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2019年12月 1日 (日)

庚子(かのえね・こうし)

庚子(かのえね・こうし)

2020年令和2年は庚子です。
2019年4月30日を以て平成の年号を終り5月1日から令和の年号に切り替わったわけです。
令和の意味は、万葉集巻五太宰師大伴卿の宅の「梅花の歌三十二首幷に序 天平二年正月十三日、師(そら)の老(おきな)の宅(いえ)に萃(あつまる)は、宴会を申(の)ぶるなり。時に初春の令(よ)き月、気淑(よ)く風和(なご)み、梅は鏡の前の粉を披き、蘭は珮(はい)の後の香を薫らす。」の序文から「令」「和」をとり「令和」としたと聞いています。
 「令月」は良い月、素晴らしい月、ですが「令」は良いとか、跪く事を表す文字から命令するとかお告げの意味を持ちます。
 「和」はやわらぐ、なごむ、丸く収まる、一緒に解けあった様などです。
 「令和」として素晴らしい和み、良い平和。として語られますが、一方ではぐずぐず謂わずに丸く収めろと言われそうですし、荒立てずに納めろと命令調のイメージも忖度の騒ぎから思い描くのもあり得ます。
 そうならない、させないのも人民の勤めでしょう。国の概念や国土や領土と言う思いは、故郷であって然るべきですが、地球上の多くの民は、国や国土、領土よりも、国同士の争いの無い安心して生きられる社会、何処にでも自由に移り住め、どんな民族とも、宗教でも受け入れられる天国を夢見ています。
 狭い国土と人民を支配したいのは、そこの為政者なのでしょう。子供達への洗脳教育、偏った情報の発信今も行われているといえるでしょう。為政者に依る「この枠の中」での和は、これからの時代続けて行かれるのか疑問です。
 すでに、企業活動はその枠から抜け出し始めて居るのでしょう。
 令和の元号の元で新しい時代を築き上げなければ、昭和・平成・令和を生きる者は後世の笑いものになりそうです。

1、令和二年は十二支は「子(ね)」、日本では鼠(ねずみ)。十干は「庚(かのえ・こう)」庚は金陽兄でかのえ。十干十二支は庚子(かのえね・こうし)
 子(ね):頭髪がどんどんふえて伸びる様子。植物がこれから子をふやし、成長しようとするタネの状態の象形文字から。外面的には柔和、内心は小さなことでも怒気を含み、時には人情に外れた行動を起こす事も有る、本性は正直。十二支の一番目。
 庚(かのえ・こう):中央にしっかりと強い芯が通る。植物の茎が成長して固くなり、また籾の固く実る時期を意味する象形文字から。十干の七番目、五行では辛と共に金に当て、金の兄でかのえ。

2、子の諺 
 ・頭の黒い鼠(主人の目をかすめて財産をかすめる雇い人。食物などが亡くなった時、犯人はネズミでは無く人の場合に使われる) 
 ・窮鼠猫を噛む(絶体絶命の窮地では弱者も強者を苦しめるたとえ)
 ・泰山鳴動して鼠一匹(騒ぎばかり大きくて結果の極めて小さい事のたとえ)
 ・ただのネズミでは無い(一癖ある者、油断ならない者)
 ・濡れ鼠(着物のまま、びっしょり濡れる事)
 ・袋の鼠(逃れる事が出来ない事)
 ・鼠に引かれそう(家の中に一人きりで寂しい事)
 ・鼠とる猫爪を隠す(才能の有る者は、むやみに力量を出して見せびらかさない)
 ・時にあえば鼠虎になる(時を得ればつまらない者でも勢力を奮うようになるたとえ)

3、鼠を祀ってある神社
  大国主をお祭りしてある神社に狛鼠などあったりして、大国主と鼠との関わりを暗示させます。古事記の大国主神には有名な話は稲羽の素兎の話でしょう。
 須佐之男命が野原に鏑矢を射て、大国主は其の矢を取りに行かされる、野原を焼かれて焼き殺されそうになった際、鼠が出て来て「内はほらほら、外はすぶすぶ」と呪文を唱える様に教えられる。唱えると穴が開いてそこに隠れていた。火が通り過ぎると鼠が矢を持って来る。そんな話がのっています。
 狛鼠がある神社は大国主を祀ってある神社の様で、京都左京区の大豊神社が有名の様です。

4、ネズミを詠んだ俳句 
  既に、ネズミは余程でないと人の生活圏に入り込んで来ない様なので、昔の俳句を拾い読みしても意味は解っても心に響くのが無くて残念です。

 蕪村 しぐるゝや鼠のわたる琴の上
    皿を踏む鼠の音の寒さかな

 子猫を譲ってもらって飼った事が有りました。一年ほどした或日、その子が鼠をくわえて帰って来てテーブルの上に置いて得意顔して妻を見上げます。
 妻も子供の頃は鼠はよく見ていたでしょうが、鼠嫌いな妻は「捨てて来なさい」と大声で叱った。其の子は何を叱られたのか解らず、妻の剣幕におびえ逃げ出そうとして走り出し、すぐに戻って鼠をくわえて走り去ったそうです。何食わぬ顔でその日も家に戻って来たとか。
 今でもその子の話になると、思い出されます。鼠の話にならないのは何故なんでしょう。

