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2020年3月28日 (土)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の21立合はゞ

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の21立合はゞ

無外流百足伝
立合はゞ思慮分別に離れつゝ

      有るぞ無きぞと思ふ可らず

 立合えば、相手がどのようにするだろうと、相手の動きを思い慮って分別をするのをやめようとしてているのに、あれも有るだろう是は無いだろうなど思ってはならない。
 無心になって相手の出方に応じればいい、と、云って居るのでしょう。「有るぞ無きぞ」は相手の仕掛けは目に見えるものでは無く、それを兎や角思う事とも、手に持つ刀の長短までも、極端には自分の獲物の有る無しにまで及ぶとも云えるでしょう。無心になれよと云う歌心でしょう。

 曽田本英信流居合心持肝要之大事居合心立合之大事で「敵と立合兎やせん角やせんとたくむ事甚嫌ふ況や敵を見こなし彼が角打出すべし、其所を此の如くして勝んなどとたくむ事甚悪しゝ。先づ我が身を敵の土壇ときわめ何心なく出べし。敵打出す所にてちらりと気移りて勝事なり。常の稽古にも思いあんじたくむを嫌う、能々此念を去り修行する事肝要中の肝要也」と云っています。
 形稽古だからと云って指導された通りに、足は何歩、打ち込み角度は、と寸分違わない動作を何十年やっていても、踊は上手に成っても武術は少しも進歩しません。

 この歌心に応ずるとすれば、無外流真伝剣法秘訣の十剣秘訣によって読み解いてみます。
・獅子王剣「太極より出ずれば則ち其気象見え難し、気象より発すれば則ち厥痕(そのきず)を窺い易し」。平常心で臨めばうかがい知る事も有る。
・翻車刀「互換の争い有るに似たり、鼓の舞のように還りて動かず」
・玄夜刀「微により顕れる漠(なく)陰陽測れず之を神と謂う」。夜は物が見えないように之を推し測れるのは神である。
・神明剣「人の変動は常に無く敵に因って転化す。事の先を為さず動きて輙(すなわち)随う」である。
(この教えは一刀流兵方目録の天地神明之次第にある「敵に因って転化し事を先に為さず、動にて輙(すなわち)随う」と同じ文言です。)
・虎闌入(こらんにいる=虎の猛る姿)「無我の威で虎賁(ひふん)に当たる無し」虎の憤る姿のものでは無い、物静かなうちに威がある自然体にとる。
・水月感応「氷壺に景像無く猿猴水月を捉ふ」澄みきった心にはなにも思うものは無く、心に移った相手の思いを捉えるのです。
・玉簾不断「窮まれば変じて通ずる」によって、瀧のように絶えず打ち出される相手の仕掛けに応じつつ、窮まれば、変化し相手の隙を見出すものとします。
・鳥王剣「正令當に行われ十方坐断」出来るのです。
・無相剣「明頭は見易く暗頭は察し難し」と云います。これは気性の暗い者は察し難く、気性の明るい者は、何も思わない無相の処から実相を見出しやすいと云うのでしょうか。
・萬法帰一刀「問うて云う萬法一に帰す、一は何れの処の位置に帰す。我答えて云う。青洲一領の布杉を作り、重き事七斤。更に参ずること三十年」多くの業技法を学びおおせても一に帰す、という其の一とは何れの所の一か、と問えば意味不明な返答しか帰って来ない。更に三十年の修行を志そう。と云うのです。

 中川申一著無外流居合兵道解説では、無外流の立業の部の最後に「万法帰一刀(まんぽうきいつとう)」という業があります。
 「理合:はるか前方にある敵の殺意を察し、威圧せんとするも敵之を察すること能わず、故に鯉口を外切りにして左足より進み、斬る気勢を示す。敵始めて之を察し、心の動揺するや、速やかに進んで腰のあたりの空を斬る。敵する能わざるを知って逃ぐるを見送る。」動作はさして難しいものでは無いでしょうが、その理合にある、我と相手との心理状況は、居合と云う一人演武による見た目の動作で容易に表現できるでしょうか。三十年のこれからの修行で身に付けられるでしょうか。百歳を幾つも超えてしまいそうです。武術に到達点はないのでしょう。大分無外流に深入りし過ぎてしまった様ですが、武術は翻車刀なんです。其の上「萬法帰一刀」です。

 宮本武蔵の兵法35箇条いとかねと云亊「常に糸金を心に持つべし。相手の心に、いとを付て見れば、強き処、弱き処、直き所、ゆがむ所、たるむ所、我が心をかねにして、すぐにして、いとを引あて見れば、人の心能くしるゝ物也。其のかねにて、丸きにも、角なるにも、長きをも、短きをも、ゆがみたるをも、直なるをも、能知るべき也。工夫すべし」相手の心に糸を付けて物差しで計れと云います。

 柳生宗矩の兵法家伝書殺人刀に病気の亊「かたんと一筋におもふも病也。兵法つかはむと一筋に思ふも病也。習いのたけを出さんと一筋におこふも病、かゝらんと一筋におもふも病也。またんとばかりおもふも病也。病をさらんとおもひかたまりたるも病也。何事も心の一すぢにとゞまりたるを病とする也。此様々の病、皆心にあるなれば、此等の病をさって心をととのふる事也」心の居付きは病なんでしょう。くそ真面目な人程この病に侵されやすそうです。「放心心を具せよ」という心を放す心をもて、「心を綱を付けて常に引きて居ては不自由なぞ、放しかけてやりても、とまらぬ心を放心心と云ふ。此放心々を具すれば、自由がはたらかるゝ也。綱をとらへて居ては不自由也。」

 この歌心の置き所は「放心々」なのか・・。歌に捉われずに・・。

 

 

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