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2019年8月13日 (火)

曽田本その2を読み解く24スクラップ土佐史談雑録長谷川流居合と土佐に於けるその普及に就いて24の5平尾道夫の9

曽田本その2を読み解く
24、スクラップ土佐史談雑録
長谷川流居合と土佐に於けるその普及に就いて
24の5平尾道夫の9

 明治になって有名なのは細川義昌氏であらう。鶏卵や米粒の如きものを見事に両断した程、入神の技だったそうである。大正12年2月23日75歳で物故したから、其技を實見した人々も少くあるまい。維新の勤王家松島隆成氏も長谷川流の達人であった。畳一枚の席上で、蝋燭に点火し、柄頭三寸の距離で気合と共に之を薙ぐ。即ち燈心を半ば切払って、火は依然として燃えて居たと云ふ。宮内省に出仕して居たので、明治大帝の御召により、御前に於て此神技を試みたが、後ち帝国大学から学生のために演技を望まれた時は、「余の武道は見世物ではない」と言って跳ねつけた。是は私が直接遺族から承はった話である。松島氏は明治33年59歳で他界した。大江正路も有名だったが、先年長逝し、現今では其の門下生穂岐山波雄・中西岩樹・竹村静夫の諸氏が居合術教士として活躍して居る。流技は就れも長谷川流とその分派大森流。
 伊藤芳夫氏の報に拠れば、抜刀の始祖林崎甚助重信の後7代長谷川英信に至り、所謂長谷川流起り、8代荒井勢哲、9代林六太夫・10代林安太夫、11代大黒某(是より谷村派出づ谷村亀之丞か)、12代坪内某、13代島村某、14代松吉某、15代山川某(久蔵か)、16代下村某(茂市か)、17代細川義昌を経て18代が現警視庁師範中山博道氏である。以上を以て観ても長谷川流居合と土佐との関係は浅くないが、更に調査を進むることを得れば、一層その密接なるを確める事ができやう。以上は寧ろその一端を明らかにしたのに過ぎないのである。
 註1、系統に関しては、伊藤氏の御教示を主に武術流祖録、本朝武芸小伝、日本中興武術系譜略を参観した。
 註2、個人の伝は土佐国人物志、土佐伝人伝、後侍中祖書系図牒、手抄を主に、高知県武徳会井上衛氏の報告。及び私の見聞を加へた。本文中要所にはその出自を挙げたので、煩を避けて盡く之を示さない。

 この平尾先生の土佐史談は昭和7年1931年のものだろうと思います。細川義昌先生の蝋燭の芯を薙ぎ切った話が松島隆成氏の行為に読み違えそうになる、その文章力には「ちょっと」と云いたいのですが、私も似たようなものです。松島隆成に就いては聞いたことがありません。大江先生は昭和2年1927年76歳で没しています。この雑録の5年前の事でしょう。
 伊東芳夫氏は山形県楯岡の人ですから、林崎神社の辺りの人です。土佐の居合の系統迄よく知ってはいなかったのでしょう。谷村派と下村派が混在してしまっています。荒井勢哲までは江戸での無雙神伝重信流でもいいでしょうが、土佐に入ってからは無雙神伝長谷川流(英信流)でしょう。
 平尾先生は土佐の居合を「長谷川流」と云っていますが、土佐での呼び方は「英信流」の方が強かったかもしれません。現代では「英信流」それも「無双直伝英信流居合兵法」だそうです。「無双直伝」は何処から持ってきたのか、大江先生によると云われている様ですが、さて。
 平尾先生の資料は江戸時代のもので広範な流祖に就いて書かれたものですが、史実とは云えない箇所も個別にはあるので、全面的に信頼は出来そうにありません。寧ろ土佐内部にまだ眠っている資料があると思うのですが、明治維新による無用な反故に過ぎなくなり、更に高知空襲で焼失、戦後の核家族化による家の歴史観念の欠如は高知だとて資料は少なそうです。

 平尾道夫先生の雑録を終ります。
 

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