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2020年4月

2020年4月30日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の15太刀かたなそれのみならず

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の15太刀かたなそれのみならず

兵法百首
太刀可多那楚礼のミ奈ら須よけ者つし
        心耳可計天きつ可いを世よ

太刀かたなそれのみならづよけはづし
        心にかけてきつかいをせよ

太刀刀それのみならずよけ外し
        心にかけて気遣いをせよ

 太刀や刀の扱いばかりでは無く、避けたり外したりするのには、心がけてどうしたらよいか気遣いをしなさい。

 太刀や刀の運剣操作の扱いは剣術を稽古し始めるとそればかり気遣っています、相手の打込みを避けたり外したりも太刀や刀で受けてしまう。どうしたら受太刀に為らずに相手の打込みを外せるか、もっと考えて、受けた時には斬って居る、はづした時にも斬って居るそういう気遣いをして見なさい。そんなことを歌っている様に思います。

 形の要求している通りやるもんだと仰る人は、この歌を読んで、太刀刀の運剣法をしっかり学び、がっちりと受太刀になり、相手太刀をさばいてから斬り込むのだと、それが出来るようになってから往なす稽古もしっかり心に懸けて稽古しなさい。と歌っている筈と頭から湯気を立てそうです。
 そんな人に限って、袋竹刀の竹を年に何度も折って入れ替えています。形は決まりきった順番どうりに、決まりきった角度で相手の部位に斬りつけると決め込み、「武的演舞」の「練習」に時間ばかりかけているのを見ていると、「稽古」って違うのにと思わずにはいられません。
 その業が求めている意義は何か、最も有効な方法はどのように運剣操作すればいいのか、其の為には体の使いようはどうするのか、習い・稽古・工夫をする事であって、決まりもしない「かたち」を何万回も「練習」しても体育にはなっても「知育」は何処へやらで、武術の術は決まりません。

 

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2020年4月29日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の14世にふしぎ奇妙おほきぞ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の14世にふしぎ奇妙おほき

兵法百首
世耳婦し記奇めふお保きそ能那らへ
        奈らふて者知尓奈らぬへい本う

世にふしぎ奇めふおおきそのならへ
        ならふてはちにならぬへいほう

世に不思議奇妙多きその習へ
        習うて恥にならぬ兵法

 兵法百歌の14首目は、写真の文字が判読できない箇所が幾つかあります。今村嘉雄著「史料柳生新陰流」の読み下し文を参考にさせていただきました。

 世の中には不思議な事や奇妙な習い事が多いものだ、習っても「恥」にならないのが兵法だ。

 上の句は納得ですが、不思議奇妙が多いから、。下の句では更に習って「恥」にならないのが兵法。これなど「恥」とは何だかサッパリです。

 この歌を「世に不思議奇妙多きぞ能習へ習ふて「はち」にならぬ兵法」と読んで見ます。
 能の「はち」は「鉢の木」を直観的に思い出したのですが、さて。能の鉢の木の話から「鉢の木」にならないのが兵法と歌う関連が読めない。

 曽田本の神傳流秘書の冒頭は抜刀心持引で居合心を歌に託しています。林崎甚助重信を始祖とした居合は土佐にもたらされた時には真陰流から生み出された大森流の居合を取り込み、長谷川主税之助英信による古伝を改変した無雙神傳英信流居合兵法です。
 土佐に持ち込んだ第9代林六大夫守政は第7代長谷川英信、第8代荒井兵作信定(荒井清信)に居合を学んだと同時期でしょう。江戸で大森六郎左衛門から「真陰流」を習っています。
 大森流居合はその大森六郎左衛門が創始したもので、林六大夫守政は「上泉伊勢守信綱の古流五本の仕形を学んでいる」と居合兵法伝来に記載されています。古流五本とは「三学円之太刀」かも知れません。
 その林六大夫守政による抜刀心持引歌の書き出しは「荒井清信公、言う夫居合とは手近き勝負柄口6寸之大事あり・・1身を正しくして、抜き申す形肝要也。面。薄桜。1居合之位 身の掛かり 鉢木 口伝・・」とあるのですが、内容は口伝の為記載されていません。
 立合う際の形は三角を円相で囲う形で、顔は薄い桜色。身の掛かりは「鉢木」とされています。
 新陰流と無雙神傳英信流居合兵法とは兵法の根底で繋がるものを持ち合わせているかも知れない処でしょう。能の「鉢木」の話を捉えるのではなく、能の立ち姿、足の運び、方向変換などの基本動作を「鉢木」による能から学べと示唆している様です。

 抜刀心持引歌続きは「心水鳥 右の心は水鳥に気を付け、工夫有るべし 古歌に ・帆を掛けて急ぐ小舟に乗らずとも行水鳥の心知るべし ・水鳥の水に住めとも羽はぬれず海の魚とて汐は行く無し・」
 更に「居合太刀打共 白鷺心 口伝 古歌に ・忍ぶれど色に出にけり我が恋はものや思うと人の問うまで・数ならで心に身おば任せねど身に随うは心なりけり」。

