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2019年11月10日 (日)

曾田本その2を読み解く50曾田本その2を読み終えて

曾田本その2を読み解く
50、曾田本その2を読み終えて

 「曾田本その2を読み解く」は平成31年2019年1月23日~令和元年2019年11月10日で読み終えました。毎日アップしていますから291日291回の読み切りとなります。
 曽田先生の恩師行宗貞義先生の居合から始まり、当時盛んであったであろう大江正路先生の居合との違いに戸惑った様です。例えば大江先生の大森流居合抜方(大江先生、堀田先生共著「剣道手ほどき」)の「前」で「我体を正面に向け正座す右足を出しつゝ刀を抜付前敵を切り更に上段にとり前面の頭上を真直に斬り血拭納刀」について曽田先生の注意書きが赤字でなされています。「註 惣じて座業にて抜付けは二星を勝つ故に首に非ず拳也 虎彦

 曽田先生は、新聞や雑誌等に記載された居合関係の記事をせっせと集められて曾田本その2のメモとして張り付けられてありました。戦前の戦争へ戦争へと駆り立てて行った様子が垣間見られ、再びこのような事のない世の中を望む気持ちが高まってきたものです。
 反面お国自慢の手前みそによる居合では近代戦には勝てるわけもないのに失笑してしまいます。80年を超える戦前の印刷物ですから経年変化で不明な文字に悩まされて、かえって曽田先生の直筆の方が読みやすかったと思ったほどです。

 曽田先生は昭和18年1943年9月14日付で大日本武徳会高知県支部長高知県知事正五位勲四等高橋三郎より大日本武徳会高知県支部居合術教師を委嘱されています。曽田先生は明治23年1890年生まれですから53歳の頃となるでしょう。亡くなられたのは昭和25年1950年60歳のことでした。
 河野百錬先生は明治31年1898年生まれで曽田先生の八つ年下です。曾田本の中でも手紙による質疑の応答や大阪八重垣会の趨勢なども意識されていた様です。
 曽田本その1、及びその2を河野先生に昭和23年頃でしょう貸し出されて河野先生はそれを書き写され昭和30年に無雙直傳英信流居合兵法叢書として原文の儘発行されています。曽田先生亡き後5年後でした。
 中山博道先生とも面識があった様で書簡が残されています。

 曾田本その1およびその2を本稿を以て終了いたします。

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1、曾田本を河野先生に貸して置いたものを返してもらったので、河野先生からまた貸してほしいとの内容。
2、中山博道先生から年賀状の返信遅れのお詫びやらなにやら達筆で読み切れていません。
書簡は、曽田本その2の表紙裏にポケットを作りその中に入って居ました。

 

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