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2019年11月18日 (月)

第7回違師伝交流稽古会を終えて

第7回違師伝交流稽古会を終えて

 11月16日、17日は恒例になった、違師伝交流稽古会でした。
昨年11月第6回の違師伝交流稽古会の課題は土佐の居合に残されていながら、まともにこれを指導出来る人も居ない古伝神傳流秘書による大剣取を一年間夫々の参加者は個々に研究され演武されました。

 今年の課題は「大小詰」、「大小立詰」の形を同様に神傳流秘書を片手に、夫々江戸時代中期の文言に苦しみながら研究されて発表されました。
 古伝の復元は、何処かに其れを演じた動画や写真、先師の残された業技法の解釈が示された冊子は無いものかと、皆さん探し求められていた様です。
 自ら古伝を片手に読み解く前に、誰かが復元しているならそれを真似るか、参考にするという現代風な考え方が、まず頭の中に駆け巡るのでしょう。
 答えは自ら考えて出す物という根本原則を現代武術修行者は忘れてしまったのかも知れません。或は、他流、或いは他武術の力を借りて真似てしまうわけで、起こりと結果は出来ていても、古伝の含みは読み取れていないという紛い物に過ぎない物で満足してしまいがちになります。
 その上、稽古相手が常に同じでは、一見上手に見えても、他の人が突然変わった場合には殆ど役に立たないものになってしまいます。
 昨年の課題大剣取では刀による攻防が主なので戸惑いは少なかったと思われます。しかし是も要求する構えから結果を出すには、其の構えから打ち出せるあらゆる手立てを認識できなければ始末におえないものなのです。
 極端な言い方をすれば「カンニング」をして試験をパス出来ても、物の役に立たないと云えるのでしょう。
 「形」は出来ているが「術」にならない、古伝を「かたち」としか考えず、形が指導された様に出来て居れば、武術になったと錯覚するに過ぎません。
 大小詰、大小立詰の参考書は、ミツヒラブログの古伝神傳流秘書が現在のところ尤も充実しています。是は戦前に収録されていた行宗貞義先生の弟子曽田虎彦先生に依る覚書です。
 覚書の原本は文政2年1819年山川久蔵幸雅が原本を書写したものの写しです。その原本は、第10代林安太夫が義父第9代林六太夫のメモや口述から書き込まれたものだろうと思いますが、江戸時代後期には紛失していたかもしれません。曽田本の原本である山川幸雅の写本の存在は細川家に所蔵されているか、高知空襲で焼失してしまったか不明です。

 河野百錬先生は曽田先生から覚書を見せていただき昭和30年に1955年無双直伝英信流居合兵法叢書として発行されています。現在では古本として出る事は頬とんど無い様で、全国の図書館でも限られたところにしかありません。限定本であった事、河野先生自らが研究され復元を目指さなかったために、当時の指導者の誰も手を付けず闇に埋もれたと云えるでしょう。
 政岡壱実先生の無雙直傳英信流居合兵法地之巻昭和49年1974年、無双直伝英信流居合兵法之形の中に収録されています。この内容は神傳流秘書と略同じですから、曽田先生から借り受けたか、河野先生の無双直伝英信流居合兵法叢書に依ると思われます。或は土佐の何方かからのものかも知れませんが、政岡先生が土佐を後にされてからの執筆です。
 木村栄寿先生の林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説昭和57年1982年で細川家からの借用に依り伝書の読み下しをしたものとなります。夢想神傳流を意識し過ぎたため無双直伝英信流の人の目に付かなかった。内容を読めば夢想神傳流は無双直伝英信流其のものだったことを認識できるのに残念です。
 以上が江戸時代に第九代林六太夫が土佐にもたらした大小詰、大小立詰を古伝に従って書かれたものです。

