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2019年6月

2019年6月30日 (日)

曽田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書奥居合立業之部5信夫

曽田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
奥居合立業之部5信夫

 正面に向ひて進みつゝ、例に依りて鯉口を切り体を沈め向ふを透し見て左に一歩披き刀を抜き正面を見つゝ体を右に十分及ばして刀を右前に突き出し、及びたる体を引き越し空を切らせ、直ちに刀を右より双手上段に振り冠り右足を踏込みて切り下し納め終る事前に同じ。(詳細は口伝の事)

 大江先生の剣道手ほどきより信夫:「(暗打ち)左足より右足と左斜方向に廻りつゝ、静に刀を抜き、右足の出でたるとき、右足を右斜へ踏み、両足を斜に開き、体を稍や右横へ屈め中腰となり、其刀尖を板の間に着け左足を左斜に踏み込みて上段より真直に斬る、其まゝの中腰の体勢にて、血拭ひ刀を納む。」

 大江先生と河野先生では足捌きが異なります。
 河野先生は前進中正面をすかし見ながら(透かし見るのですから、敵の位置は把握できていそうです)左に一歩左足を踏み込み刀を抜く、体は正面向きですが左足は左斜め前に踏み込まれています。足は正面左斜め向きです、体を右に倒しながら刀尖を右前に突き出し(この時現代居合は剣尖で地を打つのですがここでは突き出すだけです、意味のある動作でしょうか、敢えて言えば誘いです)、敵が斬り込んで来るのを体を起して外し、直ちに右から双手上段に振り冠って、右足を敵の方へ向けて踏み込み斬り下し納める。 敵を想定して打込むのですが、敵も我を認識しているのでしょうか、状況が判らない攻防です、詳細は口伝などと云う業手附ではお粗末です。

 大江先生は暗打ちとは闇討ちでしょうか、左斜めに左足右足を踏み込んで正面歩行線より左へ「廻りつゝ」刀を抜き、右足を右斜めへ踏込んで左右の爪先を外に開き、体をやや右横に屈め中腰となって、刀尖を板の間に着け(どのあたりに着けるのか、多分右足爪先の右前方に身を屈めて刀尖を着けるのでしょう)、左足を左斜め(前)に踏み込み敵の打込みを外し、同時に上段から(刀尖を床板に着けた位置に)真っ直ぐに斬る。

 河野信夫も大江信夫も抜けだらけなのか、表現力が乏しいのか、私の理解力が現代居合にとらわれ過ぎて惑わされているのか、誤字があるのか「ぼーっと稽古してんじゃねえよ」って叱られそうです。

 河野先生を指導された18代穂岐山先生の指導による野村條吉先生の無雙直傳英信流居合道能参考より信夫:「惣留同様暗夜に敵を誘い打つ。静かに前進しつゝ敵の近づきたるを感得し、抜き足にて右足を左足の左前に踏み、次に左足をその前に踏まんとする時柄に手をかけ徐ろに刀を抜き、更に右足を左足の前に踏出すに及び体を右横にそらせ切先を以て右前の路上を軽く叩きて敵を牽制し、敵の其方向に打ち込み来るを待ちて上段となり左足より突進右足を出して斬り下す。其まゝの体勢にて血拭い納刀す。」

 「敵の其方向に打ち込み来るを待ちて上段となり左足より突進右足を出して斬り下す」の文言が気がかりですが前者の文章より理解できます。

 細川義昌先生の系統の梅本三男先生による居合兵法無雙神伝抜刀術の夜太刀:「(暗夜に斬込み来る者を斬る)「正面へ歩み往き止まりて、左足を左へ大きく披き体を右へ倒し低く沈め、正面より来掛かる者を透し見つつ刀を引抜き向ふへ突出し、刀尖で地面を叩きその音に斬込み来るを急に右足諸共体を引起こしつつ諸手上段に冠り(空を斬って居る者へ)右足踏込んで斬込み、刀を開き納め終る。」

 梅本先生の文章は状況を明確に感じさせるもので、真暗闇なので敵も我を認識しても不覚を取るので、地面を叩いて誘い、切って懸るを体を外して打込むのでしょう。

 古伝神傳流秘書抜刀心持之事夜ノ太刀:「歩み行抜て体を下り刀を右脇へ出し地をパタと打って打込む闇夜の仕合也」

 古伝は抜けだらけですが、要点はきちんと押さえています。状況が目に浮かぶのは現代居合の信夫のお陰でしょう。

 河野先生も昭和13年1938年の無雙直傳英信流居合道の信夫:「意義-暗夜、前方に幽かに敵を認め、吾れ左側に体をかわし、敵の進み来る真正面の地面に我が剣先を着けて敵を引き寄せ、敵其の所に切り込み来るを上段より切り付けて勝つの意なり。動作略す」

 闇夜でも目が慣れて来ればかなり見えるものです。ましてかすかにでも敵を認識出来れば誘いも出来るでしょう。同様に敵も我を認識できると思って当然です。真っ暗闇だから、音を立てて敵を誘って切るとの教えもある様ですがそれだけに捉われたのでは、ここで示された敵の切り込みを外して斬る業はできないでしょう。この業は居合と云うより剣術の心得と云えます。

 英信流居合目録秘訣極意ノ大事に夜之太刀があります。:「夜中の仕合わ我わ白き物を着べしてきの太刀筋能見ゆるなり場合も能知るゝものなり。放れ口もなり安し、白き肌着などを着たらば上着の肩を脱ぐべし、かまえは夜中には下段宜し敵の足を薙ぐ心得肝要なり、或は不意に下段になして敵に倒れたると見せて足を薙ぐ心得も有るべし」

 居合兵法極意巻秘訣にも月夜之事:「月夜には我は陰の方に居て敵を月に向はすべし、我はかくれて敵をあらわす徳有り」
 同じく闇夜之事:「やみ夜は我が身をしずめて敵の形を能見透かすべし、兵器の色をはかるべし、若難所有らば我が前に当て戦うべし、敵の裾をなぐる心持ちよし」

 是等をよく読んでみますと、細川先生の夜太刀はその心持ちを含んでいる様です。
 河野先生の大日本居合道図譜の信夫の意義:「夜太刀とも称し暗夜前方幽かに敵を認め我左方に体を転じて、進み来る敵の正面を避けて、右方(敵の正面)に剣先を地につけ音をさせて其所に敵を引附け、之に斬り込み来るを我右斜めに進みて上段より斬下して勝つの意」
 第22代はさらに「・・暗夜の中互に其の存在を求めて忍び会う中、我密かに敵に先んじて敵の存在を認め、・・」と変わっています。先んじて敵を認識する事は出来るでしょうが、少しでも我が動けば敵も即座に認識すると思えます。この信夫、古伝の夜の太刀の真意は何処にあるのか、悩みます。形は演じられても術が決まるかがポイントでしょう。古流剣術は形は出来ている様に見えても術が決まらず奥の深さに己の不甲斐なさに泣かされるものです。

 

 

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2019年6月29日 (土)

曽田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書奥居合立業之部4惣留

曽田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
奥居合立業之部4惣留

 正面に進みつゝ、例に依りて鯉口を切り右手を柄に掛けると同時に右足を踏み出して腰を十分左に「ひねり」て右斜前に抜きつけ、左足を右足先迄引き寄せ乍ら刀を納め、右足を踏出しては又右斜前に抜きつけ三度足を繰り返し腰を正面に「ひねり」て血振ひして納刀する事前に同じ。

 大江先生の剣道手ほどきより奥居合立業能力部能力12、惣留め:「(進行中三四遍斬っては納む)右足を出して、刀を右斜へ抜き付け、左足を出して抜き付けたる刀を納む、以上の如く四五回進みつゝ行ひ、最後の時は其まゝにて刀を納む。

 河野先生も大江先生も同様の想定で動作を付けられていると思います。
 河野先生は右足を踏出し「右斜前に抜き付け、左足を右足先迄引き寄せ乍ら刀を納め」ます。
 大江先生も右足を出して「右斜へ抜き付け、左足を出して抜き付けたる刀を納む」です。
 どこが違うかです、大江先生は右足を踏み込んで右斜め前に抜き付け、左足を右足の前に出して刀を納めると読めてしまいます。河野先生は抜き付けた右足先迄左足を引き寄せ乍ら刀を納めます。「左足を出して」「左足を右足先迄引き寄せ」の読み解くのですが、文章表現は微妙です。

 河野先生の無雙直傳英信流居合道の惣留:「意義-吾れ狭まき板橋又は堤、或は階段等の、両側にかわせぬ様な場所を通行の時、前面より敵仕掛け来るを、其の胸部に斬り付け、一人宛を仆して勝つの意なり。動作-正面に向ひて直立し、前方に歩み行きつゝ、鯉口をきり、右手を柄にかけるや右足を前に踏み込み、腰を十分左に「ひねり」て半身となりて抜打に右斜に斬り付け、左足を右足先迄引き寄せ乍ら刀を納め、右足を踏み込みて前述同様に斬り付ける事三度にして、斬り付けたる所より腰を正面に捻ると同時に血振いし納刀す。」

 昭和8年のスクラップと同じで「左足を右足先迄引き寄せ」です。狭い板橋ですから、右足と左足を揃えるのは基本としても難しい場合が有りそうです、左足は右足前まで踏み込むべきかもしれません。

 18代穂岐山先生の指導を受けられた野村條吉先生の無雙直傳英信流居合道能参考による惣留:「暗夜細道にて敵に遭いたる心地にて右足を出し、中腰のまゝ体を左へ捻り刀は前に抜き打ち、左足を千鳥に前に出して(交叉)体は低く刀を納む、以上の動作を三、四回繰り返し、最後に体を正面に直し血拭い納刀。」
大江先生の教えに添っている様で、左足は「千鳥に出して(交叉)」と云って千鳥足の裁きで状況を示しています。

 面白いのは細川先生系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神伝抜刀術英信流奥居合之部放打:「(右側へ来掛る者を一々斬る)正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り左足踏出したる時、右手を柄に掛け右足踏出し右前へ抜付け左足を右前足に踏揃へる、同時に刀を納め、又右足踏出して抜付け左足を右前足に踏揃へるなり刀を納め、する事、数度繰返し(三回位して)刀を納め直立の姿勢となり終る。」

 梅本先生は河野先生同様に右足に左足を踏み揃えて納刀しています。細川先生と大江先生は下村茂市に師事した同門ですが、惣留の足裁きが違います。状況に応じて対処せよと云った塩梅でしょうか。

 古伝神傳流秘書の抜刀心持之事放打:「行内片手打に切納ては又切数きわまりなし」

 古伝はおおらかです、状況に応じて如何様にも工夫せよと云っています。
 参考に、居合兵法極意巻秘訣の絶道之事:「絶道の仕合は左右後の三方には道無前には敵多あるを云、左様の地にては少しものがれんと思ふべからず死を本とすべし、伝に云う両脇川池深田などの類にて後は山なる時は不去不退にて利を計るべし両脇の内に山ありて後池などある時は先の上へ登りて利を計るべし。」
 惣留の参考の端になり得たか否かです。

 惣留の連続して右斜めへの抜打ち後の足捌きは場によるとして、現代居合では一回ごとに納刀時に正面に向き直って納刀していますが、明治の方々は最後の抜打ち後の納刀のみ正面に向き直っています。河野先生の昭和17年1942年の大日本居合道図譜でも「「斬付の最後に半身より正面に体を向き直るや血振をなして納刀す・」とあって其の都度体を正面に向ける事は要求していません。次の敵が待ち構えて切って来るのですから、納刀するのも不自然ですが、納刀中次の敵が攻め来るを察知したのであれば半身の侭応じるべきでしょう。手打ちになりやすいので斬撃力を増すためには正対する事も不可とは言えません。

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2019年6月28日 (金)

曽田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書奥居合立業之部3惣捲り

曽田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
奥居合立業之部3惣捲り

 正面に進みつゝ例に依りて鯉口を切り右手を柄に掛け右足の出ると同時に刀を引き抜きて、右足を左足に引き付けつゝ双手上段にとり右足を踏込みて敵の左面に切り付けると同時に左足を右足に引き付け更に右足を踏込み刀を返して肩に斬りつけ尚(切り付けたる時左足を右足に引付ける事以下同じ)右足を踏み込て胴に切込み、右足を更に出して腰を低めて腰を左より一文字に払ひ、直に上段に大きく振冠りて正面を割付け刀を開きて納める事前に同じ。

 大江先生の剣道手ほどきによる惣捲り:「(進行中面、肩、胴、腰を斬る)右足を少し出して、刀を抜き、其足を左足に引き寄せ、右手を頭上へ廻し、右肩上に取り、左手を掛け稍や中腰にて(右足より左足と追足にて)敵の左面を斬り、直に左肩上に刀を取り、追足にて敵の右肩を斬り、再び右肩上段となりて、敵の左胴を斬り、再び左肩上段となり右足を踏み開き敵の右腰を目懸け刀を大きく廻し体を中腰となして敵の右腰を斬り、中腰のまゝにて上段より正面を斬る、(左面斬り込みより終りの真面に斬ることは一連として早きを良しとす)。」

 大江先生と河野先生の動作比較をすれば、右足を踏出して斬り左足を右足に引き付ける追い足捌きは同じでしょう。河野先生は、竹刀剣道の統一理論に依り一旦上段に振り冠ってから右肩上から左面、又上段に振り冠ってから左肩上から右肩と云う様な運剣動作をしています。
 大江先生は、右肩上から左面、左肩上から右肩、右肩上から左胴と云う古流の運剣をしています。
 大正7年の剣道手ほどきから15年程時代が進むと、八相の構えから直接斬り込む運剣は消されて、一旦上段に振り冠ってから八相に構え直して八相に斬る可笑しな運剣が蔓延した様です。

 河野先生の動作で、説明されていなかった「右手を柄に掛け右足の出ると同時に刀を引き抜きて、右足を左足に引き付けつゝ双手上段にとり右足を踏込みて敵の左面に切り付ける」は、昭和13年1938年の「無雙直伝英信流居合道」では「右手を柄にかけるや右足の出ると同時に刀を水平に前に抜き、(刃を上にして刀先八寸位い迄)右足を左足に引き付けつゝ、刀を斜に高く頭部より左肩を囲む様にして抜き払ひ乍ら敵刀を摺り落すや、(敵刀を外すも同意也)双手上段になり、右足を踏み込み敵の左面に斬り付ける」とされています。

 古伝神傳流秘書抜刀心持之事には「惣捲り」という業名の手附は無く五方切があります、:歩み行内抜て左の肩へ取り切又左より切又右より切又左より切段々切下げ其侭上へ冠り打込也」

 細川先生系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神伝抜刀術奥居合之部五方斬:「(前方に立って居る者を斬る)鯉口を切り左足踏出し、右手を柄に掛け右足踏出す同時に刀を引抜き刀尖を左後へ突込み、頭上より右肩へ執り対手の左大袈裟に斬込み、其刀を右上より振返へし頭上より左肩に執り対手の右袈裟に斬込み、又、其刀を左上より振返へして右腕外へ執り、腰を低めて対手の左腰より横一文字に斬込み、甲手を返へして左腕外へ執り、更に腰を下げ対手の向脛を横に払ひ腰を伸ばしつつ諸手上段に振冠り(真向幹(乾竹の誤植)竹割に)斬下し刀を開き納め終る。」

 夫々古伝の業手附を個性豊かに演じている様です。

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2019年6月27日 (木)

曽田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書奥居合立業之部2連達

曽田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
奥居合立業之部2連達

 正面に向ひて前方に歩み行きつつ例に依りて静かに鯉口をきり右手を柄に掛けると同時に右足を右斜前に踏出し左後に振り向き右斜に刀を抜き取りて左肩先に刀を水平に刀の鍔元迄突込みて左後の敵を斃し、更に右斜前に振り向きつゝ双手上段に冠りて切下し納刀する事前に同じ。

 大江先生の剣道手ほどきによる連達:「(進行中左を突き右を斬る)右横へ右足を踏み、体を右に避け、刀を斜に抜き、左横を顧み乍ながら刀を水平として左を突き、右へ体を変じて上段にて斬る。

 大江先生の連達と河野先生の連達とは敵の立位置が違います。河野先生は敵は右前と左後、大江先生は右脇と左脇です。連れ立って歩む我と敵とはどの様に連れ達のでしょう。
 左右の敵と横一線で並んで同一方向に歩み行のでは、我が抜刀するために歩を留めたのでは、左右の敵は右前、左前になる。状況を察した敵が我と同じ様に立ち止まるのであれば左右に並ぶ。大江先生の手附になります。河野先生の場合は左の敵が先に抜刀しようと足を止めて遅れなければ成立しない。此の業を演じる際、仮想敵をどの様にしたらいいのでしょう。
 一本前の行連ならば左右に敵を伴って歩み行き一歩盗んでやり過ごせばいいのですが、河野先生の場合は左の敵が左前にならない為には河野先生は大日本居合道図譜では意義に:「敵が我を中間にして雁行の場合左敵一歩後れたる場合、左敵を刺突して右敵の振向く所に斬下して勝つの意也」されています。
 この意義は河野先生の無雙直傳英信流居合道の奥居合之部立業之部では:「・・吾れ右斜に一歩かわしたるを(敵をやりすごす)左方の敵、事前にそれとさとりて一歩後れたるを、其の機先を制し之を刺突して仆し、更に右方の敵の振向く所を斬り付けて、勝つの意なり。吾を中にして三人雁行の時も又同意なり。」

 22代は更にこの連達について、意義は河野先生と同様ですが、「右足を右斜前に踏出し・・」の所に「刀刃を上にして抜くが、この時、刀を出来得る限り床面と平行に抜き懸け、柄頭を以って(気力を籠めて、対敵の腰車の高さに目掛けて当て込む気を以って)右敵に殺気を感じせしめ、立ち止まりて振り向き返る様に気力を籠めて行う捌き必要なり」と無雙直伝英信流居合道解説に示されています。

