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2019年9月25日 (水)

曾田本その2を読み解く42大阪八重垣会幹事?剣道錬士河野稔氏との文通質疑42の1英信流に於ける礼式

曾田本その2を読み解く
42、大阪八重垣会幹事?剣道錬士河野稔氏との文通質疑より
質問を受けたる事項次の如し
42の1英信流に於ける礼式の件

 主礼は神前玉座に対する礼
 坐礼は刀に対する礼なりと信じ居れるが一説に相当の人にて立、坐共に玉座神前の礼にて坐礼は近世に至りて始まったものだと唱ふるあり 如何

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 この項は、曽田先生に河野先生が手紙で疑問点を問いただしているものの幾つかです。曽田先生の考えが述べられているものも無いものもあります。礼式については何も述べられていません。この質問が何時何に使うためにされたのかも不明です。
 河野先生は昭和8年1933年に「無雙直伝英信流居合術全」を出されています。その後昭和13年1938年に「無雙直傳英信流居合道」を出し、昭和17年1942年に「大日本居合道図譜」で河野居合を確立しています。この質問事項がどの冊子に反映したのか解りませんが、八重垣会を設立したのが昭和6年1931年だそうですから(大日本居合道図譜より八重垣会の思ひ出)このころから疑問を一つずつ説いて行かれたのでしょう。

 曽田先生との接触の初めは判りませんが、「無雙直傳英信流居合術全」を書かれるには基礎知識が必要だったと思われます。師と仰がれた18代穂岐山先生は昭和10年1931年に亡くなっていますから、師匠亡き後の事か以前からの事か、土佐の居合を紐解く一部にはなりそうです。
 河野先生の質問は、神殿、玉座の礼は立ってするのか坐ってしてもいいのか、坐礼は刀にするものと信じているが如何かという事のようです。

 大江先生の「剣道手ほどき」大正7年1918年より神殿の礼:「刀の鍔元左手に持ち拇指にて鍔を抑へ刃を上にし刀身を斜めとす、直立体にて神殿に向て黙礼をする。」

 河野先生の「無雙直傳英信流居合術全」昭和8年1933年の作法:「神殿又はぎょくざに向ひて刀を抜かざる事(でき得れば玉座を左にして行ふ事)。場に入る時は、鍔元を左手に持ちて拇指にて鍔を抑へ、刃を上にして刀を下げ下座より玉座に向ひ直立体の儘刀を右手に持替へ(この時刃を後方に向け)右側に軽く接し立礼をなす。刀を左手に復して適当の位置に至りて正座す。正座したる時は、刀は恰も左腰に差したる状態にあるを以て、右食指を鍔の下拇指を上にかけて刀を腰より抜き取る気持ちにて右前方に抜き取り、膝の前方中央約一尺の處に鐺を右柄を左方に刃を後方に向けて置き双手を八文字につきて礼を行ふ。」
 ここでは神殿玉座の礼と刀の礼とは別にされています。大日本居合道図譜でも同様ですが、赤字の部分は「刃を自分の方に向け」と変えています。
 

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