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2019年12月30日 (月)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の2白鷺心

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の2白鷺心

居合太刀打共 白鷺心(と云うことあり) 口伝 古歌に

思ふれと色に出二希り我が恋は
      ものや思ふと人のとふまで

数ならて心二身をは倭ねど
      身二従ふは心なりけり

読み
思うれど色に出にけり我が恋は
      物や思うと人の問うまで
 恋しい思いを隠してきたつもりだったが、隠しきれずに表情に出てしまって、恋煩いをして居ませんかと人に言われてしまった。此の歌は百人一首にある拾遺集の平兼盛天徳4年960年の歌と云われています。
 元歌は「忍ぶれど色に出にけり我が恋は物や思ふと人の問ふまで」です。上の句の読み出しを変えたのか、その様に覚えて居たのか解りません。

 隠してきた恋心を人に悟られた心を、白鷺心とどう結びつけるのかですが、鳥の白鷺の心など考えて見た事も無いので、困りました。白鷺が川の中で獲物を狙う姿は、川の中の魚から見ればどのように見えるのか興味のある処ですが、まず白鷺が水辺に降り立つ時足の立たない程の深さの処には立った姿も、泳いでいる処も見た事がありません。
 足の踝の下あたりに流れが有る様に降り立ちます。恐らく魚が居そうな石や水藻があるのでしょう。静かに降り立つのではないので水面には衝撃が伝わって波紋が現れます。是では敏感な魚はきっとその場に居すくむか、逃げ出すでしょう。
 そこからが白鷺心と云えるところでしょう。暫らくは足も体も動かさず不動の姿で立って居ます。やがて魚も危険が去ったと思って戻って来るか、潜んでいたところから出て来るのでしょう。
 白鷺の眼明かに不動の姿勢から魚を追い始め、魚が射程距離に近づく頃から頭が魚を追うのか不自然な動きを見せ始めます。其の瞬間一気に頭を水中に突っ込みます。
 百発百中とは行かず、空振りは当たり前のようです、やがて魚をくわえた顔が嬉しそうに見えるのが楽しいものです。白鷺も同じ場所ではうまくいかずに魚がその場を去るのか、場替えをしたりしています。
 白鷺心とは、魚が居そうで、足場の良い場取りが大切でしょう。白鷺が降り立てばその衝撃は魚に伝わる筈ですから、一旦逃げ出す、再び元の位置に戻って来るのは魚にも都合が有る訳で、縄張り以外では専従者に追い立てられてしまいます。その戻るまでをじっと立って居る。威勢よく首を突っ込み、むやみやたらに魚を追い廻さない、捕える一瞬の嘴裁きである筈はありません。魚が自ら捕り易い場所にやって来るのを待亊なのでしょう。

居合立打共にこの歌心を持ってやりなさいと云うのでしょうが、心は隠しきれずに表情に出てしまうものだと歌われてしまいます。この様に斬り込んで勝たん、などと思えば目や腕や刀が、何処に打ち込まれるかそれを相手に知らせてしまい、切らんとする初動で見透かされてしまいます。

 次の歌は、源氏物語の作者と言われる紫式部の「紫式部集」の歌で「数ならぬ心に身をば任せねど身に随ふは心なりけり」で、意味は、「人の数にも入らない様な私の心なのに、心の儘に生きて居るなど出来るわけはない、だからその現実の生きざまに、馴れ随ってしまうのも心と言うものだ」。と歌っているものです。此の処も白鷺心であるのか、そうか、白鷺も思うように行かず、場を変えたり、其の辺を右足、左足とゆっくり踏んで、魚が岩陰から出て来る様にしたり、場を変えているが、思うように行かない。やがて諦めて飛び立って行く。

 この白鷺心は、自ら進んで、強みを見せて斬り込むのでは無く、相手の動きを我が打込みやすい所に導き出し勝を取る心を歌にのせているのでしょう。此の歌は、頭で理解出来ても、稽古を重ねなければ決して身に着ける事など出来ないものです。居合にしても太刀打ちにしても、「形だから」などと云っているうちは無理でしょう。 
 


 

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