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2020年3月11日 (水)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の4幾千度

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の4幾千度

百足伝
幾千度闇路をたどる小車の
       乗り得て見れば輪のあらばこそ

「いくちたびやみじをたどるおぐるまののりえてみればわのあらばこそ」歌の読みはこの様ですが、読み解くのは厄介です。
「幾度となく闇路を辿って来た小車なんだが、乗って来れたのは車輪があったればこその事だ」。
 イメージとして浮かぶのは、「幾度となく先の見えない闇路を行くような剣術の修行なんだが、やって来れたのは、回転しながら前へ進んでいく輪のようなものがあったればこそだ」。
 それでは其の輪とは何だろうと直読みして見てもグット握り締められような歌心が伝わってきません。車輪の回転は、車夫に依るのか牛や馬に依るのかですが、武術修行の輪は己の心の中にある、武術の奥義を求める強い志なのかもしれません。
 もう一つ、歌心を思って見ます。
 稽古の度に幾度も襲って来る術が決まらない不甲斐なさは誰にでもあるでしょう。出来たと思っても、兄弟子には通じない、まして師匠には全く通じない、そんな闇路を辿る様な修行だが、この流の道場で修行を幾たびもするうちに、小車の輪が回転するように少しずつ目的に近づいている様で輪は、人の和なのかもしれない。

 百足伝のこの歌に相当する歌は曾田本居合兵法の和歌には見当たりません。この歌の歌心は無外流の方ならばなんなく読み解けるのでしょうが、ついついもっと奥深い教えがあるのでは、と思ってしまいます。歌は己の力量で見渡せる範囲でしか読み取れないものです。修行を積み重ねいつの日か本物に気が付く事も有るものです。

 百足伝の書き出しに中川申一先生が書かれている「この百足伝40首の道歌は自鏡流祖多賀自鏡軒盛政が、門人を指導する毎に人体の差別を見て、指摘した口受である。人に大小長短幼老貧富の差別がある故指導者はこの点に心を配り、其の人に応じて指導すべきで、決して画一的に指導すべきではない。指導者の心得うべき事である。」と述べられています。
 

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