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2019年8月 6日 (火)

曽田本その2を読み解く24スクラップ土佐史談雑録長谷川流居合と土佐に於けるその普及について24の5平尾道夫の2

曽田本その2を読み解く
24、スクラップ土佐史談雑録
長谷川流居合と土佐に於けるその普及について
24の5平尾道夫の2

2、抜刀中興の祖と呼ばれる林崎甚助重信は、奥州楯岡の人である。永禄年間、甚助は同地の林崎明神(社傳に拠るに大同年間神霊大明神山より飛来し、同所に鎮座、居合明神とも俗称する由)に父讐一雲齊を討つ心願を以て参籠し、夢想によって長柄の刀を発明し、居合術を心得する所があった。後、山城国伏見に於て一雲齊を討って本望を果し、更に将軍足利義輝の上覧仕合に新田一郎に勝ち、武名を揚げた。これによって林崎甚助重信は、抜刀中興の祖と称せられるけれども、其以前に於て抜刀術の系体はなかったから、事実上その鼻祖とも称せらるべきもので、これを神傳重信流とも、林崎夢想流とも、或は単に居合流とも呼ぶさうである。
 上杉家の猛将甘糟近江守は甚助の門弟で、林崎氏は其後同家に随身して、維新に及んだと云はれ、また甚助の高弟田宮平兵衛重正(一説成政)は、別に田宮流を起し、其子對馬守長勝は、初め池田輝政に、後ち徳川頼宜に仕へて、之を紀州に傳へた。水戸に於ては和田平助、新田宮流を開き、長野無楽齋槿露は、初め小田原北條家に、後ち彦根井伊家に仕へ、一宮大夫照信は、甲州武田家に仕えへて抜刀一宮流を始めて居る。仙台には幕末に重信17世嫡傳と称する堀津之助共徳、及び大規定之助安廣あり、新庄戸澤家に平賀清兵衛あり、江戸に於ては田宮流より出た斎木三右衛門(清勝)依田市左衛門等が声名を博したと云ふ。其他野州宇都宮にも其流があり、神傳重信流は数派に分たれてかくの如く全国に普及して居る。

 此の項の内容の実証は明らかではなく、いくつかの史料を断片的に繋いだようで平尾先生の文章とは思われません。昭和の時代に手に入れられる程度の史料からの抜き取りではこんなものかも知れず、また土佐の人にはこれでも土佐の居合の優秀な事を思い描かせ、お国自慢に更に気を吐くネタともなったと思います。
 林崎甚助重信に就いては平成3年発行の林崎甚助源重信公資料研究委員会による「林明神と林崎甚助重信」の復刻版を村山市が発行元になって居ますから、それを求められれば、この雑録よりもう少し納得できる内容が得られるかもしれません。いずれにしても、市井の剣術使いの趨勢が正しく残されるなど当時としてはあり得ないでしょう。

 林崎甚助重信の生涯も霞の中から幻が見える程度の者に過ぎず、それもまた良いのでしょう。その居合の何たるかはもっと分からないとしか、云い様はありません。「昔はこうだった」とか「武術ではこうだった」など見て来たような嘘をつくことはできません。

 参考に「林崎明神と林崎甚助重信」に記載されている伝書の流名は以下の通りです。
 津軽藩 林崎新夢想流
 三春藩 林崎流
 新庄藩 林崎新夢想流
 庄内藩 林崎田宮流
 秋田藩 林崎流居合
 秋田・仙台藩 林崎夢想流居合
 二本松藩 林崎神流居合
 以下略す。

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