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2019年12月10日 (火)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の11世の中に

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の11世の中に

世能中尓我より外能物奈しと
     おもふハ池農蛙奈りけり
読み
世の中に我より外の者(物)なしと
     思うは池の蛙なりけり
(よのなかにわれよりほかにものなしと
     おもうはいけのかわずなりけり)

 世の中には我より右に出る使い手は居ないと思うのは池の中の蛙の様なものだ。と云うのです。
 此の歌の元は荘子外篇秋水の様です。
 「秋になって水は多くの支流から黄河に集まり、黄河は溢れて両岸から牛馬を見分けられない程になる。黄河の神である河伯は喜んで天下の美は己にありとする。黄河の流れに従って北海に至り東を見ると海は広く水際が見える事も無い、北海の神若に「百ばかりの道理を聞きかじって己に及ぶものなしと言うが其れは己のことだと一人よがりをして居た」と云う。北海若曰く「井蛙は以て海を語るべからざるは、虚に拘はればなり」秋水の書き出しはこんな所です。
 「井の中の蛙大海をしらず」と云う諺もあります。
 古流剣術は形稽古に始まり形稽古に終わるほどで、竹刀での打ち合いはあっても仕合をする訳でもない。其の為か「形だから決められた足踏みで決められた業を形どおりやるもの」と決めつけて来る人が多いものです。
 言われた通り、形を真似てやってみるのですが出来たつもりでいると、形ばかりの真似事で何ら役に立たないのです。それでも自分より後に入って来た者には通じるのですが、先輩には刃が立たない、稽古を重ねどうやら出来たと更に上の先輩と打ち合うと相変わらず役に立ってくれません。「其の内出来るようになるさ」と嘯いて見てもそんなに体力も寿命もありそうにない。それでも何としても其の術を身に着けたくて稽古を重ねていると気が付く事がどんどん出て来るものです。
 すると、はたで見ていた者が「形なんだからかたち通りやれよ」とブーイングです。これなど「井の中の蛙」なんてものではなく「井の中の水桶」みたいに見えてきます。

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