 古伝神傳流秘書抜刀心持之事では、連達は:「歩み行内前を右之拳にて突其儘に左廻りに振返り後を切り又前へ振向て打込也」と有りますから、之は現代居合では行違に大江先生が改変してしまいました。
 この大江先生の連達は古伝神傳流秘書では行連に括られています:「立って歩み行内に抜て左を突き右を切る両詰に同事也」となります。座業の両詰です。:「抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右脇を切る(番外-右脇へ抜打に切り附け左を斬る)」
 古伝は素っ気ないほどにおおらかです。後は自分で考えろと云うのでしょう、それとも師匠の口伝、口授、看取稽古、に依るのでしょうか。業手附はその人の哲学が加えられて狭い路に踏み込んで行き、武的演舞の世界に躍り出るものです。
 習い・稽古・工夫によって守破離と云うのですが、昇段審査や演武競技会では、試験問題は正しく清書すべきなのでしょう、其処に留まるのもいいかもしれません。

 この両詰は英信流居合目録秘訣上意之大事で詳細な説明があります。:「是又仕物抔言付けられ又は乱世の時分抔には使者抔に行左右より詰かけられたる事間々之有也、ケ様の時の心得也、尤其外とても入用也、左右に詰かけられたる時一人宛切らんとするときはおくれを取るなり故に抜や否左わきの者を切先にて突すぐに右を切るべし、其のわざ唯手早きに有り。亦右脇の者に抜手を留らるべきと思ふ時は右を片手打に切りすぐに左をきるべし」。現代居合の行連の業は古伝の連達の番外業でした。

 

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2019年6月26日 (水)

曽田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書奥居合立業之部1行連

曽田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
奥居合居業之部1行連

 正面に向ひ前方に歩み行きつゝ、例に依りて静かに鯉口を切り右手を柄に掛け同時に右斜前の敵を抜打に切り付け、直ちに左斜前に向き乍ら双手上段に引冠り右足を踏込みて左斜前の敵に切り込みて、刀を右に開きて同時に左手を腰に取り夫より鯉口を握りて納め終る。

 大江先生の剣道手ほどきの行連:「(進行中右に斬付け又左を斬る)直立体にて正面を向き、右足より数歩出で、道場の中央となりたる處にて、左足を左横に踏み、上体を稍や左横に寄せ右足を右横に踏み出す時、中腰にて抜き付け、上段にて右を斬る、其足踏みのまゝ、左横に体を返して、上段にて中腰にて斬り、同体にて血拭ひ刀を納む、(血拭ひ刀納めは以下之と同じ)」

 河野先生の行連には、大江先生の想定の「左足を左横に踏み、上体を稍や左横に寄せ」の動作が見られません。此の動作は稍々前進を押さえて敵との間を調整する動作がありません。想定についてですが河野先生も大江先生も敵と我はどのような状況にあるのかが述べられていません。
 「左足を左横に踏み」によって何が起こるのでしょう。現代居合では「左右の敵と同一方向に進行中」の攻防とされています。そうであれば、左足を左横に踏む事は一歩踏んでも左横ですから、敵を一歩分やり過ごす事になります。敵は一歩斜め右前と左前になって大江先生の右横、左横に敵は居ません。

 河野先生は其処で「右斜前の敵を抜打に切り付け、直ちに左斜前に向き乍ら双手上段に引冠り右足を踏込みて左斜前の敵に切り込み」となっておかしくはない。大江先生の「右を斬る・・左横に体を返して上段にて中腰にて斬り」は」「右斜前・左斜前」となるべきでしょう。
 大江先生の「上段にて右を斬る」と有るのですが、右敵へは「中腰にて抜付け、上段にて右を斬る」中腰の表現をどう演ずるか疑問なのと、抜き付けは斜め前ですから片手の斜め抜打が自然で、抜いてから上段に振り冠って右敵を斬るのはお粗末です。

 河野先生は、この行連に疑問を持ったのか、大江居合を参考にされたのか昭和13年1938年の「無雙直傳英信流居合道」の行連では:「意義-吾れ不法に連行される如き場合、吾れを中に左右に敵あり前進歩行中、敵の機先を制し一歩やりすごし乍ら右の敵を抜打に仆し、更に左の敵の振向かんとする所を斬り付けて勝つの意なり。正面に向ひて直立し、前方に進みつゝ、静かに鯉口をきり、左足を少し左に開き、敵をやりすごし、右手を柄にかけるや、右足を右斜前に踏み込むと同時に抜打ちに(刃を上にし)右の敵に、右片手にて斬り付け・・」と直されています。

 古伝神傳流秘書抜刀心持之事の両詰の変化業で「右脇へ抜打に切り付け左を斬る」の座業を立業にしたようなものです。大江先生の独創でしょうと云われますが、この業は細川義昌先生系統の梅本三男先生の「居合兵法無雙神傳抜刀術」の英信流奥居合之部11、行連に同様の業がます。行連:「(左右の者を斬る)正面に向ひ、歩み往きつつ鯉口を切り右手を柄に掛け、右へ振向くなり抜打ちに(右の者へ)斬付け、直左へ振返へりつつ諸手上段に振冠り右足踏込んで(左の者へ)斬込み刀を開き納め終る。」

 梅本先生の手附には奥居合之部12、連達という業があります。
 連達:「(前後の者を斬る)正面へ歩み往きつつ鯉口を切り右手を柄に掛けるなり抜打に(前の者へ)斬付け、直ぐ(左廻りに)後へ振返へりつつ諸手上段に振冠り右足踏込んで(後の者へ)斬込み刀を開き納め終る。」  
 梅本先生の奥居合之部には、前後に座して居る者を斬る「4、前後詰」と左右に座して居る者を斬る「5、両詰」があります。大江居合は古伝とアンマッチな業名や古伝に無い動作が幾つか見られるのですが、特に奥居合に集中しています。大江先生は下村派14代下村茂市定に師事して居ましたからその業を習ったか、兄弟子が演じるのを見ていた可能性は大きいでしょう。細川居合も下村茂市の教えに依るとは思いますが絶対という証明はできません。
 大江先生は奥居合ではかなり業手附及び業名を復元するのに苦戦されたかもしれません。明治という時代が為せる事でしたが、その後の剣術や体術、弓術の統一思考によって、古流が消えてしまった事を考えると、一概に武士が武術では飯が食えず失職して古伝が消えただけでは無く、十分な指導を受けられずに激動の時代を迎えてしまい、あえて消し去った一部の指導者の思想に負うところが大きそうな気がします。

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2019年6月25日 (火)

曽田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書奥居合居業之部8虎走

曽田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
奥居合居業之部8虎走

 正面に向ひ立膝に座し、左手にて鯉口を握りたるまゝ右手を柄にかけ、体を低くして立ち上り前方に小走にて走り行き、腰を延して右足を踏み込みて抜き払ひ左膝を跪きて双手上段となりて割付けて血振ひして納刀し、直ちに右足を左足に引き付け右手は柄に掛けたるまゝ更に低く立上りて、小走に走り戻りて左足を退きて抜き払ひ左膝を跪きて双手上段に割りつけ、血振ひして納刀する事前に同じ。

 大江先生の剣道手ほどきより虎走り:「(中腰となり、走り抜斬又後ざりして抜斬る)座したる處より柄に手を掛け、稍や腰を屈め、小走りにて数歩進み出で、右足の踏み出したる時抜き付け、同体にて座して斬る(血拭ひ刀を納むるや)刀を納めて二三寸残りし時屈めたる姿勢にて、数歩退り左足を退きたる時中腰にて抜付け上段となり座して斬る。(座抜き終り)」

 大江先生と河野先生は同じと思われます。
 古伝神傳流秘書抜刀心持虎走:「居合膝に座して居立って向へ腰をかゞめつかつかと行き抜口の外へ見へぬ様に抜付打込納 又右の通り腰をかゞめ後へ引抜付打込也」

 古伝の虎走と業名および動作は略同じでしょう。古伝の虎走は、座して居ますが立って斬る事からでしょう、立業に属します。虎走の要点は、小走りに敵に追いすがるのではなく「つかつか」と敵に悟られない様に、周囲の同坐する者に気付かれない様に自然体で歩み行き「抜口の外へ見へぬ様に抜付」るポイントが失伝しています。
 英信流居合目録秘訣上意之大事に虎走のポイントが述べられています:「仕物抔云付られたる時は殊に此心得入用也其外とても此心得肝要也、敵二間も三間も隔てゝ座して居る時は直に切事不能其上同座し人々居並ぶ時は、色に見せては仕損る也、さわらぬ躰に向ふゑつかつかと腰をかゞめ歩行内に抜口の外へ見ゑぬ様に躰の内にて刀を逆さまに抜つくべし、虎の一足の事の如しと知るべし、大事とする所は歩みにあり、はこび滞り無く取合する事不能の位と知るべし。」

 河野先生がこの古伝の教えを目にしたのは無雙直傳英信流居合術全発行以降の事でしょう。大日本居合道図譜の虎走では:「中腰にて体を低くし小足にて進む。恰も虎の獲物に向ひて進む心持ちにて足心を以て歩く心得の事」
 と述べられていますが、意義では「敵前方に逃げ去らんとするを、小走にて追い進み」と何処かおかしい。現代居合では状況も解らずただ追い懸ける様に、走り行くとか、ドタドタ足踏みさせたりしていまし。
 古伝の奥居合は動作よりもやらねばならない心得を教えている場合がある様です。逃げる敵に追い懸けっこなのか、敵にも周囲にも気付かせないで打ち取る極意なのか見直すべきものでしょう。
 もう一つの重要なポイントは、「抜口の外へ見へぬ様に抜付」です。更に「躰の内にて刀を逆さまに抜つくべし」の抜刀です。所謂下からの切り上げでしょう。

 細川義昌先生の教えを伝承する梅本三男先生の居合兵法無雙神傳抜刀術より虎走:「(次の間に居る者を斬り、退る処へ追掛け来る者を斬る)正面位へ向ひ居合膝に座し、左手を鯉口に右手を柄に執り抱へ込む様にして立上り、上体を俯け前方に小走に馳せ往き腰を伸すなり右足踏込んで(対手の右側面へ)抜付け、左膝を右足横ヘ跪きつつ諸手上段に引冠り、更に右足踏込んで斬込み、刀を開き納めたるまま立上り、又刀を抱へ込む様に前へ俯き小走に退リ腰伸すと同時に左足を一歩退き、追掛け来る者へ(右側面へ)大きく抜付け、又左膝を右足横へ跪きつつ諸手上段に引冠り右足踏込んで斬込み、刀を開き納め終る。」
 
 細川虎走も大江虎走と同様の様です。大江先生虎走は下村茂市より習ったのか、弟弟子行宗貞義から習ったのか解りませんが虎走は現代風に統一されています。古伝は間合いの遠い敵を倒す、それも周囲に気付かれずに、「刀を逆さまに抜つく」上意討ちなのです。

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2019年6月24日 (月)

曽田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書奥居合居業之部7両詰

曽田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
奥居合居業之部7両詰

 正面に向ひて立て膝に座し、例に依りて柄に手を掛け同時に腰を延し刀を前方に引抜き直ちに右足を前に踏み込みて刀を突込み、其突込たる刀を引き抜く気持にて拳を体に引きつける気味合にて直ちに双手のまゝ上段に冠りて真向を割りつけ、血振り納刀する事前に同じ。

 大江先生の剣道手ほどきによる両詰:(抜放け諸手にて真向を突き斬る)座したる處より右足を少し出して、刀を抜き、柄元を臍下に当、右足を踏み出して、前方を諸手にて突き、其姿勢のまゝ、上段にて前面を真向に斬る。

 細部はともかくとして、河野先生の両詰と大江先生の両詰は同じと云えそうです。但し、刀を抜き出す際、大江先生は腰を上げ右足を少し出して居ます。更に抜き出した刀の切先を前に向け、柄頭を臍下にあてて、右足を踏出し刺突します。上段になる際河野先生は、刺突した柄手を体に引き付けてから上段となるのです。
 大江先生の手附で「抜放け」「柄元」の意味は「抜放し」、「柄頭」だろうと思いますがさてどうでしょう。

 この業名は「両詰」ですがどの様な状況における居合なのか動作ばかりなのでつい、業名の両詰から、左右を敵に詰め寄られる、あるいは左右が戸障子や壁で狭い場所なので抜付けずに刺突すると想像してしまいます。
 
 大江先生の兄弟子細川義昌先生系統の梅本三男先生の「居合兵法無雙神伝抜刀術」では両詰の業名の手附は「左右に座して居る者を斬る」業で:正面に向ひ居合膝に座し、れいにより鯉口を切り右手を柄に掛けるなり、腰を伸ばし(右へ掛かると見せて)右足を少し右へ踏み出し其方向へ刀を引抜き、咄嗟に左へ振向き(右片手にて)左側の者の胸部を突き、直ぐ右へ振返りつつ、諸手上段に引冠り右側の者へ斬込み刀を開き納め終る」
 であって、この業は古伝の業名で古伝の動作そのものです。大江先生の「両詰」は古伝の「向詰」なのです。何処でどのような理由があって業名をいじったか不明ですが間違ったまま、現代居合とし無双直伝英信流」の夫々は両脇が狭い場所での攻防として演じています。

 梅本先生の「向詰」:(対座して居る者を斬る)正面に向ひ居合膝に座し、例により鯉口を切り、右手を柄に掛け、両膝を立つなり右足を少し右前へ踏出し、其方向へ刀を引抜き、右足を引戻すと共に、刀尖を向ふへ、柄頭を腹部へ引付け諸手となり(刀を水平に構へ)体を少し前へ進め、対手の胸部を突き、更に左足を進ませつつ諸手上段に引冠り右足を踏込んで斬込み、刀を開き納め終る」

 向こうは、正面を意味するもので、正面の敵です。
 古伝神傳流秘書抜刀心持之事両詰:「抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右脇を切る」

 細川居合と同じ、業名と動作です。それでは大江、河野居合の両詰と同じ動作では古伝神傳流秘書では向詰:「抜て諸手を懸け向を突打込也」

 細川居合が古伝を伝承しています。大江先生に依って業名や動作が変えられる事は明治維新と云う混乱の為せる技と思いますが、理由も無く変えられ、本当のことを知っても其の儘と云う事はおかしい事です。心ある人は事実を知ってしまえば本物を求めるのは当たり前でしょう。

 奥居合の向詰は正面の敵を刺突する業で、大森流の一本目前や英信流の一本目横雲が英信流独特の横一線の抜付けを無双直伝英信流の極意業としていながら奥居合では同様の場及び対敵との想定に刺突を付け加えたのでしょう。

 現代居合では「両詰」は敵に左右から詰寄られるのではなく、両脇が壁などの障壁のある狭い場所での抜刀及び刺突を教え、横一線の抜き付けでは壁などに打ち当て不覚を取るので突きに限るとします、尚且つ血振、納刀も体から大きく出さないと云って業名に拘っています。

 

 

 

 

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2019年6月23日 (日)

曽田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書奥居合居業之部6棚下

曽田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術奥書
奥居合居業之部6棚下

 正面に向ひ立膝に座し、例に依りて柄に手を掛けると同時に体を前に「うつむけ、」体を低くして右膝を立て左足を右足踵に引付けると同時に刀を左肩より頭上に引抜くと共に双手を掛け右足を進めて前に低く切り込み、(打下したる時は上体は真直に)刀を開き納刀する事前に同じ。

 河野先生の棚下は、場の想定が棚下と有るので、柄に手を掛け「体を前にうつむけ体を低くして」這い進と同時に、前屈みのまま「刀を左肩より頭上に引き抜く」双手を柄に掛け右足を進めて「低く切り込み」低く切り込んでも(打下したる時は上体を真直に)するのであって、「うつむけ」た体のまま切り込むのです。上体を真直ぐに立ててから切りこむとは読めません。棚下から這い出て斬り込むならば「上体を真直に」は解りますが此の文章ではそうは読めません。

 大江先生の剣道手ほどきから棚下:「(頭を下げて斬る)座したる處より、頭を前方へ下げ、稍や腰を屈め右足を少し出しつゝ、刀を抜き、上体を上に起すと同時に上段となり、右足を踏み込みて真直に切り下す。」

 河野居合いや穂岐山居合と体を起すタイミングが違います。大江先生の棚下ではせっかく体を屈めて刀を抜き出したのに、上体を起こし上段になったのでは、切り込んだ時刀が棚に当たってしまいます。

 穂岐山先生に指導を受けた野村條吉先生の「無雙直伝英信流居合道の参考」による棚下:「棚下に座したる心地にて立膝、腰を屈め体を低く、右足を出しながら刀を前に抜き、左足を之に追随せしめ、上段にかぶり右足を一歩踏み出して正面を斬り血拭納刀」

 野村先生は前屈みのまま上段にかぶり其の腰を屈めた姿勢で斬り込んでいる様です。河野先生と同じと理解します。

 大江先生の兄弟子細川先生の教えに依る梅本三男先生の「居合兵法無雙神伝抜刀術」より棚下:「(上の閊へる所にて前の者を斬る)正面に向ひ居合膝に座し、例により鯉口を切り右手を柄に掛け体を前へ俯け腰を少し浮かせ、左足を後へ退き伸し其膝頭をつかへ、刀を背負ふ様に左後頭上へ引抜き、諸手を掛け前者へ斬込み、其のまま刀を右へ開き納めつつ体を退き起こし右脛を引付けるなり、左踵上へ臀部を下し納め終る。」

 細川居合を正しく伝承しているとすれば、大江先生の棚下はおかしい棚下で上体を起こして上段から斬り下すのでは、体を屈める必要などないでしょう。現代居合では棚下から這い出るや体を起して斬り込んでいます。棚下の様な刀が閊える場所での攻防であって、低い場所での刀の抜き方の稽古では意味がないでしょう。

