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2020年3月30日 (月)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の23朝夕に心にかけて

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の23朝夕に心にかけて

無外流百足伝
朝夕に心にかけて稽古せよ
      日々に新たに徳を得るかな

 朝夕に心にかけて稽古しなさい、日々新たな徳を得るものです。と云っています。「心にかけて」の解釈は、歌の文言だけでは朝夕心掛けて毎日稽古しましょう、と聞こえます。
 朝夕毎日稽古するばかりで毎日新たな徳を得られるのか、何か無外流の持つ思想的問題を心掛けて朝夕稽古したいものです。
 やはり、無外流始祖の無外流真伝剣法訣と十剣秘訣の一語一語の教えを胸に秘めて稽古すると考えたいものです。あれは極意の秘伝だから一通り形が打てるようにならなければ教えられないと言われるのでしょうか。
 現代はインターネットで簡単にそれは手に入り、解説までされています。昔はどうだったのでしょう。
 意味も解らず、形を教わった通りに順序良く元気に打っていればいいのでしょうか。それでも健康維持のための運動不足解消の一役としての意味は十分あります。
 武術は何の為にこの化学兵器が充満している世界に役立つのでしょう。何となくきな臭いこの頃、下手をすれば、白兵戦にも物おじしない、皇国の為に天皇陛下万歳と叫んで突入する兵士養成に戻されてしまいそうな予感もします。
 武術は先ず己の為に、己の人生を身も心も正しく生きて行く為の知恵と体を作ってくれます。不意の出来事にも、おたおたしないで瞬時に応じられる体と心を養ってくれます。「もっと先に」と今ある事の先を見つめて努力する事は何にもまして楽しいものです。

 先日、古流剣術の形稽古をしていて、「形を要求された順序やかたち通りに出来てから、変化を求めるのが筋で、出来てもいない内にやるべきではない」など、解った様な嘘を平気で言って居る指導者面した者がしゃべっています。
 「形の要求された通りにやって、術が効いたから出来たと思っても、それはいつも同じ人と組んでのことで本当に出来たのか疑問ですよ。それに自分より下手な人には効いても、直ぐ上の先輩にすら効かない、まして師匠には簡単に外されてしまいますよ。何か勘違いしていませんか。
 それにその形が出来たというのは、他人が判断するものでは無く自分がこれならば誰とやっても有効だと判断するもので、少々形の順番を覚えて「かたち」だけ出来る様な人がとやかく言うものでは無いでしょう。」当然ながら彼は不満気な、お前に何が解ると云う顔をしていました。

 形の有るべき姿を現代は矢鱈統一した見栄えで判断する癖がつき過ぎです。
 その原因が武術指導の目的以前にある、連名や協会による「形」の昇段審査などの弊害です。試験問題を順序良く足捌きも、打込みの位置も規定通り形よく出来なければならないのですから、「かたち」だけで終わってしまいます。その形が求めるものの何が出来ていなければならないかなどは何処かに行ってしまったようなものです。「かたち」が似て居れば「形」が出来たと云えるのでしょうか。

 古流剣術も流派によっては「かたち」が異なります、それは目録から業名を知り、手附を求めたが書かれたものは「メモ」に過ぎず、「口伝」でおしまいです。ですから幾つも「かたち」があって当たり前です。然し有効な術になっているかは別物です。

 中川申一著無外流居合兵道解説の正座の部五用の二本目「連」は全居連の刀法の二本目前後切の参考となった業です。この初動の刀の抜き上げを中川先生の解説書から:「理合」前後に敵を受けた場合で先ず前敵の眉間に諸手で抜きつけ、後ろを振り向くや、後敵を真向に斬り下ろして仕留める。
 「方法」両足の爪先を立て腰を上げると共に刀を上方に抜き上げる。刀を抜き上げると共に左手を柄に掛け、諸手上段となり、右足を踏み出して眉間に斬りつける、両膝を浮かし・・・以下略」
 中川先生の連の刀の抜き上げの写真は明らかに敵の斬り込みを意識し、右手は正中線上を上に抜き上げています、従って手附けには無くとも敵の刀を受流す意図が含まれた抜刀です。

