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2020年3月22日 (日)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の15兵法の奥義は

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の15兵法の奥義は

無外流百足伝
兵法の奥義は睫の如くにて
      余り近くて迷いこそすれ

 兵法の奥義は睫毛のように、余りに近くにあるものでこれで良いのかと迷いこそするものだ。と歌っています。兵法の奥義はそれほど手近なところにあるのでしょう。然しそれが解ったとしてもその瞬間にスルスルと為せるものなのでしょうか。
 奥義は我が心に由来するもので、心の修行とか言いますが、修行しなくとも本来あるものを自ら蔑ろにして居るに過ぎないのでしょう。無双直伝英信流では「我が身をまず土壇と為して後自然に勝有、その勝所は敵の拳也」とあるのですが、我が身を土壇と為す事が容易な事ではありません。こう来ればああしよう、ああであればこうしよう、相手を威圧するように姿勢を正して凛とした姿を見せよう、などと思いめぐらせてしまいます。心静かに無心となれば、相手の思いは我が心に移るものとは聞かされていても我が心が一番遠くにあるようです。

 高野佐三郎著剣道では「諺に秘事は睫毛といふ如く、睫は目の傍にあれども、自分は見ることは能はず。鏡を取りて照せば始めて見ゆるなり。その鏡を取りて見よといふが秘事にて、聞きて見れば何の難しき事も無しといふのである。」睫毛を見るたとえに鏡は理解しても睫毛と武術の秘事とは同じになりそうも無いのでこまります。たとえを真面目に鏡で見れば秘事も見えるよと云う程度の事でも無さそうです。

 この歌で15首目ですが、ここまでに15もの教えが歌われています。「この様におやりなさい。それが出来れば奥義の秘事ですよ」と云われても、出来ないのは、己が心が邪魔するのです。

 沢庵和尚の不動智神妙録に「心こそ心迷はす心なれ、心に心心ゆるすな。」と歌っています。
 柳生新陰流の柳生宗矩は兵法家伝書でこの歌の解説をしています。「さる歌に 心こそ(妄心とてあしき心也。我が本心をまよはする也)、心まよはす(本心也。此心を妄心がまいはす也)、心なれ(妄心をさして心なれと云ふ也。心をまよはす心也とさしていふ也。妄心也)、心に(妄心也。此妄心にと云ふ也)、心(本心也。心殿とよびかけて、本心よ妄心に心ゆるすなと也)心ゆるすな(本心也。妄心に本心をゆるすなといふなり)」。
 本心が妄心に左右されて、誤ったことをしてしまう、本心そのものの思いが極意とも取れます。 

 この歌と同様の歌
曽田本居合兵法の和歌
 目の前の睫毛の秘事を知らずして兎角せんと一期気遣う
 目の前の睫毛の秘事を知りぬれば唯速やかの一筋のみち

他に
 なかなかになほ里近くなりにけりあまりに山の奥を訪ねて
 極意とて表の内にあるものを心尽しに奥な尋ねそ
 われとわが心の月を曇らせてよその光を求めぬるかな



 

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