 古伝神傳流秘書抜刀心持之事棚下:「大森流逆刀の如く立て上へ抜打込む時体をうつむき打込む是は二階下様の上へ打込ぬ心持也」

 「大森流逆刀の如く」の意味が大森流之事逆刀から読み取れません。逆刀:「向より切て懸るを先々に廻り抜打に切右足を進んで亦打込み足踏揃へ又右足を後へ引冠逆手にて返し前を突逆手に納る也」
 古伝は抜けだらけですから文章と口伝による口授、見取稽古が必要なのです、ここは「立て上へ抜、打ち込む時うつむき打ち込む」を立って上へ抜き上げた方法を、居合膝に座して腰を上げ乍ら上へ抜き上げ引き冠り、打ち込む時にうつむきになるのだと云うのでしょう。打込む時は切先が上に閊えない様にウツムキになって打ち込むと解するものです。

 河野先生の昭和13年1938年「無雙直傳英信流居合道」より棚下:正面に向ひ立膝に座し、鯉口をきり、右手を柄にかけるや、上体を前に「うつむけ」(着眼は前方にす)体は低くして右膝を立て、左足を右足踵に引き付け乍ら刀を前に抜き、左肩より頭上に引抜くと共に、双手上段となり、右足を前に踏み込むと同時に(此時上体は真直にす)敵の真向に斬り下し、血振い納刀す。意義-吾れ頭の閊へる低い場所に居る場合、其の所を這ひ出でて正面の敵を斬るの意なり。」

 河野先生の最初の文章は「前に低く切り込み(打ち下したる時は上体を真直に)」でした。改めて「右足を前に踏み込むと同時に(此時上体は真直にす)敵の真向に斬り下し」と微妙に変わっています。最初の文章もこの様な意図だったかもしれませんが止めは、意義の「その場所を 這ひ出でて・・」で明確に棚下を出る動作にされています。そうでなければこの「上体は真直に」が成り立たないと思われたのでしょう。

 古伝の教えは「二階下様の上へ打ち込む心持ち」は「打込む時体をうつむき打込む」のでした。

 古伝は英信流居合目録秘訣上意之大事棚下:二階天上のしたなどに於て仕合ふには上へ切りあてゝ毎度不覚を取る物也、故に打込む拍子に脛を突いて打込むべし、此の習いを心得るときは脛をつかずとも上へにあてざる心持ち有り」

 心得としても稽古するにしても古伝には伝わるものがありますが、大江居合も河野居合もこれでは意味のない稽古になってしまいます。寧ろ棚下にいるのであるならば、這い出て切るのは河野先生の嫌う不意打ちになってしまいます。棚下で抜刀してそこで斬るならば抜くや切先を返して刺突する、現代居合の両詰めを体を低くして稽古すべきでしょう。

 

 

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2019年6月22日 (土)

曽田本その2を読み解く20スクラップ無雙直伝英信流居合術20の5居合術業書奥居合居業之部5四方切り

曽田本その2を読み解く
20、無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
奥居合居業之部5四方切り

 正面に向ひ立膝に座し、例に依りて柄に右手を掛けると同時に右足を右斜前に踏み込みて刀を抜き取り、顔及胸を左後ろに向けて刀尖を左肩下より鍔元迄突込みて直ちに諸手上段となりて右斜前の敵に斬りつけ、左膝頭にて大きく廻りて左斜前に右足を踏込みて双手上段(此時刀尖は右より廻して冠る)にて割りつけ、更に正面に向き直りて右足を踏込むと同時に双手上段より(此時刀尖は左より廻して冠る)振り冠りて割付けて血振ひして納刀する事前に同じ。

 四方切りと云うのですが、敵は左後・右前・左前・正面という変則です。この敵の配置はどのような謂れから組み立てられたのか疑問です。
 先ず大江先生はどの様に指導されたか、剣道手ほどきから奥居合の3番目四方切から稽古して見ます。:「右足を右斜へ出し、刀を右斜に抜き、刀峯を胸の處に当て、刀を平として斜に左後を突き右側面の横に右足を踏み変へ、上段にて切り、右足を左斜横に踏み変へて(受け返して打つ)上段になりて切り、右足を正面に踏み変へて、上段より切る。

 大江先生の四方切の敵も河野先生と同じです。明治以降の奥居合四方切りはこの変則四方で右後ろには敵は居ないのです。大江居合は意味不明な文言が突然出て来て悩まされます。左後を突いた後の動作で「・・・右側面の横に右足を踏み変え」とは何処でしょう。次の「(受け返して打つ)」の意味もよくわかりません、右の敵を斬って左斜め前の敵に振り向くには刀で右肩を覆う様に振り向き振り冠ると教えられていますから、その動作をさすのかなあ、と憶測します。

 大江先生は奥居合四方切は3番目に置かれています。戸詰、戸脇は四方切の後に在ります。河野先生は何故四方切りを5番目とされたのでしょう。寧ろ18代穂岐山先生は何故大江居合の順番を入れ替えたのか、何処にもその説明はありません。
 憶測すれば、戸詰、戸脇は敵は二人で四方切りは配置はどうでも4人であって、戸詰、戸脇の技法の習熟があればより四方切が容易だと考えたのでしょう。誰が考えたのか、河野居合は穂岐山居合ですが業の順番は河野先生の独断かも知れません。憶測です。

 古伝神傳流秘書抜刀心持之事では、四方切りの業名は無く、三角及び四角の業が相当します。
 三角:「抜て身を添へ右廻りに後へ振り廻りて打込む」
 四角:「抜左の後の角を突右の後の角を切右の向を請流し左の向を切又右の向を切る也」

 三角は三人の敵に囲まれ、四角は四人の敵に囲まれている想定でしょう。英信流居合目録秘訣の上意之大事に詳しい解説が為されています。
 三角:「三人並居る所を切る心得也、ケ様のときふかぶかと勝んとする故におくれを取る也、居合の大事は浅く勝事肝要也、三人並居る所の抜打に紋所のあたりを切先はづれにはろをときはびくとするなり、其所を仕留る也、三人を一人づつ切らんと思ふ心得なれば必仕損ずる也、一度に払ふて其おくれに付込で勝べし」
  四角:「三角にかわる事無し、是は前後左右に詰合ふ之心得也故に後ろへ迄廻って抜付る也。」
 三角は三人前に並んでいる時は、左の敵に浅く抜き付け、其の侭切先を二人目、三人目と振り払って敵がびくっとした処を順に、左・右・正面と斬り付けろと云います。
 四角は前後左右に敵に囲まれた時も同じと云うわけです。左を刺突し、其の侭前・右・後と切先外れに紋所の辺りを払い、後・前・右と上段になって斬り下す。現代居合が失念した技法を展開しています。現代居合とは言え細川義昌先生の系統梅本三男先生の「居合兵法無雙神伝抜刀術」の英信流奥居合之部には、三角、四角の業名で古伝の技法を伝えています。
 大江先生の居合は下村派14代下村茂市の奥居合迄手ほどきを受けなかった、同様に谷村派16代五藤孫兵衛正亮からも指導されなかった為の独創奥居合と考えて良さそうです。
 河野先生も曽田先生から曽田本を送られ曽田先生の死後「無雙直傳英信流居合兵法叢書」を発行されています。57才の時ですが既に第20代宗家の紹統印可を受けておられ自ら、大江居合の幾つかを否定する事は不可能であったでしょう。
 その自叙に「英信流を学ぶ者は、自然享保以来伝承された土佐を中心とする地の文献だけしか蒐集する事が出来なかったが、洩れたる土佐の文献は元より日本全国の斯道の文献を追加且つ私の足らざる所を補足して呉れる様な熱意ある研究家を待つ次第である。」と述べられています。
 ミツヒラブログの筆者も、曽田本の原本をお預かりした以上、その復元と現代居合との関係を確認し、後世に伝承し得るものを研究せざる得ません。

 細川居合の三角、四角を梅本三男先生の「居合兵法無雙神伝抜刀術」より紹介しておきます。
 三角:「(前右後の三人を斬る)正面より(左廻りに)後向き、居合膝に座し例により鯉口を切り右手を柄に掛け、前に掛かると見せて右足を摺り出し、腰を伸ばし刀を引き抜くなり、右足を左足に引き寄せるなり刃部を外へ向け左腕外へ深く突込み、立上りつつ右へくるりと廻りながら前、右、後の三人を軽く斬り正面へ向く、同時に左膝を跪きつつ諸手上段に引冠り右足踏込んで斬り込み刀を開き納め終る。」

 四角:「四隅に居る者を斬る)正面に向ひ居合膝に座し、例により鯉口を切り右手を柄に掛け腰を伸し右脛を立てつつ(右前へ掛かると見せ)、刀を其方向へ引抜き、咄嗟に左膝頭で(左廻りに)後斜へ廻り向き、左後隅の者を(右片手にて)突き直ぐ右へくるりと廻りつつ、諸手上段に引冠り右後隅の者へ斬込み直ぐ左へ廻りつつ刀を頭上へ振冠り(右前隅の者より斬込み来る太刀を受け流しながら)左前隅の者へ斬込み、直ぐ再び右へ振向きつつ諸手上段に引冠り右前隅の者へ斬込み、刀を開き納め終る。」

 

 

 

 

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2019年6月21日 (金)

曽田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書奥居合居合業之部4戸脇

曽田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
奥居合居業之部4戸脇

 正面に向ひて立膝にて座し例に依りて柄に手を掛け同時に右足を右斜前に踏込て右斜に刀を抜き取りて顔及胸を左後に向けて拳を返して刀尖を左肩下より鍔元迄水平に突込みて左後方の敵を斃し、直ちに右斜に振向き直りつゝ双手上段となりて切り下し、刀を納め終る事前に同じ。

 大江先生の剣道手ほどきより奥居合5番戸脇:「(左を突き右を切る)右足を右斜へ踏み出し、刀を抜き、左横を顧みながら突き、足踏みは其まゝにて上体を右横に振り向け、上段にて切り下す。」

 古伝神傳流秘書抜刀心持之事両詰:「抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右脇を切る。」(右脇へ抜打に切り付け左を斬る)

 河野先生の「無雙直傳英信流居合道」昭和13年1938年奥居合之部居業之部戸脇:「正面に向ひ立膝に座し、柄に手をかけるや、右足を右斜前に踏み込みて右斜に刀を抜き(刃は上に)取り、左後に振向き拳を返えして(刃を外、棟を胸)刀先を左肩下に、腕に近接して鍔元迄水平に突込み、左後方の敵を仆し、直ちに右斜に振向きつゝ双手上段となりて打下し、血振い納刀す。注意 刀を右斜前に抜き取る時は、柄頭を以て右方の敵を牽制するの意を以てなす。
 意義-吾が直前の左右に戸あり、敷居の向ふ側右と吾が左後方に敵を受け、左後の敵を刺殺し更に右方の敵を斬りて勝の意なり。
* 
 河野先生の「大日本居合道図譜」奥居合之部奥居合居業4本目戸脇:「意義-前述と同様の場合右向ふと左後に敵あり。左後敵を刺突し右敵に斬下して勝つの意なり。右足を右斜前に一歩踏込むや柄頭にて右敵を抜打つ気勢にて牽制しつゝ刀を右に抜き左に注目して抜き放つ。(此時刃を返して外に向ける)、刀を抜き取るや直ちに其の体勢にて後敵を刺突す。次に直に諸手上段となりつゝ右に向き同体勢にて右敵の真向に斬下し上段となりつゝ右に向き同体勢にて右敵の真向に斬下し血振納刀す。
註1、右肘はあまり上げず、柄頭が前膊部の外に触れる位ひ、刀は水平、上膊部の中程の高さ腕に近接して突く。
註2、突く時に左肘を落して後ろに引く心得の事。

 穂岐山先生の指導による野村條吉凱風先生の「無雙直傳英信流居合道の参考」より戸脇:「左後の敵に対し、右足を右前へ踏み出し、其方向に刀を抜き左後の敵を顧みながら突き同体にて上段となり右斜前の敵を斬り血拭納刀」

 細川義昌系統の梅本三男先生による「居合兵法無雙神伝抜刀術」英信流奥居合之部前後詰:(前後に座して居る者を斬る)正面に向ひ居合膝に座し、例により鯉口を切り、右手を柄に掛けるなり腰を伸しつつ右足を前へ踏出し(前へ掛かると見せ)、刀を其方向へ引抜き、咄嗟に(左廻りに)後へ向くなり後者の胸部へ(右片手にて)突込み、直ぐ(右廻りに)正面へ廻りつつ諸手上段に引冠り前者へ斬込み、刀を開き納め終る。」

 細川先生は大江先生の兄弟子、穂岐山先生は大江先生の後を第18代として引き継ぎ、その指導を野村條吉先生と河野先生が受けています。古伝は「両詰」で敵二人に詰め寄られる想定の上で基本業は敵は我の左脇右脇を手附けにしています。
 大江先生は両詰の業名を「戸詰」と「戸脇」に分けてしまい、古伝を知らなかった河野先生は、昭和13年の「無雙直傳英信流居合道」では如何にも場の想定が優先する様に「吾が直前の左右の戸あり」と意義に書き込んでしまいました。昭和17年の「大日本居合道図譜」では、戸の有無は不問となって居ます。現代居合ではこの戸の有無を業に組み込んだ運剣動作を要求されます。
 想定を特定の条件に追い込む事と、古伝の様に敵は左右と云う大らかな手附から、力量が上がれば如何様にも変化に応じられる教えとどちらも、学ぶ者が選択すれば行きつく處は同じでしょう。
 しかし、昇段審査や演武競技などによって、一定の条件に依る演武を要求され、それに拘った者は其処から抜け出られない者が多いでしょう。
 この両詰を自由自在に角度を変えて稽古する事はさして難しくはありません。河野先生の心得を頼りに稽古して見る事も楽しいものです。稽古は楽しくやるものでしかめっ面して肩肘張っても無駄なばかりです。

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2019年6月20日 (木)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書奥居合居業之部3戸詰

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
奥居合居業之部3戸詰

 正面に向ひて立膝に座し、例の通り柄に手を掛けると同時に右足を右斜前に踏込みて右片手にて切りつけ、直ちに左膝頭を中心として左斜前に向き右足を踏み双手上段にて切り付け、刀を血振ひして納むる事前に同じ。

 この業及び業名は、古伝神傳流秘書では抜刀心持之事の4本目両詰の替え業になります。
 両詰:「抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右脇を切る。右脇へ抜打に切り付け左を切る。」

 古伝英信流目録秘訣の上意之大事両詰:是又仕物などを言付られ又は乱世の時分などにわ使者などに行左右より詰かけられたる事間々これ有也、ケ様の時の心得也、尤其外とても入用也、左右に詰かけられたる時一人宛切らんとするときは、おくれを取るなり故に抜や否や左脇の者を切先にて突、すぐに右を切るべし、其のわざ唯手早きに有。
 亦、右脇の者に抜手を留らるべきと思ふ時は右を片手打に切りすぐに左を切るべし。

 江戸時代末期にこの両詰がどのように稽古されていたかは不明ですが、土佐の居合「無雙神傳英信流居合兵法」は、両脇を敵に詰め寄られる状況を想定した業であったのです。戸詰などと云う意味不明の業名では無かった、それを大江先生によって戸詰と戸脇に分けられてしまい、戸詰めは右片手打ち、左は諸手上段から斬る業とし、戸脇は左後ろを刺突し、右前の敵を双手上段から斬り込む、二つの業に変えられて中学生に指導したのでしょう。その後の宗家筋の先生に依って、戸詰は左右に戸襖があり我は敷居の外側から室内に切り込む業と、場の想定が表立ってしまいました。戸脇などは右戸襖の後に居る敵と左戸襖の前、我の斜め後ろに敵が居る可笑しな想定をしかとして稽古しているのです。
 それも稽古としてはよく考えたと云えるでしょう。然し、対敵意識を優先すれば違った角度からの攻防が見えてくるはずです。我を取り巻いて360度に敵が居る想定に応じる稽古をしたいものです。

 大江先生の奥居合4本目戸詰:(右を斬り左を斬る)抜き付け、右の敵を右手にて切ると同時に右足を右斜に出す、其の右足を左斜横に踏み変へて上段にて左斜を真直に斬る。

 我が右の敵と言われれば我が右脇を想定しますが、動作は「右の敵を右手にて切ると同時に右足を右斜に出す」のですからこの右とは「右斜前」なのでしよう。真右を斬るのに右足を右斜に出すでしょうか。片手抜打ちの斬撃力を増す為稍々右斜めに右足を踏み込むのはあり得ます。
 真左の敵は双手上段からの切り下ろしならば、右足は真左に踏み込むでしょう。大江居合には戸詰の業名ですが戸を意識した動作が感じられませんが、それが右足を斜め右に踏み込み右敵を斬る、左敵も戸を越して左を斬る、これでは業名に拘ってしまい過ぎで標準仕様とは云えません。

 細川義昌先生系統の梅本三男先生による「居合兵法無雙神伝抜刀術」の英信流奥居合之部5本目両詰:「(左右に座して居る者を斬る)正面に向ひ居合膝に座し、例により鯉口を切り右手を柄に掛けるなり、腰を伸し(右へ掛かると見せて)右足を少し右へ踏出し、其方向へ刀を引抜き、咄嗟に左へ振向き(右片手にて)左側の者の胸部を突き、直ぐ右へ振返へりつつ諸手上段に引冠り右側の者へ切込み刀を開き納め終る。」

 細川先生は下村茂市の弟子で大江先生の兄弟子に当たります。大江先生の独創は主として奥居合に集中しています。明治維新の際大江先生は16才でした。20歳の時には士分を解かれ失業、其の上26歳の時には下村茂市は他界されています。どう見ても明治維新の混乱期で居合の稽古を十分できたとは思えず、明治30年に五藤孫兵衛の後を引き継ぐに当たって、すでに45才でした。奥居合の改変は仕方なかったかもしれません。土佐の居合の伝承者として技技法において妥当だったかは疑問ですが、当時外に人材が得られたかは更に疑問です。従って、土佐の居合がさ迷ったままであったのもやむおえなかったでしょう。見直す時期に来ていると思いますが、高齢の指導者に其の機はあり得ないでしょう。側近の方にしても、習い覚えたものを変える気力体力は難しそうです。現代居合として大江居合を完成させた河野居合を学ぶ道と、古伝に戻り日本文化の継承の道と二つの道を同時進行して行く事が当面の課題でしょう。古伝によって現代居合を否定する必要はなくそれは其れ、竹刀スポーツを剣道と呼び、古流剣術は古武術で良いのでしょう。共に日本文化なのです。

