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2020年3月 9日 (月)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の2夕立の

道歌
3、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の2夕立の

百足伝
夕立のせきとめかたきやり水はやがて雫もなきものぞかし

 夕立がざあざあ激しく降ってきて庭や草花に鑓水をするまでもない、堰き止める事もならずに葉先から流れる水には、やりみずの涼し気にしたゝる雫の風情すらない。
 直訳すれば、こんな風情を詠んだ歌でしょう。普段は夕方の暑気払いに、手桶と柄杓で水撒きをする、如何にも涼し気で草花も葉先からポタリ・ポタリと雫を落として爽やかな気分にひたれる一時です。
 この歌心を居合の奥義の歌心を求めれるならば、突然抜刀して斬り込み、斬り倒すや「どうだ」とばかりに威丈高に去っていく荒々しいものを、「それは違うよ」といさめている様に思います。
 静かに刀に手を掛け、抜き打つや静かに相手を思いやる残心を以て納刀し何事もなかった様に立ち去って行く、そんな居合が望ましいというのでしょう。
 前回の「稽古には清水の末の細々と絶えず流るゝ心こそよき」とも相通ずる静かに澄んだ心構えを望まれている様に思えます。
 中川先生も無外流居合兵道解説の自序に「正しき理念と正しき術とを指導する者がなければ、真の精神や術は失われることとなり、只刀をふるだけならば大道芸人と何等異る所がない。」この大道芸人と云う表現がそのまま夕立とも言い切れるかもしれません。

 「無外流居合兵道解説」に無双直伝英信流第20代宗家河野百錬先生が序文を書かれています。
 「・・思ふに真の剣道を知らんと欲せば、真剣日本刀を以てする居合に依らなければ、その真髄は得難く、竹刀剣道の叩き合いのみでは真の剣道とは言い難い。この両者が相まって始めて真の剣道となるものと確信する。然るにこの武道の根元とも言うべき居合を学ばんとしてもその書に乏しく、学者の之を嘆ずるの時、茲に中川氏が写真版によって、順を追ふて説明を付し、手をとる如くに意義方法を解説せられたる本書の出版は最も時機に適した企てで、斯道の研究者にとって洵に好個の良書と信ずる。道は一つであり、他流の者と雖も本書によって、斯道の真髄を体得し得るであろう。・・。」

 そこで、「やり水の雫」の基礎となる居合の礼法から正座を読んでみます。
 「上体を正しくして、肩の力を落し、肘は張らず、両手は指先を内に向けて股の上に置く、頭は正しく、眼は遠山の目付で前方を見る両膝の開きは肩の幅とする。腰を充分伸ばして臀部を両足の上に落ちつけ、両足の拇指を重ねる程度とする、刀は右側に刃を内側にして置く、下緒は輪にしたまゝ、鍔は膝の線にあるようにし、柄だけが膝から前に出る。」
 この正座の方法は全居連の刀法に沿ったもので、無双直伝英信流もこのように座します。無外流本来のものであったか否かは知りませんが、この座し方を以て相対せば、むやみやたらに抜刀して斬り合う気持ちは自然、腹に納まって来るものです。立居合からは得られないもので居合心を知るものでしょう。
 

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