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2019年9月14日 (土)

曽田本その2を読み解く34居合術(再掲載2019年5月10日)

曽田本その2を読み解く
34、居合術
余は居合は一兵法即ち居合兵法と称せられ剣道に附随せるものにあらず一派独立せる武術なりと信ず

 居合術は剣術今の剣道の一部門なり
 剣術は立合、太刀打、撃剣等とも称し刀剣の使用法にして即ち抜出したる刀を如何に有用に使用すべきかを教へたるものに付抜刀なくして立合あるべからず、其の用法は刀を腰より抜出しての上のことなり。
 居合術は立合の術、剣術にたいする語にして詰合、坐合、抜刀、鞘の内等とも称し此の立合の根元にして刀を抜く法なり、即ち如何なる場所にて如何なる刀を如何に有効に抜くべきかを教へたるものに付刀の鞘の内にある時より太刀打に至りて了る、故に互に抜刀して相対峙せば既に居合の範囲を脱して後は太刀合なり。
 居合は刀の長短、場所の広狭、地勢の高低、姿勢の坐起、敵の仕懸変化等に応じ臨機変通其の色を悟らせず刀尖を鞘口を脱する刹那確実有効の利を収むべきを教う。
 其の最重要なる点は刀尖の鞘口を脱する瞬間の働なり。

 前回のスクラップで日本刀談義の居合で勝負するという満州刀剣会監事永淵清次氏の考えでは、「居合は即ち剣道でありまして両者の間に稽古の形式で使用する道具が異なっている為これを区別する便宜上片方は剣道、片方は居合と言って居る次第であります。剣道は剣道具を用ひ相手に向かって竹刀で撃突を行ひますが、居合は道具を附けず相手も無く自分で攻防の法を研究するものであります。」
 「居合は即ち剣道である」とはじめに言い切って、道具(防具)をつけて相対してやるのが剣道、居合は道具を附けず相手も無いのが居合だそうでした。それは稽古法でのことで武術的には相対する敵を倒す事には変わりませんね。

 「居合とは現在の姿即ち人が坐って居る、立って居る、歩いて居る、寝て居る等を指したもので合とは合はす、応ずる、即ち電光石火臨機応変直にことを処する意味であります」と居と合を分けてそれらしく居合を解説していました。そんなことは刀を抜いて居ても同じ事で何時如何なる変にも即座に応じるのは居合ばかりの事とは言えません。道場での稽古や、勝ち負けの試合程度の事が頭に浮かんで解説しているに過ぎないと思います。

 「試合上より居合と剣道の異なる点を見れば、居合は剣道勝負の始まる前の試合法であり、剣道は居合で勝負のつかない後の試合法との言えます。真剣の場合は居合と今の剣道とも合わせて完全な試合法と言えます」結果は真剣での勝負では同じ事だと云うのでしょう。あえて分けて居合の素晴らしさを述べても意味は無いと云う事でしょう。居合馬鹿には往々にしてあるもので手前味噌に陥るきらいがあるのですが、それは力量以上の段位などを手にして居合であろうと竹刀剣道であろうと武術とは何か、何を修業するのか、その結果は何なのか、生きることに其れがどのような意味を持つのかと思いめぐらさずに棒振りして来ただけに過ぎないのでしょう。

 「要するに人間居るその儘で如何なる場合にも変に応じ勝を一瞬の裡に制するやう千磨必死の意気込みを以て身心技術の修養鍛錬を行ふ道であります」要するに何時如何なる変に応じる身心技術の修養をするのが居合だと言ってます。剣道だってそれは同じ、他の武術も同じ事でしょう。
 現代では居合ばかりの稽古をして、この無雙神傳英信流居合兵法の事を知らなかった為に起こった居合術の議論に過ぎません。人間の最後のコミュニケーションは武術に依り相手を制するという愚かさをそれでもヨシとするならば、居合の言う鞘の内に相手を制することもあり得るでしょう。その最後の手段で手落ちなく制することが出来れば良いのですが、土佐に持ち込まれた無雙神傳英信流居合兵法には、太刀打、詰合、大小詰、大小立詰、大剣取、和術、棒術、小太刀の稽古業が組み込まれています、それらには、斬り込まれた時も「鞘の内」もそれを制する業が組み込まれているのです。居合は総合武術の一稽古単位に過ぎないと思います。同時にそれら総合武術のいずれにも裏を取られない居合の修練は現代居合の真似っこだけでは不可能です。

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