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2019年8月24日 (土)

曽田本その2を読み解く26スクラップ小学校に於ける剣道教育の動向と其使命26の2

曽田本その2を読み解く
26、スクラップ小学校に於ける剣道教育の動向と其使命
高知市江ノ口小学校 上田歳刑
26の2

 明治天皇の御製に
 弓矢もて神のをさしめ我が国に
        うまれしをのこ心ゆるふれ
と仰せられてある様に我国は武を以て起ち武を以て成れる国であります顧みますれば我国は神代以来細矛千足国と称えへられていた程で天皇御みずから軍隊を率い給う御制度であった時代、如何にわが国の武威が盛んであったかヾうかがわれます。即ち神武天皇御東征より日本武尊の東方経略から神功皇后の三韓征伐等の事跡がそれであります。
 その後仏教、儒教の渡来によりまして形式的には武道を堕落せしめたがその本質的には非常な発展をしました。即ち奈良時代がそれであります。更に大化の新政時代におきましては大陸文明の輸入に汲々としてその結果その運用をあやまったためかこれまでの国民皆兵の制度に破綻を生じ兵農の二つに分れて遂に武士と云う階級が生れたのであります。
 続いて平安時代におきましては唐制を採用しわが文化の上に躍進せるも全く一面この文を尊び武を卑しむの風を生じ、質実剛健の気風に朝野共に失せて余弊は政令行はれず遂に地方大いに乱れました。此時に当りて討伐に功を奏した源平が盛大を致し遂に平氏亡びてより王権御喪失となり兵馬の大権を鎌倉幕府に御委任なさらなければならぬ様になりました、爾来7百年の長い間権門幾多立変るといへども政権は殆ど武家の棟梁の掌握する所となたのであります。従ってこの封建時代においては忠義といふのは家臣の主君に対する最高至大の道徳となったのでこの道徳を実践する方便として武道を修業して精神の技を錬ったのであります。
 ゆえに戦乱相つぐ足利末期から徳川初代においては最も剣道の隆盛を来し斯道の名人が現れましたかかる間にわが国民の中に武士が融け入ったのであります。 
 しかるに明治維新となり武士階級は無くなり四民平等、帯刀の必要もなくなり明治3年に廃刀令が布かれ軍人警察官以外庶民の帯刀を禁ぜられてよりそこで剣道は全く往時の遺物となり僅かにその影を止めていましたところ10年西南の役に警視庁の抜刀体がその功を奏してより漸次その価値を現し日清日露の両戦後を経ていよいよこれが真価を認められ明治28年には大日本武徳会本部が創設され地方に支部を設けて一般武道の振興をはかられたのであります。

 以下次号
*
 此処までのところは、かって我が国の天皇自らが軍隊を率いたが、武士階級が生まれ王権喪失して武士階級に政権を委ねて来た。明治維新となって四民平等になって廃刀令が布かれ、剣道は不要となった、然し西南戦争、日清日露の戦争で剣道の有効性が見直されたということでしょう。
 此処で明治維新以後の年表を作っておきます。
 1868年明治元年  戊辰戦争年 江戸城を皇居とする
   1869年明治2年  版籍奉還 上士以下の禄を廃止 
 1870年明治3年  兵制を海軍は英式 陸軍を仏式と定める 
 1871年明治4年  寺社領没収 戸籍法制定
 1872年明治5年  学制公布 福沢諭吉学問のすヽめ
 1873年明治6年  徴兵令を定める
 1874年明治7年  北海道に屯田兵制度
 1875年明治8年  学齢を6歳から14歳と定める
 1876年明治9年  廃刀令 神風連の乱、秋月の乱、萩の乱
 1877年明治10年 西南戦争
   1882年明治15年 軍人勅諭発布
   1889年明治22年 大日本帝国憲法公布
 1894年明治27年 日清戦争
 1895年明治28年 大日本武徳会設立
 1904年明治37年 日露戦争 
   1905年明治38年 旅順のロシア軍降伏


 

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