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2019年12月

2019年12月31日 (火)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の3水月之大事

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の3水月之大事

居合太刀打共 水月之大事 口伝 古歌に

水や空空や水とも見へわかず
      通ひて住める秋の夜の月

おしなへて物を思はぬ人にさへ
      心をつくる秋のはつ風

秋来ぬと目にはさやかに見へねども
      風の音にぞ驚かれぬる

右の心にて悟るへし我は知らね共敵の勝をしらする也、其ところ水月、白鷺、とも習有るべし、又工夫すべし

居合、太刀打ともに「水月之大事」で口伝、歌に託す

 水や空空や水とも見えわかず通いて住める秋の夜の月「水なのか空なのか、空なのか水なのか区別が出来ないような澄んだ日には、どちらにも通って住んでいる様に秋の月は見えるよ」と歌っているのでしょう。橘俊綱の歌会で「水上の月」」のお題に、それを聞いた田舎兵士が歌ったものとか、ミツヒラは和歌の道など歌を詠んでなるほどな~と関心はしても、その歌の詠み人や出典を知ろうなどと思う事すら暗すぎてトンと出典は判りません。
 居合太刀打の歌心は其の澄み切った無心で敵と対すれば、相手の心が我が心に見えて来るものだというのでしょう。

 おしなべて物を思わぬ人にさへ心をつくる秋の初風「一般的に物思いなどしない人でさえ、もののあわれを覚えさせる秋の初風」と読んでいますが、この歌は新古今集にある西行法師の歌とされます。
 物を思うは恋心とも解釈できるでしょう、「恋心を感じた事も無かったのに、頬に当たる秋の初風は、もののあわれを覚えさせる風であれば、台風でも無さそうだし、心地よい秋風でも無さそうで、冷たく木の葉を吹き散らす風をイメージしてしまいます。そんな風が吹くとしみじみとした気持ちになるというものです。
 さて、居合太刀打の「水月の大事」に残された歌として、どの様に結び付けたらいいのでしょう。相対して向かい合う時、無心な我が心に、相手の僅かな動きに、相手の変化を感じとれるものだ、と云うのでしょう。

 秋来ぬと目にはさやかに見えねとも風の音にぞ驚かれぬる「秋立つ日詠める」と題された古今和歌集にある藤原敏行の歌「秋立つ日とはいうものの、秋を目にハッキリ見えないのだけれど、吹く風にハッと気が付く」と歌っているのでしょう。対する敵も静かに構えているのだが突然ここぞと打込まんとする気勢によってハッと感じて応ずるものだ。

 この三首の歌心である水月の大事と白鷺心を習得する事によって相手の動きを知り応じられなければ敵を勝たせるばかりである、其の処を良く習いなさいと言って居ます。

 古伝神傳流秘書の居合心持肝要之大事の居合心立合之大事では「敵と立合い兎やせん角やせんと巧む事甚だ嫌う、況や敵を見こなし彼が角打出すべし其所を此の如くして勝たんなどと巧む事甚だ悪しし、先ず我身を敵の土壇と極め何心なく出べし。敵打出す所にてチラリと気移りて勝亊なり、常の稽古にも思い案じ巧む事を嫌う、能々此の念を去り修行する事肝要中の肝要也」と居合太刀合の心持が述べられています。
 常の稽古にも此の心持ちを忘れずに稽古するのだと諭してもいます。

     

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2019年12月30日 (月)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の2白鷺心

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の2白鷺心

居合太刀打共 白鷺心(と云うことあり) 口伝 古歌に

思ふれと色に出二希り我が恋は
      ものや思ふと人のとふまで

数ならて心二身をは倭ねど
      身二従ふは心なりけり

読み
思うれど色に出にけり我が恋は
      物や思うと人の問うまで
 恋しい思いを隠してきたつもりだったが、隠しきれずに表情に出てしまって、恋煩いをして居ませんかと人に言われてしまった。此の歌は百人一首にある拾遺集の平兼盛天徳4年960年の歌と云われています。
 元歌は「忍ぶれど色に出にけり我が恋は物や思ふと人の問ふまで」です。上の句の読み出しを変えたのか、その様に覚えて居たのか解りません。

 隠してきた恋心を人に悟られた心を、白鷺心とどう結びつけるのかですが、鳥の白鷺の心など考えて見た事も無いので、困りました。白鷺が川の中で獲物を狙う姿は、川の中の魚から見ればどのように見えるのか興味のある処ですが、まず白鷺が水辺に降り立つ時足の立たない程の深さの処には立った姿も、泳いでいる処も見た事がありません。
 足の踝の下あたりに流れが有る様に降り立ちます。恐らく魚が居そうな石や水藻があるのでしょう。静かに降り立つのではないので水面には衝撃が伝わって波紋が現れます。是では敏感な魚はきっとその場に居すくむか、逃げ出すでしょう。
 そこからが白鷺心と云えるところでしょう。暫らくは足も体も動かさず不動の姿で立って居ます。やがて魚も危険が去ったと思って戻って来るか、潜んでいたところから出て来るのでしょう。
 白鷺の眼明かに不動の姿勢から魚を追い始め、魚が射程距離に近づく頃から頭が魚を追うのか不自然な動きを見せ始めます。其の瞬間一気に頭を水中に突っ込みます。
 百発百中とは行かず、空振りは当たり前のようです、やがて魚をくわえた顔が嬉しそうに見えるのが楽しいものです。白鷺も同じ場所ではうまくいかずに魚がその場を去るのか、場替えをしたりしています。
 白鷺心とは、魚が居そうで、足場の良い場取りが大切でしょう。白鷺が降り立てばその衝撃は魚に伝わる筈ですから、一旦逃げ出す、再び元の位置に戻って来るのは魚にも都合が有る訳で、縄張り以外では専従者に追い立てられてしまいます。その戻るまでをじっと立って居る。威勢よく首を突っ込み、むやみやたらに魚を追い廻さない、捕える一瞬の嘴裁きである筈はありません。魚が自ら捕り易い場所にやって来るのを待亊なのでしょう。

居合立打共にこの歌心を持ってやりなさいと云うのでしょうが、心は隠しきれずに表情に出てしまうものだと歌われてしまいます。この様に斬り込んで勝たん、などと思えば目や腕や刀が、何処に打ち込まれるかそれを相手に知らせてしまい、切らんとする初動で見透かされてしまいます。

 次の歌は、源氏物語の作者と言われる紫式部の「紫式部集」の歌で「数ならぬ心に身をば任せねど身に随ふは心なりけり」で、意味は、「人の数にも入らない様な私の心なのに、心の儘に生きて居るなど出来るわけはない、だからその現実の生きざまに、馴れ随ってしまうのも心と言うものだ」。と歌っているものです。此の処も白鷺心であるのか、そうか、白鷺も思うように行かず、場を変えたり、其の辺を右足、左足とゆっくり踏んで、魚が岩陰から出て来る様にしたり、場を変えているが、思うように行かない。やがて諦めて飛び立って行く。

 この白鷺心は、自ら進んで、強みを見せて斬り込むのでは無く、相手の動きを我が打込みやすい所に導き出し勝を取る心を歌にのせているのでしょう。此の歌は、頭で理解出来ても、稽古を重ねなければ決して身に着ける事など出来ないものです。居合にしても太刀打ちにしても、「形だから」などと云っているうちは無理でしょう。 
 


 

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2019年12月29日 (日)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の1心水鳥

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の1心水鳥
右の心は水鳥と気を付工夫有べし 古歌に

帆を掛けて急ぐ小舟に乗らずとも
     行く水鳥の心知るへし

水鳥の水に春めども羽はぬれ須
     海の魚とて汐はゆくなし
(水鳥の水に住めども羽は濡れず
     海の魚とて汐はゆくなし)

古伝神傳流秘書の冒頭は「抜刀心持引歌」から始まります。
「荒井清信公言う 夫居合とは手近き勝負柄口六寸の大事あり其の形を亊となし前後左右之を知り先居合抜申形は「◯の中に▲」如斯
 1、身を正しくして抜申形肝要也 つりぬをたとえば(?) 面 薄桜
 1、居合之位 身の掛り 鉢の木口伝

   心水鳥
 右の心は水鳥と気を付け工夫有るべし  古歌に」

 江戸に於いて荒井兵作信定(名を改め荒井勢哲清信)から伝授され、土佐に居合をもたらした林六大夫守政の残された無雙神傳英信流居合兵法、古伝「神傳流秘書」は原本は不明ですが山川久蔵幸雅によって文政二年1819年に書き写され坪内清助にもたらされています。その神傳流秘書の冒頭の「抜刀心持引歌」なのです。
 土佐の居合も御多分に漏れず、明治維新によって絶え絶えであったものが板垣退助の肝いりで、後藤孫兵衛正亮先生・大江正路先生に依って復活し、江戸後期には流名を改めたのか無雙直傳英信流居合兵法とされて現在まで引き継がれています。所謂土佐の居合の始まりはこの「抜刀心持引歌」によって居合心を伝えてきます。

 林六大夫守政の師荒井清信公が言うには、居合と云うのは手近に云えばその勝負は柄口六寸による大事な奥義である。その形を体に浸みこませて前後左右の相手に応じる抜刀の形である。
 1、身も心も正しくして抜き付ける形が肝要である。其の抜く際の形は空中から吊り下げられているイメージで軽く膝を曲げ、足裏で床を踏み、丹田を稍々斜め前下に押し出す、お能の立姿を「つりぬ」と云ったのかも知れません。そして顔は、気張らず、こわばらず、威圧せず、ほんのり桜色とする。
 2、居合の位、身の掛りは、能の一曲「鉢の木」をイメージする様にとの口伝。前述の立姿や、能「鉢の木」の北条時頼と佐野源左衛門尉常世の相手の心を思いやる気持ちを示唆していると思います。

 「心水鳥」居合心は水鳥と同じと気を付けて工夫しなさい。その心は古歌に歌われている。
 帆を掛けて急いで水面を走り抜ける様な気分で相手に応じるのではなく、水鳥が水面を静かに滑るように進むあの姿を場に臨んでも失うなと、うたっている。
 そうであっても、水鳥は水に住んでいても羽は濡れないし、海の魚だとて汐に浸されてしまわない、その様に相手に飲み込まれず己を忘れず応じる事。
 
 遠い昔、百人一首や古文の時間に和歌を嘗めただけの世代なので、歌心などとんと音痴で読み切れないものです。然し古歌を読み解くばかりの国語学者では無いので、居合と云う武術を修業する身が、その奥義を求めて思いを致せば、其の力量のレベルで読み解くことは出来るかもしれません。
 断って置きますが、習っただけの形を見事に演ずるばかりの演舞修行者には歌心も不要でしょう。

 
 

 

 

 

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2019年12月28日 (土)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の29秘歌の大事27首の読み

