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2019年12月23日 (月)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の24至らぬに

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の24至らぬに

到らぬにゆるしこのみを春る人二
         為あひの恥を我とかく也

読み
到らぬに許しこのみをする人に
         居合の恥を我とかく也
(いたらぬにゆるしこのみをするひとに
         いあいのはじをわれとかくなり)

 まだまだ実力が至る事も無いのに、印可を好んで発行する人には、自分で居合の恥をかくようなものだ。
林崎甚助源重信公資料研究会の「林崎明神と林崎甚助重信」では「至らぬに」と此の歌の読みを書かれていますが「到らぬに」が正しい文字でしょう。
 意味は同じですから問題は無さそうです。
 問題は「ゆるしこのみをする人」は門弟が印可を欲しがるのか、師匠が乱発するのか悩みます。更に「居合の恥を我とかく也」の「我」は門弟なのか「師匠」なのかここでも悩みます。
 実力が無いのに免許を乱発すれば門弟も師匠も恥をかくはずですからどっちでもいいや、としました。然し大恥をかくのは師匠でしょう。弟子に与えた皆伝の効果も無くころりと弟子が殺されたんでは師匠も形無しです。

 新庄藩の寛政3年1791年の伝書では「い堂ら怒尓遊るしこ能ミを寸る人ハ居合の恥を我とかくなり(いたらぬにゆるしこのみをするひとはいあいのはじをわれとかくなり)」

 新庄藩の明治44年1912年の伝書では「初心にてゆるしこのみを春る人は居合能者知を我とかく也(しょしんにてゆるしこのみをするひとはいあいのはじをわれとかくなり)」

 此の歌は曾田本その1の居合兵法の和歌にはありません。

 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「至らぬゆるしこのみをするひとはその道ごとに恥をかくべし」流の業技法を身に着けたとは言えないのに勝手にこの様で十分と自分勝手にしてしまうと、その道毎に恥をかくであろう。歌心はこの辺かも知れません。

 

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