« 曽田本その2を読み解く24スクラップ土佐史談雑録長谷川流居合と土佐に於けるその普及について24の5平尾道夫の2 | トップページ | 第21回古伝研究の集い »

2019年8月 7日 (水)

曽田本その2を読み解く24スクラップ土佐史談雑録長谷川流居合と土佐に於けるその普及について24の5平尾道夫の3

曽田本その2を読み解く
24、スクラップ土佐史談雑録
長谷川流居合と土佐に於けるその普及について
24の5平尾道夫の3

3、同流に関して土佐に傳へられる文献は、私の知る限りに於て、林安田大夫の話として南路志71巻に収められた次の一節である。
 無雙流の居合は、林崎甚助重信より始まる。林崎は北條五代目に仕へ、此流を以て後太閤秀吉公御学ならせらる、無雙流と云ふ名を始て御附ならせしと也。其後塙團右衛門に傳はり、團右衛門より長谷川内蔵助に傳へ、内蔵助より荒井勢哲に傳へ、夫れより子の勢哲に傳へ、夫れより近年の兵作に傳へ、兵作は大男つみこぼしにて褊綴(へんてつ)を着けると也。権現様以来、江戸住居の浪人也。林氏の居合剣術は二代目の勢哲より直伝也。右の林崎は居合の元祖也。其以後段々に流技出来る也。林崎は上泉伊勢守弟子也。上泉は鬼一法眼の術鍛練の由云々。
 真偽は別として、先づ上述の如くである。その長谷川流と称するのは、伊藤芳夫氏の説に「林崎甚助重信7代目長谷川主税助英信は、始祖以来の名人なるが故、目録には無双神傳英信流と称し、普通には長谷川英信流と唱ふ」とあるを更に英信を略して長谷川流と称するのであらう。神傳重信流に神影流の古流五本の仕形を加へて、大森六郎左衛門が発明した大森流と、此の長谷川流とは現今土佐に於て尚行はれて居ると云ふ。

 南路志については見た事もありませんし、興味はあっても事実とは違うようですから、興味の有る方にご研究をお任せしておきます。私の興味はあくまでも土佐に持ち込まれた「無雙神傳英信流居合兵法」と称する古伝の研究と復元であって机上の研究は別物です。業技法のヒントを得るための史料には大いに興味はあります。土佐史談のこのスクラップの文面が掲載されたのは昭和7年1931年の事の様です。従って3項の前段の文章は、平尾道夫先生も書かれている様に「真偽は別として」に過ぎません。


 林六太夫守政によって伝えられた土佐の居合の古伝神傳流秘書には、「居合兵法伝来」と題して道統は以下の様です。
林崎神助重信ー田宮平兵衛成正ー長野無楽入道槿露斎ー百々軍兵衛光重ー蟻川正左衛門宗績ー萬野團右衛門信貞(定)-長谷川主税助英信ー荒井兵作(勢哲)信定(清信)-林六太夫守政ー以下に(大黒元右衛門清勝ー松吉ハ左衛門久盛ー山川久蔵幸雅ー下村茂市定ー行宗藤原貞義ー曽田虎彦)とされています。以下にある名は山川久蔵幸雅及び曽田虎彦の追記でしょう。
 目録には無雙神傳英信流居合居合兵法とあり是は本重信流と言べき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故之も称して英信流と揚られたる由也。
 大森流居合之事 此居合と申は大森六郎左衛門之流也英信流と格段意味無相違故に話而守政翁是を入候六郎左衛門は守政先生剣術之師也真陰流也上泉伊勢守信綱之流五本之仕形有と言或は武蔵守卍石甲二刀至極の伝来守政先生限にて絶へ。

 この神傳流秘書の存在は平尾先生はまだ知らなかったか、土佐の所有者によって門外不出だったかもしれません。伝統の末尾は林六太夫で切れていたと思います、従って六太夫の後は今日云われている林安太夫政詡で古伝神傳流秘書の筆者も安太夫であったろうと大森流の謂れを読めば推察できます。

 真陰流は新陰流と違うのか誤認か判りません。恐らく古流五本の仕形であれば新陰流の「三学円の太刀」でしょう。この太刀を林安太夫は見ているのかも知れませんが稽古していないので絶えてしまったと嘆いています。宮本武蔵の二刀流も林六太夫は学んだのであろうことも此の文面から推察され林六太夫の熱心さが伝わってきます。大森流は英信流を元として詰合、大小詰、大小立詰、大剣取、夏原流和などを総合し、当時正座の座り方が城中で奨励され一般に普及していった中で、それを元にした大森六郎左衛門の独創だろうと思います。

  

|

« 曽田本その2を読み解く24スクラップ土佐史談雑録長谷川流居合と土佐に於けるその普及について24の5平尾道夫の2 | トップページ | 第21回古伝研究の集い »

曾田本その2を読み解く」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 曽田本その2を読み解く24スクラップ土佐史談雑録長谷川流居合と土佐に於けるその普及について24の5平尾道夫の2 | トップページ | 第21回古伝研究の集い »