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の29秘歌之大事27首の読み

1、 千八品木草薬聞きしかど
      どの病にと知らで詮なし
2、 早くなく遅くはあらじ重くなく
      軽き事を悪しきとぞ云う
3、 居合とは人にきられず人切らず
      たゞ受け留めて平らかに勝
4、 本の我に勝が居合之大事なり
      人に逆うは非がたなりけり
5、 寒夜にて霜を聞くべき心こそ
      敵に逢うての勝をとるらん
6、 鍔は只拳の楯と聞くものを
      太くも太く無きはひがごと
7、 強みにて行き当るおば下手と云う
      鞠と柳を上手とぞ云う
8、 居合とは押し詰めひしと出す刀
      刀抜くればやがてつかるゝ
9、 後より騙すに手こそなかりけれ
      声の抜きとや是を云うらん
10、狭ばみにて勝をとるべき長刀
      短き刀利はうすきなり
11、世の中に我より外の者なしと
      思うは池の蛙なりけり
12、下手こそは上手の上のかたり者
      かへすがえすも誹りはしすな
13、抜けば切るぬかねば切れよ此の刀
      ただ切る事は大事こそあれ
14、萍を掻き分け見ればそこの月
      ここにありとはいかで知らせん
15、居合とは心に勝が居合也
      人に逆うは非がたなりけり
16、人いかに腹を立てつつ怒るとも
      心に刀拳放すな
17、ひしとつくちょうと留めるは居合也
      知りぬに切るは我を害する
18、二人には勝たれざりけり悪刀
      剣に恐れて手は出ざりけり
19、居合とは弱みはかりて勝ものを
      強みて勝は非がたなりけり
20、見よや見よ浮世を渡る浜千鳥
      魚と水との篝火の風
21、世は広し折りに依りてぞ変わるらん
      我れ知るばかり良しと思うな
22、必に向かう七つを頼みて
      左右を何と防がん
23、金胎の両部の二つと見へにけり
      兵法あれば居合始まる
24、到らぬに許しこのみをする人に
      居合の恥を我とかくなり
25、切結ぶ太刀の姿のかわらずは
      勝たれぬ迄もたのもしきかな
26、執心のあらん人には伝うべし
      位残すなだいじなる事
27、引くも間よ懸るも間とは知りながら
      抜かぬに切るは非がたなりけり

 新庄藩の元禄14年1701年林崎新夢想流秘歌之大事を改めて読み直してみました。太字の歌がミツヒラによる解読となります。    

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2019年12月27日 (金)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の28終りに

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の28終りに

道歌1秘歌之大事は27首を以て終ります。
秘歌之大事は編著林崎甚助源重信公資料研究委員会による「林崎明神と林崎甚助重信」に収集されている新庄藩の相馬忠左衛門政住から田口彦八郎へ元禄14年1701年伝授されたものになります。
 本来ならば居合振武館に展示されている原本から読みとくべきものかも知れませんが、同資料研究委員会の原本写真を使用させていただきました。
 現在の処、この秘歌之大事に相当するもので、より古い林崎甚助重信を始祖とする居合の道歌は見聞きしていません。
 新庄藩には更に寛政3年1791年に常井大膳から押切傳之進へ伝授された林崎新夢想流の伝書の中にある「和歌之大事」、及び明治44年1911年松坂次郎左衛門臣盛から早坂理三に伝授された伝書にある居合秘歌巻が同書に原本写真が収録されていますのでそれを参考にさせていただきました。
 土佐の居合に於ける和歌は曾田本その1の巻末にある山川幸雅伝「居合兵法の和歌32首」で、田宮平兵衛業政之歌として文政4年1821年坪内長順から坪内清助に伝授された曽田先生の直筆書写を使用させていただいています。
 曽田先生が書き写された伝書については、一切不明です。曽田先生は恐らく土佐の居合の歴史的資料としてよりも、自らの居合修行に於ける参考として書き写されたものだろうと思っています。
 そのほかに、田宮流居合歌の伝26首を妻木正麟著詳解田宮流居合から使用させていただいています。
 これらの参考資料を置いて「秘歌之大事」を読まなければならなかった理由は、古文書の文字は紙や墨の経年変化に依る消失よりも、書かれた人の時代や地域に依るのでしょう、書体や当て字の癖、更に居合と云う独特の武術を理解していなければ文字の判読より歌の読み解きが厄介である事に依ります。
 従って、秘歌之大事の前書きに資料研究委員会では「新庄で発見された伝書では最古のものであるので、秘歌の大事を次に紹介することにしたが、下段には、読み易くするために天童郷土研究会長、伊藤文治郎氏の筆による解読歌を付した」と文字の判読から秘歌を読み解かれています。
 伊藤会長も大変ご苦労されて解読されたと思いますが、私も原本写真を基礎として解読して見ました。いくつか伊藤会長と異なる読みが点在しているのは、秘歌之大事が居合の極意を歌っている筈と心得、それを基礎として読み解いて見たわけです。
 一字ごとに、ルーペを片手に文字を解読する作業は手間取るもので、一句平均3時間は費やしてしまい、読めればその歌が示している極意のありようは何処にも参考とするものはなく、自らのつたない力量の範疇でしか読み取れないものでした。
 2011年に秘歌之大事をアップしておりますが、消去せずにそのままにしております、今回はその改訂版と最初は思ったのですが、殆んど参考にもしないで今回のものを書き込んでいますので、「前にああ言ったのに今回はこう言うのか」と言われる事もあろうかと思います。少しの進歩も無いのであれば悲しい事です。
 秘歌之大事をお読みいただいた方から、この歌はこの事を示唆しているとご教授頂ければ幸いです。
 次回は、秘歌之大事27種の読みを一括しておきます。

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2019年12月26日 (木)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の27引くもまよ

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の27引くもまよ

引も未よかゝ留も満とハ知な可ら
      ぬ加ぬにきるハ非加多也希里
読み
引くも間よ懸るも間とは知りながら
     抜かぬに切るは非がたなりけり
(ひくもまよかかるもまとはしりながら
     ぬかぬにきるはひがたなりけり)


 引くも間、懸るも間とは知っているのに、相手が「ぬかぬに」切るなど間違っている。
 直訳すればこの様な歌でしょう。
 現代居合では「敵の害意を察して」抜くと河野居合では教えています。「敵の害意」とは何なのか、意見が食い違って今にも抜刀せんとする殺気を感じた時でしょうか。手が刀に向かって動き出した時でしょうか。左手で鯉口を切る素振りを感じた時でしょうか。鯉口を切った瞬間でしょうか。
 此処では、「抜かぬに切る」と言っているのですが。この歌が新庄藩の秘歌之大事の最終の歌なのです。意図的に居合の心持ちを歌い込んでその順番にも意味ありとは思うのですが、頭を捻ってしまいます。
 相手が「抜かぬに」切る、と読んだのですが、我が抜かずに切るのでは「非がたなりけり」ですし、上の句の「間」との関連も見いだせません。
 土佐の居合は、仮想敵を想定して、抜刀する稽古ばかりをしています。現代では抜き付けの部位は肩からこめかみと大雑把です。然し根元之巻では敵の柄口六寸への抜き付けを極意としています。
 柄口六寸の勝では、敵の拳への抜き付けは、敵が左手で鯉口を切り同時に右手を柄掛りして抜き出す、その瞬間に拳へ抜き付けるものです。相手が抜きもしない、刀に手が掛からないのでは間は、相対して座したまま、膝上にあるに過ぎません。
 此の歌の心は現代居合では解けないかもしれません。
 新庄藩の林崎新夢想流の寛政3年1791年の秘歌之大事は「引も間よかゝ流もまとハ知な可ら怒可ぬ尓き類ハ非方也介利(ひくもまよかゝるもまとはしりながらぬかぬにきるはひほう(かた)なりけり)」
 新庄藩の林崎新夢想流の明治44年1912年の居合秘歌巻では「引毛間よかゝる毛間とハ知な可らぬ可ぬ尓き類ハ非方成介り(ひくもまよかかるもまとはしりながらぬかぬにきるはひがたなりけり)」
 200年余りの歳月にも文字は変わっても読みは同じ様です。
 此の歌は、曾田本その1の居合兵法の和歌にも妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝にも見当たりません。居合の抜付けの部位が「柄口六寸」を忘れて、肩だ首だ顔面だと云う現代居合になると「抜かぬに切る」などその方が当たり前になってしまいます。当然道歌も不要になったと思うのはあながち間違いでも無いでしょう。

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2019年12月25日 (水)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の26執心の

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の26執心の

執心能あらん人にハ傳婦遍し
       くらゐ残春な大事な累亊
読み
執心のあらん人には伝べし
       位残すな大事なる事

 物事を深く捉えて大切にする人には、流の位を残らず伝授する事が大事である。
 「執心のあらん」ですと現代文では執心の無い人、になるのですがここは古文を引っ張り出して「物事を深く捉えて大切にする人」と読み解くべきでしょう。それによって下の句とつながってきます。
 現代居合では、寧ろ師匠に執心が無く、見よう見まねで習っただけ、昇段審査や競技会で勝てるだけの演舞ばかりを手ほどきするのでは、武術には程遠いものです。
 「位残すな」をどこまで指導出来るのでしょう。古伝神傳流秘書を片手に研究会をやらなければ「昔は」などとは程遠いものです。

 新庄藩の林崎新夢想流寛政3年1791年の伝書では「執心乃あらん人尓は傳ふへしくらゐ残す那大事成亊(しゅうしんのあらんひとにはつたふべしくらいのこすなだいじなること)」
 
 新庄藩の林崎新夢想流明治44年1912年の伝書では「志う心乃あらんひと尓ハ傳うへし位能古しな大事なるへし(執心のあらん人には伝うべし位残しな大事なるべし)」

 曾田本その1の居合兵法の和歌にはこの歌はありませんが、こんな歌が歌われています「道を立て深く執心春る人尓大事のこさ春大切尓せ与(道を立て深く執心する人に大事残さず大切にせよ)」この歌も同じ歌心と思われますが、下の句の「位残すな大事なる事」は免許皆伝を受けた弟子に、「お前さんの弟子の中で「執心のあらん人」がおれば、位残さずお前さんが伝授する事が大事なんだよ」と歌っている様で免許を受ける方も、授与する方にも重くかかって来る様で、林崎新夢想流の師弟愛を感じています。

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2019年12月24日 (火)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の25切むすぶ

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の25切むすぶ

切武春婦太刀尓姿能可ハら春ハ
      加多連ぬ迠もたのもしき哉
読み
 切結ぶ太刀に姿の変わらずは
     勝れぬ迄もたのもしき哉

(きりむすぶたちにすがたのかわらずは
       かたれぬまでもたのもしきかな)

 1、切り結んでいる太刀の扱いが流の掟に依る、勝つことは出来なくとも末頼もしいものだ。
 2、切り結んでいる姿に、臆した所も無く、勝つことは出来なくとも頼もしいことだ。
 もっと、奥の深い事を歌っているかもしれません。
 
 新庄藩寛文3年1791年林崎新夢想流秘歌之大事では「切む春婦太刀に姿能可わら春は可多れぬ満ても堂のもしき哉(切むすぶ太刀に姿の変わらずは勝たれぬまでも頼もしきかな)

 新庄藩明治44年1912年林崎新夢想流居合秘歌巻では順番が最終になっています「切結ふ太刀の姿かハ▢ハか多れぬ未ても頼母敷哉(きりむすぶたちのすがたかわ▢▢はかたれぬまでもたのもしきかな)」

曾田本その1の居合兵法の和歌にはこの歌は存在しません。

妻木正麟著詳細田宮流居合歌の伝にもありません。


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2019年12月23日 (月)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の24至らぬに

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の24至らぬに

到らぬにゆるしこのみを春る人二
         為あひの恥を我とかく也

読み
到らぬに許しこのみをする人に
         居合の恥を我とかく也
(いたらぬにゆるしこのみをするひとに
         いあいのはじをわれとかくなり)

