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2020年3月27日 (金)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の20兵法の強き内

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の20兵法の強き内

無外流百足伝
兵法の強き内には強味なし
       強からずして負けぬものなり

 兵法で強い打ち込みをしている内には、真の強みとは言い難い、強くなくとも負ける事など無いものだ。
 この歌の「強き内には」の解釈ですが、「強い打ち込みには」ともとれるし「強い打ち込みをしている間は」ともとれます。居合で横一線の抜き付けでは、片手に依る抜付けなので、そこそこ出来るようになれば極端に強いとか弱いは序破急の抜き付けによってさしたる強み弱みは見られず、敢えてゆっくり抜いて居る人に違和感を覚えます。
 然し真向に振り冠って打ち下ろすとなると肩を怒らし、首筋の筋肉まで盛り上がって、腕から拳まで上筋が張って、肘が内側に絞られ、腰が据わってしまった真向打ち下ろしを、刃筋が通って鋭い打ち下しで迫力があって良い、などと指導して居る高段者が見られます。横一線の抜き付けで相手の戦力を殺いでしまっているのに、とどめの一撃とばかりにむきになっている様でこれでも武術なんでしょうか。薪割りでも慣れた人は力など何処にも入っていません。
 そうかと思うと、上段に振り冠ってから、両手を上にあげて拍子をつけて振り下したり、手と刀を前方に振り込んでから切り下したり意味不明な動作でも良しとしている、競技会でのおかしな審査員もいたりします。
 強く打とうとして、振り冠りに一呼吸入れる様な拍子を付けたり、握りを強くしたり、反り返ったり、それらは隙を作っているようなものです。
 私の近くに93歳になる御婆さんがいます。娘の頃より父親にしごかれ畑を耕し、畝を作り、種を撒き、雑草を取り、収穫する、今でも十分働いています。
 そのクワを振る姿は重いクワも軽々と何処へも力も入らず、膝・腰・腹・肩・頭の位置は上下動も無く、前後に触れる事も無い、体がクワと一体になったようでサクサクと流れ、クワを振っている時は、声をかけるのもつい控えてしまいます。是は芸術と云えるものです。休み休みでも午後3時間は畑に居られます。

 妻木正麟著詳解田宮流居合田宮流伝書「口伝」よりによれば、打ち下ろしは力を捨て前進の気を以て打つに非ざれば切り難し。力は身に限りあり、心術は比すべからず。腰、腹に納まるの気より業に移らざれば、形崩れ全きを得難し。術は腹を以てと教ふれども、その実は腰に至らざれば心気に至りがたし。気腰に集まるとき自ら腹に渡り充つる。

 宮本武蔵の兵法35箇条兵法上中下の位を知る事では、兵法に身構有り。太刀にも色々構を見せ、強く見へ、はやく見ゆる兵法、是下段と知るべし。又兵法細かに見へ、術をてらひ、拍子能き様に見へ、其品きら在りて、見事に見ゆる兵法、是中段の位也。上段の位の兵法は、強からず弱からず、角らしからず、はやからず、見事にもなく、悪しくも見へず、大に直にして、静に見ゆる兵法、是上段也。能々吟味有るべし。

 これらの教えを、やろうとすると古参の者や訳知り顔した師匠が、初めの内は全身に気力を振り絞って力一杯素早く打ち込みなさい、最初から気の抜けた打込みは意味はない、と云われます。
 ゆっくり足・腰・肩・腕・刀と狙った位置に寸分たがわず斬り込む稽古をした方が遥かに上達は早く、刃筋も正しい自然に鋭いものになります。

 

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