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2020年2月21日 (金)

道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の12人さまに

道歌
3、田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の12人さまに

田宮神剣は居合歌の秘伝
人さまに腹を立てつついかるとも
       こぶしを見つめ心志ずめる

曾田本居合兵法の和歌
如何に人腹を立つゝ怒るとも
       拳を見込み心ゆるすな

新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事
人いかに腹を立てつゝいかるとも
       心に刀拳はなすな

田宮神剣は居合歌の秘伝の読みは「人様に腹を立てつつ怒るとも、拳を見つめ心静める」でしょう。「人さま」を「人様」と読んでみましたが、何となくぎこちない気もします。この三首の歌は上の句はほぼ同じ意味合いで「どんなに人に腹を立てて怒っても」でしょう。下の句は田宮神剣は居合歌の秘伝では、「拳を見つめて怒りの心を静める」というもので怒りがこみあげて来る心を静める、本心の働きを強く持たねばなりません。
 曾田本の下の句は「拳を見込み」とはどういう意味か解りませんが、「拳を見つめ」の誤りか「拳を見込んで怒る心を本心が諭す」のでしょう。
 新庄藩の秘歌之大事は「心に刀拳放すな」ですから「怒る心と刀と拳を本心が放すな」と読むのが良さそうです。
 心をとらえた歌に沢庵の不動智神妙録の歌に「心こそ心まよわす心なれ心に心心許すな」と有ります。
 柳生宗矩の兵法家伝書ではこの歌の解釈を以下のようにされています。
 心こそ(妄心とてあしき心也。わが本心をまよわす也) 
 心まよわす(本心也。此の心を妄心が迷わす也)
 心なれ(妄心をさして心なれと云う也。心をまいわす心也とさしていう也。妄心也)
 心に(妄心也。この妄心にと云う也)
 心(本心也。心殿とよびかけて、本心よ妄心に心ゆるすなと也)
 心ゆるすな(本心也。妄心に本心をゆるすなというなり)
 
 この歌心は、様々な場面に適用できる心遣いですが、時にどれが本心でどれが妄心なのか見極めがつかないのも未熟の為せるものかとふと立ち止まるものです。
 宮本武蔵も兵法35箇条で「残心・放心は事により時にしたがふ物也。我太刀を取りて常は意のこころをはなち、心のこゝろをのこす物也。又敵を慥に打時は、心のこゝろをはなち、意のこゝろを残す。残心・放心の見立、色々在る物也。能々吟味すべし」と二つの心を述べています。

 人は如何に、意見の食い違いや利益に反することが互にあるとも、コミュニケションの最後の手段として武術(戦)をもって解決すべきものではない。この居合は、戦国時代の真っ最中の頃に始まり、関ケ原の戦い、二度の大坂の戦いを経て平和な時代に学ばれたものです。戦う事の意味を強く意識されたものでしょう。

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