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2019年12月 2日 (月)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の3居合とは

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)元禄14年1701年
1の3居合とは

居合とは人尓幾ら連須人幾ら春
     多々う希とめて堂居羅可尓かつ

読み
 居合とは人に切られず人切らず
     ただ受けとめて平らかに勝
(いあいとはひとにきられずひときらず
     ただうけとめてたいらかにかつ)

 此の歌は林崎流居合として秋田藩に天明8年1788年鈴木五右衛重喬から曲木惣内に伝承されています。伝書には林崎甚助重信の次に長野無楽槿露となっており田宮平兵衛照常が抜けています。秘歌之巻7首、千金英傳33首の29番目に記載されています。
 「居合登ハ人尓切られ春人切ら春但うけとめて平勝尓せよ」(居合とは人に切られず人切らず但受け留めて平勝にせよ・・いあいとはひとにきられずひときらずただうけとめてへいしょうにせよ)

 新庄藩には明治以降まで秘歌之大事として伝承されています。田宮流居合歌之伝には見当たりません。
 曾田本その1では、田宮平兵衛業政之歌として居合兵法の和歌の3首目「居合とは人に切られず人切らず唯請とめて平にかつ」とされています。

 居合と云うのは、人に切られる事も無く、自ら人を切るものでも無い、唯相手の思いを受け止めてお互いに理解し合う事が居合の勝となるものだ。と歌っています。
 武術は人間のコミュニケーションの最終手段と決めつけた人も居ます。過去の戦争の発端がこの教えに則っているならば武力によって競い合う事も無く、多くの「人」を死に追いやる事も無かったでしょう。
 曾田本その1の最終章に「神妙剣」として残されています事は「深き習に至ては実は事(業)無し、常に住座臥に有之事にしてニ六時中忘れて不叶事なり、彼れ怒の色見ゆるときは直に是を知って怒を抑へしむるの▢(叡智?)知あり、唯々気を見て治むる事肝要中の肝要也。
 是戦に致らしめずして勝を得る也。
 去りながら我臆して誤(謝の誤字)りて居る事とは心得る時は大に相違する也。兎角して彼れに負けざるの道也。止める事を得ざる時は彼を殺さぬ内は我れも不死の道也、亦我が誤(謝の誤字)りも曲げて勝には非ず誤(謝の誤字)るべき筋なれば直に誤(謝の誤字)るも勝也。
 彼が気を先に知ってすぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也。委しくは書面にあらわし尽くし難し、心おぼえの為に其の端を記し置く也」とあります。

 (厩戸皇子)聖徳太子の「以和為貴」を素直に捉えたいものです。

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