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2020年2月29日 (土)

道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の20我が道の居合一筋

道歌
3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の20我が道の居合一筋

田宮神剣は居合歌の秘伝
我が道の居合一筋誰伝ふに
     知らぬ理かたの事をかたるな

(我が道の居合一筋さうだんに
     知らぬ兵法事をかたるな)

曾田本居合兵法の和歌
我道の居合一筋雑談二
     知らぬ兵法亊を語多る那

新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事
この歌は有りません

 この歌は、木村栄寿先生の居合歌之屑では「我道の居合一筋雑談にしらぬ兵法事をかたるな」とあります。田宮神剣は歌の秘伝は元歌が変化していったのか解りませんが、大凡曾田本と同じ歌心であろうと思います。
 曾田本は「我が道の居合一筋雑談に知らぬ兵法亊(わざ)を語るな」。解釈は、我が一筋に修行する居合について、雑談であろうと知らぬ兵法の亊(業)を語るな。
 田宮流の歌は「我が道の居合一筋誰伝うに(云うの誤字か)知らぬ理方の事を語るな」。解釈は、我が居合一筋の道であるが、その居合を誰に伝えるにしても、知らない理方(意義)の亊(業)を語るな、でしょう。
 
 何れの歌も、雑談でも誰かに話すにしても、居合について知らない事は語る事ではない。それでは当然のことを言って居るに過ぎないようですが、この奥に秘められた歌心は、はて、と頭をひねっています。
 更に他流に自流の業技法が漏れてしまう事を恐れる為の事であれば、その程度の事で不利となる武術では奥が知れています。この程度の事では極意に相当する内容とは思えません。
 何流にしても入門に際して起請文を入れていた様で今でも、恰好をつけて居る所もありそうですが、中山博道先生が細川義昌先生にお出しになった起請文が、木村栄寿先生の林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説に掲載されています。この歌を読み解くに当たり歌心を求める者に此処に引用させていただきます。

 起請文
1、無双神傳英信流居合兵法修行之事
1、先師の御遺言堅相守他流混雑等非道之事
1、御相傳之儀におゐては親子兄弟たり共他言他見之事
右条々堅可相守若於違背仕者神明之義罰可罷蒙者也
 大正5年12月 中山博道

 この起請文の2項の「他流混雑」は何故いけないのか・3項の「親子兄弟たり共他言他見」に記された事の意味は何なのか。
 古流剣術は始祖の死闘の末に作り上げられた武術とも云える、それを学ぼうとするならば、それまでに習い覚えた武術を封印して習うべきもので、「竹刀剣道では」とか「神道無念流では」とか得々として持ち出す者が多い、居合もしかりといえます。習う時は素直に総てを習い覚えなければ本来の習いにはならないし、その奥義に到達する事を妨げてしまいます。それでも過去に習い覚えた動作は知らずに出てしまうものです。
 「親子兄弟たり共他言他見之事」は「親子兄弟たり共他言他見せざる之事」でしょう。聞いたり見たりしただけで奥義を相伝した内容に迫れるかは見たり聞いたりした者が、既に他流の奥義に到達する程の者でない限り大した障害にはなりそうもありません。特に現代のように、昇段審査や演武競技にとらわれ、形を「かたち」として演ずることしか出来ない様になってしまいますと、形から次々にほとばしる「まろばし」が失われ「格を放れ」ることすらできなくなってしまうものです。
 現代では、武術論を得々と述べて見ても、その世界に居る一部のもの以外は耳を貸すことも無いでしょうから、「好きにしたら」でいいのでしょうが、自慢げにしゃべれば品位を失うばかりでしょう。

 

 

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