 次に大小詰、大小立詰の解説が有る書籍は、第16代五藤孫兵衛正亮に依る口伝口授を受けた曽田先生の実兄小藤亀江の覚書から曽田先生が実演の上業附口伝を書かれたもので年代は、大正から昭和の初めごろのことと推察します。
 曽田先生が、口伝からこうであろうとされたもので、古伝神傳流秘書とは異なるところが多く、古伝のいじり過ぎの感じがして、古伝の研究としては参考程度にしかすべきでは無さそうです。
 その曽田先生の業附口伝を基に書かれたものは、河野百錬先生の無雙直伝英信流居合道昭和13年1938年で其の第五節第四、第五りに掲載されていて、これは前述の通り古伝神傳流秘書ではありません。
 江戸時代後期に演じられていたかもしれない、後藤正亮先生のものを曽田先生が纏めたものと云えます。この河野先生の無双直伝英信流居合道が昭和13年に発行されてしまいましたのでそれが古伝と錯覚されて研究された方も多かろうと思います。
 夢想神傳流の檀崎友影先生に依る居合道ーその理合と真髄 平成15年2003年の第六章組太刀の部に大小詰、大小立詰が記載されていますが、是も原本は河野先生の無双直伝英信流居合道によると思われ、曽田先生の業附口伝によると判断します。

 第7回違師伝交流稽古会の課題は大小詰、大小立詰で業名称は同じですが古伝神傳流秘書と異なるという事としておきますが、曽田先生に依る業附口伝もそれを基に演ずることは、古伝とは言い難いのですが参考資料が少なく手に入らない事を考えれば、やむおえないとも言えるでしょう。

 古伝神傳流秘書と政岡先生の地之巻、と曽田先生の業附口伝、河野先生昭和13年、檀崎先生と業を参考に並べてみます。
大小詰一本目抱詰
神傳流秘書:楽々居合膝に詰合たる時相手両の手にて我が刀の柄を留る時、我両の手を相手の両の肘に掛けて躰を浮上り引くに其の侭左の後の方へ投げ捨てる。
政岡先生:楽に居合膝に詰合たる時相手両の手にて我が刀の柄を留る時我が両の手を相手の両ひじに懸け少し体を浮上り引くに其侭左の後の方へ投げ捨てる。
業附口伝:互に対座、打は仕の柄を両手にて取らんとす、直に仕は両手にて打の二の腕を下より指し上ぐる様に掴み我左脇に引き倒す也
     五藤先生朱書き注意(向こうて居る敵我が柄を両手にて押付る時敵の両肘へ手を掛けウスミ上げ左へ振り倒す)
河野先生:互に対座、打は仕の柄を両手にて取らんとす、すぐに仕は両手にて打の二の腕を下より差し上る様に掴み我が左脇に引き倒す。
檀崎先生:互に対座し打太刀は仕太刀の柄を両手にて取ろうとする。すぐに仕太刀は両手にて打太刀の二の腕を下から差し上げるようにつかみ我が左脇に引き倒す。 

大小立詰一本目袖摺返
神傳流秘書:我が立ちて居る所へ相手右脇より来り、我が刀の柄と鐺を取り抜かせじとする時其の儘ふみしさり柄を相手の左の足のかがみに懸け中に入り、又、我右より来たり組付をひじを張り体を下り中に入る。
政岡先生:我が立っている処へ相手右脇より我刀の柄とこじりを取りぬかせじとする時其侭踏みしさり柄を相手の左の足のかがみに懸け中に入り又吾左より来り組付をひじを張り下げ中に入る
業附口伝:二本目打は横より組み付、仕肱を張りて一当すると同時にすぐに打の刀を足にすけて後に投る也左右共同前
          五藤先生朱書き注意(一当して中に入り刀を足にすけ後へ投ると記せり、横合より組付ひじを張り一当して中に入り刀を足にすけ跡へ投げる左右同前)
河野先生:打は横より組み付く、仕肱を張りて一当すると同時にすぐ打の刀を足にすけて後に投げる也。
檀崎先生:打太刀が横より組み付くを仕太刀は肘を張って一当すると同時にすぐ打太刀の足にかけて後に投げるなり。
     *写真は打は仕に組み付かず前より仕の柄を取っている。立業を居業にしている?。
 この様に神傳流秘書をもとに研究した場合と、業附口伝では順番も動作にも違いが見られます。