 

 

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2019年6月19日 (水)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書奥居合居業ノ部2脛囲

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書奥居合居業ノ部2脛囲

 正面に向ひ立膝に座し、例に依りて柄に手を掛け同時に立ち上り左足を一歩後に退くと同時に刀を抜き払ひ、「虎一足」の如く刀棟にて敵が脛を切りつけ来るを受留め、左足を膝まづくと同時に雙手上段に振り冠り真向に切り込みて血振ひして納刀する事前に同じ

 立膝にて座して居る者の脛に切り込んで来るでしょうか。そこからこの業の疑問が湧いてきます。双方が同時に抜刀しつつ立ち上がり、敵が我が右脛に抜き付けて来る、あるいは敵が立って打ち込んで来ようとするに応じ立ち上がりつつ刀を抜き、敵が低く脛に切り込んで来る、其処を虎一足の要領で、刀の「棟」で受け止める。
 このスクラップの虎一足は刀の差表で請け止めていました。河野先生の虎一足:「・・抜かけ立上り左足を一歩後に引きつゝ右斜前に殆ど刀を抜き、左腰を左方にひねると同時に刀を抜き放ち刀の差表にて受け留め向脛に切りつけ来るを右足を圍ひ・・」

 差表か棟かですが、河野先生の昭和13年1938年の「無雙直傳英信流居合道」の虎一足は「・・差表の棟にて敵刀を受け留め(向ふ脛に切りつけ来るを。正座、八重垣の脛圍ひと同要領)・・」でバラバラな差表と棟を合体させてきました。

 その八重垣では「左足を後方に退くや刀を抜き払ひて右脛を刀にて圍ひ(此時刀刃は左少し前とし左手は腰にとる)」と、是も文章不十分で意味不明でしょう。注意事項で「脛圍ひは、腰を十分左にヒネルと同時に剣先を抜き放ち、腹を出し腰のヒネリに依り刀勢を強める事、飽くまでも敵刀を強く払ひて効を奏せざらしむるの意なり」とのことです。刀の部位については述べられていません。

 大江先生の「剣道手ほどき」脛囲:「(長谷川流2番目と同じ)膝と刀を竪立斜として、刃を上に平に向けて、膝を圍ひ(体は中腰半身とす)体を正面に向けて、上段より斬り下す。」文章からは意味不明で読み取れません。恐らく、刀を抜き出すに当たり、中腰半身となり刃を上に向け水平に抜出し膝を立て刀を斜めに立てて脛を囲うのでしょう。

 長谷川流2番目は虎一足でした。大江居合の虎一足:「正面に座す、静かに立ちながら左足を引きて刀を抜付くと同時に膝を圍ふ、此圍は体を左向き中腰となり、横構にて受止める事、此体形にて刀を上段に冠り正面に向き座しながら斬り下すなり。・・」

 河野先生の昭和13年1938年発行の「無雙直傳英信流居合道」奥居合之部居業之部では脛囲:「正面に向ひ立膝に座し、柄に右手をかけるや立上りながら左足を一歩後に退くと同時に、腰をひねりて抜き払ひ、左足を膝まづき乍ら双手上段に振冠り、真向より打下して納め終る事、虎一足と同様なり。
 意義-吾が正面に対座する敵が、吾が右脚に薙ぎ付け来るを受留め、(払ふ気持、既述脛圍(虎一足の間違いか)に同じ)敵の退かんとするに乗じ上段より斬り付けて勝つの意義なり。」

 河野先生の昭和17年1942年の大日本居合道図譜の脛圍:「立膝の部虎一足と同意につき省略す。」
 虎一足:「意義-正面に対座する敵が右足の方向より斬付け来るを之に応じ其の退かんとするに乗じて上段より斬下して勝つの意なり。中腰になり乍ら抜きかけ右足を一歩後方に退き腰を捻るや抜付けて刀棟を以て敵刀を反撃す。左膝をつきつつ右手を頭上に把り剣先を下げたるまま運びて、諸手上段となりつつ左膝を進め右足を踏み込みて敵の真向に斬り下し血振ひ納刀・・」
 
 ここでは、また差表の棟が、棟に代っています。現在は差表の鎬になって居るようです。
 参考に第18代穂岐山先生の直弟子で大江先生の居合も見ておられた野村條吉凱風先生の無双直伝英信流居合道の参考に於ける虎一足:「・・静かに立ちながら後へ引き腰を左に捻り刀を右脛の前に抜き鎬にて・・(此時の体勢は左向中腰にて横構え腰を捻りて極める、刀は抜きはなちて敵刃を叩くにあらざるなり)」と有ります。表鎬でびしっと受け止めるのでしょう。奥居合の脛圍も同様です。

 次の疑問は、相手は無疵です。何故我は「左足を膝まづくと同時に双手上段に振り冠り真向に斬り込む」のでしょう。河野先生の大日本居合道図譜に至っても、・・退かんとするに乗じて、左膝をつきつつ上段となり、右足を踏み込んで敵の真向に斬り下して居ます。野村先生は「上段にかぶり左膝を地につけながら斬り下す」とされています。扨これをどの様に理解し演じられるでしょうか。何の疑問も抱かずにこの止めの斬り下しを演じられるでしょうか。
 私は、請け止められて、退かんとする態勢のまだ低い敵に乗じて、左膝を進め乍ら上段に振り冠り、右足を踏出して真向に斬り込みつつ左膝を床に付ける、折り伏す古流剣術の運剣動作を思い浮かべます。

 古伝神傳流秘書抜刀心持之事柄留は「虎之一足の如く下を留て打込」だけです。虎一足は「左足を引き敵の切て懸るを払ふて打込み後同前」です。
 先達の教えは如何様にも仮想敵に応じる工夫をせよと、形ばかりに拘る事を戒められている様に思えてなりません。

 

 

 

 

 

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2019年6月18日 (火)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英神龍居合術20の6居合術業書奥居合居業之部1霞

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の6居合術業書
奥居合居業之部1霞

 正面に向ひ立膝に座し、気分充つれば左手にて鯉口を握り拇指にて鯉口を切り、右手を柄にかけ刀をぬきかけ腰を延び切ると同時に右足を踏出して抜き払い、「払ひたる手の止まらぬ間に」総体を進ませ乍ら甲手を返して左を払ひ、(最初敵の右首に抜きつけ刀寸の足らざる故に更に体を進ませて左首に切り返すの意)左膝を進ませると同時に双手上段に振り冠りて切り込み、刀を右に開きて血振ひ同時に左手を腰に取りて後鯉口を握り、刀を納めつゝ右足を引きよせ左踵の上に臀部を下して納め終りて立上り、直立の姿勢となりて次の業に移る。

 河野居合の特徴の一つは「・・気充つれば・・」、居合は武的踊りでしょうか。何時如何なる変に応じる修行中なのに、気など充つるまでに我が首は飛んでます。
 正座ノ部八重垣と此の霞ですが抜き付け不充分で霞では「最初敵の右首に抜きつけ刀寸の足らざる故に・・」と云っています。充分気が充ちているのに、間と間合いが読み切れていない、敵は死人でも人形でもないのですから刀寸が足りないのは敵が我より優れていて間を読み切られて、斬り込まれる寸前に外されたならいざ知らず、間の読み違いではないでしょうね。やはり正座之部「前」、立膝ノ部「横雲」是一本で居合は充分かも知れません。流派の極意は最初に習う一本目にありかも知れません。

 「払いたる手の止まらぬ間に」横一線に抜き付けたが敵に外され、其の手が止まらないうちに斬り返せと云うのです。たいていの人は横一線の抜き付けを横雲の様に決めてから手を返し体を進め切り返しています。ここでは「外された」と知るや「払いたる手の止まらぬ間に総体を進ませ乍ら甲手を返し」切り返すのです。
 22代は「間合い遠く不十分にして、対敵、後退せんとするに乗じて直ちに斬り返し」として「間合い足りたると思いたるに間合い足らざりしが故に」の気と云います。「止まらざる刀の運び」は池田聖昂先生著「無雙時遺伝英信流居合道解説第二巻」に詳しいのでご参照ください。

 大江先生の剣道手ほどきより奥居合霞(俗に撫斬と云ふ):正面に座して抜き付け、手を上に返して、左側面水平に刀を打ち返す、直に上段となりて前面を斬る。血拭ひはよく、刀は早く納める事。其刀身を鞘へ六分程早く入れ、残りは静に直ると共に納むるものとす、以下納めは之れと同じ。この文章では棒読みしてしまい、抜き付け・外され・止める・手を返す・打ち返すとやってしまいそうです。

  大江先生の兄弟子細川義昌系の梅本三男先生に依る「居合兵法無雙神伝英信流抜刀術」英信流奥居合之部向払:「(正面に座して居る者を斬る)正面に向ひ居合膝に座し、例により鯉口を切り右手を柄に掛け刀を抜きつつ両膝を立て、腰伸びきるなり右足踏込んで(対手の右側面へ)抜付けたるも剣先が届かぬため、右足より迅速に体を進めつつ、抜付けた刀が止らぬ中に直ぐ振返し、返す刀で(対手の左側面へ)斬付け左膝を進めつつ諸手上段に引冠り、更に右足踏込んで斬込み刀を開き納め終る。」
 
 河野先生の霞と同じような手附と思われます。但し河野先生は後の「大日本居合道図譜」によって斬り返しの部位を「返したる右手の止まらぬうちに上体を敵に付け入る心持にて少し屈め体を進め乍ら敵の脛に斬返す」とされ当初の「左首」を「脛」に変えてしまっています。上体を屈めて付け入れば低くなってしまうものです。当初の様に「総体を進ませ乍ら甲手を返し左を払ひ」であるべきでしょう。安易に動作を変えてしまい流された様に思います。寧ろ奥居合ですから抜き付けも返す部位も最も有効な部位であるべきで、形に固執してしまった江戸末期から現代の武術の欠陥でしょう。

 古伝神傳流秘書抜刀心持之事向払:「向へ抜付返す刀に手を返し又払ひて打込み勝」

 古伝は抜けだらけですが、大森流・英信流・棒術・詰合・大小詰・大小立詰・大剣取と進めて稽古して来た者にはこの手附で充分理解できます。抜刀心持は其れだけの内容を秘めているのでしょう。

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2019年6月17日 (月)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20ノ5居合術業書立膝ノ部10真向

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
立膝ノ部10真向

 正面に向ひて正座し、鯉口を切りつゝ右手を柄に掛け、膝頭と両足の爪先とにて膝を伸ばすや右斜前に刀を抜き、刀尖を左肩先へ突込む気持にて刀を双手上段に振り冠りて真向に切込み、刀を右に開きて納め終る。

 この動作は、河野先生の正座ノ部11本目抜打と同じです。大江先生の剣道手ほどきによる抜打は「正面に座す、対座にて前の敵を斬る心組みにて其正座の儘刀を前より頭上に抜き、上段に冠り、身体を前に少しく出し、前面の頭上を斬る。血拭ひは中腰の同体にて刀を納む」であって刀の抜き方と冠り方が違います。
 大江先生の次の18代穂岐山居合がこの時期の河野居合の原点ですから何故大江居合が薄れてしまったのでしょう。河野先生の居合経験が浅く力量不足と言えるかもしれませんが剣道歴は20年以上ですから(14才からこの時期35才ですから21年剣道歴)充分看取る事は出来たと思います。穂岐山居合が大江居合とは異なったのか気になります。
 穂岐山先生の直弟子の野村條吉先生の「夢想直伝英信流居合道の参考」昭和40年1966年では抜打:「敵と対座斬り込み来る敵刃をすり上ぐる心地にて頭上に抜き両膝を着き足先を立てたるまま両膝にて踏切り低く前へ飛びつゝ敵の頭上を斬る・・」と有ります。大江抜打の抜刀心が伝わってきますが反面立膝ノ部真向では「・・腰を浮かし両趾先を立てつゝ刀を前に抜き上段となり同体にて前の敵を斬る。此の時両膝を少しく左右に開く。・・」ですから、刀を抜いてから如何に上段に取るかが不明ですが抜いて振り冠るだけなら河野真向になってしまいます。「すり上ぐる心地」が伝わってきません。

 大江先生の剣道手ほどきに依る真向:「正面に向って座し、腰を伸ばし趾先を立て、刀を上に抜き上段となり、同体にて切る此時両膝を左右に少しく開く。・・。」

 古伝神傳流秘書英信流居合之事抜打:「大森流の抜打に同じ事也」:大森流居合之事抜打「座して居る所を向より切て懸るを其のまゝ踏ん伸んで請流し打込み開いて納る最も請流に非ず 此所筆に及ばず」

 古伝は、対坐する敵が切って来るのを請流して打込のであって単なる機先を制して敵の斬り込む以前に抜き打つものでは無かったのです。一方的に斬り込むのと勘違いするものではありません。
 「この請流に非ず 此所筆に及ばず」については曽田本その1で紹介した「英信流居合目録秘訣外之物ノ大事雷電霞八相」に解説されていると思います。
そのポイントは「夢うつゝの如くの所よりひらりと勝事有其勝事無疵に勝と思ふべからず我身を先ず土壇となして後自然に勝有其の勝所は敵の拳也」敵の拳に勝つ事は無双直伝英信流では失伝してしまったようですが「身を土壇となして」は居合心、いや武術の心得の根本でしょう。

 河野先生は昭和8年の真向は昭和13年の「無雙直傳英信流居合道」でも機先を制するに拘ったままで先を取るばかりでした。大日本居合道図譜昭和17年1942年の真向では:要領は正坐抜打と同じ。之を省略す。:「正面に対座する敵の害意を認むるや直ちに其の真向より抜打にして勝の意なり。 腰を上げ乍ら刀刃を少し外向け右斜前にスット物打辺り迄抜き出す。右拳を上に上げつつ抜きとり剣先は下げ左肩を囲ふ様に把り(敵斬込むとも之を受流す心)にて上段になり真向に斬り下す」

 大森流居合之事抜打が出来て来ました、この業を英信流の真向に引き上げるには、敵が抜打ちに斬り込んで来るのを「身を土壇となして腰を伸し趾先を立て、刀を上に抜き(左肩を覆う様にして敵刀を摺り落し)上段となり、同体にて切る」大江先生の真向に昇華するものでしょう。恐らく筆には書き足りない部分があって当たり前ですが、やらねばならない事を怠れば、武術は形のみ出来ても術が決まらないものです。

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2019年6月16日 (日)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書立膝ノ部9滝落

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
立膝ノ部9瀧落

 正面より後向きに立膝に座し、左手にて鯉口を握りたるまゝ立上ると同時に左足を左斜後に退て鐺を引き付け顔は左に振向きて、(後の敵が刀の鐺を取るを鞘を、こねて、其手を振ほどく)左足を右足の前に踏出すと同時に柄を胸の附近に取り鐺を振りはなすや右足を前に踏み出し、刀を抜くと同時に左に振返り刀先の棟を胸部に當て後に振向くや右手を延して突込み、直に右足を踏み越しつゝ刀を双手上段に振り冠り左膝をつくと同時に斬下し刀を開き納め終る。

 大江先生の剣道手ほどきによる長谷川流居合 後身の部 瀧落:後を向き、徐に立ちて左足を後へ、一歩引き鞘を握りたる左手を其儘膝下真直に下げ、鐺を上げ後方を顧み、右手を膝上に置き同体にて左足を出し、右手を柄に掛け胸に当て右足を前に進むと同時に抜き、刀峯を胸部に当て、同体の儘左へ転旋して、體を後向け左足を前となし、其体の儘胸に当てたる刀を右手を伸ばし刀は刃を右横に平として突き左足を前となし、其体の儘胸に当てたる刀を右手を伸ばし刀は刃を右横平として突き左足を出しつゝ上段に取り、左膝を着き座しつゝ頭上を斬る、血拭ひ刀を納む。

 古伝神傳流秘書英信流居合之事瀧落:「刀の鞘と共に左の足を一拍子に出して抜て後を突きすぐに右の足を踏込み打込開納める此の事は後よりこじりをおっ取りたる心也故に抜時こじりを以て当てる心持有り。」

 此の業のポイントは、敵に鐺を握られて、刀を抜かせないようにされるのを、振りもぐ技の良し悪しに極まります。或は鐺を掴ませない心得を身に着ける事でしょう。

 鐺を取られた場合の対処法は古伝大小立詰の一本目袖摺返、五本目蜻蛉返、六本目乱曲に応じる手附が述べられています。中山博道先生は「日本剣道と西洋剣技」昭和12年1937年で:「後方より武器を掴まれた場合、これを外づすには、左、右と順次に対手の逆を行か、同時にこれを払ひ外すかの二種あるが、この外すといふことは非常に困難な業で、沢山ある抜刀術各流にも、その例はまことに少ない」と難しいよと云っています。

 大江先生、河野先生共に敵に後ろより鐺を掴まれ之を振り捥いで刺突しています。

 穂岐山先生の直弟子野村條吉先生は:「・・後より鐺を取りに来る敵に対し、徐ろに立ちて左足を一歩後へ引き、鞘を握りたる左手を下げて、鐺を急に上げて之を避け・・」

 中山博道先生は太田龍峰先生の居合読本昭和9年1934年による瀧落から:「意義-敵が我が鐺を握ろうとするにを、之を避けて立ち上ったが、尚ほ追い迫るを以て再び之を避け、遂に抜刀して振り向きつゝ敵を突き刺し、尚ほ追撃する業である。」

 河野先生の無雙直傳英信流居合道昭和13年1938年による瀧落:「吾が後に坐す敵が、吾が鐺を握りたるを其の拳をもぎとりて敵の胸元を刺突し、倒るゝ所を更に真向より斬り付けて勝つの意なり。」

 古伝は:「此の事は後よりこじりをおっ取たる心也」と鐺を掴まれた場合の想定になって居ます。大小立詰に鐺を取られた場合の教えが三本ある様に、あり得る攻防であったのでしょう。