 まだまだ実力が至る事も無いのに、印可を好んで発行する人には、自分で居合の恥をかくようなものだ。
林崎甚助源重信公資料研究会の「林崎明神と林崎甚助重信」では「至らぬに」と此の歌の読みを書かれていますが「到らぬに」が正しい文字でしょう。
 意味は同じですから問題は無さそうです。
 問題は「ゆるしこのみをする人」は門弟が印可を欲しがるのか、師匠が乱発するのか悩みます。更に「居合の恥を我とかく也」の「我」は門弟なのか「師匠」なのかここでも悩みます。
 実力が無いのに免許を乱発すれば門弟も師匠も恥をかくはずですからどっちでもいいや、としました。然し大恥をかくのは師匠でしょう。弟子に与えた皆伝の効果も無くころりと弟子が殺されたんでは師匠も形無しです。

 新庄藩の寛政3年1791年の伝書では「い堂ら怒尓遊るしこ能ミを寸る人ハ居合の恥を我とかくなり(いたらぬにゆるしこのみをするひとはいあいのはじをわれとかくなり)」

 新庄藩の明治44年1912年の伝書では「初心にてゆるしこのみを春る人は居合能者知を我とかく也(しょしんにてゆるしこのみをするひとはいあいのはじをわれとかくなり)」

 此の歌は曾田本その1の居合兵法の和歌にはありません。

 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「至らぬゆるしこのみをするひとはその道ごとに恥をかくべし」流の業技法を身に着けたとは言えないのに勝手にこの様で十分と自分勝手にしてしまうと、その道毎に恥をかくであろう。歌心はこの辺かも知れません。

 

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2019年12月22日 (日)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の23金鉢の

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の3金鉢の

金鉢乃両部能二川と見へ尓希利
     兵法あ連ハ居合者しまる
読み
金鉢の両部の二つと見へにけり
     兵法あれば居合はじまる
(かなばちのりょうぶのふたつとみへにけり
     へいほうあればいあいはじまる)

金鉢は托鉢の鉢、或いは鉄兜。
両部は密教の大日如来の持つ智徳を表す「金剛界」、理徳を表す「胎蔵界」の両部のことでしょう。
金胎(こんたい)は漆器の金属製の素地。金剛界と胎蔵界を意味します。金鉢は金胎の誤認かも知れません。

 この解読は「金胎両部である金剛界の智徳と胎蔵界の理徳のぶつかり合いと見えた、意見の分かれがお互いに和することが出来なければ、居合兵法に依る決着が望まれる」。
 人間のコミュニケーションの最後の手段が武力による決着です。この神夢想林崎流が起こされた永禄2年1559年頃は戦国時代の真っ最中であったでしょう。戦わずして和する事が武術の奥義なのです。
智徳とは物事をよく理解する、賢い。
理徳とは物事の筋道、道理、尤もな事。

 新庄藩の寛政3年1791年林崎新夢想流伝書では「金鉢能両部二川登みへ尓介利兵法あれハ居合者し満類(金鉢の両部二つと見へにけり兵法あれば居合始まる)」

 新庄藩の明治44年1912年林崎新夢想流では「金鉢の両部の二つ止見へ介り兵法あ連ハ居合者し未留(きんばちのりょうぶのふたつとみえけりへいほうあればいあいはじまる)」

 曾田本その1の居合兵法の和歌では「金胎の両部と正に見へ尓介り兵法有れば居合者しまる(こんたいのりょうぶとまさにみえけりへいほうあればいあいはじまる)」

 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「金銀(金胎)の両部正に見えにけり兵法有ればいあい始まる」金銀は金胎でしょう。括弧付きで「金胎」とされています。恐らく江戸時代の伝書は「金鉢」であったでしょう。

 金鉢は托鉢の時のお椀、或いは漆器の金属製の素地ですから、誤認或いは誤字による伝承でしょう。この和歌の文言としては金胎で無ければ伝わってこない、この居合の伝書は一国一人の真実の人に伝授すべきものですが、理解されずに伝承されたとしか思えません。

 

 

 

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2019年12月21日 (土)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の22面にむかう

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の22面にむかう

必尓むかふ七をたのみに亭
      左右をハ何と婦せかん
読み
必ずに向かう七つを頼みにて
      左右をば何と防がん
(かならずにむかうななつをたのみにて
      ひだりみぎおばなにとふせがん)
 天童郷土研究会長の解読では「面に向かう長きを頼みにて左右をば何と防がん」とされていますが、書き出しの崩し字は「面」ではなく「必」でしょう。次の「むかふ長を」は「長」の草書体ではなく「七」でしょう。
*
新庄藩の寛政3年1791年の伝書では「必尓む可ふ七川を堂のミ丹て左右をは何と婦せ可む(必ずに向かう七川をたのみにて左右おば何と防がん)」

新庄藩の明治44年1912年の伝書では「かなら津にむかふ七つを頼尓てひ多り右をハ何とゆふらん(必ずにむかう七つを頼みにて左右おば何と云うらん)」

この歌は曾田本その1にも田宮流歌の伝にもありません。
「必ず七つのことを頼みにして向かっていくが、我が身の左右をどの様に防ぐのだ」と解読して見ましたが「七つのこと」が理解できません。
しんさまからのコメントで向身七本であろうとご教示いただきました。いずれにしても歌をよむのが精一杯で歌心迄に至れません。
従ってこの歌は字を読んだとしても歌心を読み解くことが出来ません。新庄藩に伝わった元禄14年の伝書が読めず、意味不明のまま寛政3年も明治44年も伝承してきたのでしょう。誰かが歌の心に致る事を念じて読まれて来たとしか書けない。免許皆伝とか目録の意味は業技法の運用が出来たから授与されたとは思いたくないものです。

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2019年12月20日 (金)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の21世は広し

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の21世は広し

世ハ廣し折尓よりてそ可者るらん
      者禮之流計よしとお毛ふ奈
読み
世はひろし折に依りてぞ変わるらん
      我れ知るばかり良しと思うな
(よはひろしおりによりてぞかわるらん
      われしるばかりよしとおもうな)

「世の中は広いもので、折に触れて変わるものだ、我が知っているばかりのものが良いものではない」
 
新庄藩寛政3年1791年の秘歌之大事では「世者廣し折尓寄てそ可王るらん我し流者可りよしと於もふ那(世は広し折りに依りてぞ変わるらん我知るばかり良しと思うな)
新庄藩明治44年1912年居合秘歌巻「世ハひろし折尓よりてや変るらん我志留者かよし▢▢ふな(世は広し折りによりてや変わるらん我知るばかしよし(と思)ふな」。
曾田本その1にはありません。
妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「世の中は我より外のことはなし思わは池のかへるなりけり」。歌心は同じ様ですが、歌は違います。

 

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2019年12月19日 (木)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の20見よや見よ

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の20見よや見よ

見よや見よ浮世を渡留濱千鳥
       魚尓水と能かゝ里火の可世
読み
見よや見よ浮世を渡る浜千鳥
       魚と水とのかゝり火のかぜ
(みよやみようきよをわたるはまちどり
       うおとみずとのかゝりびのかぜ) 

 そのまま読んでみると、「見て見なさい、浮世を渡る浜千鳥は、水中の魚のように、風に揺らめく篝火のようだ」。
 無理やり読んで見たのですが上の句は兎も角、下の句は是でいいのか、良しとすれば秘歌之大事とする居合にどの様に関係する歌なのか響いてきません。
 新庄藩の寛政3年1791年の林崎新夢想流伝書では「見よやミよ浮世越渡留濱千鳥魚登水戸尓かゝり火の可計(見よや見よ浮世を渡る浜千鳥魚と水とに篝火のかげ)」
 見て見なさい、浮世を渡る浜千鳥は、魚と水の様に、篝火の火影に揺らめいて居るよ。
 新庄藩の明治44年1912年の林崎新夢想流伝書では「見よや見ようき世お渡る濱千▢魚と水との可ゝ里火の可計(みよやみようきよをわたるはまち▢うおとみずとのかがりびのかげ)」一字読めない文字が有りますが寛政3年の伝書と同じ様だと思います。
 曾田本その1にも田宮流歌の伝にもこの歌は有りません。
 居合心を読み解いて見れば、「居合とは風に吹かれて飛ぶ浜千鳥や、水に見え隠れする魚、風に揺らめく篝火のように、相手の動きに瞬時に応ずるものだ」。こんな事を歌っている様に思えてきます。
 

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2019年12月18日 (水)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の19居合とはよはみ

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の19居合とはよはみ

居合とハよ者み計てかつ物を
       徒よみて勝ハ非か多也希り
読み
居合とは弱みはかりて勝ものを
       強みて勝は非かたなりけり
(いあいとはよわみはかりてかつものを
       つよみてかつはひがたなりけり)

 居合と云うのは相手の弱みを計りて勝つものを、強い事で勝は不本意である。こんな解釈で良いのか疑問ですが。相手より力強い事で勝つなどはより強いものに出合えば負けてしまうと読む事も出来ます。
 居合は相手の害意に対し機先を制するものと前面に押し出したのは河野居合ですが、古伝を読んでみると後の先も、先も、先々もあってなかには不意打ち闇討ち紛いの教えもあるのです。いずれにしても相手の隙をついていく、或いは相手の斬り込みに乗じて抜き付けるもので、力任せに強く抜き付けても勝つわけでは無いでしょう。そんな居合心を歌っているのかも知れません。
 新庄藩の寛政3年1791年の伝書では「居合とハよハ三計かし勝毛の越徒よミて可川を非かみなり介り(いあいとはよわみ計かしかつものをつよみてかつはひがみないけり)。
 新庄藩の明治44年1911年の伝書居合秘歌巻では「居合とハよ者み計て勝物をつよみて勝ハひ可多成介り(いあいとはよわみはかりてかつものをつよみてかつはひがたなりけり)」
 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「居合とはつよみよはみに定まらず兎にも角にも敵によるべし」と意味合いが強み弱みは敵に依ると言って異なります。歌心が変化していったものかも知れません。

 

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2019年12月17日 (火)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の18二人には

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の18二人には

二人尓ハ加多禮さり介り悪刀曾
       剣に恐禮て手ハ出さり希里
読み
二人には勝れざりけり悪刀ぞ
       剣に恐れて手は出ざりけり
(ふたりにはかたれざりけりあくとうぞ
       けんにおそれててはでざりけり)

 新庄藩 寛政3年1791年 和歌之大事「二人尓は加多連さ里▢り悪刀そ剣尓恐亭手者出佐り介利(二人には勝れざり▢り悪刀ぞ剣に恐れて手は出ざりけり)」
 新庄藩 明治44年1912年 居合秘歌巻「二人尓ハかた連さり介り悪刀耳テ剣耳恐て手ハ出ざり介り(二人には勝れざりけり悪刀にて剣に恐れて手は出ざりけり)」
 曾田本その1の居合兵法の和歌にはこの歌はありません。妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝にもありません。

 此の歌の読みは細部に誤りがありそうですが、「林崎明神と林崎甚助重信」なかで最も古いのが新庄藩元禄14年1701年のこの歌ですから、そこから想像する以外にないでしょう。

 秋田藩の林崎流居合天明8年1788年の伝書に「二人尓盤可多連さり介り志能支つゝ▢▢尓お曾禮て手盤出尓介利(二人には勝たれ(語れ)ざりけりしのぎつつ「剣に?」恐れて手は出でにけり」文字の判読が十分できませんので参考迄。写真版ですから読み込めませんが原本を見れば少しは進むかもしれません。
 二本松藩の林崎神流文化10年1813年に「二人尓ハ勝連ぬ處と聞ぬ連と身▢能上尓勝ハ有り介り(二人には勝たれぬ處と聞きぬれど身▢の上に勝は有りけり)」此れもかんじんな処が読めません。
 これらの歌を総合すべきでは無いでしょうが新庄藩の歌を読み直してみます。「二人には勝たれざりけり悪刀剣に恐れて手は出ざりけり」居合には敵は一人だけではなく複数の業も、複数の場合の心得も残されています。そうであればこの歌心は「二人には勝たれざりけり未熟者、剣に恐れて手は出ざりけり」となってしまいます。術理に従った刀法を身に着けなさいと読むべきでしょう。
 文字や助詞などが変わる歌は恐らく伝承しても元歌の心が読めずにいじくりまわした結果となるかもしれません。ミツヒラブログに正しい読みをコメントいただければと思います。 思いつくままに

