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2019年12月13日 (金)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の14萍を

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の14萍を

萍を加幾者け見須わ底能月
       古ゝ尓あ里と者いかて志ら連ん

読み
萍をかき分け見ずは底の月
       こゝにありとはいかで知られん
(うきくさをかきわけみずはそこのつき
       こゝにありとはいかでしられん)

 直訳すれば、浮草をかき分けて見なければ底にある月がここにあるなどどのように知らせる事が出来ようか。
 
 寛政3年1791年の新庄藩の林崎新夢想流に依る秘歌之大事では「萍越可起王けミ須ハ底の月己ゝ(?)にあ里とハい可て志ら連ん(うきくさをかきわけみずばそこのつきここにありとハいかでしられん)」
 明治44年1911年の新庄藩の林崎新夢想流では「うき草おかき分ミ須ハ底の月底にありとはい可て志るへき(うきくさをかきわけみずはそこのつきそこにありとはいかでしるべき)」
 妻木正麟著詳細田宮流居合歌の伝「うき草はかきわけ見ればそこの月ここにありとはいかで知られん(うきくさはかきわけみればそこのつきここにありとはいかでしられん)」
 曾田本その1の居合兵法の和歌32首にはこの歌は見当たりません。

 敵の思いは何処にあるのか、水面一杯に浮かぶ萍をかき分け底に写る月が見えるように、無も有である、無心となって我が身を土壇と為して敵の打出すところにチラリと敵の思いが見える、その気に勝事、自らかき分けて見ようとするのではなく敵を動かす事によって敵の思いが見えて来る。
 無双直伝英信流の形ばかり真似て出来たと思う浅はかさではなく、仮想敵を幾重にも思い描きどのような想定でも「ここ」を知る事を修業すべきなのでしょう。

 
 

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