 

 

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2019年6月15日 (土)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書立膝ノ部8浪返

曽田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
立膝ノ部8浪返

 正面より後向きに立膝に座し、例に依りて鯉口を切り右手をかけて立上り左廻りに正面に向きて作すること鱗返に同じ。

 鱗返の後半を付け加えて浪返の手附を完成させておきます。
 「正面より後向きに立膝に座し、例に依りて鯉口を切り右手をかけて立上り正面に向き。同時に左足を後に引き腰を延しきりて抜払ひ右一文字に切りつけ、左膝を跪き、双手上段に振冠り真向を割りつけ刀を開き終わる。

 河野先生の浪返は前の業鱗返しと回転角度が90度から180度になっただけで何ら稽古を繰返す意味など無いものになってしまいました。なぜでしょう。左脇に座す敵と、後に座す敵とは全く状況が違う事が示されていないのです。
 そこまで気が回らないならば、左廻りを右廻りにすれば足捌き体裁きを含め稽古ぐらいにはなりそうです。18代穂岐山先生の教示をメモされて書かれたものですから、穂岐山先生は大江先生からどの様に教えられたのでしょう。気になります。

 大江先生の剣道手ほどきより長谷川流居合 後身の部 
 浪返:後へ向き左より正面へ両足先にて廻り、中腰となる、左足を引き、水平に抜付け上段に取り、座しながら前面を斬るなり。仕拭ひ刀納は前と同じ。

 ついでに前の鱗返を復習
   :右に向き、左より廻りて正面に向ひ、中腰にて左足を引きて抜付け、此抜付けは水平とする事、上段に取り、座しながら斬り落とすなり。血拭い刀納めは前と同じ。中腰は両膝を浮めて抜付けるなり。(敵の甲手を斬る)

 回転角度は違います90度から180度、鱗返しは「左より廻りて正面に向ひ」ですが浪返は「左より正面へ両足先にて廻り」と浪返では足先で廻れと云っています。此の事は浪返しの方が中腰でも高く執れと云っている様です。
 鱗返も浪返も左足を引いて抜き付けろと云うのは、敵との間合いを外して敵が切損じて我が斬り間に入った瞬間に抜き付ける事でその効果は発揮されそうです。
 鱗返の場合の敵は、吾が左に正面右向きに座すならば、敵も正面右向きで我の左に座して居る。そうであれば敵は右廻りに抜き付けて来ます。我は左廻りに抜き付けます。敵が我が方に向いて座して居れば敵は回転せずに抜き付けてきます。
 浪返では吾は正面後向き、その後ろに敵は普通は吾が背中を見て座して居るはずでしょう。その優劣は自ずから見えるはずです。にもかかわらず我は中腰に足先で左廻りに向き直って抜き付ける、其の際左足を退くのでしょう。この二つの業は是非設対者を得て稽古したい業です。

 古伝神傳流秘書英神信流居合之事波返:鱗返に同じ後へ抜付打込み開き納る 後へ廻ると脇へ廻ると計相違也
  鱗返:左脇へ廻り抜附け打込み開き納る(曽田先生 想定の手附)

 古伝では左足を引いて抜付ける事が要求されていません。英信流(大江居合の立膝の部)の左足を退く業は2本目虎一足、3本目稲妻、6本目岩浪では「左足を引き」と明記されています。1本目横雲は「右足を向へ踏出し抜付」ですから夢想神傳流の横雲は古伝の教えではなく中山博道先生のお弟子さん方による独創でしょう。それでも引き足で抜き付ける稽古業としては素晴らしいものです。

 河野先生の「無雙直傳英信流居合道」昭和13年1938年の鱗返し:「正面より右向に座し、刀を抜きかけつつ右足先を軸として中腰にて廻り(正座右の要領に同じ)正面に向くと同時に左足を後に退くや、腰を延ばしきりて刀を抜き払ひ・・・。首に抜き付けています。
 浪返:正面より後向きに立膝に座し、刀を抜き懸けつつ、右足先を軸として中腰にて左に廻り、正面に向くと同時に左足を後に退くや、腰を延ばしきりて刀を抜き払ひ・・・。首に抜き付けています。鱗返と浪返は回転角度の違いばかりの稽古なのでしょうか、古伝の抜けだらけの手附を元に現代居合を考え直したい業です。

   

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2019年6月14日 (金)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書立膝ノ部7鱗返

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
立膝ノ部7鱗返

 正面より右向に立膝に座し例に依り鯉口を切り右手を柄にかけ立ち上がりつゝ左へ(くるり)と廻り正面に向き、同時に左足を後に引き腰を延ばしきりて抜払ひ右一文字に切りつけ、左膝を跪き、双手上段に振冠り真向を割りつけ刀を開き納め終る。

 大江先生の剣道手ほどきより、長谷川流居合左身の部7鱗返:「右に向き、左より廻りて正面に向ひ、中腰にて左足を引きて抜付け、此抜付けは水平とする事、上段に取り、座しながら斬り落とすなり。血拭ひ刀納めは前と同じ。中腰は両膝を浮めて抜き付けるなり。(敵の甲手を斬る)」

 河野先生の業手附は「立ち上がりつゝ左へ(くるり)と廻り正面向き」、大江先生は「左より廻りて正面に向ひ」で同じ事を書いていますが(くるり)が矢鱈早い回転を要求している様に感じてしまいます。敵の状況に応じた回転であるべきでしょう。
 大江先生の抜き付けは敵の甲手と奥書に明記されています、しかも「中腰にて左足を引きて抜き付け」ですから河野先生の「左足を後に引き腰を延ばしきりて抜払ひ」とはイメージが違います。「中腰は両膝を浮めて抜き付ける」と大江先生は又言っています。敵の状況を如何にとらえるかによって抜き付けの高さは異なる筈です、又抜き付ける部位により変わります。大江先生も演武居合ですが河野先生は想定を特定しているのでしょう。左足を後に引き腰を延ばして抜付けの位置調整はともすると小手先の動きに依ってしまいそうです。

 河野先生の昭和13年1938年の「無雙直傳英信流居合道」の鱗返の意義:「吾が左側に座す敵の機先を制してその首に斬り付けて勝つの意にして、正座の右の業と同意義なり。」で腰を延ばしきりてはそのままです。
 昭和17年1942年の大日本居合道図譜の鱗返:「意義-左側に座す敵の機先を制して之に勝つ事正座右の業に同じ。 右向きに座し、中腰に立上りつゝ抜きかけて左に廻る。左足を大きく一歩後方に退くや横一文字に斬付ける。次に左膝を下しつゝ諸手上段となり敵の真向に打下し血振、納刀す。」

 穂岐山先生口伝口授の動作は消えてしまいました。これでは古伝と同じでおおらかですから想定次第によって抜き付けの高さは変わり足腰の高さもそれにつれて決まるものになったわけです。然し演武形はここの想定によってまちまちになってしまいます。

 第22代池田先生は、「我が左側に座す敵の、機先を制して其の首に斬り付けて勝つ意にして、正座の「右」の業と同意義也。」と戻されています。

 古伝神傳流秘書英信流居居合之事鱗返:「(秘書には岩波と同じ事を記しあり、口伝口授の時写し違へたるならん 曽田メモ)左脇へ廻り抜付打込み開き納る(曽田先生に依る手附と思われる ミツヒラ)」

 木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流傳書集及び業手付解説」の神傳流業手付英信流抜刀之事鱗返:「右に向き居って左廻りに向へ抜付左の足を引冠り打込み開き納る也」
 この様に書かれていますが、木村先生の處で書き込まれた文章の様に思います。何故ならば、文体の意図するものが古伝と雰囲気が違い過ぎる。さらに「右に向き居って左廻りに」は岩浪では「左へふり向左の足を引き刀を抜き」であって、座す位置の指定など古伝はしない。「左の足を引き」についても、次の浪返しでは「後へ抜付打込み」であって左足を引くか否かは指定して居ません。この鱗返の手附は曽田先生の書かれたものの方が古伝を伝えてきます。

 此の業を考える時、大江先生の様に中腰に立ちつつ左廻りに敵に向き、抜刀する際左足を退く事も状況次第でしょう。正座と同様であり敵の首に抜き付けるならば、立膝で腰を上げた状況での左廻りを手に入れなければ不都合です。其の上で敵の攻撃が早ければ左足を退き小手を斬るべきでしょう。

 

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2019年6月13日 (木)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書立膝ノ部6岩浪

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書
立膝ノ部6岩浪

 正面より右向に立膝に座し例に依り右手を柄にかけると同時に低腰に立上がり、直に左足を少し後に引き刀を抜き左手を刀尖に當て右足を軸として左に廻り、左膝をつくと同時に右足を少し踏み込み左手の四指を刀の棟に當て敵の胸に突通し、左膝頭にて右に廻りつゝ敵を横に押倒し、(顔は正面)左手の四指を刀の腰に添へ右手を突出し、右足を踏み出しながら刀を後にはね返し双手を突出し、左膝を右足の後に送り体を更に正面に向け雙手上段より真向に切込み刀を開き納め終る。右の場合敵の胸に刀を突込む時は、右手を後方に十分引き延ばす事。

 大江先生の剣道手ほどきの長谷川流居合左身の部6岩浪:右に向き、左足を後へ引き、刀を体前に抜き直に左手にて刀尖を押へ、右膝頭の處へ着け、左足を右足に寄せ、体を正面に直し、左手と右手とを水平とし、其右足を其儘一度踏み全体を上に伸し、直に体を落し、左膝をつき右手を差伸ばし、左手は刀尖を押へたる儘、伸ばして刀を斜形として敵の胸を突き、右足を右へ充分引き変へ体を右向きとし、両手にて刀を横に引き、敵を引き倒し、其姿勢にて刀を振り右肩上にかざし、上段に取ると、同時に左足を後へ引き、右足を前にて踏み替へ正面に向ひて上段より斬る。(左の敵の胸を突く)

 大江先生の岩浪は「左の敵の胸を突く」と明瞭ですが、河野先生は想定が充分見えません、動作から判断するのです。刀を抜いて左廻りに敵に向かう際大江先生は「刀を体前に抜き直に左手にて刀尖を押へ、右膝頭の處へ着け、左足を右足に寄せ、体を正面に直し」ています。河野先生は
「刀を抜き左手を刀尖に當て左足を軸として左に廻り、左膝をつくと同時に右足を少し踏み込み左手の四指を刀の棟に當て敵の胸を突通す」ですから、ここで動きが止まってしまい、何処を向くんだ、敵は何処だ、どうしたらよいか判らなくなります。つづいて敵を刺突するのですがその動作が全く欠如しています。
 
 河野先生が第18代穂岐山先生に師事したのは昭和2年1927年8月、この業書は昭和7年1932年以前に穂岐山先生から指導されたものの覚書を纏められたと推察できます。当時河野先生が高知に出向くにしても、穂岐山先生が大阪に出向くにしても月一回は無理だったでしょう。その間大阪の先輩から指導されたとしても曖昧なものだったと思われます。
 
 このスクラップは昭和8年1933年5月に「無雙直傳英信流居合術全」として小冊子の活字本になって居ます。その複製版を「本書の複製に際して」と題して昭和44年1969年5月故岩田憲一先生が書かれています。:「この書は末尾にも記してあるように第18代宗家穂岐山波雄先生が大阪八重垣会を指導されていた時第20代宗家河野百錬先生に記録させたものでその製本された時18代宗家が山本宅治先生を訪問し本書を提示されたもので丁度居合わせた中西岩樹先生と三人で致道館に行き正座業一本目より読み上げつゝ演武して先ずは大江正路先生(第17代)教示のものして足りるものと三名の意見が一致したものだそうであります。(山本宅治先生)
 河野百錬先生も非常に若い折りでもあり穂岐山先生教示のまま記されたものと考えられ、それを穂岐山先生が監修されているので現在第17代大江正路先生の技法を追及したり亦正流の技法の根本に触れんとすれば簡明に記録された本書が一番適当なものと考え同好の各位に領布する次第です。・・」

 岩田先生の賛辞ですが、河野先生は明治31年1898年2月19日生まれ、昭和8年1933年には35歳になられていますので年齢としては若いとは言えません、剣道は明治45年1912年14才から始められていますから21年の経験者です。昭和9年1934年には大日本武徳会錬士となって居ます。
 居合は正式に手ほどきを受けたのは昭和2年からで、それも時々顔を出された穂岐山先生の居合でしょう。5年程の経験でしょうから正座の部はともかく立膝の部は、穂岐山先生の教示をメモされた内容はお粗末です。それでもメモすら取れない最近の初心者から見れば雲泥の研究心です。
 無雙直傳英信流居合術全の内容にご自分でも不満だったのでしょう、その後昭和13年1938年無雙直伝英信流居合道を発行されて不足部分を補完され、それまでに集められた居合に関する多くの教えを示されています。更に昭和17年1942年44才の時大日本居合道図譜を発行され無双直伝英信流正統会のバイブル的存在でしょう。

 古伝神傳流秘書英信流居合之事岩浪:「左へ振り向き左の足を引刀を抜左の手切先へ添へ右の膝の外より突膝の内に引後山下風の業に同じ」

 古伝は簡明です。グダグダ言わずストレートです。現代居合を身に着けた者にはこの文章だけで今の岩浪との違いを感じられるでしょう。最も極端なのは敵の害意を察して即座に敵の方に振り向く事です。

 河野先生の大日本居合道図譜より岩浪:「意義-我が左側の敵が我が柄を制せんとするを、其機先を制して胸部を刺突して勝つの意なり。 右向きに座し、左足を退きつゝ刀を剣先部迄抜く。左手の食指に剣先部の落つるや、拇指にて挟む様にして、右手を下げつゝ右足を軸として左に向く(正面になる)
 註1、右足の後方に左足を運ぶ。 
 註2、左手の運びが大きくならぬ様に最短距離を運ぶ事。
 構ゆる 
 註1、右膝は十分に屈める。 
 註2、右手は伸ばし。
 註3、剣先部を食指と拇指の基部挟さみ、剣先は膝より出さぬ事。
 刺突す 構えたる所から右膝を少し伸ばして体の反動をつけ、左膝を下に着けると同時に剣先を少し上げて敵の胸部を刺突す。以下颪の要領に同じ。」
 

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2019年6月12日 (水)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書立膝ノ部5颪

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
立膝ノ部5颪

 正面より左向に立膝に座し例に依り左手を鯉口に掛け、鯉口を握りたるまゝ拇指を鍔にかけ右手を柄に掛け、右足を踏み込みつゝ柄かしらにて敵の顔面を一撃し、左足を引き付けつゝ右手にて刀を抜きつゝ腰を充分左にひねりて抜き放ち敵の胸元へ切り付け(体は左に向き右膝は浮かし左膝は下に付く)顔は正面に向け左足を少し後に引き左手の四指を刀の腰に当て、敵を横に引倒すや右足を正面より右(90度)に踏み開き肩の高さに右拳を伸ばし(顔は正面に向く)刀を後にはねかえし、右足にて廻り正面に向き乍ら双手上段に冠り真向に斬込みて納め終ること同前。

 河野先生の手附では、敵の仕掛けが何も語られていないので敵の座す位置も解りません。自分勝手に刀に手を掛け、「右足を前に踏みつゝ柄頭にて敵の顔面を一撃する」敵は正面に立膝に座して居るのでしょうか。
 敵の胸元へ切り付ける際「(体は左を向き右膝は浮かし左膝は下に付く)」正面の敵に抜き付けるのに、体を左に向け抜き付けています。「(顔は正面を向く)」のですから抜き付けられた敵は我が右にいなければ変です。
 引き倒しも、右足を「正面より右(90度)」に踏み開くのです。この業書では疑問が湧いてきて稽古が出来ません。場の正面左向きに座した我に対しこの文章からは、敵は場の正面右向き、我に向い合って座して居る様に読めます。昭和8年1933年に発行された河野先生の「無雙直傳英信流居合術全」の立膝ノ部颪も、同じ文章です。我が正面の敵の胸に抜き付け、体は正面左、顔は正面に向け、敵を正面90度に引き倒すのです。この抜付けでは正面に引き倒すのが精一杯でしょう。敵はどこに座し、何かをしようとし掛けて来る、それに応じた居合が始まるのですが其処がすっぽり抜けています。

 河野先生の昭和13年1938年の「無雙直傳英信流居合道」の颪の業書では意義が付されています。:「浮雲と同様に横列に座し居る場合、右側の敵が、吾が刀の柄を取らんとすると、吾れ柄を左に逃がして敵手を外づし、直ちに柄頭を以て敵の顔面人中に當て、敵の退かんとする所を其の胸元に斬り込み、右に引き倒して上段より胴を両断するの意なり。」
 これで、敵の位置関係が明瞭になるわけです。業の形を追うばかりでは敵との攻防である事が薄れてしまうのです。

 大江先生の剣道手ほどきから颪を稽古して見ます。颪は長谷川流居合と表記され「右身の部」と区分けがあります。横雲、虎一足、稲妻は「向身の部」ですから我は場の正面に向き敵と相対して居ます。「右身の部」ですから我は場の正面を右にして左向きに座し、敵も同じ左向きで我の右に座して居ます。
 颪:(又山おろしとも云ふ)左向き腰を浮めて右斜に向き、柄止め、直に左へ足を摺り込み、其踵へ臀部を乗せ右斜向体となり、斜刀にて筋変へに打ち其形状にて左手は刀峯を押へ、左足を左横に変へ、刀を右へと両手を伸ばして引き、敵体を引き倒すと同時に右足を右斜へ寄せ、直に其刀を右肩上の處にかざし左足を後部に引き右足を出し、正面に向き上段となりて斬るなり。血拭ひ刀納む。(敵の眼を柄にて打つ進んで胸を斬り更に頭上を斬る)