 

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2019年12月16日 (月)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の17ひしとつく

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の17ひしとつく

非しと徒く知ゃうと留ハ居合也
       知ぬ尓きるハ我を害す春る
読み
ひしと突くちょうと留るは居合也
       知りぬに切るは我を害する
(ひしとつくちょうととめるはいあいなり
       しりぬにきるはわれをがいする)
*
 勢いよく突いて来るのを丁と受け止めるのが居合である、それを知っているのに斬ったのでは突かれてしまう。と直訳気味に読んでみました。
 然し現代居合の大森流も英信流も相手の突き業を発止(ハッシ)と受け止めるチャンバラは無い。敢えて言えば組太刀の中に見られますが、それとて業が上達して来れば請け太刀と為らずに、摺り落すとか、往なすとかの技に変化させ刀と刀を打ち合わせるなど初歩的な運剣にいつまでも拘る様では情けないものです。
 上達すれば請けと同時に斬るとか往なした瞬間に斬って居るとかにならなければ、後の先の意味も無いでしょう。そんな事を思いながらこの歌をなんども読んでいるうちに、「柄口六寸」のこの流之極意を思い描きました。敵が至近から抜き付けんとするその拳に、我は丁「ちょう」と抜き打ってしまう、これが本来の林崎甚助重信が神傳によって得られた居合の極意なのです。
 現代居合の「敵の害意を察して、肩や首、こめかみに抜き付ける」仮想敵相手の後の先と称する不意打ちとは異なるものです。
 下の句は居合の根元である「柄口六寸」のことを知りながら、居合抜とばかりに遮二無二相手の体に抜き付ければ、外されて突きを入れられてしまう。そんな景色が見えてきます。
 「林崎明神と林崎甚助重信」の新庄藩のこの秘歌之大事「ひしとつく」は下の句が「突(つか)ぬにきるは我を害する」と天童郷土研究会長は古文書を読まれていますが、伝書の文字は「知ぬ尓」と読めます。
 この読みから歌心を読み取れば、「ひしと突くちょうと留るは居合也突ぬにきるは我を害する」ですから、相手が突いて来るのを受け止めるのが居合だが、突いてこないのに知って居ながら斬るのでは悪人となってしまうよ、と諭している様に読んでもおかしくないでしょう。

 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「ひしとつく」で始まる歌は二首あります。「ひしとつくちょうと留まるを居合つかぬを切るは我を害する」もう一首は「ひしとつく敵之切先はずすなよ刀をたてに身をばよくべし」。一種目は新庄藩の歌と同じとみていいでしょう。二首めは是は居合とは言えそうにありません。田宮流は居合から剣術に移行した傾向が見られる筈です。
 曾田本その1の居合兵法の和歌にはこの歌は見当たりません。
 新庄藩寛文3年1791年では「ひしと徒くちやうと留れハ居合也▢▢耳切盤我越害す類(ひしとつくちょうと留めれば居合也▢▢に切れば我を害する)」
  新庄藩明治44年1912年では「ひしと徒く丁と留るハ居合也つ可ぬに切ハ我を害春る(ひしとつくちょうととめるはいあいなりつかぬにきるはわれをがいする)」

 新庄藩の元禄14年1701年の下の句の伝書の「知りぬ尓きるハ」の文字は「突かぬ尓きるハ(突かぬにきるは)」が正しいと思われます。
 さて、本来の歌心は、相手が突いてこないのに斬ったのでは、不意打ちになってしまい、我が身を害するよ。とするのか、相手に突かれる前に相手の抜き手を止めてしまう、「柄口六寸」の教えを覚えなければ突き業には応じられない。と読み込むのか。田宮流居合の二首目「刀を楯に身をば避くべし」なのか、将に武術の力量次第の処でしょう。私は「柄口六寸」を以て励みたいと思います。抜かんとする相手の拳を抜き打ちに制する、現代居合が忘れているものを学ぶ事です。
 

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2019年12月15日 (日)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の16人いかに腹を立て

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の16人いかに腹を立て

人い可尓腹を立徒ゝい可累とも
       心尓刀拳者奈春那
*読み
人いかに腹を立てつゝ怒るとも
       心に刀拳はなすな
(ひといかにはらをたてつついかるとも
       こころにかたなこぶしはなすな)

「人如何に腹を立てて怒っても、心に刀、拳(こぶし)放すな」此れでは意味が伝わってきません。上の句は「人は如何に腹が立つ事が有って怒るとしても」で良さそうです。下の句は「心は、刀も拳も放すなよ」「心は決して刀を抜くとか、拳で打ち据えるとかしてはならない」と読んでみたのですが、もっと深い意味が秘められているのでしょうか。
 前の歌が「居合とは心に勝が居合なり人に逆ふは非がたなりけり」でした。居合とは己の妄心に本心が負けてしまわない様にするのが居合なのだ、人の言に惑わされて逆らうなどは本意では無い」と歌った後ですから、更に、「武力で以って解決しようなどと考えるな」と追い打ちを掛けられたのは私だけでしょうか。
 
 妻木正麟著田宮流居合歌の伝「人さまに腹をたてつついかるともこぶしをみつめ心志ずめる」この歌は元歌ではなく、新庄藩の歌心を理解した上で歌の伝として伝承して来た様な気がします。
 新庄藩寛政3年1791年の伝書では「人い可に腹越立つゝい可るとも心耳か多れ拳者な須那(人いかに腹を立つつ怒るとも心に語れ拳葉放すな)」下の句の最後の句は「拳は為すな」とも読めますが意味は同じでしょう。
 新庄藩明治44年1912年居合秘歌巻「人いかに腹をた傳てい可るとも心尓刀拳ゆるしな(人いかに腹をたてていかるともこころに刀拳許しな)」。「拳許しな」の意味を拳で打つことぐらいはいいよと云うのか、刀も拳も許してはならないのか、答えは腹の立つ事に対して如何様に考えて行動するのか、居合を学ぶ者の人生哲学によるとしたのでは伝承すべき価値は無さそうです。
この歌は如何に腹立たしくとも、刀を抜くな、拳も振るうな、相手の意図する事をとことん聞いて、和する糸口を見つけ出せ、居合とは神妙剣であると云い切っていると信じます。個人対個人でも、国と国でも同様で何時迄武器を以て多くの人を、それも権威も権力も振るわずに平和に暮らす一般人を殺めて意味のない争いを人類は続けていくのでしょう。
 国境のない世界を実現するには、国を治めようとする人の存在が邪魔するのでしょう。
 曾田本その1にはこの歌に相当する居合兵法の和歌はありません。

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2019年12月14日 (土)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の15居合とは心に勝

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の15居合とは心に勝

居合とハ心尓勝可ゐあひ奈り
      人尓さ可ふは非か堂也希利
読み
居合とは心に勝が居合なり
      人に逆うは非がたなりけり
(いあいとはこころにかつがいあいなり
      ひとにさかうはひがたなりけり)
*
 居合とは自分の心に勝のが居合である、人に逆らって争うなどは間違っていますよ。直訳すればこんな事を歌っているのでしょう。敢えて「居合とは」と書き出されています。
 真実を見極める事も無くその努力を怠って「武術は人のコミュニケーションの最後の手段」の武によって決着をさせようとするなど非である、であれば、「居合とは」と限定的に言い切るものでも無い。

 柳生但馬守宗矩の兵法家伝書に、さる歌に「心こそ心まよわす心なれ心に心心ゆるすな」とあります。
 その解説 渡辺一郎校注「兵法家伝書」より
心こそ:妄心とてあしき心也。わが本心をまよはする也。
心まよはす:本心也。此の心を妄心がまよはす也。
心なれ:妄心をさして心なれと云ふ也。心をまよはす心也とさしていふ也、妄心也。
心に:妄心也。此妄心にと云ふ也。
心:本心也。心殿とよびかけて、本心よ妄心に心ゆるすなと也。
心ゆるすな:本心也。妄心に本心をゆるすなといふなり。
 右の歌、真妄をいふ也。心に本心、妄心とて二つあり。本心を得て、本心の様になせば、一切の事すぐ也。・・妄心は非をまげて理となす血のわざと云います。妄心がおこれば、本心がかくれ妄心となる、皆あしき事のみ現れる。しかし道理の分る人は其の妄心をおさえられるので尊い。妄心が出たらば兵法も負ける、本心にかなはゞ、兵法は名人となる。
 居合も兵法の一つですから、妄心に勝で納得でしょう。

 宮本武蔵は五輪書空之巻に「心意二つの心をみがき」と云い、兵法三十五箇条の心持のことでは「心の持様は、めらず、たくまず、おそれず、直に広くして、意の心かろく、心のこゝろおもく、心を水にして、折にふれ、事に応ずる心也。水にへへきたんの色あり。一滴もあり、蒼海もあり。能々吟味あるべし。」と心を語っています。

 此の歌は、妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「居合とは心に勝つが居合なり人にさかふは非法なりけり」
 寛政3年1701年の新庄藩の伝書では「居合とハ心尓勝可居合な利人に逆ふハ非▢なり希利(いあいとはこころにかつがいあいなりひとにさかうはひ▢なりけり」
 明治44年1912年の新庄藩の伝書では「居合とは心尓勝可居合なり人尓さ可ふハひ可多なり介り(いあいとはこころにかつがいあいなりひとにさかふはひがたなりけり)」
 曾田本その1居合兵法の和歌では「居合とハ心に勝可居合也人尓逆ふハ非刀としれ(いあいとはこころにかつがいあいなりひとにさかうはひかたなとしれ」。「非がた」を「非刀」と漢字をあてがっています。こうなるとまた一考を要するのですが「刀」と何ぞやでしょう。刀そのものには心などあるはずはない。刀は武士の魂とは云いますが、武士の魂を全うするための道具の一つと解せばいいのでしょう。それ以上でも以下でもない筈です。

 

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2019年12月13日 (金)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の14萍を

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の14萍を

萍を加幾者け見須わ底能月
       古ゝ尓あ里と者いかて志ら連ん

読み
萍をかき分け見ずは底の月
       こゝにありとはいかで知られん
(うきくさをかきわけみずはそこのつき
       こゝにありとはいかでしられん)

 直訳すれば、浮草をかき分けて見なければ底にある月がここにあるなどどのように知らせる事が出来ようか。
 
 寛政3年1791年の新庄藩の林崎新夢想流に依る秘歌之大事では「萍越可起王けミ須ハ底の月己ゝ(?)にあ里とハい可て志ら連ん(うきくさをかきわけみずばそこのつきここにありとハいかでしられん)」
 明治44年1911年の新庄藩の林崎新夢想流では「うき草おかき分ミ須ハ底の月底にありとはい可て志るへき(うきくさをかきわけみずはそこのつきそこにありとはいかでしるべき)」
 妻木正麟著詳細田宮流居合歌の伝「うき草はかきわけ見ればそこの月ここにありとはいかで知られん(うきくさはかきわけみればそこのつきここにありとはいかでしられん)」
 曾田本その1の居合兵法の和歌32首にはこの歌は見当たりません。

