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2019年8月19日 (月)

曽田本その2を読み解く24スクラップ無雙直傳英信流居合術24の8河野稔の1

曽田本その2を読み解く
24、スクラップ無雙直傳英信流居合術
24の8大阪居合術八重垣会
剣道錬士河野稔の1

 左記は大日本武徳会大阪支部に於ける講習会に際し、私の悪癖に対してご注意賜りたるを(恩師最後の講習会たる昭和9年8月第6回講習会迄の各年度の分)私自信の参考として夫れに書き留め置きしものに付ご了承を乞ふ。
1、納刀の時鯉口に刀尖の納まった時右拳高きに失す、此場合右拳は鯉口の位置より低き事を要す。(? 曽田メモ
2、附込、岩浪、介錯の場合始め刀を抜き出す右手拳は鯉口と同じ高さより下らぬ事、更に此の場合上体が前に屈まぬ様注意する事。
3、立膝の納刀を終りたる時の体勢は正面向之事。
4、颪の柄當は十分に左腕を延ばす事。
5、浮雲の打下しは左膝の外方になし左脚に並行なる事。
6、鱗返、浪返は、両足先は殆ど其のままの位置にて抜きかけつつ廻り、刀先を抜はなちて一文字に斬り付けると同時に左足を後方に退くこと。
7、総て抜き付けの際は鯉口と刀先の縁の切れざる様注意最も肝要なり。
8、横一文字に抜きつけたる位置より刀を雙手上段に振冠る場合、右手拳は左肩前にとる事なく抜きつけたる右拳の位置より直に頭上にとること即ち先づ左肩前にとり然る後頭上にとるは不可、此場合刀尖は肩高きより左に廻すこと。
9、霞の甲手を返して前進する場合は腰を少しも屈めず十分腹を出す事。
10、総ての右一文字抜きつけ並に正座血振い(前に足を踏み揃へたる時)の場合上体は少しも前に屈めぬ事。
11、四方切りの場合左右に刀を返して雙手上段になるときの刀は十分大きくなし敵刀を受け摺り上る気持なる事。
12、棚下の場合、顔面は正面に向けたるまゝ上体を低く十分に前に深く入込みて抜く事。
13、介錯、附込、岩浪の場合刀を前に抜き出す時は顔は俯かず正面に向けること。
14、両詰は十分に大きく深く刀を前方に突き込む事。
15、虎走の前方に進みての納刀及び惣留の追進む時の納刀は鎺まで一気に入れる事 

 以下次号

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 河野先生、謙虚ですね自分の居合之悪癖と仰いますが、自分の現状は中々わからないので師匠か何方かに注意をしてもらわないと直らないものです。其の上段位が上がって誰も何も言ってくれなくなれば、自分の体が欲する動作に勝手に戻ってしまうものです。ですから私は写真や動画による悪癖は如何なる名人上手にも見られるもので、それから動作を見る事の多い現代の修行者は指導者の悪癖を学んでしまうと考えます。この様なたった一行足らずの文章から本物を学ぶ姿勢も大切と思います。そして何故そうするのか自分でとことん考え師と仰ぐ方がおれば聞いてみるべきです。
 答えられずに、「そう習った」とか「決まり事」などと云うのでは困ったものです。此処の項目は無雙直伝英信流居合兵法正統会では現在でも注意項目ですね。
 河野先生が第18代穂岐山先生に師事されたのは昭和2年1927年です、この項の留め書きは昭和9年1934年迄の間の6回との事です。大日本居合道図譜の「日本最初居合術の会団 八重垣会の思ひ出」によりますと、昭和2年8月に初めて第18代穂岐山先生を大阪武徳会支部に招待して教えを仰ぐとされています。
 八重垣会は昭和6年1931年、会団創立の機運が高まって「居合術八重垣会」と決まったそうです。その後「大日本居合道八重垣会」と改名しています。
 穂岐山先生は昭和10年1935年2月1日に逝去されていますからその前年までの「留め書き」となります。

 赤字及び下線はミツヒラの疑問と思える箇所ですが、無双直伝英信流の各派、夢想神傳流とも。動作を対比してあるべき状況を研究して見たい処です。此処では疑問の指摘のみとしておきます。

 

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