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2019年12月21日 (土)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の22面にむかう

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の22面にむかう

必尓むかふ七をたのみに亭
      左右をハ何と婦せかん
読み
必ずに向かう七つを頼みにて
      左右をば何と防がん
(かならずにむかうななつをたのみにて
      ひだりみぎおばなにとふせがん)
 天童郷土研究会長の解読では「面に向かう長きを頼みにて左右をば何と防がん」とされていますが、書き出しの崩し字は「面」ではなく「必」でしょう。次の「むかふ長を」は「長」の草書体ではなく「七」でしょう。
*
新庄藩の寛政3年1791年の伝書では「必尓む可ふ七川を堂のミ丹て左右をは何と婦せ可む(必ずに向かう七川をたのみにて左右おば何と防がん)」

新庄藩の明治44年1912年の伝書では「かなら津にむかふ七つを頼尓てひ多り右をハ何とゆふらん(必ずにむかう七つを頼みにて左右おば何と云うらん)」

この歌は曾田本その1にも田宮流歌の伝にもありません。
「必ず七つのことを頼みにして向かっていくが、我が身の左右をどの様に防ぐのだ」と解読して見ましたが「七つのこと」が理解できません。
しんさまからのコメントで向身七本であろうとご教示いただきました。いずれにしても歌をよむのが精一杯で歌心迄に至れません。
従ってこの歌は字を読んだとしても歌心を読み解くことが出来ません。新庄藩に伝わった元禄14年の伝書が読めず、意味不明のまま寛政3年も明治44年も伝承してきたのでしょう。誰かが歌の心に致る事を念じて読まれて来たとしか書けない。免許皆伝とか目録の意味は業技法の運用が出来たから授与されたとは思いたくないものです。

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秘歌之大事」カテゴリの記事

コメント

しんさま
追伸です。歌の下の句は仰る通り「左右をば何とふせがん」(ひだりみぎおば なにとふせがん)で七七ですからあるべきでしょうね。訂正させていただきます。ありがとうございました。
        ミツヒラこと松原昭夫

投稿: ミツヒラ | 2019年12月22日 (日) 20時51分


>しんさん
>
>こんにちは。
>いつも楽しみに拝読しています。
>
>この歌は、向身七本、右身と左身のことかと思うのですが、如何でしょうか?
>なんと言っても林崎流ですので。
>
>そして稽古の体系としては向身の次は、右身、左身と続きますので本来は「向、右、左」でしょうが、歌の調子の都合で「右左」ではなく「左右」と歌っているのかと。
>であれば、読みは「さゆう」ではなく「ひだりみぎ」かなあ、と思ったりします。

投稿: ミツヒラ | 2019年12月22日 (日) 20時44分


しんさま
コメントありがとうございます。この歌は新庄藩の林崎新夢想流に残されたものですから、他の藩の場合どうであったかは分かりません。目録は寛政12年1800年のものが残っていて、表次第は押立・押抜・随身・除身・幕越・胸刀・頭上の7本。次に左身次第は開抜・左足・鞭結・肢去抜・向足の3本。次に右身次第は突入・抜詰・手取抜・柄取・外足の5本が絵入りで残されています。新庄藩の同流明治44年1911年の目録とは異なる部分が幾つも見られます。
 せめて覚書でもあればと思うのですが、此処からはこのブログを読まれた方のご研究に委ねたいと思う次第です。
                                       ミツヒラこと松原昭夫

投稿: ミツヒラ | 2019年12月22日 (日) 20時38分

こんにちは。
いつも楽しみに拝読しています。

この歌は、向身七本、右身と左身のことかと思うのですが、如何でしょうか?
なんと言っても林崎流ですので。

そして稽古の体系としては向身の次は、右身、左身と続きますので本来は「向、右、左」でしょうが、歌の調子の都合で「右左」ではなく「左右」と歌っているのかと。
であれば、読みは「さゆう」ではなく「ひだりみぎ」かなあ、と思ったりします。

投稿: しん | 2019年12月22日 (日) 15時21分

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