« 道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の1規矩準縄13打込みは | トップページ | 道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の2居合抜ぬくとばかり »

2020年2月10日 (月)

道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の1居合とは心をしずめ

道歌
3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の1居合とは心をしずめ

妻木正麟著詳解田宮流居合を参考にさせていただき、曽田本の居合兵法の和歌を見直してみたいと思います。以前に書いた歌心と異なる解釈が出来ていれば少しは進歩したかも知れません。居合道歌は目にしても素通りしてしまう先生方も有る様ですが、道場の稽古に加えて歌心を皆で話し合ってみる機会など得られれば、新たな発見も有ろうかと思います。日本の国語読解力は極端に落ちてきているとか、今のうちに居合道歌にも光をあてませんと本当に消えてしまうかも知れません。

田宮神剣は居合の秘伝
居合とは心を志ずめたる刀
     かたなぬくればやがてつかるる

居合とは心を志ずめだす刀
     ぬくればやがて勝をとるなり

曾田本居合兵法の和歌
居合とは心を静抜刀
     奴希ればや可て勝を取なり

新庄藩の秘歌之大事
居合とは押詰ひしと出す刀
     刀ぬくればやがてつかるゝ

*
 妻木正麟著詳解田宮流居合では、「居合とは心をしずめたる刀(だすかたな)刀ぬくればやがてつかるゝ(かちをとるなり)」とあって「居合とは心をしずめだす刀ぬくればやがて勝をとるなり」とも歌うように書かれています。歌の解釈に迷って、つけくわえられたのか、元歌が見つかったので書き加えたのか解りませんが、どちらにしても意味が読み取れない歌です。曽田本は田宮流の二本目の歌と似ています。新庄藩の歌は「押詰ひしと出す刀」の解釈が厄介です。
 元歌はどれなのか、別のものなのかもわかりません。
 田宮心剣の歌から「居合と云うのは心を静めて応じる刀法である、刀を抜いてしまっては直に突かれてしまう」或いは「居合と云うのは心を静めて抜き付ける刀法である、刀を抜くや勝をとるものだ」と云うのかも知れません。曾田本は大凡後者の解釈でしょう。新庄藩の歌は「居合と云うのは相手を威圧してひしと抜き付ける刀法である、ただ抜くならばすぐに突かれる」と解釈しても少しも納得できません。
 勝っても突かれても、歌にして残す程の歌心を感じません。歌は免許皆伝を許されたほどの人に更に磨けと与えられる奥義の歌と思いたいので、もう一歩奥に入らないと読めないのかも知れません。
 「つかるゝ」の解釈を「突かれる」・「疲れる」・「浸かる」・「付かれる」では意味不明です。
 「勝をとるなり」では平凡ですが居合の根元を表現している感じです。「居合と云うのは心を静めて抜き付ける刀法である、刀を抜くや勝を取るものだ」が本来の歌で「つかるゝ」で終わる歌は迷想している歌かも知れません。
 但し「浸かる」については、この歌が田宮心剣では第一首目にある事を思うと「居合とは心を静めて(鎮めて)抜く刀法である、抜刀して見るとすっかり浸ってしまう」と歌心を思うのもいいかも知れません。そんな思いで稽古に励む私です。

 新庄藩の秘歌之大事は「居合とは心を沈めて相手を圧しながら抜き出す刀法である、刀を抜けば忽ち突かれる」では意味が無いのでここも「居合に浸ってしまう」とした方がいい様に思います。居合もその歌も、其の域に達しなければ教えを理解できないのは同じかもしてません。
 

|

« 道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の1規矩準縄13打込みは | トップページ | 道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の2居合抜ぬくとばかり »

秘歌之大事」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の1規矩準縄13打込みは | トップページ | 道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の2居合抜ぬくとばかり »