 大江居合の業手附も、仮想敵の状況が不明瞭で解りにくいのですが、双方の座す位置が判れば手附に従って動作が判ります。ここでは敵が抜かんとして柄に手を掛けたのを「右斜に向き、柄止め」しています。然し後書きの括弧内は(敵の眼を柄にて打つ・・)です。大江居合も文章力が不足なのかこれでは混乱します。「柄止め」とは敵が抜こうとする柄手を打ち据える事、又は敵の動作に先んじて敵顔面を打ち据えてしまう事位におおらかに考えておきましょう。
 抜き打った後の「敵体を引き倒す」ですから「敵を横に引き倒す」と同じでいいのでしょう。大日本居合道図譜の浮雲の引倒し別法として「剣先を下げ刃を右斜後方に向け引き倒す(註 下村派は之による。ただ参考の為めに記す)と有ります。

Img_0643-002
写真は大江先生の浮雲の引き倒し。兵庫蘆洲会土佐塾 故西本千春先生より送られたものです。
数少ない大江先生の演武写真の一つです。
縦に「浮雲の引き斃し 大江先生のこの体動を学べ」
横に「第17代範士大江正路先生」と有ります。
西本先生とは第一回違師伝交流稽古会の時に神戸でお会いして其の演武も拝見させていただきました。その後三回まではお目にかかっていたのですが体調を崩されお目に掛かれないままお亡くなりになりました。

 細川義昌系の梅本三男先生の「居合兵法無雙神伝抜刀術」の山下風:(右側に座して居る者を斬る)正面より左向き、居合膝に座し、例により左手を鯉口に執り、腰を伸しつつ右膝を立て体を右へ廻し正面へ向くなり。
 右足を引付けると同時に柄を右胸上部へ引上げ、右手を柄に逆手に掛け右足を踏出すと共に鍔にて対手の左横顔を打ち直に右足を引き寄せる、同時に鯉口を腹部へ引付け刀を右真横へ引抜き(切先放れ際に)左膝を左へ捻り正面より左向きとなり対手の胸元へ(切先上りに手元下りに)斜めに抜き付け、更に体を右へ捻り戻しつつ刀の腰に左手の四指添へ、刀尖を下へ柄頭を後上へ引上げ体を右へ廻しつつ対手の体を押倒すなり(正面より右向きとなり)。左足を跪き刀尖を(上より)後へ振返し右足踏出すと共に双手を向ふへ突出し横一文字に構へ(視線は左正面の対手に注ぐ)左膝を右足へ引き寄せつつ諸手上段に振冠り、右足を正面へ踏出し(胴体へ)斬込み、刀を開き納め終る。

 是迄の手附と違って、敵の左横顔に鍔で打つのです。


 古伝神傳流秘書英信流居合之事山下風:右へ振り向き右の足と右の手を柄と一所にて打倒し抜付後同前但足は右足也浮雲と足は相違也

 たったこれだけです。これでは幾つもの自分流があっても当然です。始めは師匠から手ほどきを受けその教えに従い真似の稽古を繰返す事、其の上で、仮想敵の仕掛けに如何に応じるかを工夫する、そして気を知って応じ和す心を武術とする。
 柳生新陰流の柳生石舟斎宗厳が尾張大納言義利のち義直に柳生新陰流第四世を印可した際に進上したと云う「始終不捨書」の三摩之位にある円相上に等分に打たれた三点を「三摩」といい「習い・稽古・工夫」それがその流の武術を学び修行する事でしょう。多くは、習い・稽古で終わってしまうものです。まして「守破離」など程遠いものです。

 

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2019年6月11日 (火)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書立膝ノ部4浮雲

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
立膝ノ部4浮雲

 正面より左向に立膝に座し左手を鯉口に取りて立上り、左手にて柄を左に逃し(右方の敵が吾が柄を取らんとするを此時左足は左に開く)右向になりつゝ柄を鞘共胸迄上げ、(右手をかけ)同時に左足を右足先前に接する様進ませ少し腰をおとし鞘を突込み足をもぢらして、(左足の甲を下に向くやうに)刀を抜きつゝ其抜放れ際の處にて腰を左に十分ひねり、左足の裏を上に向けたまゝ尚腰を下げ敵の胸元に抜付け、後ち体を右に廻し刀の腰棟に左手の四指を当て右足を後に退き此時右膝をつく敵の体を横に押倒す、次に柄を引き上げ刀の物打の棟へ左手の全指をあてたるまゝ引構へ、夫より刀を左手にて後にはね返し雙手にて柄をとり、更に雙手上段に振冠りて左膝の外へ切り込みて後納め終る事同じ。

 大江先生の剣道手ほどき長谷川流居合(抜方と順序)右身の部「浮雲」:左向き静に立ち、中腰となりて左足を後へ少し引き、刀を左手にて左横に開き、右手を頭上に乗せて力を入れる、其開きたる状態より左足を右足前方へ一文字となし刀は柄を右手に握り、胸に当て右の下へ抜きつゝ体を右へ廻し、刀尖の三寸残りし時、刀を一文字の儘体は中腰となり右横より左へひねり正面に向け抜付け、折り返して打ち、左手の内にて刀峯を押へ伸ばし右手は弓張とし、右左を右斜へ引き、其膝をつき、敵を引き倒し、直に刀を肩上にてかざし、上段にて正面に直り左斜を斬る、この時膝頭外にて両手を止む、血拭ひ刀を納む。(敵三人並び一人の敵を置き先の敵を斬る時)

古伝神傳流秘書英信流居合之事浮雲:右へ振り向き足を踏みもぢ彳(ちゃく)腰をひねる抜付左の手を添へて敵を突倒す心にて右の足上拍子に刀をすねへ引切先を後へはね扨上へ冠り膝の外へ打込み後同前又刀を引て切先を後へはねずして取りて打込事も有。

 河野先生の浮雲には、大江先生の(敵三人並び一人の敵を置き先の敵を斬る時)の条件がありません。(右方の敵が吾が柄を取らんとするを・・)外して抜付け引き倒すのです。
 引き倒しは「敵の体を横に押倒す」ですが大江先生は「正面に向け抜付け、折り返して打ち」と二度斬りしてから敵を「右斜へ・・引き倒し」で様子が違います。古伝の場合は「敵を突倒す心にて右の足上拍子に刀をすねへ引」と右足の方へ引き倒す、」大江先生の右斜へ引き倒すと同じです。
*
 河野先生の昭和13年1938年の無雙直伝英信流居合道の浮雲では、「横列に並びて座し居る場合、右側の(二人目の位の處より)敵が吾が刀の柄を取らんとするを・・」と大江先生の添え書きを何となく取り込んでいます。稽古会などでは我の右側二人目の敵が柄を取りに来る想定で実演されますが、別に我が右脇の者が柄を取りに来てもおかしくはない手附です。次の業颪と被ってしまうのを避けたような意味不明の敵の配置です。昭和17年19472年の大日本居合道図譜では「横に座す右側の二人目の敵が我が刀の柄を取らんとするを、外して・・」と想定をされています。二人目でも隣でも良さそうな手附ですから、古伝を知って居れば大江居合を訂正できたでしょう。

 大江先生の先輩細川義昌先生の系統の居合兵法無雙神伝抜刀術梅本三男先生の浮雲:(右側に座して居る者を斬る)の添え書きで敵は右隣です。大江居合は何を原本としたのか疑問です。大森流も英信流も敵は一人が原則でしょう。

 河野先生は昭和30年1955年発行の無双直伝英信流居合兵法叢書で、これらの土佐の居合の誤った伝承を正す意図もあって発行されたと思います。一つ習い覚えると、新たに習い直すことに臆病な事では修行しているなどと云うわけにはいきません。稽古の度に新たな発見があるものです。
  

 

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2019年6月10日 (月)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書立膝ノ部3稲妻

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書
立膝ノ部3.稲妻

 正面に立膝に座し、例に依りて抜きつゝ立上り左足を引きて高く抜き払ひ、(上段の甲手に斬込む)左膝を跪くと同時に双手上段に振冠りて斬込み、刀を右に開き血振し納め終る。

 河野先生の大阪八重垣会の教本として、第18代穂岐山波雄先生の教述を書き留めてまとめられたもので、昭和8年1933年に「無雙直傳英信流居合術全」として発行された手附の元となったスクラップです。従って手附の内容は指導された穂岐山先生の動作がほとんどと思われます。
 その後昭和13年1938年発行の無雙直傳英信流居合道によって手附の記述方法が河野先生の考えで変わっています。しかしその内容は殆ど同じと見ていいでしょう。
 この、スクラップの書き出し「正面に立膝に座し、例に依りて抜きつゝ・・」ですが例に依りは「気充つれば、左手を鯉口に取りて拇指にて鯉口を切り、右手を柄に掛けるや、腰を少し浮かし刀を抜きつゝ・・」となります。

 ここで、大江居合の「剣道手ほどき」大正7年1918年を居合術独習法を抜粋して見ます。「(我が体を正面に向け座す)・(前方7尺の處を凝視し)丹田に気充つるとき静に左手にて刀の鞘鯉口を握り右手は第二関節を折り拇指の股を柄の鍔元に入れ。五指を静かに握り肘を落とし右肩を稍斜前に出す。左手にて鞘を少しく後へ引き、右手を斜前に出し静に抜く。此時両足の趾先を立て上体を自然とあげ・・」

 河野スクラップと大江居合の独習法を読めばすぐ気が付く事ですが、ここには少しも対敵意識のない、道場若しくは演武場での形を整えるための心持ちばかりがうたわれています。
 形は出来ても是では柄に手を掛けるそぶりをしただけで我が首は飛んでいます。初心者の独習をいつまでやっても居合になりません。「正面に立膝に座す」という場取りでは無く、「互に向き合い立膝に座す」人と向き合い、相手の表情や語気、動作を察知する意識から改めなければ「何時如何なる変に応じる」など夢物語に過ぎません。当然でしょうが「丹田に気充つる」まで相手は待ってなどいてくれるわけもないでしょう。
 初心者の独習心得を40年、50年とやって来られた先生ばかりでは、人生における「思いもよらぬ事態」などに応じられる訳も無いでしょう、限られた居合同好の士との触れ合いでの狭い縦社会による序列を頼りの自己満足ではお粗末です。
 何の為に修行しているのかも、理解できない様では困ったものです。居合の動作ばかり出来ても、この時代に刀で人殺しをするなどあってはならない事です。それにもかかわらず毎日稽古する「何を目指すのか」自問自答する事も大切でしょう。

大江先生の剣道手ほどきによる長谷川流居合稲妻:「正面に座し、右足を少しく立てながら左足を後へ引き、両膝を浮めて稍左斜へ斬付け、姿勢の儘上段に取り其体より両膝を板の間に着けて切り落すなり、血拭ひ刀を納むるは1と同じ。抜付けは刀尖を高くするを宜とす。(敵の甲手及び頭上を斬る)

古伝神傳流秘書英信流居合之事稲妻:「左足を引き敵の切て懸る(拳 曽田メモ)を払ふて打込み後同前」 この手附は、状況を何も指定して居ません。どの様に運剣するかは、「敵の切て懸る」想定次第で幾通りもあるでしょう。此の業一つで多くの「変に応ずる」事が可能でしょう。古伝はおおらかです。

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2019年6月 9日 (日)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合業書立膝ノ部2虎一足

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合業書立膝ノ部
2.虎一足

 正面に向ひ立膝に座し、例に依り抜きかけ立上り左足を一歩後に引きつゝ右斜前に殆ど刀を抜、左腰を左方にひねると同時に刀を抜きはなち刀の差表にて受け留め向脛に切りつけ来るを右足を圍ひ左膝を跪くと同時に双手上段に振り冠り真向に割付け、右に開き納め終る。

 大江先生の剣道手ほどきより長谷川流居合(抜方と順序)向身の部2本目虎一足:「正面に座す、静かに立ちながら左足を引きて刀を抜付くと同時に膝を囲ふ、此囲は体を左向き中腰となり、横構にて受止める事、此体形にて刀を上段に冠り正面に向き座しながら斬り下すなり。血拭ひ刀を納めは一番と同じ(膝を受け頭上を斬る)」

 大江先生と河野先生の違いは、敵の脛への斬り込みを囲ってからの状況です。
 河野先生は「左膝を跪くと同時に双手上段に振り冠り真向に割り付ける」。河野先生はその後の無雙直傳英信流居合道昭和13年1938年ではその意義を「吾が正面に対座する敵が、吾が右足に薙ぎ付け来るを受け留め(敵刀を払ふ気持)敵の退かんとするを上段より斬りつけて勝つの意なり。」としています。

 双方向かい合って居合膝に座し、敵が吾が立膝の右足に薙ぎ付けるのです。この意義と大江先生の「静かに立ちながら左足を引きて刀を抜付くと同時に膝を囲ふ」我の動作は、実際に設対者を置いて抜き付けられての応じ方を稽古すべきで「静かに」をどの様に動作に反映させるか厳しい処です。
 大江先生は「横構にて受留め、此の体形にて刀を上段に冠り正面に向き座しながら斬り下す」。大江先生は敵は既に抜刀して膝に斬り付けて来るのか、座して膝に斬り付けて来るのか不明ですが、「我は静かに立ちながら・・・受止める」、そして「此体形にて」ですから右半身の体形で立ったまま上段に振り冠っています。敵は無疵ですからもたもたして居れば、突いて来るなり、反撃の態勢を退きながら作ろうとするでしょう。敵は立って切り込んで来る想定を思い浮かべます。

 中山博道先生は大田龍峰先生の居合読本昭和9年1934年ではその意義「敵が前方から我が右臂(みぎひじ 膝の誤植?)を斬って来るのを抜刀して之を受け、敵の退くに乗じ正面に向ひ斬る業である」とされています。是も立って来るのか、座したまま斬り付けて来るのか不明です。「・・敵の斬りつける刀を払ひ受け、刀を頭上に振り被りつゝ左足を右足に引きつけ、右足を僅かに前方に踏みつけ正面を・・」と立ったまま斬り込んでいます。
 山蔦先生は、写真付きですから敵も我も座して向かい合い、「敵が自分の右足に切り込んでくるのを・・急速に抜刀し、右脛を囲うように敵刀を鎬で受け止める」、山蔦先生の立膝は右足膝は稍々浮かせた程度ですから、座したままでは抜き打つ対象にはなりにくいものです。右膝上で床からせいぜい20cm有るかどうかでしょう。我が右足に斬り付けるとすれば、敵が抜刀せんと刀に手を掛けるや我も刀に手を掛け、立ち上りつつ刀を抜き出す所を敵は、立てた右足膝辺りに抜き付けて来るのでしょう。受け止めるや左膝を右踵に折敷き刀を振りかむり、右足を一歩直角に踏み出し、斬り下ろす。相手はどうやら座したままのようです。
 
 想定も充分理解しないまま形動作を習うために、疑問に思っても、約束事の形だからと、其の儘やり過ごしてしまうのですが、それぞれの先生方の手附を読みながら空想では無く設対者に応じてこの形を稽古すべきでしょう。演武会の踊りや、昇段審査は決められたことをしていればいいだけです。

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2019年6月 8日 (土)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の5居合術業書立膝ノ部1横雲

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の5居合術業書立膝ノ部
1.横雲

 正面に立膝に座し、気充れば左手を鯉口に取りて拇指鯉口を切り、右手を柄に掛けるや腰を少し浮かし刀を抜きつゝ右足を踏み出して右一文字に抜き払ひ雙手上段に振り冠りて真向に割付け直ちに刀を右に開きて血振し、同時に左手を左腰に取り鯉口を握りて納めつゝ右足を左足に引付け、爪立てたる左足の踵の上に臀部をおろすと同時に納め終りて立上り次の業に移る。

 大江先生の「剣道手ほどき」では長谷川流居合(抜き方と順序)向身の部1.横雲の業名となります。
 横雲:正面に座して刀を右へ静かに抜きつゝ、三寸残りし時右足を出し、刀尖を抜付け、其姿勢にて上段にて真向に前方を斬る。血拭ひ刀を納む(敵の首を斬る)

 余談ですが、中山博道先生の居合を太田龍峰先生が昭和9年1934年に「居合読本」として発行されています。その長谷川英信流居合横雲では:正面に向ひ箕坐す、右足を僅か前方に踏み出し大森流の初発刀と同様に抜刀して直ちに頭上に振りかぶり、敵を斬り下ろし、直ちに陰陽進退の最初の血振りをなし、刀を納めつゝ右足を左足に引き付けて蹲踞し、後、徐かに立ち上がる。

 ここでの抜き付けは、大森流の初発刀と同じ様に抜き付けで右足を踏み込んでいます。但し踏み込みは「右足踵が左膝頭附近に来る如く 踏み著くると同時に刀を抜く」ですが、写真は右足膝頭より一足長は踏み込まれています。
 何処で何時変わったのか夢想神傳流の事ですから研究して居ませんが、第9代林六太夫守政がもたらした土佐の居合「夢想神傳英神信流居合兵法」である事は間違いないものなので、現代の夢想神傳流ではこの横雲の抜き付けで「夢想神伝流居合道」山蔦重吉先生著述昭和47年1972年のものでは横雲:「初伝では一歩踏み出すのに反し、左足を後ろに引くと同時に抜付ける。」と有ります。
 変化業が如何様であろうともいいのでしょうが「長谷川英信流」とするならば、変えてしまった理由を明記しておくべきと思います。現代居合だから古伝は関係ないと云うのは如何なものでしょう。ならば立膝の座し方を、正座に直す程の気魄が欲しいものです。それは無双直伝英信流でも然りでしょう。
 大村唯次先生の幽芳禄平成元年1989年では横雲:「大森流初発刀に同じである。正面に向い箕坐す。右足を僅かに前方に踏み出し大森流の初発刀と同様に抜刀して・・」であって左足を引いて抜き付けろとは有りません。
 大森流の初発刀の抜付けは「・・右足踵が左膝附近にくるまで踏みつけると同時に刀を抜き踏み込まんとする時は、刀は半ば抜きつゝ一歩直角に抜きつく・・」と解説されていて納得です。「居合読本」の初発刀の抜き付けの右足捌きは説明不足です。

 古伝神傳流秘書英信流居合之事横雲:「右足を向へ踏出し抜付打込み開き足を引て先に坐したる通りにして納る」
 英信流の前書きに「是は重信翁より段々相伝の居合然者を最初にすべき筈なれ共先大森流は初心の者覚易き故に是を先にすると言へり」と有ります。

