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2019年8月 3日 (土)

曽田本その2を読み解く24スクラップ土佐の居合の為に24の3曽田虎彦

曽田本その2を読み解く
24、スクラップ土佐の居合の為に
24の3万丈の気を吐く豪勇曽田虎彦氏
傑物、行宗貞義の一の弟子
(昭和11年11月海南新聞にて)

 土佐の居合術は英信流とて全国的に有名であり京都武徳殿においても特に英信流を日本武術の精華として尊重し中等学校でも武道の科目に編入しておる程だが現代この土佐居合術の代表的人物は何といふても曽田虎彦であらふ。
◇曽田氏の師匠は有名な行宗貞義氏である、行宗氏は西南戦争の時にたいいとして各地に転戦した剛のものだが後ち感ずるところあって断然軍服を脱ぎすて、一時看守長を勤めたこともあり、其の後ち更に零落して第二中学校の門監にまで成り下っていた。
◇当時二中の武術教師は桑山直澄氏であったが或時に行宗、桑山の居合が取り組まれ中島町に居合の古武士で名高かかった真田翁がその居合を見物し、行宗氏の妙技を嘆賞して、二中に行宗がをる以上、桑山は教師たる資格がない早速罷めろと言って行宗氏が門監から昇格して二中の居合の先生となった、大江正路氏の如き剣客も行宗の足許へ寄りつけぬと云ふ評判で其の実力は大したものだった。
◇この居合術の神たる行宗氏には沢山の門弟があったが夫等数多き俊傑の中で行宗門下の五傑と称せられたのが曽田虎彦、鈴江吉重、弘田弘作、そして海軍大佐の伴次郎、中村虎猪などの人々であった。
◇此等五傑の筆頭たる曽田氏は元と二中の生徒で、行宗氏が一年から五年まで我が子の如く教へたといふ一事を以って、如何に師の行宗氏が年少曽田氏の将来に望みを属してゐたかが判り同時にその曽田氏が如何に居合術の神によって鍛錬せられたかを想像することが出来る、果然その曽田氏は嚢中の錐として鋭脱し二中を卒業するや、高知武徳殿の助教師に抜擢せられ茲に師の衣鉢を継ひだのである。
◇すなわち世間からみれば曽田氏は第二の行宗となったわけで堂々たる英信流の指南役に推しあげられた形となった、そこで今一度行宗氏の実力が振り返へて見直す必要が出来た。何でも明治四十年頃であったが範士の中山博道氏が態々来県して行宗氏の弟子となり又三重県人堀田捨次郎といふ柔道の範士も亦た来県して行宗氏の門に入った敢へて多くを語らずとも此の二つの事実は行宗氏その人の畏敬すべき其の妙技と実力とを極めて雄弁に物語ってをるではなかろふか。
◇本年10月25、日本古武道振興会の主催で明治神宮奉納会があり、土佐居合術の代表者として曽田氏と竹村静夫氏が出席し帝都の檜舞台において英信流のために万丈の気を吐ひた、そして曽田氏と範士中山博道氏と会見の節、中山範士は曽田氏を尊敬して先輩に対する礼を執り、刀の新しい下緒を贈呈したのであった。斯くて長谷川英信流第七代の師範たる曽田虎彦氏は日本の武道界において天下的人物たる折紙を附けけられことを我等は土佐の誇りとして読者と共に欣快の拍手を送る写真は曽田氏。
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行宗貞義先生
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曽田虎彦先生
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 昭和10年11月海南新聞に記事として掲載されている曽田先生の師行宗貞義先生、曽田虎彦先生に就いての記事ですが、時代背景が伝わって来るようです. 

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