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2020年3月18日 (水)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の11稽古にも

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の11稽古にも

百足伝
稽古にも立たざる前の勝にして
      身は浮島の松の色かな


 百足伝9首目の歌は「兵法は立たざる前に先づ勝ちて立合てはや敵はほろぶる」でした。孫子の兵法により「戦わずして勝」という言葉はよく知られています。
 但し孫子は「是故百戦百勝 非善之善者也 不戦而屈人之兵 善之善者也」(是の故に百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり 戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり)。この様に戦うのでは善に非ず、戦わない事だというわけです。其の為には五亊の道・天・地・将・法を充分に理解して居る事。更に兵は詭道也としています。此処は解説しませんが孫子の計篇にある計り考える事として挙げられています。
 ここでの兵法は、いざという戦闘の場合、居合では仕合における勝負と見れば良いのでしょう。
  百足伝11首目は兵法に代り「稽古にも立たざる前の勝にして」しかも「稽古にも」ですから。稽古をするに当たっても、相手と打ち合う前に勝つのだというわけです。
 現代居合は概ね、相手の攻撃を意義なり理合なりによって想定し、それに応じて機先を制するもので、仮想敵に負ける事は想定外です。従って抜き付ける部位は一寸違わず抜き付ける事が出来、相手のどのような状況に於いて抜き始め、抜刀するかが自分の描いた仮想敵に適切でなければ稽古の意味などないも同然です。
 座して二呼吸半で刀に手を掛け、柄がしらを仮想敵の喉元に付け、序破急を以て抜き出し、横一線に抜き付け、抜き付けた拳の高さは、剣先の高さは、剣先は何処を向いている、などの形ばかりに拘っていたのでは、仮想敵に抜き付ける前に刀の抜き付けの標準値を繰返すばかりになってしまいます。
 昇段審査や演武競技などではそれで充分と思いますが、実戦を意図した稽古でそれでよいかは別物です。抜き付けはあくまでも相手の小手と決めたらあらゆる状況でも小手に抜き付ける事を瞬時に実施するものです。
 仮想敵ならば、自分と同じ様に横一線の抜き付けで右肩を狙って来る、或いは上に抜き上げ切り下して来る、相手は立って上段に構えて来る。
 どのような状況においても抜き付ける前に勝っている事が「稽古にも立たざる前の勝にして」に対応できるものでしょう。
 心を静め何時如何なる状況にも応じられる様に、業技法を身に付ける様に心掛け、その座した姿は、小さな浮島に凛として生え、塩を含む雨にも風にも負けずに居る松の風情なのでしょう。
 
 

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