 敵の思いは何処にあるのか、水面一杯に浮かぶ萍をかき分け底に写る月が見えるように、無も有である、無心となって我が身を土壇と為して敵の打出すところにチラリと敵の思いが見える、その気に勝事、自らかき分けて見ようとするのではなく敵を動かす事によって敵の思いが見えて来る。
 無双直伝英信流の形ばかり真似て出来たと思う浅はかさではなく、仮想敵を幾重にも思い描きどのような想定でも「ここ」を知る事を修業すべきなのでしょう。

 
 

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2019年12月12日 (木)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の13抜けば切る

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の13抜けば切る

奴希は支るぬ加年ハきれよ此刀
      多ゞきる事ハ(?)大事こそ阿連
読み
抜けば切る抜かねばきれよ此の刀
      ただ切る事は大事こそあれ
(ぬけばきるぬかねばきれよこのかたな
      ただきることはだいじこそあれ)

 此の歌は何を歌っているのか解らないのですが、何度も読み直してイメージが浮かんだままを歌心としてみると、そんなものかも知れないと思うようになってきました。
 居合は抜いたならば躊躇なく斬れ、相手が抜かなくても切れ、唯無心に斬る事が大事だ。と聞こえてきます。相手の害意を察するや機先を制して抜き付ける、と河野先生は正義感にあふれた手附を書かれています。害意とは、話し合いの途中でも感じる物、まして左手を刀に触れ鯉口に親指が触れる、柄に右手が向かう・・抜き始め、抜刀する。いずれであっても抜き付けるのが居合の根元でしょう。そして林崎甚助重信の居合は敵の柄口六寸に斬り込むのです。
 大森流も英信流も柄口六寸の教えを忘れた居合になってしまいましたが、柄口六寸を根元とすれば、この歌は至極当然のことを歌っていると思います。
 一瞬の躊躇が命を落とす事になるのが居合なのでは無いでしょうか。
 抜く手も見せず、とか抜刀する素振りも見せず抜き付けるのが居合の懸りなのです。当然顔にも表さないものです。

 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「抜かば切れ抜かずは切るなこの刀たい切ることに大事こそあれ」この歌は新庄藩の秘歌之大事と雰囲気が違います。「抜くならば必ず切れ、抜かないならば切らずに済ませ、この刀は大義を以て切る事が大事である」と読んでみました。「たい切る」の捉え方をどの様にするか人それぞれの武道哲学によるものでしょう。

 新庄藩の寛政3年1791年の秘歌之大事「怒兼ハきる抜ねハきれよ此刀・・・?大事こそあ連」下の句が読み切れません。
 新庄藩の明治4年1912年では「抜ハ切抜可年ハき礼よ此刀たゞき類事尓大事こそ阿連(ぬけばきれぬかねばきれよこのかたなただきることにだいじこそあれ)」この歌は元禄時代に戻った様です。
 曾田本その1では「抜けバ切る不抜バ切与此刀只切る事二大事こそ阿礼(ぬけばきれぬかずばきれよこのかたなただきることにだいじこそあれ)」助詞の使いかってが違いますが元禄時代の歌心でしょう。

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2019年12月11日 (水)

道歌1極意之秘歌(林崎新夢想流 新庄藩)1の12下手こそは

道歌
1、極意之秘歌(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の12下手こそは

下手こそハ上手能上乃可多利もの
      かへ春〵もそし里者し春奈
読み
下手こそは上手の上のかたりもの
      かへすがえすも誹りはしすな
(へたこそはじょうずなうえのかたりもの
      かへすかえすもそしりはしすな)

 此の歌は新庄藩の寛政3年1791年の伝書に「下手こそハ上手能うへの可さり毛の可へ須可へ須(?)もそ志り者しす那(下手こそは上手の上のかざりもの返す返すもそしりはしすな)」で「下手こそは上手の上のかざりもの・・」「であって「上手の上のかたりもの・・」ではありませんが意味は同じ様にとらえられそうです。
 明治44年1912年の新庄藩の伝書では「下手古そハ上手能上乃かさり物返春返春毛そ志り者し須奈(下手こそは上手の上のかざり物返す返すもそしりはしすな)」で変体仮名の文字は違いますが歌は伝承されています。
 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「下手見ては(下手こそは)上手の上のかざりなり返すかえすもそしりはしすな」。
 曾田本その1の居合兵法の和歌では「下手こそハ上手の上の限りなれ返春返春毛そ志り者し春な(下手こそは上手の上の限りなれ返す返すもそしりはしすな)」となります。
 この歌のポイントは「かたりもの」・「かざりもの」・「かざりなり」・「限りなれ」の処と、「そしりはしすな」のところでしょう。

 限るは、他に例の無いまざりもののない最も良いかざりもの、そしるは謗る・誹る、悪く言う、避難する、けなすでしょう。そこでこの歌心は、「下手こそが上手の人の癖などのない真っ新な見本である繰返して言うが誹るものではない」というのでしょう。新人が入門して来ると手取り足取り教えているのか、かまっているのか暫らくは寄り添っている古参が、其の内「にぶくて、何時まで経っても出来ないへたくそ」など悪く言って居ます。自分の指導や形が癖だらけでポイントが見えないへぼ先生である事を棚に上げています。名人上手と云われても長い修錬で其の人独特の癖が良きにつけ悪しきにつけ表面に出て来るものです。そんな時下手と云われる人の形を見ながら、其の流の真髄に立ち戻る最も良い見本が下手な人の居合なのです。
 こんな今から300年も前の歌に、指導者の有るべき姿が語られています。当時も監督やコーチに類する人が権威を持った権力者と錯覚し、夢中で学ぼうとする人たちを痛めつけていたのでしょう。それを見てこの歌が歌われ、今日まで伝承されにもかかわらず、相変わらず繰り返している事に嫌な思いと無駄な時間を費やすことに、心を痛めるばかりです。
 師たる者は、貴人に手ほどきする程の心遣いをもって指導すべきものでしょう。

 

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2019年12月10日 (火)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の11世の中に

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の11世の中に

世能中尓我より外能物奈しと
     おもふハ池農蛙奈りけり
読み
世の中に我より外の者(物)なしと
     思うは池の蛙なりけり
(よのなかにわれよりほかにものなしと
     おもうはいけのかわずなりけり)

 世の中には我より右に出る使い手は居ないと思うのは池の中の蛙の様なものだ。と云うのです。
 此の歌の元は荘子外篇秋水の様です。
 「秋になって水は多くの支流から黄河に集まり、黄河は溢れて両岸から牛馬を見分けられない程になる。黄河の神である河伯は喜んで天下の美は己にありとする。黄河の流れに従って北海に至り東を見ると海は広く水際が見える事も無い、北海の神若に「百ばかりの道理を聞きかじって己に及ぶものなしと言うが其れは己のことだと一人よがりをして居た」と云う。北海若曰く「井蛙は以て海を語るべからざるは、虚に拘はればなり」秋水の書き出しはこんな所です。
 「井の中の蛙大海をしらず」と云う諺もあります。
 古流剣術は形稽古に始まり形稽古に終わるほどで、竹刀での打ち合いはあっても仕合をする訳でもない。其の為か「形だから決められた足踏みで決められた業を形どおりやるもの」と決めつけて来る人が多いものです。
 言われた通り、形を真似てやってみるのですが出来たつもりでいると、形ばかりの真似事で何ら役に立たないのです。それでも自分より後に入って来た者には通じるのですが、先輩には刃が立たない、稽古を重ねどうやら出来たと更に上の先輩と打ち合うと相変わらず役に立ってくれません。「其の内出来るようになるさ」と嘯いて見てもそんなに体力も寿命もありそうにない。それでも何としても其の術を身に着けたくて稽古を重ねていると気が付く事がどんどん出て来るものです。
 すると、はたで見ていた者が「形なんだからかたち通りやれよ」とブーイングです。これなど「井の中の蛙」なんてものではなく「井の中の水桶」みたいに見えてきます。

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2019年12月 9日 (月)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の10せばみにて

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想 新庄藩 元禄14年1701年)
1の10せばみにて

勢者み尓て勝をとる遍幾長刀
      ミし加(?)記刀利はうすき也
読み
狭ばみにて勝をとるべき長刀
      短かき刀利はうすきなり
(せばみにてかちをとるべきながかたな
      みじかきかたなりはうすきなり)

 狭い所での勝負は長い刀がよい、短い刀では利は薄いよ。と云っています。狭い所では刀を左右に振り回す事は出来ないので短い方が良いのでしょうが、長い刀での狭い場所での刀法は、大江居合では奥居合の居業7本目「両詰」か立業の9本目「壁添」でしょう。
 両詰意義:我が両側に障害ありて、刀を普通の如く自由に抜き難き場合にして、刀を前に抜き取り前敵を刺突して勝つの意也(河野百錬著大日本居合道図譜より)
 壁添意義:我が前面に敵を受け、左又は右に壁ありて抜刀自由ならざる場合ひ、刀を上方に抜き取りて敵を仆すの意なり。(河野百錬著大日本居合道図譜より)
 どちらも大江正路先生により古伝を改変した業になっていてこの両詰は古伝では左右に敵に詰めかけられた時の業で「抜くや否や左脇の者を切先にて突き直に右を切る。または、右脇の者に抜手を留めらるべきと思う時は右脇の者を片手打ちに切り直に左を切るべし」。で大江居合の「両詰」は大江先生による壁添の教えに依る独創でしょう。
 古伝の壁添は「壁に限らず惣じて壁に添たる如くの不自由の所にて抜くには猶以て腰を開き捻りて躰の内にて抜突くべし、切らんする故毎度壁に切りあて鴨居に切りあてゝ仕損ずる也、突くに越る事なし。就中身の振廻し不自由の所にては突く事肝要」。で大江居合の壁添は古伝の「人中」でこれは「足を揃へ立って居る身にそえて上へ抜き手をのべて打込む納るも躰の中にて納る」となります。余談ですが、人中では体に沿わせて刀を抜くという事で、現代居合の奥居合立業の「袖摺返」ではひと中での刀法としては疑問です。

 狭い所では刀は横一線の抜き付けでは無なく、刀を前に抜き出し切先が鯉口を出るや刃を返して切先を前に向け諸手で前敵を刺突する、其の際刀の長短が優劣になると云うのでしょう。
 小太刀でも充分右身になって突けば同じだと云うへそ曲がりも居るでしょうが、長い方が有利である事には変わりません。

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2019年12月 8日 (日)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の9後より

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の9後よりだます

後よりだま春尓手こそなかり介連
      聲能抜とや是をい婦らん
読み
後より騙すに手こそなかりけれ
      聲の抜きとや是を云うらん
(うしろよりだますにてこそなかりけれ
      こえのぬきとやこれをいうらん)

「後ろからだまし討ちにするのに手など無いものだ、掛声に依って抜き放ち切る事是を云うのである」と読んでみました。

寛政3年1791年の新庄藩の林崎新夢想流の伝書では「うし路よりた万春に手こそ奈可利介利聲の抜とや古れをいふらむ(うしろよりだますにてこそなかりけりこえのぬきとやこれをいうらん)」
明治44年1911年の新庄藩の林崎新夢想流の伝書でも「うしろよりたま寸に手こそなかり介り聲のぬきとや古れを云うらん(うしろよりだますにてこそなかりけりこえのぬきとやこれをいうらん)」
曾田本その1の居合兵法の和歌「後より伐るをはつるゝ事はなし聲の響を是と云也(うしろよりきるをはづるゝことはなしこえのひびきをこれというなり)」

