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2019年9月 1日 (日)

曽田本その2を読み解く29スクラップ肉弾三勇士の祖

曽田本その2を読み解く
29、スクラップ肉弾三勇士の祖は遠く秀吉征韓役に
明軍の火薬庫を爆破した
島津軍の自爆三勇士

 過ぐる上海事変に肉弾三勇士を産み、今次変に際しても数限りなき肉弾勇士を産んだが大和民族の忠勇義烈な精神を遺憾なく発揮した恐らく肉弾勇士の元祖である341年の前自爆勇士の史実がこのほど明かにされた。東京淀橋区西大久保2201陸軍少将原田二郎氏が昨夏文禄、慶長年間豊臣秀吉の征韓の城砦研究に赴き明軍の残した文化を調査中「泗川島津軍の三軍が我が軍(明軍)火薬庫を爆破し我が軍は敗退した」といふ項があって慶長3年10月朝鮮攻略に出動していた日本軍を殲滅しやうと明軍は20万の大軍をもって各地に逆襲、参謀島津義弘は騎兵五千を率ひて泗川新塞城に拠りこの大軍を防いだがこの時義弘の臣瀬戸口彌七郎重治、佐々木次郎右衛門光明、市来清十郎宗綱の三人が明兵の衣類甲冑を着用して敵中にまぎれ込み敵情偵察を行ひ最後に火薬の貯蔵庫にしのび込み火を点じて爆破壮烈なる自爆を遂げた史実を明軍が記録したものでこれにより島津軍は大勝を得たのである。
 この史実は島津家の「旧記雑録」(国土史)に記録され筮底深く秘められ島津家の信心する稲荷大明神の赤狐白狐が敵中に忍び込み火薬を爆破したといふ伝説として伝へられているもので、帰朝した原田少将が島津家について調べて見るとこの肉弾三勇士の瀬戸口家は血統が絶えへて現在11代目の戸主が世田谷区赤堤町2の460陸軍少将瀬戸口彌太郎氏と解り佐々木家は鹿児島県始良郡加次木丹土佐々木勲氏に伝って居り、市木(来)家だけは絶へてしまったことが解ったので近く両氏の系図によって三勇士の史実について調査することゝなった。

 この文章は第一次上海事変昭和7年1932年の事で、鉄条網を突破するために破壊工作をする志望者を募り三十数名が志願しその内3名が選ばれおこなわれたもので、当時の新聞でも取り上げられたようです。鉄条網は破壊されて三名は爆破に巻き込まれて死亡、実際は自爆であったのか事故であったのか疑問のある処だったようですが、大和民族の美談として三名は二階級特進し軍部の宣伝に使われた様です。
 その爆弾三勇士の祖が秀吉の朝鮮出兵時の話として、明軍の火薬庫を破壊した島津軍の話が明軍の古記録に在ったというわけで、武勇を誇示しながら戦争へ戦争へと駈足で進んで行ったのでしょう。
 曽田先生がこのスクラップを曽田本その2に張り付けたわけはなんだったのでしょう。緻密な作戦を立てて行うべき破壊行為を、自爆行為で達成させるような事では、近代戦としては先が見えていたでしょう。
 

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