5、60年前の庚子は1960年昭和35年です、その年生まれの有名人、令和2年に還暦の方です。
 コロッケ、山田邦子、浅野ゆう子、美保純、黒木瞳、石田りえなどの方々。

6、庚子の年を振り返ってみます。 

・昭和35年1969年
 昭和天皇
 第二次岸信介内閣
 第一次池田勇人内閣
 貿易為替自由化基本方針決定
 日米新安保条約調印
 NHKカラーテレビ本放送開始

・明治33年1900年
 明治天皇
 第二次山県有朋内閣
 第四次伊藤博文内閣

・天保11年1840年
 12代将軍徳川家慶
 ロシア船エトロフ島に漂流民護送来航
 飢饉奥羽地方死者10万人

・安永9年1780年
 光格天皇
 11代将軍徳川家治

・享保5年1720年
 中御門天皇
 8代将軍吉宗
 江戸大火
 江戸火消いろは45組設置

・万治31660年
 後西天皇
 4代将軍家綱
 伊達騒動

・慶長5年1600年
 後陽成天皇
 関ケ原の戦い

・天文9年1540年
 後奈良天皇
 将軍足利義晴
 武田信虎信濃佐久攻め
 織田信秀、大内義隆、毛利元就など活躍

・文明12年1480年
 後土御門天皇
 将軍足利義尚

・応永27年1420年 
 称光天皇
 将軍足利義時

・延文元年1360年
 北後火厳天皇
 南後村上天皇
 将軍足利尊氏

・正安元年1300年
 後伏見天皇
 将軍久明親王
 執権北条貞時
 
・仁治元年1240年
 四条天皇
 将軍藤原頼経
 執権北条泰時

・治承4年1180年
 安徳天皇
 福原遷都 
 源頼朝伊豆に挙兵

・保安元年1120年
 鳥羽天皇
 
・康平3年1060年
 後冷泉天皇

・長保2年1000年
 一条天皇
 
・天慶3年940年
 朱雀天皇
 平将門敗れる

・元慶4年880年 
 陽成天皇

ー以下略ー

7、その他
 昭和20年1945年太平洋戦争の無条件降伏から75年。旧日本軍の軍属や徴兵に依る戦争体験者も75年が過ぎて、貴重な歴史の語り部であり犠牲者の生存者も残り少なになりました。内地で爆撃に合い肉親を失った当時生まれたゼロ歳児も75歳を過ぎようとしています。
 戦争に突入していった正しい歴史認識も曖昧にされている様で、本当は何の為に戦ったのか、勝と信じていたのか、勝ったらどうしたかったのか、何の為に戦地に逝き、何の為に民間人が原爆や焼夷弾に依って殺されていったのか、為政者と軍部は同じ思想であったのか、日本人の何が戦争を肯定させたのか、何故隣国の日本批判が絶えないのか、何の為に、何故の疑問が消えないまま過ぎて行きます。何故、何故がふつふつと湧いてきます。
 広島、長崎に落とされた原爆によって多くの同胞を失いながら、原爆反対を正式にうたわない為政者の真の目的は、持てる国を強く批判する事すら見られないのはなぜでしょう。
 地球上の人々は、貧しかろうと豊かであろうと、他国によって威圧されたり理不尽に殺されたり、何処へでも自由に行けない、暮らせない事を望んでいるでしょうか。
 令和を境に誰でもが本当はこうありたいと大声で叫び、実行する地球人になりたいものです。如何なる宗教も神様・仏様も暖かく受け入れて来たこの国はもっと大きな声で力強く叫ぶ資格があるのです、その時かも知れません。
 声に出して叫ぶ事は大切な事では無いでしょうか。
 日本人の弱さであり情けないながら生き永らえた事に「居場所が無いと不安」の国民性が権力をはびこらせる原因なのに、作られた居場所が大であろうと小であろうと大人しくしているのも情けないものです。
 私が懸念する、ぐずぐず言わずに大人しく和すべきという、時代遅れの権力がはびこる事が無いことを、声を大にして言わざるを得ません。

 2020年令和2年の座右の銘は、老子から「道法自然」とする事にしました。
 老子の象元第25「人法地 地法天 天法道 道法自然」読みは「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。」
 意味は「人は大地を模範とし、大地は天を模範とし、天は道を模範とし、道は自ずからあるべき姿に従う。」道は自然、すなわち「自然であれ」といいます。
 この事はあらゆる事に適応できるもので、間違っていても師の教えに従う事が良い事なのか、間違いは正す事が正しい事なのか、大変厳しい事も含まれるでしょう。企業における方針や命令も同じ事でしょう。
 しかし、鬱々として居場所を確保して居ても心は晴れる事は無いでしょう。「心に自然に生きよう」でしょう。

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