 霜を聞く程に研ぎ澄まされていれば、後から打ち込んで来る者が掛ける聲があれば、その響き具合で殺気を感じて反応する事は出来そうです。それに対応する業も現代居合にもいくつかあるのでそのつもりになって仮想敵を抜き打つ稽古も出来るでしょう。無言でけはいを消して斬り込まれた時でも反応できるようになることはあり得ると思います。その感性を磨けと云うのでしょう。
 
 ミツヒラブログ2011年11月12日極意の秘歌9首目に此の歌の解説をしてあります。そこに笹森順造著「一刀流極意」にある伊藤一刀斎の夢想剣の霊験を参考に記載させていただいています。

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2019年12月 7日 (土)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の8居合とは

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の8居合とは

居合とは押詰ひしと出春刀
     刀ぬく連はやがて徒可累ゝ
読み
居合とは押し詰めひしと出す刀
     刀抜くればやがてつかるゝ
(いあいとはおしつめひしとだすかたな
     かたなぬくればやがてつかるゝ)

 この歌の解釈は何ともわかりずらい、意味を考えずに読むだけなら簡単ですが、文字を拾ってみても何にも伝わってきません。
 何処かにテキストは無いものかと思いつつ私ならこう解釈したいという気持ちで読んでみました。
「居合と云うのは気を籠めてピタリと抜き出す刀法である、刀を抜いてしまえば居合心に浸されるであろう」

 読まれたままに、「居合と云うのは押し詰めて行って、ピタリと抜き出す刀である、刀を抜いてしまえばやがて疲れる。」
 或は「・・・逆に突かれてしまう。」ではお粗末でしょう。
 此の歌は寛政3年1791年の新庄藩の伝書にも「居合とハ押詰ひ多と出須刀刀ぬ九れハや可て徒可るゝ」
 同様に明治44年1912年の新庄藩の伝書にも「居合とは押詰ひしと出刀可奈抜連はやがてつ可るゝ」
 曾田本その1の居合兵法の和歌には同じ歌は見当たりません「居合とは心を静抜刀ぬ希ればやがて勝を取なり」が近い歌かなと思いますがさて下の句が気になります。
 妻木正麟著詳解田宮流居合の歌の伝は曾田本その2と同じ歌い出しで「居合とは心を志ずめたる刀かたなぬくればやがてつかるゝ」とあります、下の句が新庄藩の歌と同じです。歌心が伝わる様に変化していったのかも知れません。
「つかるゝ」を「突かるゝ」と解釈するのは、私には疑問ですからここは「浸かるゝ」いわゆる「浸(ひた)れる」と読みたいものです。
 2011年の秘歌之大事のこの歌の解釈はひどいものですがあれから8年経っても、似たようなもので泣けてしまいます。それとも少しは進歩したと云えるでしょうか。
 曾田本その1の居合心立合之大事に「先ず我身を敵の土壇ときわめ何心なく出べし敵打出す所にてチラリと気移りて勝事なり」とあります。この「我が身を土壇ときわめ」の心持が居合の大事であり「居合とは押詰ひしと抜く」と通ずると思うのです。 

 

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2019年12月 6日 (金)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の7つよみにて

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流  新庄藩元禄14年1701年)
1の7つよみにて

徒よみ尓て行あ多るをは下手と云
      鞠と柳を上手とそ以婦
読み
強みにて行き当たるをば下手と云う
        鞠と柳を上手とぞ云う
(つよみにてゆきあたるおばへたという
        まりとやなぎをじょうずとぞいう)

 この歌の解釈は、剣術は、力いっぱいに強く打込んだり受けたりするのを下手と云う、蹴鞠が柳に当たっても何の抵抗も無く柔らかく受けいれて何事も無くあるのを上手というのである。と歌っています。
 蹴られた鞠も同様に何事も無く跳ね飛んで元の姿です。此の歌の「強みにて行き当たるおば下手と云う」がポイントです。
 秘歌之大事の2首目に「早くなく遅くはあらじ重くなく軽き事おば悪しきとぞ云う」がありました。今度は打つも受けるも柳に鞠を連想しろと言って居ます。
 妻木正麟著詳解田宮流居合には田宮流居合歌の伝に「つよみにて行きあたるこそ下手なれやまりに柳を上手とぞいふ」

 曾田本その1の古伝神傳流秘書のはじめは「抜刀心持引歌」から始まります。振り返ってみます。
 心水鳥
 帆を掛けて急ぐ小舟に乗らずとも行く水鳥の心知るべし
 水鳥の水に住めども羽は濡れず海の魚とて汐はゆくなし
 白鷺心
 思ふれど色に出にけり我が恋は物や思ふと人のとふまで
 数ならで心と身をば委せねど身に従ふは心なりけり
 居合太刀打共水月之大事
 水や空空や水とも見へわかず通ひて住める秋の夜の月
 おしなべて物を思はぬ人にさへ心をつくる秋のはつ風
 秋来ぬと目にはさやかに見へねども風の音にぞ驚かれぬる
 右の心にて悟るべし我は知らね共敵の勝を知らする也 其處水月白鷺共習いあるべし又工夫すべし。

 敵に従って勝つべき心持
 風吹けば柳の糸のかたよりになびくに付て廻る春かな
 強みにて行き当たるをば下手と知れまりに柳を上手とぞいふ 
 
 新庄藩の秘歌之大事の7首目の歌は「敵に従って勝つべき心持」が出来ているかが大切であると教えています。さらに続きます。

 敵と出合ふ時かならず討勝と思ふべからず、況や恐るゝことなし、間に豪末を加えず雷電石火の如くちらりと我が心にうつる時無二無三に打込事居合之極意也。然れ共只打込むではなし、是に柄口六寸の習いなり、此の習を以て敵の場へ踏込み打也。偏に大海を渡るに陸にて行けば命を失ふ故に舟に乗りて行也。居合柄口六寸之大事偏に彼の舟の心持としるべし、然れども舟にてかならず渡海すと思ふべからず。歌に
 乗り得ても心ゆるすな海士小舟浪間の風の吹かぬひぞなき
 右浪間の風能く合点しては舟ものらず 古歌に
 有となしと堺を渡る海士小舟釘も楔も抜け果てにけり
 此の心にてよく工夫有べし 口伝

 単刀直入に敵の思いに従って、ちらり心にうつる時、柄口六寸に無二無三に打込むのが居合の極意と云うのでしょう。柄口六寸の極意は敵の拳への抜き付けとされますが、すでに失伝し現代居合ではその心持ちすら失念しています。海士小舟の心持ちをどの様に解けるか、譬え解き得てもそれは己の心の中に持つ以外に無さそうです。免許皆伝を授与されたそののちに課せられた命題ですが「口伝」としてあっても消えてしまっています。
 
 

  

 

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2019年12月 5日 (木)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の6鍔はたゞ

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の6鍔はたゞ

鍔ハ多々拳能楯と聲物を
      婦とくも不とく奈幾ハ非がこと 
読み
鍔は只拳の楯と聞くものを
      太くも太く無きはひがごと
(つばはただこぶしのたてときくものを
      ふとくもふとくなきはひがごと)
*
 此の歌の解釈は「鍔はただ単に、拳を守る楯と聞いているが、それならば大きいほど相応しいが、無いとなれば不都合だ」と歌っていると読めるのです。
 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝には「つばはただ、こぶしの楯とするものを ふとくはふとくなきはひがごと」の次に「ふっと出る刀をおもいさとるべし、夢想の刀鍔は構はし」と並んでいます。鍔は無いと不都合でも意識の中にあるものではないと言って居るのでしょうか。

 新庄藩の林崎新夢想流には明治以降まで伝承していた歌で、曾田本その1にも居合兵法の和歌として田宮平兵衛業政之歌として伝わっています。
 現代居合でも古伝神傳流秘書の居合でも、居合として鍔の大小を云々する教えは見当たりません。秘歌之大事の新庄藩の林崎新夢想流は居合だけでは無かったとすれば鍔の有無は勿論その大きさも意味をなしていたかもしれませんが良く理解できません。
 この流の極意は「柄口六寸」です、現代居合では失伝している敵の拳に抜き付けるのであれば、敵の拳の楯となる鍔は邪魔なものです。しかし鍔の無い刀は短刀位ですから、鍔を気にして拳に斬り付けられない様では困ります「夢想の刀鍔は構わし」鍔などに捉われずに打込めというものです。
 無双直伝英信流居合道型の稽古で鍔付き木刀を使用する様指導されました。ところが別の古流剣術では鍔無しの木刀を使用します。真向打ち合ったりして木刀が滑り落ちてきて拳を痛めるから鍔で請けろと云うのですが、古流剣術では真向打ち合って間が少しでも近いとなると鍔が拳に当たってかえって拳を傷つけます。当然どちらも未熟だからのことです。
 居合抜きで、大刀に装着する鍔で右拳を鍔より指の太さ位離しても、抜き付けの際拳を傷つける事もあります、やや小ぶりの鍔で縁金に指が振れない様に握る必要もあります。
 また、刀を抜く際の鯉口を切る時に容易であるとか、鍔のお陰で刀身に柄手が滑り込まないとか、刀身と柄、或いは鞘との仕切りであったり、刀のバランスなどは鍔で調整できますからそれはそれなりの有効性は十分あると思いますが、絶対こうあるべきには至れません。

 この歌の本来の意味はこの程度のものでは無かったかもしれません。鍔を有効に使った業が土佐の居合の以前にあったかも知れません。思い付きではない文献等で実証できるものに出合えていません。
 

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2019年12月 4日 (水)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の5寒事(夜)にて

道歌
1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の5寒事(夜)にて

寒夜にて霜を聞く辺幾心こそ
      敵のあふて能勝をとる遍き
読み
寒夜にて霜を聞くべき心こそ
      敵にあうての勝を取るらん
(かんやにてしもをきくべきこころこそ
      てきにあうてのかちをとるべし)

天童郷土研究会長伊藤文治氏の 解読は「寒事にて霜を聞くべき心こそ敵にあ婦手の勝はとるべき」ですが「寒事」は「寒夜」草書体でしょう。

 此の歌の意味は、寒い夜に水蒸気が氷滴となって結ぶ音を聞き分ける様な、そんな心持ちであれば敵に逢っても勝を取る事が出来るであろう。
 霜が結ぶ音のように聞こえない様な敵の心の動きを事前に察する事が出来ればどんな敵に逢っても勝てる、と云っています。
 
 妻木正麟著詳解田宮流居合には「寒き夜に、霜を聞くべき心こそ 敵に逢いても勝は取るべし」
 林崎新夢想流 新庄藩寛政3年1791年「寒き夜尓霜能聞く辺起心こそ敵尓逢て能勝をとる遍し」
 林崎新夢想流 新庄藩明治44年1912「寒夜尓て霜を聞べき心には敵に逢うての勝をとるらん」
 曾田本その1 居合兵法の和歌「寒夜尓て霜を聞べき心こそ敵に阿ふても勝を取るなり」
 どの時代も多少違っても同じ様なものでしょう。

 無双直伝英信流の河野百錬宗家の昭和8年1933年発行の「無雙直傳英信流居合術全」の正座の部一本目前の業手附を読んでみますと「正面に正座し十分気の充ちたる時、左手を鯉口に取り拇指にて鯉口を切り右手の全指を延ばしたる儘柄に掛けて握り、柄を少し中央に寄せる様にし腰を左にひねりて刀を抜きつゝ両足先を爪立て、膝を延び切るや右足を前に踏み出すと同時に刀を抜き払ひ、(胸の通り横一文字に)更に雙手上段に振り冠りて真向に割付け、・・」とどこの手附でも見られる、演武の為の技術一辺倒のものでした。
 それが昭和13年1938年の「無雙直伝英信流居合道」では「意義 吾が前面に對坐せる敵の害意を認むるや機先を制し直ちに其の首に(又は顔面或は敵の抜刀せんとする腕、以下は同じ)に斬り付け・・」と此の業を繰り出すに当たっての状況を「害意を認むるや」と「霜を聞くべき心」を意図する様な前書きが付加されています。

