に富む質実剛健の精神を養い(誠心を錬り)、以って個々の明徳を明らかにする(所世)の要道に外ならぬものである」( )は居合道図譜とやや異なる部分。


 いつの時代の河野先生の文章でも居合に就いて、回りくどい言い回しと精神論を混ぜ込んで意味不明にしている事は変わらない様です。最後の居合道真諦では「居合は剣道の一分派」という意味不明な文言が消えています。
 要約すれば、「居合とは坐位の時或は歩行中その他に於いても敵の不意の襲撃に対し直ちに之に応じ、鞘放れの一刀を以て勝を制する武術である。其の為には正しい刀及び身体の運用法を身につけ、何時如何なる状況にも応じられる心と、体を磨かざるを得ないものである。」と云いたかったのではないでしょうか。精神論を前面に押し出せば意味不明になってしまいます。業形ばかりでは不意の襲撃に応じられるわけはないでしょう。


 古伝の求める居合は総合武術の一環の中に組み込まれているもので、居合の根元は柄口六寸にあるものです。居合だけ取り出して見て、その優位性を述べて見ても、返し業は幾らでもあるもので、究極の處は無刀の世界に至り、神妙剣に行きつく事を示唆しています。
神妙剣は既に曽田本その1の巻末に解説していますが、改めて掲載します。

◉神妙剣「深き習いに至りては実は事(業 曽田メモ)で無し常住座臥に有の事にして二六時中忘れて叶わざる亊なり。彼れ怒りの色見ゆるときは直に是を知って怒りを抑へしむるの叡智(頓智)あり唯々気を見て治むる事肝要中の肝要也、是戦にいたらしめずして勝を得る也。去りながら我臆して誤りて居る事と心得る時は大いに相違する也、兎角して彼に負けさるの道也、止む事を得ざる時は彼を殺さぬ内は我も不死の道也、亦我が誤りをも曲げて勝には非ず、誤るべき筋なれば直に誤るも勝也。彼が気を先に知ってすぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也、委しくは書面にあらわし尽くし難し、心覚えの為に其の端を記し置く也。」

 270年前の文章の方が判りやすく、「そうであったか」と頷けるものです。河野先生のものは一段も二段も高い所から見下ろして、こうあるべき論を述べたもので戦前の軍国主義の担い手である事を感じてしまいます。
 神妙剣は人が人と共に生きていく為のコミュニケーションを語っています。武術の有るべき道を示していると思うのです。縦社会の論理で押しとうせば居合を学ぶ意味も価値もないものでしょう。

 

 

 

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