« 道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の24長短を論ずる | トップページ | 道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の26雲霧は稽古の中 »

2020年4月 1日 (水)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の25前後左右

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の25前後左右

百足伝
前後左右心の技直ならば
      敵のゆがみは天然と見ゆ

 前後左右どちらにも偏らない心の置き所が直ぐであれば、敵のゆがみは自然に見えるものだ。

 「心の技」とは何でしょう。其の上その「技」が直ぐである事とはへそ曲がりには理解できないものです。敵と対して、威丈高になって機を窺う素振りや、今にも打込むぞと見せつける、此の様に来れば一気に打込まんなどと、兎や角相手の出方を想像して、いつの間にか妄心に覆われて平常心を忘れてしまう、懸ると待の心持ちも、懸るばかりに偏ったり、待にばかり偏ったり、妄心は自由勝手に走り回るものです。妄心に惑わされない本心を以て心静かに相手に向かうのであれば、逆に相手の心の歪みが自然に我が心に移って来るものだ、相手はこの様に誘いを懸ければこの様にするだろう抔思いめぐらし、誘いを懸けて来る。
 翻車刀の教えのように互に相争っている様に見えても、心の技直ぐなれば相手のゆがみが手に取るように見えるので不動の心で環り得るのでしょう。見せかけや、誘いに乗らずに動くとしても相手に随って無我の境地で応じるもの。飽くまでも心も体も軸をブラさない自然体と云えるのでしょう。そしてここぞという水月をとらえて打込んで行く、相手は其の打ち込みを逃れる事は出来ない。無外流真伝剣法訣十剣秘訣がここでも示されていると思います。

  

|

« 道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の24長短を論ずる | トップページ | 道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の26雲霧は稽古の中 »

道歌4無外流百足伝」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の24長短を論ずる | トップページ | 道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の26雲霧は稽古の中 »