« 道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の14萍を | トップページ | 道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の16人いかに腹を立て »

2019年12月14日 (土)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の15居合とは心に勝

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の15居合とは心に勝

居合とハ心尓勝可ゐあひ奈り
      人尓さ可ふは非か堂也希利
読み
居合とは心に勝が居合なり
      人に逆うは非がたなりけり
(いあいとはこころにかつがいあいなり
      ひとにさかうはひがたなりけり)
*
 居合とは自分の心に勝のが居合である、人に逆らって争うなどは間違っていますよ。直訳すればこんな事を歌っているのでしょう。敢えて「居合とは」と書き出されています。
 真実を見極める事も無くその努力を怠って「武術は人のコミュニケーションの最後の手段」の武によって決着をさせようとするなど非である、であれば、「居合とは」と限定的に言い切るものでも無い。

 柳生但馬守宗矩の兵法家伝書に、さる歌に「心こそ心まよわす心なれ心に心心ゆるすな」とあります。
 その解説 渡辺一郎校注「兵法家伝書」より
心こそ:妄心とてあしき心也。わが本心をまよはする也。
心まよはす:本心也。此の心を妄心がまよはす也。
心なれ:妄心をさして心なれと云ふ也。心をまよはす心也とさしていふ也、妄心也。
心に:妄心也。此妄心にと云ふ也。
心:本心也。心殿とよびかけて、本心よ妄心に心ゆるすなと也。
心ゆるすな:本心也。妄心に本心をゆるすなといふなり。
 右の歌、真妄をいふ也。心に本心、妄心とて二つあり。本心を得て、本心の様になせば、一切の事すぐ也。・・妄心は非をまげて理となす血のわざと云います。妄心がおこれば、本心がかくれ妄心となる、皆あしき事のみ現れる。しかし道理の分る人は其の妄心をおさえられるので尊い。妄心が出たらば兵法も負ける、本心にかなはゞ、兵法は名人となる。
 居合も兵法の一つですから、妄心に勝で納得でしょう。

 宮本武蔵は五輪書空之巻に「心意二つの心をみがき」と云い、兵法三十五箇条の心持のことでは「心の持様は、めらず、たくまず、おそれず、直に広くして、意の心かろく、心のこゝろおもく、心を水にして、折にふれ、事に応ずる心也。水にへへきたんの色あり。一滴もあり、蒼海もあり。能々吟味あるべし。」と心を語っています。

 此の歌は、妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「居合とは心に勝つが居合なり人にさかふは非法なりけり」
 寛政3年1701年の新庄藩の伝書では「居合とハ心尓勝可居合な利人に逆ふハ非▢なり希利(いあいとはこころにかつがいあいなりひとにさかうはひ▢なりけり」
 明治44年1912年の新庄藩の伝書では「居合とは心尓勝可居合なり人尓さ可ふハひ可多なり介り(いあいとはこころにかつがいあいなりひとにさかふはひがたなりけり)」
 曾田本その1居合兵法の和歌では「居合とハ心に勝可居合也人尓逆ふハ非刀としれ(いあいとはこころにかつがいあいなりひとにさかうはひかたなとしれ」。「非がた」を「非刀」と漢字をあてがっています。こうなるとまた一考を要するのですが「刀」と何ぞやでしょう。刀そのものには心などあるはずはない。刀は武士の魂とは云いますが、武士の魂を全うするための道具の一つと解せばいいのでしょう。それ以上でも以下でもない筈です。

 

|

« 道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の14萍を | トップページ | 道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の16人いかに腹を立て »

秘歌之大事」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の14萍を | トップページ | 道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の16人いかに腹を立て »