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2020年3月19日 (木)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の12曇りなき

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の12曇りなき

百足伝
曇りなき心の月の晴れやらば
      なす業々も清くこそあれ

 曇りのない心であれば心に写る月は晴れ晴れとして見えるものである、そうであれば打出す業の数々も清いものであろう。分かったようでわからない歌の解釈です。
 分からないのは、先ず歌い出しの「曇りなき心」とは、相手がこのように来るならばああしよう、ああなればこのように、とか、この様にして打ち負かそうなど一方的に思いめぐらし、相手の事など何処かに置いてしまい気ばかり勝った状況を取り去り無心になる事を意味していると思います。

 曽田本にも居合心持肝要之事居合心立合之大事に「敵と立合兎やせん角やせんとたくむ事甚嫌う況や敵を見こなし彼が角打出すべし其所を此の如くして勝ん抔とたくむ事甚悪し、先づ我身を敵の土壇ときわめ何心なく出べし、敵打出す所にてチラリと気移りて勝事なり、常の稽古にも思いあんじたくむ事を嫌う能々此念を去り修行する事肝要中の肝要也」。この教えが、百足伝の歌を解説しています。兎や角しようとせずに無心と成れば、相手のしようとする事が心に晴れやかな月のように移り込んで来る、そうであれば応じる業もスッキリとしたものとなって勝つことが出来る。

 笹森順造著一刀流極意の一刀流兵法仮字目録の水月之事にもこの歌の心を思わせる一節があります「身を充分に守っていると隙間もないが、ただ相手を打とう打とうと思うて自然に己の守りが不足し隙が出ると、そこを打たれる。月が清く心が明鏡止水のようであると、相手の姿やそのたくらみは月の光の中の斑点も悉く見える様に写るものである。わが心に写ると手に写り手から刀に写り、相手の隙を一刀のもとに制する事が出来る・・。」

 此処で注意しなければならないのは、心を無にして相手の動きを待つだけでは無いという事でしょう。相手の動きを察知して機先を制する事が「なす業々も清くこそあれ」につながると思います。懸と待の根本的考えは柳生新陰流の始終不捨書による「懸のうちの待。待の内の懸。懸々に非ず。待々に非ず。」と教えています。更に始終不捨書では「水月活人刀と云習いは昔の教なり。悪し。重々口伝」でその心は敵の移りり来るを待つ心ではなく、わが先をもって敵を「移れと移す心」である。(柳生延春著柳生新陰流道眼を参考) 
 

 

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