 立膝の業は大方、抜き付けは左足を引いて抜き付けますので、一本目の横雲のみ右足を踏出す事に疑問を持つのも当然でしょう。居合は前に踏み出すも後に引くも、間合い次第で自由自在であるべきものです。
 演武会や昇段審査向けの稽古に終始する方は、所属したところで決められた事だけやって居ればいいだけです。審査は解るが演武会では自由だろうと思いがちですが、これは人前で自流の業を披露するわけですから決められた事だけを演ずるべきで変化業や自分勝手な動きはすべきではないでしょう。

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2019年6月 7日 (金)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の4居合術業書正座之部11抜打

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の4居合術業書
正座之部11、抜打

正面に向ひて正座し、左手を鯉口取り拇指にて鯉口を切り、右手を柄にかけつゝ両膝と其爪先にて膝を伸ばし、右斜前に刀を引き抜き左肩側に刀先を突込む様に雙手上段に振冠りて切り込み、刀を右開くと同時に左手は左腰に取り後鯉口を握り刀を納めつゝ臀部を踵の上におろして納め終る。

 大江先生の「剣道手ほどき」大森流居合11番抜き打ち:正面に座す、対座にて前の敵を斬る心組にて其正座の儘刀を前より頭上に抜き、上段に冠り、身体を前に少しく出し、前面の頭上を斬る。血拭ひは中腰の同体にて刀を納む。

 河野先生も大江先生も対座する敵の害意を認め、「直ちに其真向より抜打ちにして勝の意」がこの抜打の意義なのでしょう。「害意」です。古伝神傳流秘書大森流居合之事の抜打:座して居る所を向より切て懸るを其の儘踏ん伸んで請流し打込み開いて納る 尤も請流に非ず此所筆に及ばず。
 古伝は敵が既に刀を抜いて真向に斬りかかって来る緊急事態の業でしょう。従って刀を抜き乍ら伸び上がる様に踏ん張って相手の打ち込む刀を左肩を覆う様に抜き上げた刀で請けるや摺り落して上段に振り冠って、受け流された相手の真向に打込むのです。「害意を認め」の解釈は対敵の運剣を意識しない様な抜打ちは、一方的な切り込みにすぎません。動作や形は同じでも全く違う業なのです。

 河野先生の大日本居合道図譜でも「正面に対座する敵の害意を認むるや直ちに其の真向より抜打ちにして勝つの意なり」の意味不明な意義を以て抜き打っています。但し其の動作は「腰を上げ乍ら刀刃を少し外向け右斜前にスット物打辺り迄抜き出す。右拳を上に上げつゝ抜きとり剣先は下げて左肩側より体を囲ふ様に把り(敵斬込むとも之を受流す心)で上段になる・・」ですが、古伝の様に「向より切て懸る」では無く心持ちに過ぎません。河野先生の抜き上げた写真は請け流す一瞬を示す様な写真ですが、「形」に過ぎません。

 細川先生系統の梅本三男先生の居合兵法無雙伝抜刀術抜打:対座して居る者を斬る・・。これでは、我の一方的な切り込みになってしまいます。全居連の刀法の二本目に無外流の連を元にした前後切があります。この意義は「敵我が真向に斬込み来るを受流すや顔面に双手上段から斬付け、直ちに後敵の真向に斬下し、更に前敵の真向に斬下して勝つ」のであって、まず敵に斬り込まれているのです。同じ事が抜打ちにもある事を意識した運剣が望まれているのです。飛び上がったり、どんと音を立てたり、意味の無い事を「いかにも」と演ずるのではありません。

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2019年6月 6日 (木)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の4居合術業書正座之部10追風

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の4居合術業書
正座之部10、追風

 正面に向ひて立ち居合腰となり、左手は鯉口にとり拇指にて鯉口を切り、柄に右手をかけ小足にて追進みて、右足を踏み込みて抜払ふや左足を踏み込みつゝ雙手上段に振り冠り、右足踏み込みて切り込み左手を鯉口にとり刀は右外に廻して振りかつぎ血振して納刀する事月影に同じ。

 居合腰とは何でしょう、そんな腰つきが特定されていたのでしょうか。飽くまでも自然体であるべきものです。居合膝などと特定した云い方もある様ですが、剣術の構えは宮本武蔵の兵法35箇条「身のかゝりの事:身のなり、顔はうつむかず、余りあおのかず、肩はさゝず、ひづまず、胸を出さずして、腹を出し、腰をかゞめず、ひざをかためず、身を真向にして、はたばり広く見する物也。常住兵法の身、兵法常の身と云事、能々吟味在るべし。」
 大江先生の剣道手ほどきから「追風」:直立体にて正面に向ひ、上体を稍前に屈し、刀の柄を右手に持ち、敵を追ひ懸ける心持にて髄意前方に走り出で、右足の出でたる時、刀を首に抜付け、直に左足を摺り込み出して上段に冠り、右足を摺り込み左足は追い足にて前面を頭上直立体にて斬り、刀尖を敵の頭上にて止める、血拭ひは右足を引き中腰のまゝ刀を納む。

 河野先生の「居合腰」は、「腰を下げ、前に体を屈める気見合いにて」と無雙直傳英信流居合道では言っています。その後の大日本居合道図譜では「直立の姿勢より少し体を沈め乍ら追い掛ける」と変わっています。大江先生の「上体を稍前に屈し」は無くなっています。第22代の教本では「やや腰を沈め上体やや前傾し」となりです。膝を屈め全屈して追い懸けるなど徒競走しているわけでは無いでしょう。敵にも周囲にも気付かれない体勢が相応しい筈です。
 *
 大江先生の兄弟子細川義昌系の梅本三男先生による居合兵法無雙神傳抜刀術「虎乱刀」:正面へ向ひ、立歩みつつ右足を踏出しながら鯉口を切り、左足踏出しつつ右手を柄に掛け、更に右足踏込んで(対手の左側面へ)抜付けたるも剣先が届かぬため、直ぐ左足を踏込みつつ諸手上段に引冠り、更に又右足踏込んで斬込み血振ひして(立身のまま)刀を納め終る。

 古伝神傳流秘書大森流居合之事「虎乱刀」:是は立事也幾足も走り行く内に右足にて打込み血震し納るなり。
 古伝は「虎乱刀」で追い懸けて打込むのであって、抜打なのか抜刀して追い懸けるのか指定されていません。しかも一刀のもとに切り捨てています。

 第15代谷村亀之丞自雄による英信流目録大森流之位「虎乱刀」:是は立てスカスカト幾足も行て右の足にて一文字に抜付(払ふてもよし)かむる時左の足一足ふみ込右の足にて打込む血ぶるひの時左を右の足に揃納る時右の足を引納其時すねをつかぬ也。


 追懸切の心得は古伝英信流居合目録秘訣外之物ノ大事「追懸切」:刀を抜我が左の目に付け走り行て打込但敵の右の方に付くは悪しし急にふり廻り又ぬきはろをが故也左の方に付て追かくる心得宜し。
 もう一つ上意之大事に「虎走」:仕物抔云付られたる時は殊に此心得入用也其外とても此心得肝要也、敵二間も三間も隔てゝ坐して居る時は直に切事不能其上同坐し人々居並ぶ時は色々見せては仕損る也、さわらぬ躰に向ふへつかつかと腰をかゞめ歩行内に抜口の外へ見えぬ様に体の内にて刀を逆さまに抜きつくべし虎の一足の事の如しと知るべし、大事とする所は歩みにありはこび滞り無く取合する事不能の位と知るべし。

 さて、追風はどのような時に行われる業でしょう。あれやこれや想定して見ると同じ業の動作が描けてきます。


 

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2019年6月 5日 (水)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の4居合術業書正座之部9月影

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の4居合術業書
正座之部9月影

 正面より左向き約15度位ひに正座し、例に依り抜きかけつゝ右足を正面に踏み込みて高く抜きつけ、(上段の甲手に)左足を前に継足すると同時に雙手上段に振冠り、右足を踏み込みて高く敵の面に斬り込む、其儘左手は鯉口にとり刀は右外に廻つゝ振りかつぎて血振をなし、右足を一歩後に引きたちたるまゝ納め終る。

大江先生の剣道手ほどきによる月影:(左斜に向き右真向に抜き付ける)前左斜に向き正座し、同体の儘右足を出し中腰にて刀を高く抜き付け、右敵の甲手を斬る同体にて左足を出しつゝ上段に冠り、右足を出して稍直立体にて敵の頭上を真向に斬り刀尖を胸部にて止む。血拭ひは右足を引き一番と同じ要領にて、刀を納む。但し直立の儘。

 河野先生との違いは、正座した時の正面に対する向きの違いでしょう、大江先生「前左斜に向き正座」とやや大雑把です。河野先生は「正面より左向き約15度位ひに正座」と向きに拘っています。次いでですが、河野先生は大日本居合道図譜では「約45度位」に訂正されています。22代の解説書では「左45度位斜め向きにて」
 次に、大江先生は「右敵の甲手を斬る同体にて左足を出しつゝ上段に冠り、右足を出して・・」と歩み足で上段に振り冠真向に斬り込む。河野先生は「・・左足を前に継足すると同時に雙手上段に振冠り、右足を出して・・」と継足捌きです。細かい事をと云っても現代居合は形重視ですからそうなります。

 河野先生の無雙直傳英信流居合道の月影ではもっと細かく、しかもスクラップ(無雙直傳英信流居合術全)の手附を直しています:正面より斜左向き(約15度位ひ)に端坐し、刀を抜きかけつゝ右足を正面に踏み込みて体を左に開きて敵の上段にて斬り込まんとする其の左内甲手に高く抜き付け、左足を前に踏み込み乍ら雙手上段に振冠り、右足を踏み込むと同時に敵の真向より斬り下し、左手を鯉口にとり同要領にて血振いをなし、右足を退きて立ちたるまゝ(腰を下げ)納め終る。

 古伝神傳流秘書大森流居合之事「勢中刀」:右の向より切て懸るを踏出し立って抜付打込血震し納る此事は膝を付けず又抜付に払捨て打込事も有」

 古伝は我が座して居る、右向こうから斬ってかあるのです。正面は90度右になります。右に廻り立ち上がり右足を踏み込んで、打ち込まんとする敵の小手に横一線に抜き付ける、と現代居合の月影を習い覚えた者はやってしまいます。敵は立って来るならば、下から小手に斬り上げるのも容易です。その場合右足を稍々右に踏み込み敵の小手に切り上げるや体を替って敵の右側面から打ち込むのも出来るものです。
 現代居合の15度だ45度は初歩の場合には敵に対し易い角度に過ぎません。敵は我が応じにくい位置から斬り込んで来るものです。・・とやっていると飛んで来る古参が居るので面白いものです。

 細川義昌先生系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神伝抜刀術の大森流之部勢中刀:「(右側より斬込み来たる者を斬る)正面より左向きに正座し左手を鯉口に右手を柄に掛け(対手が上段より斬込まんとする刹那)膝を浮かべ、右へ廻りつつ立ち上がり、左足を一歩後へ退くと同時に(斜上へ高く対手の右甲手へ)抜付け、直ぐ左足を右前足に踏揃へる、同時に右諸手自上段に引冠り右足を踏込んで斬込み、血振ひ後左足を右足前足へ踏揃へ、更に右足を一歩後へ退き立身のまま刀を納め終り、右足を左前足に踏揃へるなり柄を向ふへ向け直立の姿勢となり終る。」

 細川居合では勢中刀の業名称でした。座し方も左向きに座して居ます。抜き付けは右足を踏み込まず、左足を一歩退いて間を切って抜き付けています。相手次第で附け込むには左足を右足に踏み揃える足踏みで相手との間を調整して右足を踏み込むわけです。大江先生は細川先生と同門ですからこの勢中刀を習っていた筈です。
 古伝は「右の向より切て懸るを踏出し立って抜付」ですから、細川先生の「左足を一歩退くと同時に抜付け」は古伝と異なります。

 大江先生は古伝の業名「勢中刀」を「月影」と改めてしまいました。何故か業名変更には中学校の校長の指図があったのではないかと、この頃、ふと思われて仕方がありません。習い覚えた業名と業を簡単に捨ててしまえるほど大江先生は飛んでる様には思えません。この流に拘わらない者には平気で出来る事でしょう。其の上この「月影」の業名は古伝太刀打之事5本目「月影」の業名です。太刀打之事を反故にする心は当流の修行者の心とは思えません。然し大江先生の居合道型にはこの月影と同じような業を「鍔留」の業名として残されています。明治維新による過去の日本を打ち壊す気風が為せる事かとも思える事です。
 古伝はおおらかです、状況次第です。敵が斬り込まんとする上段の小手あるいは肘に右足を踏み込んで立って抜き付けろと云っています。場合によっては拂い捨てても良いのです。即座に振り冠って打ち込む。敵が打ち込まんと振り冠る刹那でも、上段から打ち込む瞬間でも相手次第です。
 その際抜打ちに斬られた敵が引き下がるならば左足、右足と歩み足でも、追い足でも附け入って行くのも、敵が退かなければ踏み変えるだけでも、真向でも袈裟がけでも稽古は幾通りも考えられます。

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2019年6月 4日 (火)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の4居合術業書正座之部8附込

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の4居合術業書
正座之部8、附込

 正面に向って正座し、例に依りて抜き掛けつゝ右足を右前斜に踏み出し、立上り様刀を右前斜に引抜き(抜き払はぬ事、踏出したる右足を引き左足に踏み揃へ)正面より切込み来るを後に引きはづすと同時に、大きく雙手上段に左より振冠り右足を踏み出して高く切り込み、左足を前に継足すると同時に又雙手上段に冠り、右足を踏み込みて腰を下げ、低く切り下し、左足を前に踏み揃へ右足を後に一歩引きつゝ上段に冠り、右足を跪きて刀を前に静かに下し、(残心の意)右手を逆手に取り替へて血拭し、左手を鯉口に取り刀を振返して納め終る(此場合右手を逆に取り替へたる時、左手は鍔元を下より受けるが如くし、右手拳を右に返し刀刃を前に向け、左手腹にて棟をすらす)。

 「抜かけつゝ右足を右前斜に踏み出し」の意味がわかりません。敵は「正面より切込み来る」ならば筋を替える積りの足踏みかと思いましたら「踏出したる右足を引き左足に踏み揃へ」るそうです。それでは筋は変わりませんから、右足は正面に踏み出すので良い筈です。
 もう一つ腑に落ちない動作は「立上り様刀を右前斜に引抜き(抜き払はぬ事・・)」正面より敵が斬り込んで来るので立ち上がり様に右足を引いて「後に引きはづす」のですから、刀は上に抜き上げなければ、右前斜に引抜いたならば小手か柄に切り込まれてしまいます。
 右足を右前斜に踏み出し、刀を右前斜に引出し、敵を牽制しつつ引付るならば何とか納得します。小細工の意味を述べるべきでしょう。

 大江居合「剣道手ほどき大森流居合附込」を読んでみます。この附込は古伝神傳流秘書は「逆刀」です。大江先生は附込(俗に追切)と云っていますが、俗です。
 「正面に向いて正座す、右足を少しく前に踏み出しつゝ、刀を抜き、刀尖の鞘に離るゝ時頭上に冠り、右足を左足に引き揃へ、直立体となり、右足より左足と追足にて前方へ一度は軽く頭上を切り、二度目は頭上を同一の体勢にて追足にて斬る、此体勢より右足を後部へ引き、中腰となりて更に上段構を取り、敵の生死を確めつゝ残心を示す(抜付けより之れ迄は早きを良しとす)此残心を示したる体勢より自然前方へ刀を下して青眼構へとなる、此時は右足の膝を板の間につけ、左足の膝を立て全体を落す、更に同体にて右手を逆手となし、刀柄を握り、左手は左膝の上に刀峯を乗せ血拭ひをなし刀を逆手の儘同体にて納む。」

 敵は斬り込んだが外されて、後方へ退かんとするのに「附込」の意味なのでしょう、だから「追切」なのでしょう。河野居合が第18代穂岐山波雄先生の指導による業手附であれば、大江居合に添った動作とも言えない様です。自分流を出すのは否定しませんが、宗家を名乗る者がポイントを外したのでは困ったものです。

 河野先生の昭和13年の無雙直傳英信流居合道から「附込」:「正面に向ひて端坐し、刀を抜きかけつゝ右足を前に約半歩踏み出すと同時に刀の刃を上にして右斜前に半ば抜き、立ち上るや右足を左足に踏み揃へつゝ刀を斜に高く頭部より左肩を囲む様に抜き払ひて(直立)敵の刀を外し(此場合敵との間合近き時は此の状態にて敵刀を摺り落すの意)雙手上段に振り冠り、右足を大きく踏み込みて(左足も継ぎ足にて進み右足に接近す)中腰にて高く斬り下し(第一刀不十分にて直ちに第二刀を下す関係上、深く斬り下げず)更に雙手上段に冠り乍ら右足を大きく踏み込みて(第一刀と同様、左足を継ぎ足)腰を下げて深く斬り下し、右足を大きく一歩退きつゝ上段になりて残心を示し、・・」

 河野先生、右足の踏み出しと、刀の抜き出し、右足を左足に踏み揃え、左肩を囲む様に抜き払う技法を身に着けられたようです。敵の切り込みを外して、一刀目の打込み不十分だから高く斬り下すと云っています。是も腑に落ちません。外されて下がる相手に附け込んで斬り付けています。退くよりも追い込む方が有利です。寧ろ一刀目は間合いは十分だが相手の切り込みを外すや打ち込むが中腰なので充分斬り籠めるはずです。敢えて浅く斬り込み、二刀目で深く止めの打込みをする、と考えるべきでしょう。

 細川先生の系統で梅本先生の「居合兵法無雙神伝抜刀術逆刀」:「・・右足を右前へ踏み出し、其方向へ刀を引抜き 立上りつつ左足より一歩後へ退き(対手が斬込み来る剣先を退き外し)更に右足踏込んで斬込み(対手倒れる)左足を右前足に踏揃へつつ諸手上段に引冠り 更に又右足を少し踏込み上体を前掛りに(対手の胴体へ)斬込み・・・」