 無外流の無外流居合道連盟編著の塩川寶祥の武芸極意書真伝無外流居合兵道にある五用の二本目連の抜刀の写真からは、後向きである事も有るでしょうが、柄頭が上に45度位で抜き出されて居る様で中川先生の雰囲気は伝わってきません。真向打ち込みも両腕が充分伸びた状態で敵の眉間に斬りつけられている様で、敵との間が遠い想定かと思われ、受け流す必要は無いとも思えます。しかし無外流真伝剣法訣の「神妙剣」の教え「事の先を為さず動きて輙(すなわち)随う」を受けていれば、必ず敵が真向に斬り込んで来るのを察して応じるもので抜刀に受け流し心が欲しいと思ってしまいます。敢えて言えば、この写真による抜き上げは合し打ち或いは相手の小手に打込む十文字勝の動作かも知れません。他流の手附に無い部分を写真から判断するのは慎むべき事とは充分承知していますが、百足伝の今回の歌を解読するためには、手元にあるあらゆる資料を駆使しませんとその歌心が読めないのです。無外流の方からご指摘いただければ、更に一歩前に歩き出せるかと思い、ご容赦の上御指導お願いいたします。
 
 全居連の刀法昭和31年1956年10月1日制定、昭和52年1977年5月1日配布全日本居合道刀法解説「前後切」:「意義」敵我が真向に斬込み来るを受流すや顔面に双手上段から斬付け、直ちに後敵の真向に斬下し、更に前敵の真向に斬下して勝つ。
 「動作」腰を上げ爪立つや刀を頭上に抜き上げ左斜下に敵刀を受流し直ちに双手上段となり右足を踏み込みて前敵の面部に斬付けるや膝を浮かし・・以下略」全居連の刀法2本目前後切の動作は無外流の連から作られたとされています。

 故全居連会長池田聖昂著全日本居合道刀法解説平成5年2003年5月1日発行「前後切」:「剣理」我れ、座したる前後に同じく座したる敵を受け、前の敵、我が真向に斬り込み来るを受け流すや否や、其の敵の顔面に切り付け、直ちに後敵の真向に斬り下ろし、更に、前敵の真向に斬り下ろして勝つの意なり。
 「術理(動作運用)」前敵、我が頭上より真向に斬り下ろし来るを、我れ両手を刀に掛けるや、否や我が右柄手を我が顔前を通して刀を上に抜きかけつつ腰を上げ、爪先立つと同時に我が頭・左肩を覆う形にて、刀を頭上に払い上げる様に抜き取りて左斜め下に敵刀をすり落す様に受け流す。「註」受け流す為に抜刀する時、刀刃を外懸け(外側に倒す)にしながら払い上げる様に抜き取る。この際、鞘も下に引き落とす感じにて抜刀する。決して鞘を後方に引いてはならない。・・・以下略」

 無外流の連がどんどん昇華して行きます。無外流そのものではなくなっているのです。これは連盟という元々異なる集団によって発生したものですが、無外流の中でも発生が異なれば往々にしてありうるものです。
 古流剣術では道場ごとに異なっていたりします。そしてどれも間違いではないのです。ポイントの押さえ方一つで業は変化してしまうものです。其の上師匠が更に上の奥義を求める人であれば、この間教わった形が今日は違って見えるものです。私は形は生きていると思っています、是でいいなどの安易な思いは少しも持ち合わせていないつもりです。

 この歌は、修行する初心者から師と仰がれる人にも共通した歌心であると思います。何も思わずに体が動いて業の「かたち」をなす、素晴らしい言葉でしょうが「稽古」は考え考え抜き付け、思った様に出来ない処を「何故」と反芻して見るものでしょう。解らなければ、師に問う也資料を求めるなりするものです。習い・稽古・工夫のスパイラルによって「日々に新たな徳を得る」のかな。

 

 
 

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