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2020年1月25日 (土)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の28鞠を蹴る8極楽は

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の28鞠を蹴る
8極楽は

敵色々と有りて我を騙すとも油断する事勿れ例えば鞠を蹴るに同じ我が鞠と人の鞠との色を良く見る事也

極楽ははるか二遠く聞き之かど
      唱へて至る所なりけり

居合心持引歌終

読み
「極楽は遥かに遠く聞きしかど唱えて至る所なりけり」極楽ははるか遠くにあるものと聞いていたのだが(南無阿弥陀佛・南無阿弥陀佛と)唱えれば極楽に至る所である。
 敵に対すれば、相手の打込みを躱せずに切られてしまい、死んでしまうのだろうなどと、死を恐れ、相手を恐れて居すくんでしまうものです。
 居合兵法極意巻秘訣では神妙剣に「他流にて心を明にしめ敵の働を見よと云とは大に違えり、生死の境なれば平気とは異なり、然れども忘るまじき事一つ有り。則ち柄口六寸也、柄口六寸実は抜口の事に非ず、極意にて伝える所は敵の柄口六寸也、構は如何にも有れ敵と我と互に打ち下ろす頭にて只我は一図に敵の柄に打込也。
 先我身を敵にうまうまと振うて右の事を行う事秘事也、是神明剱也」
 無雙神傳英信流居合兵法、現代の大江居合による無双直伝英信流の古伝が語る「一図(一途)に敵の柄に打込む」極意です。この極意は新陰流にも同様な「合し打ち」、「十文字打ち」を思い描きます。如何なる部位に打ち込まれようとも迷うことなく相手と正対して中心線に打ち下すものと言えます。将に南無阿弥陀仏の唱えて極楽浄土に至ると教えた時宗のご詠歌そのものとも思えます。
 極楽浄土に至る事なのですが、相手との死闘に打ち勝つ事が武術そのものの最終目的で勝てば極楽と云えるかどうかは、人としてどうあるべきかにおいても、正しいと信じた事は寸分も曲げずに貫き通す人に、曲げてでも従えと迫られた場合だけに与えられるものが武ど云えます。南無阿弥陀仏と称える心で打ち下ろし、たとえ勝を得られても心は晴れるとは言い切れません。更に求められるのは、武術を行使せずに相手と和する事が出来た時、将に極楽浄土に至ったと云えるのでしょう。曾田本の最終章にある神妙剣の教えで「相手の怒りの気を見て治る亊」なのです。
 
 古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌を改めて読み直してみました。神傳流秘書の巻頭を占めるこの歌の教えは、何時詠んでも難関でした。しかしこの難問を巻頭に掲げた上で大森流居合之事、英信流居合之事、太打之事、坂橋流之棒、詰合、大小詰、大小立詰、大剣取、抜刀心持之事、夏原流和之事と亊(業)が進んで行きます。夏原流和之事によって無刀に至る所まで辿り着き、そこからは武器に依る戦いの形から、戦う以前の心持ちに至り、神妙剣に至る一連のパノラマが書き込まれていたのです。
 
 此の抜刀心持引歌は江戸勤番の折に修行した第九代林六太夫が師匠の第八代荒井勢哲清信から伝授されたのでしょうか、或いは第七代長谷川英信より伝承したのでしょうか。もしそうであれば、市井の剣客にあり得るであろうかと思えるほどの、広い知識と此の流の根元を紐解いた高さは並のものでは無いと改めて感じてしまいました。
 田宮平兵衛業政の歌として伝承された歌とは立ち位置が違いますがこれ等を合わせ、棒振り踊の枠から、武術の根元を見直すことは、居合を修業する者の使命かも知れません。

 この項を以て古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌を終了します。

 表題は「抜刀心持引歌」でしたが何故か「居合心持引歌」で「終」でした。

 
 

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