 今回の様な場合、参考にした資料が異なる事は業の形に多少の違いがあるとしても、大小詰、大小立詰は見られる如く非常に簡明に書かれているもので、特に当時の体術や柔術、現代の合気道などの術を必要とせずに相手を倒したり、柄を持たれても振り捥いだりできるものです。其の上、大道芸紛いの相手を投げ飛ばす様な事や、たたきつける事も示唆して居ないのです。まして逆手を取ったり締め込んでその痛さに参らせるようなこともどの業にも見当たりません。
 するりと抜け出し相手の動きに手助けをして倒すばかりです。武術を行使する心得として、元々林崎甚助重信の居合は柄口六寸を根元としたもので、相手の戦力を最小限の斬り込みで防ぎ圧するものとして生み出されています。一刀のもとに首をはねてしまうなど言語道断の教えなのです。
 武術行使はコミュニケーションの最終手段であっても殺傷する必要など無いと云えるでしょう。いたずらに他流や他武術の技を持ち込む必要がないことを再認識させてもらいました。
 余談ですが業の懸け様から人柄が想像できてしまうのも面白いところです。
 技を繰り出すに当たり、早い強い動作が気になります。無理やり相手を自分の思い道理の状況に持ち込まなくとも秘書に書かれている通りの動作で最大の効果を上げられるよう、研究しそれを熟練する迄稽古を繰り返す事なのでしょう。
 更に、自分と体格が違うとか動作が違う者と組むと技が掛らないのを見ると、無理無駄や力任せもありますが、夫れよりなれ合いに依る弊害で、打太刀の心構えが仕太刀の力量をより高める様に引き出す動作にならず、形が出来て居れば出来たとしてしまい投げられてあげるなどいつまで続けているのでしょう。
 全くの初心者に順番と方法を指導する間はそれでも止むおえないとしても、一考を要します。

 第7回違師伝交流稽古会の課題が大小詰、大小立詰であったために特に感じてしまいましたが、他の組太刀にしても形ばかりの順序を追うだけで、同じ相手となれ合い稽古の癖は考え直す時かも知れません。
 自流の手附に書かれている文言を外さずに、結果を他武術や他流に求めない心の修練をしませんと古伝が笑っている様で、淋しさがひとしおです。
 此処までは、此の道を求めて、遠回りでも本物に行き着きたい私の独り言です。

 今年は、この違師伝交流稽古会を聞き込んで参加希望の方も増え、にぎやかな中に夫々感じる物をお持ちになって帰られただろうとホッとしています。
 来年の課題は、本来ならば「坂橋流之棒」に挑戦して、古伝の文章から動作や棒の扱いを自得し、前後左右に自在に変転できる体作りと、今後如何なる資料が発掘されても応じられる研究者を望みたい処ですが、奥居合の違師伝を披露されたい方がおられる様でその方向での課題に落ち着きました。
 然し奥居合の有り方は、習い覚えた師伝を披露するだけなら、一年間の研究時間など不要でしょう。其の上現代の大江居合に依る奥居合ではそれぞれの師伝を並べられても大した違いがある訳も無いものです。それぞれの師匠の癖を強調した試験問題の形をなぞるばかりです。
 せっかく各地区からこの道を求める方の研究交流会です。大江居合に依る奥居合は演じる者の心の中にあるもので良しとし、来年度の課題は古伝抜刀心持之事の研究発表と致します。
 それぞれの師伝を基に古伝の奥居合抜刀心持之事を研究され参加される事をお願いしておきます。
 
 
  

 

 

 

 

 

 

 

 

   

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