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2019年6月 3日 (月)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の4居合術業書正座之部7介錯

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の4居合術業書
正座之部7、介錯

 正面に向ひて正座し、例に依りて抜きかけつゝ右足を前に踏出し、立上ると同時に刀を抜きはなちたる儘右足を引き(此動作は相手の気を乱さざる様極めて静かに行ふ事)刀を頭上左上より右肩にとり、(是迄左手は腰に、刀尖は左肩下約八寸位の後方にあり)機を見て右足を踏み込み、(左手を添へて)同時に刀刃を稍左にむけ切り込む。(首を切り落す形)其儘左足を一歩後に退き物打の所を膝頭の上にあて、左手を左斜前に十分突出して構へ、右手を逆手に取り替へ刀を振返して納めつゝ、左足を跪きて納め終る。


古伝神傳流秘書大森流居合之事7、順刀
 右足を立左足を引と一處に立抜打也又は八相に切跡は前に同じ

谷村派第15代谷村亀之状自雄英信流目録大森流之位7、順刀
 是は坐する前のものを切る心持なり我其儘右より立すっと引抜かたより筋違に切也是も同じく跡はすねへ置き逆手にとり納るなり

参考 介錯口伝
1、古代には介錯をこのまず其故は介錯を武士の役と心得べからず死人を切るに異らず故に介錯申付らるゝ時に請に秘事有り介錯に於ては無調法に御座候但し放討ならば望所に御座候と申すべし何分介錯仕れと有らば此の上は介錯すべし作法は掛るべからず譬切損じたるも初めにことわり置たる故失に非ず秘事也能覚悟すべし
1、他流にて紐皮を掛ると云事
 仰向に倒るゝを嫌てひも皮を残すと云説を設けたる見えたり当流にては前に立所の伝有故に譬如何様に倒るゝとも失に非ず其の上紐皮をのこす手心何として覚らるべきにや当流にては若し紐皮かゝりたらば其の侭はね切るべしさっぱりと両断になし少しも疑の心残らざる様にする事是古伝也

 細川義昌先生系統の梅本三男先生による居合兵法無雙神傳抜刀術大森流之部7、順刀(介錯する事)
 正面へ向ひ切腹する者の左側へT字形に三尺位離れて正座し(知人之善人の介錯を頼まれたる場合は、慣れぬ事故若し斬損じがありましても御免を蒙るとの挨拶するを礼とす)
 機を見て鯉口を切り右手を柄に掛け、右足を少し右前へ踏出し其方向へ刀を静かに引抜き(抜払はぬ事)、立上りつつ右足を退き左足に踏揃へ体を引起し、直立の姿勢となりつつ刀尖を左後へ突込む様に右手を上げて頭上を越させ、血振ひする直前の様に(右肩後へ釣下げて待つ)切腹者が(介錯頼むと)両手を前につかえると同時に右足踏出しつつ(悪人の首を切る場合は右足を前へどんと音のする様に踏出し、其音に斬られる者の心気を一転させ(怨霊を去る口伝)刃部を左斜下へ向け体を前掛に(右片手にて)大きく斬込み(首を落とす)斬込むと同時に左手で柄頭を握り諸手となる、左足を一歩後へ退き、左拳を左斜上へ突出し(刃部を向ふへ向け)刀尖を右膝頭上へ引付け(懐紙を出して血糊を拭ひは略す)右手を逆手に執りかへ、刀を振り返して納めつつ左膝を跪くと同時に納め終る(血拭ひせぬ事)


  大江居合では大森流7本目は介錯の業名です。土佐に伝えられた大森六郎左衛門の大森流7本目は順刀です。此の業を古伝及び第15代谷村亀之丞の業手附で演じた場合、大江居合の介錯を知らなければ素晴らしい抜打ちの業です。全剣連居合の三本目「受け流し:左横にすわっていた敵が、突然、立って切り下ろして来るのを「鎬」で受け流し、更に袈裟に切り下ろして勝つ」に十分対応できそうです。更に立業では12本目「抜打:相対して直立している前方の敵が、突然、切りかかってくるのを、刀を抜き上げながら退いて敵の刀に空を切らせ、さらに真っ向から切り下ろして勝つ」。

 大江先生は業名「順刀」を何故「介錯」としたのでしょう。明治維新後切腹も介錯も、不要なものです。敢えて中学生に介錯としてそれを教える理由は何でしょう。あれだけ古伝をいじってしまったにしては腑に落ちません。どうせなら「切腹」の仕方を教えた方がましでしょう。

 現代居合順刀を見直しても良さそうですが、誰も手を付けずにいます。先師の教えをいじっている癖にこの業は「介錯」だそうです。私は真影流による大森流居合に介錯の業があるとは思えません。「順刀」の動作をユックリ丁寧に行えば介錯に使えるとして、番外の稽古業が表業になってしまった様に思えます。それも細川先生、大江先生の師匠下村派第14代下村茂市定先生が指導されたものと思えます。
 下村茂市が土佐藩の居合術指南となったのは嘉永5年1852年没したのは明治10年です。一方谷村亀之丞が英信流目録を書き改めたのは嘉永5年1852年でした。同時代に下村茂市は順刀を「介錯」として指導し、谷村亀之丞は古伝を守って「順刀」だったかもしれません。

 細川、大江両先生の下村茂市居合は残り、五藤孫兵衛先生による谷村派の居合は、明治26年から31年までの5年間中学生ばかりに指導されていた様で、没後は谷村樵夫先生が明治36年迄指導され、その後は大江先生でした。ですから谷村派の居合は中学生への指導だけでは消えてしまったのかも知れません。五藤先生の門下で名が残っているのは、中山博道に大森流、英信流を指導した森本兎久身以外に見当たりません。
 下村派、谷村派の顕著な違いなど私は無かったと思います。伝書を二人に授与した第11代大黒元右衛門清勝が居て、それを引き継いだ下村茂市と谷村亀之丞自雄が、江戸末期から明治維新に存在した事が事実に過ぎない気がしています。 

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