 古伝神傳流秘書大森流之事逆刀:「向より切て懸るを先々に廻り抜打に切右足を進んで亦打込み足踏揃へ又右足を後へ引冠逆手に取返し前を突逆手に納る也。」

 古伝の手附では抜けだらけです。現代居合を頭に描きながら古伝を想像するのもまた、この業の真髄に触れられるものです。

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2019年6月 3日 (月)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の4居合術業書正座之部7介錯

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の4居合術業書
正座之部7、介錯

 正面に向ひて正座し、例に依りて抜きかけつゝ右足を前に踏出し、立上ると同時に刀を抜きはなちたる儘右足を引き(此動作は相手の気を乱さざる様極めて静かに行ふ事)刀を頭上左上より右肩にとり、(是迄左手は腰に、刀尖は左肩下約八寸位の後方にあり)機を見て右足を踏み込み、(左手を添へて)同時に刀刃を稍左にむけ切り込む。(首を切り落す形)其儘左足を一歩後に退き物打の所を膝頭の上にあて、左手を左斜前に十分突出して構へ、右手を逆手に取り替へ刀を振返して納めつゝ、左足を跪きて納め終る。


古伝神傳流秘書大森流居合之事7、順刀
 右足を立左足を引と一處に立抜打也又は八相に切跡は前に同じ

谷村派第15代谷村亀之状自雄英信流目録大森流之位7、順刀
 是は坐する前のものを切る心持なり我其儘右より立すっと引抜かたより筋違に切也是も同じく跡はすねへ置き逆手にとり納るなり

参考 介錯口伝
1、古代には介錯をこのまず其故は介錯を武士の役と心得べからず死人を切るに異らず故に介錯申付らるゝ時に請に秘事有り介錯に於ては無調法に御座候但し放討ならば望所に御座候と申すべし何分介錯仕れと有らば此の上は介錯すべし作法は掛るべからず譬切損じたるも初めにことわり置たる故失に非ず秘事也能覚悟すべし
1、他流にて紐皮を掛ると云事
 仰向に倒るゝを嫌てひも皮を残すと云説を設けたる見えたり当流にては前に立所の伝有故に譬如何様に倒るゝとも失に非ず其の上紐皮をのこす手心何として覚らるべきにや当流にては若し紐皮かゝりたらば其の侭はね切るべしさっぱりと両断になし少しも疑の心残らざる様にする事是古伝也

 細川義昌先生系統の梅本三男先生による居合兵法無雙神傳抜刀術大森流之部7、順刀(介錯する事)
 正面へ向ひ切腹する者の左側へT字形に三尺位離れて正座し(知人之善人の介錯を頼まれたる場合は、慣れぬ事故若し斬損じがありましても御免を蒙るとの挨拶するを礼とす)
 機を見て鯉口を切り右手を柄に掛け、右足を少し右前へ踏出し其方向へ刀を静かに引抜き(抜払はぬ事)、立上りつつ右足を退き左足に踏揃へ体を引起し、直立の姿勢となりつつ刀尖を左後へ突込む様に右手を上げて頭上を越させ、血振ひする直前の様に(右肩後へ釣下げて待つ)切腹者が(介錯頼むと)両手を前につかえると同時に右足踏出しつつ(悪人の首を切る場合は右足を前へどんと音のする様に踏出し、其音に斬られる者の心気を一転させ(怨霊を去る口伝)刃部を左斜下へ向け体を前掛に(右片手にて)大きく斬込み(首を落とす)斬込むと同時に左手で柄頭を握り諸手となる、左足を一歩後へ退き、左拳を左斜上へ突出し(刃部を向ふへ向け)刀尖を右膝頭上へ引付け(懐紙を出して血糊を拭ひは略す)右手を逆手に執りかへ、刀を振り返して納めつつ左膝を跪くと同時に納め終る(血拭ひせぬ事)


  大江居合では大森流7本目は介錯の業名です。土佐に伝えられた大森六郎左衛門の大森流7本目は順刀です。此の業を古伝及び第15代谷村亀之丞の業手附で演じた場合、大江居合の介錯を知らなければ素晴らしい抜打ちの業です。全剣連居合の三本目「受け流し:左横にすわっていた敵が、突然、立って切り下ろして来るのを「鎬」で受け流し、更に袈裟に切り下ろして勝つ」に十分対応できそうです。更に立業では12本目「抜打:相対して直立している前方の敵が、突然、切りかかってくるのを、刀を抜き上げながら退いて敵の刀に空を切らせ、さらに真っ向から切り下ろして勝つ」。

 大江先生は業名「順刀」を何故「介錯」としたのでしょう。明治維新後切腹も介錯も、不要なものです。敢えて中学生に介錯としてそれを教える理由は何でしょう。あれだけ古伝をいじってしまったにしては腑に落ちません。どうせなら「切腹」の仕方を教えた方がましでしょう。

 現代居合順刀を見直しても良さそうですが、誰も手を付けずにいます。先師の教えをいじっている癖にこの業は「介錯」だそうです。私は真影流による大森流居合に介錯の業があるとは思えません。「順刀」の動作をユックリ丁寧に行えば介錯に使えるとして、番外の稽古業が表業になってしまった様に思えます。それも細川先生、大江先生の師匠下村派第14代下村茂市定先生が指導されたものと思えます。
 下村茂市が土佐藩の居合術指南となったのは嘉永5年1852年没したのは明治10年です。一方谷村亀之丞が英信流目録を書き改めたのは嘉永5年1852年でした。同時代に下村茂市は順刀を「介錯」として指導し、谷村亀之丞は古伝を守って「順刀」だったかもしれません。

 細川、大江両先生の下村茂市居合は残り、五藤孫兵衛先生による谷村派の居合は、明治26年から31年までの5年間中学生ばかりに指導されていた様で、没後は谷村樵夫先生が明治36年迄指導され、その後は大江先生でした。ですから谷村派の居合は中学生への指導だけでは消えてしまったのかも知れません。五藤先生の門下で名が残っているのは、中山博道に大森流、英信流を指導した森本兎久身以外に見当たりません。
 下村派、谷村派の顕著な違いなど私は無かったと思います。伝書を二人に授与した第11代大黒元右衛門清勝が居て、それを引き継いだ下村茂市と谷村亀之丞自雄が、江戸末期から明治維新に存在した事が事実に過ぎない気がしています。 

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2019年6月 2日 (日)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の4居合術業書正座之部6受流

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の4居合術業書
正座之部6、受流

 正面より約15度位右向に正座し、例により柄に手を掛け腰を浮かして左足を右前に(正面より90度右)踏み込み刀を抜きつゝ差表にて冠り左に流すや、右足を右斜後に踏み込み(此時体は稍左に向く気味にて右足の爪先は左の方向に向く様)乍ら左に振りかえり刀を頭上に振冠り、直ぐに右足を左足に踏み揃へると同時に、真向に大きく切込み(此時左手は振りかつぎし所より切込む迄の途中にて諸手になる事)夫より左足を一歩後に引き、物打のあたりを右膝頭の上に取り、左手は左前斜に十分に突き出して構へ、右手を逆手に取り替え刀を振り返して納めつゝ左足を跪くと同時に納め終る。

大江先生の剣道手ほどきの「請け流し」を稽古してみましょう。
 (足踏は三角形とす)
   (右斜向にてもよし)右向となりて正座し敵が頭上に切り込み来るのであるから右斜め横に左足を踏み出し中腰となりて刀尖を少し残して左膝に黒星を付け抜き、右足を体の後に出すと同時に残りが刀尖を離れて右手を頭上に上げ、刀を顔面にて斜として刀尖を下げて請け流し、右足を右横へ摺り込みて左足に揃へ、左斜向に上体を変へ稍や前に屈し、刀は右手にて左斜の方向に敵の首を斬り下し、下す時左手を掛ける。血拭ひは、斬り下したる体勢の足踏みより左足を後方へ引き、右足は稍前方に屈し膝頭を前に出す、其膝上に刀峯を乗せ右手は逆手に刀柄を握り構へ、其儘静に刀を納む、刀を納むるとき刀を鞘に納めつゝ体を漸次下へ下し、刀の全く鞘に納まるや之と同時に左足の膝を板の間に着けるなり。

 大江居合と河野居合の違いは、大江先生は右斜め向きでもいいが右向きに正座する。河野先生は正面より15度位右向きに正座する。敵は正面から斬り込んで来るのでしょう、双方正面90度に左足を踏み出す初動は一緒です。
 次の抜刀し受け流す時、大江先生は右足を体の後方に出すと同時に受け流す。河野先生は受け流してから右足を右斜め後に踏み込む。後は同じ様なものです。

 此の右足の操作は、河野先生の昭和13年1938年の無雙直傳英信流居合道では「右足を左足の一歩後方に進め乍ら刀を振り冠り、其の指し表にて敵刀を受流す」に代っています。第18代穂岐山先生の指導の儘にメモを取ってチェックまでしてもらって発行したのに之は変です。 
 中腰の儘受け流してから右足を右斜後に踏込み、左に振り返る、河野居合は消えてしまいました。
 この受け流しは中山博道居合に残っています。昭和9年1934年太田龍峰先生による「居合読本 大森流居合6流刀 正面に対して右向に正座す、頭を左に向け左足を約一歩前にふみ著くる間に右手を以て柄を上方より握り抜刀し頭上を目がけて斬り来る敵の刀を左肩の後方に向け流す心持にて動作す・・次に立ち上がりつつ」ですから、河野居合でしょう。
 陰陽進退(八重垣)の敵二人と一人の違い、斬り込まれて受け払ってから打ち込むのも、斬り込まれるのを機先を制して抜き打つのも、この流刀(受流)にも変化業はあったのでしょう。

 古伝神傳流秘書の大森流居合之事流刀「左の肩より切て懸るを踏出し抜付左足を踏込抜請に請流し右足を左の方へ踏込み打込む也扨刀をすねへ取り逆手に取り直し納る膝をつく」この手附では座して受け流す様に読み取れます。敵は我の下準備など待ってはくれないでしょう、座したまま受け流す術を稽古すべきで、決して「がっちりうけてから流す」のではないでしょう。熟達すれば大江先生の様に立ちつつ受け流し同時に体を受流した敵に向いていなければならない、敵の拍子を読み切る稽古を要求されます。

 細川先生の流刀は梅本居合で稽古して見ます「正面より右向に正座し、左手を鯉口に執り、右手を柄に掛けるなり、急に左足を前方に踏出し、体は低く刀を左頭上へ引抜き(左側より斬込み来るを)受流しながら、右足を前へ踏越す、同時に、体をくるりと左後へ振向き(刀は頭上にて受流したるまま左後より右肩後へ、血振ひする直前の様に振下げ、空を斬って居る者の後ろ首へ)刃部を左斜下へ向け、右足を左前足に踏み揃へる、同時に上体を前掛りに(右片手にて)大きく斬込み同時に左手で柄頭を握り諸手となる・・」


 谷村派第15代谷村亀之丞自雄先生の大森流居合之位流刀「是は座したる所へ左横より敵討かかり来る也、其時我は左の足を立て前へふみ出し横に請流す心持にて其儘右の足をふみ出し筋違に切り跡はすねへ置き柄を逆手に取直し納むるなり」
 江戸末期では谷村派も下村派も流刀は同じであったとこの手附から読み取れます。大江居合も河野居合も安易に形を追った様で「請け流し」ています。この業はやはり低い姿勢で請け流し、筋を替って流れた敵を斬る技でしょう。「受流」ではなく「流刀」で無ければ意味は無さそうです。
 此の業の疑問点は、敵は受け流されて体を崩すと安易に教えられますが、無直双直伝英信流の斬り込みは上体をしっかり立てて斬り込んでいます。其の上たとえ受流されても、右足をしっかり踏みしめたたらを踏むような崩れは指導された覚えはない。

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2019年6月 1日 (土)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の4居合術業書正座之部5八重垣

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の4居合術業書
正座之部
5、八重垣

 正面に向ひて正座し、例に依りて抜きつゝ右足を前に踏み出し、抜き払ふと同時に立上り、左足を右足の一歩前に踏み出し乍ら雙手上段に振り冠り、右膝を跪くと同時に打ち下し、刀を右に開きて(血振)納め終り、(鍔元より二、三寸位の所迄)其儘立上り、左足を右足より一歩後に引くや抜き払ひ、右脛を刀にて囲ひ、(脛になぎ来るを受る)(此時左手は腰に取る)左膝を跪くや刀を左側より雙手上段に振冠り、真向に割付け、血振し刀を納め終る事同前。


古伝神傳流秘書の大森流居合之事5本目陽進陰退
 「始め右足を踏出し抜付け左を踏込んで打込み開き納又左を引て抜付跡初本に同じ」


第15代谷村亀之丞自雄の英信流目録より大森流居合之位嘉永5年1852年
 「陽進刀 是は正面に座す也、右の足一足ふみ出し立なりに抜付け左をふみ込み撃込む也、直に右脇へ開き其の儘納む也
  陰退刀 其儘左の足を跡へ引、其時亦抜付打込み血ふるひの時立左の足を右に揃へ納る時右を一足引也」


細川義昌先生の系統梅本三男先生の居合兵法無雙神殿抜刀術5、陰陽進退(前方を斬り 又 薙付け来る者を斬る)
 「正面に向ひ正座し、例により鯉口を切り右手を柄に掛け、抜きつつ膝を伸し右足踏込んで(対手の右側へ)抜付けたるも剣先が届かぬ為、急に立上り左足を右足の前へ踏越しつつ刀を引冠りて正面へ斬込み刀を右へ開き(開くとは血振ひの事)刀を納めつつ右膝を跪き納め終りたる所へ(別人が向脛薙付け来る)急に立上り左足を一歩退くと同時に刀を前へ引抜き切先の放れ際に左腰を左へ捻り、体は正面より左向きとなり(視線は右の対手に注ぐ)刃部を上に向け差表の鎬にて張受けに受け止め、体を正面に戻しつつ左膝を右横へ跪きながら、刀尖を左後へ突込み右諸手上段に引冠り、更に右足踏込んで斬込み血振ひして刀を納め終る。(刀を開くとは血振ひする事、英信流の血振ひ同様 斬込んだままの刀の刃部を右斜下へ向け右拳を右前下へ突出し傘の雫を振落す様に切先を振って血糊を振落す事)


大江先生の剣道手ほどきによる大森流居合5番八重垣
 「正面に向ひ正座す、右足を出し左膝を浮かめて中腰となりて首に抜付け、左足を前方へ踏み出して両膝浮かめて中腰の儘大間に上段に取り前方真直に頭上を斬り下し、此時右膝をつき左膝を立て同体にて長谷川流の血拭ひを為し刀を納む、此時敵未だ死せずして足部を切り付け来るにより血拭ひの姿勢より右足を重心に乗せて立ち、直に左足を後へ開き体を左斜構ひとし刀を膝の前へ抜きて平とし、膝を囲みて敵刀を受け更に身体を正面に向け上段となり、座しながら頭上を充分斬る、血拭は右足を後部へ引き刀を納む。


 大江先生の大森流の業名の改変は古伝を知れば知る程、伝統を蔑ろにするその意味が理解できなくなります。中学生向きに判りやすくしたとは思えません。
 下村派第14代下村茂市の弟子であったことは事実でも、十分な指導は受けられなかったために本物が判らなかったか、中学校長の現代風に替えようと云う指示によって古伝の意義も知らずに改変したか、古伝の業を知らないがために抹殺する暴挙であったか、もう知るすべはありません。大森流を正座之部、初発刀を前、左刀・右刀・當刀を右・左・後など何を根拠としたのでしょう。
 そして此の陰陽進退を八重垣とはひどすぎます。現代居合は大江居合であって第9代林六太夫によって土佐にもたらされた、伝統を明治維新のもとに切り捨てたとしか思えません。ですから大江居合は明治時代に改変された現代居合、古伝は古伝と割り切って稽古したいものです。

 此の業の意義はどうやら。一本目初発刀の如く横一線に抜き付けたが、敵は上体を後方に反らして躱されてしまう。敵は躱すや後方に退かんとするのを我は追い込んで上段から打ち込む。充分に斬り込み横血振りして納刀する所、正面から他の敵が斬り込んで来る、即座に抜刀して敵刀を下がり乍ら受け止め上段に振り冠って打ち込む、あるいは下がり乍ら抜打ちに敵の胴を切り払って上段に振り冠って打ち込む。
 または、倒した敵が死力をふり絞って薙ぎ付けて来るのを受け止めて、再び上段から打ち込む。という敵が一人か二人、の想定なのでしょう。大江先生も細川先生も下村派14代下村茂市の指導で大森流は身につけられていたかもしれません、にもかかわらず、細川陰陽進退は二人目の敵、大江八重垣は倒した敵が死力をふり絞ってくる。
 それでは、谷村派の第15代谷村陽進刀隠退刀はどうかと云えば、倒した相手とも、他の敵とも云っていません「・・開き其儘納む也。其儘左の足を跡へ引き其時亦抜付打込み・・」です。
 此の業の想定は、実戦的には倒してもう充分と思う所を死力では、様になりません。疑問ですが、大森流居合を初発刀・左刀・右刀・當刀と4本稽古して来たククリとして考えれば、まあいいかでしょう。もう一つ想定の最初の抜打ちで相手の戦意を殺ぐ事も出来ず、もっとひどいのは抜き付けを躱され追い込んで打ち込むなど、敵は我が抜き付けを躱すのが精一杯で後方に退いて間を外し我に追い込まれる状況は大変難しいものです。奥居合の向払なら、我は躱されて切り返します。大森流の稽古では躱されるなどお粗末ですが、初心者だから良しでしょうか。
 この業は、武的演舞では英信流の見せる良い踊りです。然しその一連の流れは河野先生が習った想定ではお粗末すぎです。設対者をお願いしてあらゆる状況にどの様にこの業を展開できるか研究して見れば大森流の真髄に触れられることになりそうです。

 

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