« 曽田本その2を読み解く32スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士32の7 | トップページ | 曽田本その2を読み解く33スクラップ日本刀談義居合で勝負する »

2019年9月12日 (木)

曽田本その2を読み解く32スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士32の8

曽田本その2を読み解く
32、スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士
32の8昭和19年5月18日高知新聞掲
光栄に輝く剣の生涯 ひたむきな精進に心魂注ぐ

 山梨武徳会支部の道場開きのとき大分剣客が方々から甲府に集まった、このとき川崎善三郎氏は門奈正というふ人と立合ふことになった、この門奈正は川崎氏よりも少し先輩で水戸藩の人、弘道館で修行し明治になってから小澤寅吉の東武館に入門し一刀流と田宮流居合の免許皆伝を受けそれから警視庁に入り下江秀太郎について磨をかけた剛の者だ、
 一本一本と取り合うて勝負になると川崎氏は相手の竹刀を敲き落とした、それからまだ対ってくるのを得意の足搦みで続けざまに五度倒した、何しろ相手の門奈は五尺八寸に近い偉丈夫、それに引きかへ我が川崎氏はちっぽけだ、それにコロコロやられたから余程残念さうだったといふ、
 その後数年経過した或日、この門奈と久し振りに立合ふことになった、ところがこのとき渡辺昇男爵が見えていた、渡辺男爵は元肥前大村人で斎藤新太郎門下の神道無念流の達人であった、その渡辺男爵が以前の川崎氏と門奈との試合の模様を知っているものだから、川﨑氏を呼んで「門奈をもう一度あんな目にあはしてみろ」といふ、その一方門奈には「今度は仇を討ってみろ」といってつまり双方をけしかけたわけだ、試合となると川崎氏は門奈が小手を得意だといふことを知っていたので十分に用心をして心中あはよくば例の足搦みを喰はしてやらうと意気込んでいた、すると相手はヂリヂリと退る、川崎氏も隙を窺いながらヂリヂリとつめより、柵のところまで追ひつめた、ここだッと「お面」と板の間を蹴って飛び込むと、見事に「お胴ッ」とやられた、しまったと思ったがもう遅い、次にもやはり其の手で、結局三本ともしてやられた、試合が終わると門奈が「川崎、川崎」と大きな声で呼び「仇をうったぞ」といった、それで川崎氏は「参った、いかにも恐れ入った」といったので一同が大笑ひになった、
 その後父専輔氏が七十七歳で病没したので土佐へ帰り各中等学校の剣道師範および大日本武徳会高知支部の名誉教師として晩年を全うしたが、その八十五年の生涯を顧るに幾度か天覧、台覧の試合にも出場の光栄に浴し、殊にはじめての天覧試合のときに畏くも天皇陛下より竹刀料五百匹、皇后陛下より紅帛一匹を賜はった、最近では昭和4年の天覧試合のとき高野氏と共に審判をして御紋章入りの金賞牌を拝受する栄に浴した、このやうな数々の光栄を蒙ったことは一介の剣士として面目この上もないことであり、同時にそれはどんな場合にも“剣”といふことを念頭から離さず勵んだ賜ものであらう(完)

 以上で川崎善三郎の剣に生きた生涯の記事は終わります。この記事は高知新聞という地方紙に掲載されたものですから、川崎善三郎の関係者は川崎氏、高橋氏。高野氏という様に氏をつけていますが、土佐以外の人で立ち合った人は呼び捨てとする程偏ったお国自慢でほほえましいのですが幼稚な感じは拭えません。
 昭和19年1941年の記事で、切り抜きは78年前のものですから当時の新聞紙やインクの良し悪しは判りませんが印刷が薄れていたり、印字が欠けたり、ぼやけて判読不能の文字が多く、メモ帳の寸法に折られて張り付けられていますから折り目の部分はますます判読不能になってしまいます。幸いなことに、読まれた人も少なそうですのでここまで読み取ることが出来ました。
 川崎善三郎先生の略歴をこの新聞記事から並べてみます。
 安政3年1856年  生まれる
                             父 川崎専輔
文久3年1863年  7歳 剣道稽古始める
「武道家の子は幼少から十分な素地をつくらねばならない」との父親の方針
           切返 5年間 
           型  2年間

 慶応2年1866年  10歳   寺小屋に入る
 明治4年1871年  15歳 道具をつける
   明治10年1877年 21歳 西南戦争 四等巡査になる
   明治16年1883年 27歳 大阪に撃剣試合遠征(大江正路も同行) 
                           高橋赳太郎と立合う
 明治19年1886年 30歳 警視庁入庁 高野と出合う 
               この頃山岡鉄舟の春風館に入門
 明治20年1887年 31歳   芝山での天覧試合野試合参加
 明治22年1888年 32歳 警視庁へ道場破り 川崎・高橋・高野で撃退「三傑三郎」となる 

 明治33年1900年 44歳 山梨県巡査教習所剣道教師となり甲府在住 
   昭和4年1929年  73歳 天覧試合審判で御紋入り金賞牌を受ける  

 昭和00年      父専輔死去(77歳)土佐に帰り中学校剣道師範
            大日本武徳会高知支部名誉教師              

 昭和19年1941年   85歳 没す
 

|

« 曽田本その2を読み解く32スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士32の7 | トップページ | 曽田本その2を読み解く33スクラップ日本刀談義居合で勝負する »

曾田本その2を読み解く」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 曽田本その2を読み解く32スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士32の7 | トップページ | 曽田本その2を読み解く33スクラップ日本刀談義居合で勝負する »