 昭和9年1934年に太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」の大森流初発刀にも意義があります「互に4尺位離れて對坐せる時、急に敵の眼の附近を横薙に切り付け、相抜きの場合は敵の抜付けし拳に切り込む、倒るゝ所を直ちに上段より斬る業である」。此の意義は業手附のおおまかなもので、次に動作が展開します。

 心持については宮本武蔵が兵法三十五箇条に「心の持様は、めらず、からず、たくまず、おそれず、直に広くして、意のこゝろかろく、心のこゝろおもく、心を水にして、折りにふれ、事に応ずる心也。水にへきたんの色あり。一滴もあり、蒼海も在り、能々吟味在るべし」と述べています。五輪書の水之巻兵法心持之事に同様の心が述べられています。

  曾田本その1では土佐の居合の心持肝要之大事では「居合心立合之大事 敵と立合兎やせん角やせんとたくむ事甚嫌う、況や敵を見こなし彼が角打出すべし其所を如此して勝ん抔とたくむ事甚だ悪しゝ、先ず我身を敵の土壇ときわめ何心なく出べし、敵打出す所にてちらりと気移りして勝事也、常の稽古にも思いあんじたくむ事を嫌う能々此念を去り修行する事肝要中の肝要也」

 自分自身の心の持ち様から敵の心が自然に読み取れるもので、常の心であれ、それが「霜を聞く」ことと読んでみました。
 

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2019年12月 3日 (火)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の4本の我

道歌
1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)元禄14年1701年
1の4本の我
本能我尓勝可居合之大事也
     人に逆婦ハ非か多奈り介里
読み
本の我に勝つが居合の大事なり
     人に逆うは非がたなりけり
(もとのわれにかつがいあいのだいじなり
     ひとにさかうはひがたなりけり)

 妻木正麟著「詳解「田宮流居合」では「居合とは心に勝つが居合なり人にさかふは非法なりけり」もう一つ「本の我に勝つがためぞといいならひ無事いふは身のあとなる」
 林崎新夢想流 新庄藩 寛政3年1791年「本乃我尓勝可居合能大事な里人尓逆不盤ひ可多成介利(もとのわれにかつがいあいのだいじなりひとにさかうはひかたなりけり)」
 林崎新夢想流 新庄藩 明治44年1911年「毛登能我尓勝可居合の大事成人尓逆ふ者ひ可多成介り(もとのわれにかつがいあいのだいじなりひとにさかうはひがたなりけり)」
 曾田本その1居合兵法の和歌「もとの我勝が居合の習奈りなき事云はゝ身の阿だと成る (もとのわれかつがいあいのならいなりなきごといはばみのあだとなる)」

 此の歌の意味は、読んだ通りと云いたい処です、「我が思いに打ち勝つ事が居合の大事と云える、人に逆らって争うなどはあってはならない」
 単純に他人の業技法に否やを言って嫌な思いをさせたり、させられたり、或いは俺が一番と思っている兄弟子などの指導に非を述べて不興を買ったりいろいろあるでしょう。ひどいのは俺の師匠が一番で他は全部だめという程の可笑しな者も居たりします。武術道場はあらゆるレベルの人の集団ですから、いろんな価値観の人がいて良い参考になります。
 中でも自己顕示欲が強く何でもしゃしゃり出て勝手な振る舞いをする輩は、大抵業技法に長けていても組織の中での人間性に欠ける者でしょう。
 然し此処では前回の神妙剣を思い出すべきでしょう。礼を盡して相手の意見を聞き、我が意見も述べてより良い道を導き出す「以和為貴」をなさなければ居合を修業したとは言えないでしょう。

 武術的観点からこの歌の心を読み込んで見れば、敵の斬り込んでくる太刀を撥ね返そうと請け太刀になり、双方力任せの押し合いに成ったりします。
 或は敵の打込みをはねのけんとして、却って外されてしまうなど慢心のなせる動作でしょう。敵に我から斬り込んで勝負を付けたいのは少し出来るようになると皆やる事です、それを敢えて敵の打込みを待って敵の打込みを外すと同時に斬り込んで勝つ。
 土佐の居合無双直伝英信流の居合にも幾つもこの様な業は残されています、例えば大森流の受流や附込などは顕著です。ぐっと力量が上がって来れば月影や稲妻などがこの歌にあう居合らしい居合です。更に上がれば一方的に抜付るのではない前や横雲を思い描きます。
 此の歌は、難題を投げかけて来ています、もっと奥深い人と人の関係における自我意識ばかり優先させず、人を立てて生かす事を教える歌心とも言えます。
  

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2019年12月 2日 (月)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の3居合とは

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)元禄14年1701年
1の3居合とは

居合とは人尓幾ら連須人幾ら春
     多々う希とめて堂居羅可尓かつ

読み
 居合とは人に切られず人切らず
     ただ受けとめて平らかに勝
(いあいとはひとにきられずひときらず
     ただうけとめてたいらかにかつ)

 此の歌は林崎流居合として秋田藩に天明8年1788年鈴木五右衛重喬から曲木惣内に伝承されています。伝書には林崎甚助重信の次に長野無楽槿露となっており田宮平兵衛照常が抜けています。秘歌之巻7首、千金英傳33首の29番目に記載されています。
 「居合登ハ人尓切られ春人切ら春但うけとめて平勝尓せよ」(居合とは人に切られず人切らず但受け留めて平勝にせよ・・いあいとはひとにきられずひときらずただうけとめてへいしょうにせよ)

 新庄藩には明治以降まで秘歌之大事として伝承されています。田宮流居合歌之伝には見当たりません。
 曾田本その1では、田宮平兵衛業政之歌として居合兵法の和歌の3首目「居合とは人に切られず人切らず唯請とめて平にかつ」とされています。

 居合と云うのは、人に切られる事も無く、自ら人を切るものでも無い、唯相手の思いを受け止めてお互いに理解し合う事が居合の勝となるものだ。と歌っています。
 武術は人間のコミュニケーションの最終手段と決めつけた人も居ます。過去の戦争の発端がこの教えに則っているならば武力によって競い合う事も無く、多くの「人」を死に追いやる事も無かったでしょう。
 曾田本その1の最終章に「神妙剣」として残されています事は「深き習に至ては実は事(業)無し、常に住座臥に有之事にしてニ六時中忘れて不叶事なり、彼れ怒の色見ゆるときは直に是を知って怒を抑へしむるの▢(叡智?)知あり、唯々気を見て治むる事肝要中の肝要也。
 是戦に致らしめずして勝を得る也。
 去りながら我臆して誤(謝の誤字)りて居る事とは心得る時は大に相違する也。兎角して彼れに負けざるの道也。止める事を得ざる時は彼を殺さぬ内は我れも不死の道也、亦我が誤(謝の誤字)りも曲げて勝には非ず誤(謝の誤字)るべき筋なれば直に誤(謝の誤字)るも勝也。
 彼が気を先に知ってすぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也。委しくは書面にあらわし尽くし難し、心おぼえの為に其の端を記し置く也」とあります。

 (厩戸皇子)聖徳太子の「以和為貴」を素直に捉えたいものです。

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2019年12月 1日 (日)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の2早くなく

道歌
1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の2早くなく

早くなく於僧くハあらし重く奈く
     かる幾事をあし幾とそ云

読み
早くなく遅くはあらじ重くなく
     軽き事を悪しきとぞ云う
(はやくなくおそくはあらじおもくなく
     かるきことをあしきとぞいう)

 この歌も明治以降の新庄藩の林崎新夢想流に伝わっています、「早くなく遅くはあらじ重くなく軽きは悪しき拍子とぞ云う」。
 また妻木正麟著詳解田宮流居合にも「早くなくおそくはあらしかるくなしおそきことをぞあしきとぞいふ」。
 曽田本その1の居合兵法の和歌には「早くなく重くあらじな軽くなく遅き事おや悪しきとぞ云」、此れを田宮平兵衛業政之歌として文政4年1821年山川幸雅先生伝として坪内清助に坪内長順より伝えています。

 仮名で書かれた和歌は、もう特殊なものになってしまい原書のまま見せられても読めないものになってしまいました。読みを入れておいても意味が通じないと云う、情けない時代でもあるのです。更に読んでも単語の意味は解っても何を言って居るのか解らないのがこの歌かも知れまん。

 何せ、「早くてもダメ、遅くては役に立たないよ、じゃ重ければどうだそれもダメ、軽ければもう全然悪い」と此の歌に言われてしまいます。
 この歌の意味を、刀の振り方の「早い、遅い、重い、軽い」位のことで論じる程度の意味合いでの歌であれば、剣術が対敵に応じる武術である事を忘れた一人遣いの棒振り踊になってしまいます。腕力を鍛え重く長い刀を打ち振って得々とするようなものです。軽くて短い刀をひょいひょいと振って見ても相手に何も感じさせません。刀や体力などで議論しているうちは、この歌から「ダメ」って言われてしまいそうです。
 居合でよく耳にするのに「重い刀を軽く振れ、軽い刀を重く振れ」とか訳知り顔に聞いたものです。是も独り芝居の殺陣まがいの演舞に過ぎないと思います。
 居合は仮想敵相手の一人演武なので「気の抜けた居合」とか「居合は業に丸味が無ければ真の居合では無い」など、とやかく言われます。
 河野百錬著「無双直伝英信流嘆異録」では「居合に限らず如何なる業も其の極致はすべて丸みが無ければならぬ事は勿論だが、居合の成り立ちが敵に対する刀法である限り、敵の心魂に貫通する(その刀に触るるすべての者に)無限の迫力のある事が第一条件で、しかもその業に丸味があり、侵すべからざる気の位ひを備へた生き活きと躍動するもので無ければ真の居合とは申しがたい。見る人をして「気の抜けた居合」と感じさせる様な居合は、元来平素修錬の乏しい人の居合にしばしば見受ける処で、初心の間は角張った、堅いゴツゴツした居合が幾千万と練磨の功を積んだ後、所謂る丸味を会得する事が道である、初心から丸味などの言葉に迷はされて日々の修練を怠る者は、所詮は終生気の抜けた居合に終わらねばならぬ」と言われています。
 是も此の歌の本意とは言えそうもありません。
 対敵意識はあったとしても相手の拍子に応じる事が語られていない様で間抜けであったり拍子抜けであったりしても良しとされそうです。

