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2019年12月26日 (木)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の27引くもまよ

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の27引くもまよ

引も未よかゝ留も満とハ知な可ら
      ぬ加ぬにきるハ非加多也希里
読み
引くも間よ懸るも間とは知りながら
     抜かぬに切るは非がたなりけり
(ひくもまよかかるもまとはしりながら
     ぬかぬにきるはひがたなりけり)


 引くも間、懸るも間とは知っているのに、相手が「ぬかぬに」切るなど間違っている。
 直訳すればこの様な歌でしょう。
 現代居合では「敵の害意を察して」抜くと河野居合では教えています。「敵の害意」とは何なのか、意見が食い違って今にも抜刀せんとする殺気を感じた時でしょうか。手が刀に向かって動き出した時でしょうか。左手で鯉口を切る素振りを感じた時でしょうか。鯉口を切った瞬間でしょうか。
 此処では、「抜かぬに切る」と言っているのですが。この歌が新庄藩の秘歌之大事の最終の歌なのです。意図的に居合の心持ちを歌い込んでその順番にも意味ありとは思うのですが、頭を捻ってしまいます。
 相手が「抜かぬに」切る、と読んだのですが、我が抜かずに切るのでは「非がたなりけり」ですし、上の句の「間」との関連も見いだせません。
 土佐の居合は、仮想敵を想定して、抜刀する稽古ばかりをしています。現代では抜き付けの部位は肩からこめかみと大雑把です。然し根元之巻では敵の柄口六寸への抜き付けを極意としています。
 柄口六寸の勝では、敵の拳への抜き付けは、敵が左手で鯉口を切り同時に右手を柄掛りして抜き出す、その瞬間に拳へ抜き付けるものです。相手が抜きもしない、刀に手が掛からないのでは間は、相対して座したまま、膝上にあるに過ぎません。
 此の歌の心は現代居合では解けないかもしれません。
 新庄藩の林崎新夢想流の寛政3年1791年の秘歌之大事は「引も間よかゝ流もまとハ知な可ら怒可ぬ尓き類ハ非方也介利(ひくもまよかゝるもまとはしりながらぬかぬにきるはひほう(かた)なりけり)」
 新庄藩の林崎新夢想流の明治44年1912年の居合秘歌巻では「引毛間よかゝる毛間とハ知な可らぬ可ぬ尓き類ハ非方成介り(ひくもまよかかるもまとはしりながらぬかぬにきるはひがたなりけり)」
 200年余りの歳月にも文字は変わっても読みは同じ様です。
 此の歌は、曾田本その1の居合兵法の和歌にも妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝にも見当たりません。居合の抜付けの部位が「柄口六寸」を忘れて、肩だ首だ顔面だと云う現代居合になると「抜かぬに切る」などその方が当たり前になってしまいます。当然道歌も不要になったと思うのはあながち間違いでも無いでしょう。

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