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2020年2月12日 (水)

道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の3居合とは刀一つに

道歌
3、田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の3居合とは刀一つ

田宮神剣は居合歌の伝
居合とは刀一つにさだまらず
     敵のしかけをとむるやうあり

居合とは刀一つにさだまらず
              敵のしかけに留まることあり

曾田本居合兵法の和歌
居合とは刀一つ尓定らず
      敵の仕掛を留る用阿り

新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事にはこの歌は有りません

田宮神剣は居合歌の伝による、一つ目の歌は、居合と云うのは刀によるばかりの事ではない、敵の仕懸けて来る事を留める用意もあるものだ。二つ目は、居合と云うのは刀によるばかりではなく、敵の仕懸けによっては抜刀をやめる事も有る。とでも云うのでしょう。一つ目の主体は我ですが、二つ目は敵に主体性があるように聞こえます。然し何れも、敵の状況によっては抜刀を止めるという事では同じ事でしょう。
 曾田本兵法の和歌も同じ事を歌っています。この歌心を、相手を威圧して止めさせる、とか武術で制する様な事を歌心として思いたくはありません。居合とは刀による決着をするばかりではなく、互に納得できる状況を生み出し和する事もある、と読みたいものです。土佐の居合の古伝による神妙剣は「唯々、気を見て治むる事肝要中の肝要也、是戦に至らしめずして勝を得る也。・・彼の気を先に知ってすぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也」とあります。

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