 もう一つ河野百錬著「居合道真諦」に「居合の本義は抜討の一瞬にあり。而してその修養の眼目は正・速・強・威なり」として居合の本義と眼目が語られています。
 正 とは流儀の掟に於いて体の構へ。運剣の仕方。を始め其の流儀の形を正しく身につける事。
 速 とは形の正の上に業の理合いを弁へて練磨を重ね、運剣の速度を早くする事。
 強 とは正と運剣の速の上に斬撃の効果を十分ならしめるため、当りの強みを錬磨する事。
 威 とは正速強を身に得て百錬の暁き、流儀の体を自得し、遅速、緩急、強弱を悟り、残心を会得し、而して格調高き無限の品位と風格のある境地に到達する事。
 だいぶん歌心に近づいた様ですが、形に捉われすぎて居付いてしまいそうですし、不必要な刀の速度であったり、強みを見せようとして力任せの運剣であったり、それを良しとする傾向に陥りやすく、業の理合を弁えない唯の棒振りに陥り、残心ばかり決まっているジジイの居合でしょう。
 相手の意図する事に自然に応じていく拍子を身に着けることが望まれているとミツヒラはこの歌を解します。
 同時に相手を思う処に付け込ませる活人剣の教えが見え隠れしていると思います。
 宮本武蔵の五輪書地之巻には「まづあふ拍子をしって、ちがふ拍子をわきまへ、大小・遅速の拍子の中にも、あたる拍子をしり、間の拍子をしり、背く拍子をしる事、兵法の専也。兵法の戦いに、其敵其敵の拍子をしり、敵のおもひよらざる拍子をもって、空の拍子を知恵の拍子より発して勝つ所也」と拍子について述べています。
 仮想敵を描くにも人それぞれに相当の武的力量の差が有るもので、強い早いばかりの竹刀剣道では理解できず、年と共に衰えて若者に負ける始末を嘆くことになりそうです。何も攻撃を仕掛けて来ていない仮想敵に「敵の害意を察して」という察する事も無く抜き付ける居合や、形も「順番」や「足運び」など「かたち」ばかりを良しとしていても、武術の術には至れないものです。

 中川申一著「無外流居合兵道解説」の百足伝に
 「兵法の先は早きと心得て勝をあせって危うかりけり」
 「兵法は強きを能きと思いなば終には負けと成ると知るべし」
 「兵法の強き内には強みなし強からずして負けぬものなり」

 此の歌も、前回の「千ハ品木草薬とききしかどどの病にとしらで詮なし」も冒頭から修行練磨の厳しさを免許皆伝に託して歌われていると思い知らされるばかりです。
 
 

 

 
 
 
 

 

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庚子(かのえね・こうし)

庚子(かのえね・こうし)

2020年令和2年は庚子です。
2019年4月30日を以て平成の年号を終り5月1日から令和の年号に切り替わったわけです。
令和の意味は、万葉集巻五太宰師大伴卿の宅の「梅花の歌三十二首幷に序 天平二年正月十三日、師(そら)の老(おきな)の宅(いえ)に萃(あつまる)は、宴会を申(の)ぶるなり。時に初春の令(よ)き月、気淑(よ)く風和(なご)み、梅は鏡の前の粉を披き、蘭は珮(はい)の後の香を薫らす。」の序文から「令」「和」をとり「令和」としたと聞いています。
 「令月」は良い月、素晴らしい月、ですが「令」は良いとか、跪く事を表す文字から命令するとかお告げの意味を持ちます。
 「和」はやわらぐ、なごむ、丸く収まる、一緒に解けあった様などです。
 「令和」として素晴らしい和み、良い平和。として語られますが、一方ではぐずぐず謂わずに丸く収めろと言われそうですし、荒立てずに納めろと命令調のイメージも忖度の騒ぎから思い描くのもあり得ます。
 そうならない、させないのも人民の勤めでしょう。国の概念や国土や領土と言う思いは、故郷であって然るべきですが、地球上の多くの民は、国や国土、領土よりも、国同士の争いの無い安心して生きられる社会、何処にでも自由に移り住め、どんな民族とも、宗教でも受け入れられる天国を夢見ています。
 狭い国土と人民を支配したいのは、そこの為政者なのでしょう。子供達への洗脳教育、偏った情報の発信今も行われているといえるでしょう。為政者に依る「この枠の中」での和は、これからの時代続けて行かれるのか疑問です。
 すでに、企業活動はその枠から抜け出し始めて居るのでしょう。
 令和の元号の元で新しい時代を築き上げなければ、昭和・平成・令和を生きる者は後世の笑いものになりそうです。

1、令和二年は十二支は「子(ね)」、日本では鼠(ねずみ)。十干は「庚(かのえ・こう)」庚は金陽兄でかのえ。十干十二支は庚子(かのえね・こうし)
 子(ね):頭髪がどんどんふえて伸びる様子。植物がこれから子をふやし、成長しようとするタネの状態の象形文字から。外面的には柔和、内心は小さなことでも怒気を含み、時には人情に外れた行動を起こす事も有る、本性は正直。十二支の一番目。
 庚(かのえ・こう):中央にしっかりと強い芯が通る。植物の茎が成長して固くなり、また籾の固く実る時期を意味する象形文字から。十干の七番目、五行では辛と共に金に当て、金の兄でかのえ。

2、子の諺 
 ・頭の黒い鼠(主人の目をかすめて財産をかすめる雇い人。食物などが亡くなった時、犯人はネズミでは無く人の場合に使われる) 
 ・窮鼠猫を噛む(絶体絶命の窮地では弱者も強者を苦しめるたとえ)
 ・泰山鳴動して鼠一匹(騒ぎばかり大きくて結果の極めて小さい事のたとえ)
 ・ただのネズミでは無い(一癖ある者、油断ならない者)
 ・濡れ鼠(着物のまま、びっしょり濡れる事)
 ・袋の鼠(逃れる事が出来ない事)
 ・鼠に引かれそう(家の中に一人きりで寂しい事)
 ・鼠とる猫爪を隠す(才能の有る者は、むやみに力量を出して見せびらかさない)
 ・時にあえば鼠虎になる(時を得ればつまらない者でも勢力を奮うようになるたとえ)

3、鼠を祀ってある神社
  大国主をお祭りしてある神社に狛鼠などあったりして、大国主と鼠との関わりを暗示させます。古事記の大国主神には有名な話は稲羽の素兎の話でしょう。
 須佐之男命が野原に鏑矢を射て、大国主は其の矢を取りに行かされる、野原を焼かれて焼き殺されそうになった際、鼠が出て来て「内はほらほら、外はすぶすぶ」と呪文を唱える様に教えられる。唱えると穴が開いてそこに隠れていた。火が通り過ぎると鼠が矢を持って来る。そんな話がのっています。
 狛鼠がある神社は大国主を祀ってある神社の様で、京都左京区の大豊神社が有名の様です。

4、ネズミを詠んだ俳句 
  既に、ネズミは余程でないと人の生活圏に入り込んで来ない様なので、昔の俳句を拾い読みしても意味は解っても心に響くのが無くて残念です。

 蕪村 しぐるゝや鼠のわたる琴の上
    皿を踏む鼠の音の寒さかな

 子猫を譲ってもらって飼った事が有りました。一年ほどした或日、その子が鼠をくわえて帰って来てテーブルの上に置いて得意顔して妻を見上げます。
 妻も子供の頃は鼠はよく見ていたでしょうが、鼠嫌いな妻は「捨てて来なさい」と大声で叱った。其の子は何を叱られたのか解らず、妻の剣幕におびえ逃げ出そうとして走り出し、すぐに戻って鼠をくわえて走り去ったそうです。何食わぬ顔でその日も家に戻って来たとか。
 今でもその子の話になると、思い出されます。鼠の話にならないのは何故なんでしょう。

5、60年前の庚子は1960年昭和35年です、その年生まれの有名人、令和2年に還暦の方です。
 コロッケ、山田邦子、浅野ゆう子、美保純、黒木瞳、石田りえなどの方々。

6、庚子の年を振り返ってみます。 

・昭和35年1969年
 昭和天皇
 第二次岸信介内閣
 第一次池田勇人内閣
 貿易為替自由化基本方針決定
 日米新安保条約調印
 NHKカラーテレビ本放送開始

・明治33年1900年
 明治天皇
 第二次山県有朋内閣
 第四次伊藤博文内閣

・天保11年1840年
 12代将軍徳川家慶
 ロシア船エトロフ島に漂流民護送来航
 飢饉奥羽地方死者10万人

・安永9年1780年
 光格天皇
 11代将軍徳川家治

・享保5年1720年
 中御門天皇
 8代将軍吉宗
 江戸大火
 江戸火消いろは45組設置

・万治31660年
 後西天皇
 4代将軍家綱
 伊達騒動

・慶長5年1600年
 後陽成天皇
 関ケ原の戦い

・天文9年1540年
 後奈良天皇
 将軍足利義晴
 武田信虎信濃佐久攻め
 織田信秀、大内義隆、毛利元就など活躍

・文明12年1480年
 後土御門天皇
 将軍足利義尚

・応永27年1420年 
 称光天皇
 将軍足利義時

・延文元年1360年
 北後火厳天皇
 南後村上天皇
 将軍足利尊氏

・正安元年1300年
 後伏見天皇
 将軍久明親王
 執権北条貞時
 
・仁治元年1240年
 四条天皇
 将軍藤原頼経
 執権北条泰時

・治承4年1180年
 安徳天皇
 福原遷都 
 源頼朝伊豆に挙兵

・保安元年1120年
 鳥羽天皇
 
・康平3年1060年
 後冷泉天皇

・長保2年1000年
 一条天皇
 
・天慶3年940年
 朱雀天皇
 平将門敗れる

・元慶4年880年 
 陽成天皇

ー以下略ー

7、その他
 昭和20年1945年太平洋戦争の無条件降伏から75年。旧日本軍の軍属や徴兵に依る戦争体験者も75年が過ぎて、貴重な歴史の語り部であり犠牲者の生存者も残り少なになりました。内地で爆撃に合い肉親を失った当時生まれたゼロ歳児も75歳を過ぎようとしています。
 戦争に突入していった正しい歴史認識も曖昧にされている様で、本当は何の為に戦ったのか、勝と信じていたのか、勝ったらどうしたかったのか、何の為に戦地に逝き、何の為に民間人が原爆や焼夷弾に依って殺されていったのか、為政者と軍部は同じ思想であったのか、日本人の何が戦争を肯定させたのか、何故隣国の日本批判が絶えないのか、何の為に、何故の疑問が消えないまま過ぎて行きます。何故、何故がふつふつと湧いてきます。
 広島、長崎に落とされた原爆によって多くの同胞を失いながら、原爆反対を正式にうたわない為政者の真の目的は、持てる国を強く批判する事すら見られないのはなぜでしょう。
 地球上の人々は、貧しかろうと豊かであろうと、他国によって威圧されたり理不尽に殺されたり、何処へでも自由に行けない、暮らせない事を望んでいるでしょうか。
 令和を境に誰でもが本当はこうありたいと大声で叫び、実行する地球人になりたいものです。如何なる宗教も神様・仏様も暖かく受け入れて来たこの国はもっと大きな声で力強く叫ぶ資格があるのです、その時かも知れません。
 声に出して叫ぶ事は大切な事では無いでしょうか。
 日本人の弱さであり情けないながら生き永らえた事に「居場所が無いと不安」の国民性が権力をはびこらせる原因なのに、作られた居場所が大であろうと小であろうと大人しくしているのも情けないものです。
 私が懸念する、ぐずぐず言わずに大人しく和すべきという、時代遅れの権力がはびこる事が無いことを、声を大にして言わざるを得ません。

 2020年令和2年の座右の銘は、老子から「道法自然」とする事にしました。
 老子の象元第25「人法地 地法天 天法道 道法自然」読みは「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。」
 意味は「人は大地を模範とし、大地は天を模範とし、天は道を模範とし、道は自ずからあるべき姿に従う。」道は自然、すなわち「自然であれ」といいます。
 この事はあらゆる事に適応できるもので、間違っていても師の教えに従う事が良い事なのか、間違いは正す事が正しい事なのか、大変厳しい事も含まれるでしょう。企業における方針や命令も同じ事でしょう。
 しかし、鬱々として居場所を確保して居ても心は晴れる事は無いでしょう。「心に自然に生きよう」でしょう。

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