 無関係な方向に行ってしまいそうな気もするのですが、他に思いつく事も無く、世の中にある兵法には不思議なものや奇妙なものがある、新陰流を学ぶなら、能の鉢の木を見て姿形を学びなさい、それでも兵法稽古の際には能の姿態にはならない者も居るよ。と笑われている様です。

 能の立ち姿を安田登著「能に学ぶ深層筋トレーニング」から学んでみます。「下半身はしっかりと地面に根差し、そして上半身は天から吊られているようにイメージする、まさに上虚下実の見本で下への力と上への力が拮抗する中で立ちながら、地面の上に足が乗り、足の上に膝が乗り、膝の上に腰が乗り、と不可視の水平線の上に体の各ブロックが積み重なりつつ休んでいるような姿。どの様な時でも「動き」をその中に潜める。足首のところからやや前傾することによって、立っているときでも、その中に「動」を潜め、いつでも動き出せるような姿になる。」
 この能の立ち姿、足運びは、赤羽根龍夫著「古武術仙骨操法のススメ」とほぼ同じと思われます。


 

 

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2020年4月28日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の13きりあひはこころのてうし

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の13きりあひはこころのてうし

兵法百首
幾利あひ者古々ろ乃てうし阿留物を
        可まへ尓与るといふそ者可那き

斬り合いは心の調子あるものを
         構えによると云うぞはかなき
*
 斬り合う時は、心の調子が必要なのだが、刀の構えによって決まると云うのは意味のないことで馬鹿げている。

 直訳すればこんなところでしょう。ところが何にも伝わってこないのは、「斬り合いは心の調子」の「心の調子」とは何か、「構」とは何か、更に「はかなき」のこの場合の意味は何か、どれも定義できないものばかりです。

 この歌の対象になる者は新陰流の者なのか、斬り合う相手なのかそれもどこにも歌っていません。新陰流はこの時代を代表する新しい兵法と捉えれば、歌の「斬り合いは構による」とするのは、当時の介者剣法による相手であって、「斬り合いは心の調子」とするのは新陰流の者が為すべき事で良さそうです。
 この歌は石舟斎宗厳の歌ですから、石舟斎の残された「新陰流截相口伝書亊」および「没茲味手段口伝書」から紐解く事に成ります。これらの伝書は口伝を基としてありますから要点の箇条書きです。柳生延春著「柳生新陰流道眼」や柳生宗矩の「兵法家伝書」に解説されていますからそちらをお読みください。
 ここでは今村嘉雄著「史料柳生新陰流」に掲載されている、柳生宗矩の「兵法截相心持の事」の書き出しにポイントがありますからさわりの部分をお借りしておきます。原文はかな書きですから漢字混じりに改めてあります。「1、打い出すところを打つか、1、打い出さぬものには、仕懸けて打つ処を勝か、1、それを知る者には我が打ちを見せて、それを打つ処を勝か、これ三つなり。これより外は、これ無く候。勝ところこれなりと知る。知る故に、当流には太刀構えをもちいず候。構の無く、我が心に打たんと思う処を見せず。敵に見知られず。他意も無きようにいたす事当流の構えなり。1、太刀構えを習い、そればかり良きと存、はや勝と計り心に思い、敵に随わず、我が心ばかりにて打つ事を当流には、僻事と相極め候」・・。

 斬り合いは敵の心の動きに随ってここぞと云う処で斬り込むもので、構に捉われて一方的に斬り込んで行くものでは無い。その教えを歌っている事になるようです。

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2020年4月27日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の12兵法を心にかけぬ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の12兵法を心にかけぬ

兵法百首
兵法を心尓可けぬそ農比と乃
      可多那乃与し阿し本り當しの用

兵法を心にかけぬそのひとの
      かたなのよしあしほりだしの用

兵法を心にかけぬその人の
      刀の良し悪し掘り出しの用

 兵法を心に懸けないその人の、刀の良し悪しは掘り出し物として用をなしているよ。

 其のまま読んで見ましたが、石舟斎ともあろう人の歌心としては、歌わず共良さそうなものです。もっと深い思いがあるはずと思わずにはいられません。
 兵法を心に懸けない人とは誰なのでしょう。何時の時代でも刀を崇拝する人は居るものです、かと言って剣術を修業するとも思えなかったりして、何かおかしいな、と思う事も多々あります。 
 刀は刀としての意味は人それぞれに持つのは勝手ですが、日本人の心などと云って意味不明な崇拝も、何かおかしい。芸術性を歌っていると思ったら、誰々の佩刀だったので芸術性に史的価値があるからなどと云う。中には誰々を打ち取った刀、戦場での誉疵なども価値に加えられたのです。
 然し、日本刀の姿た形や刃紋、澄んだ鋼の色合いなどに引き付けられるのは、其処に武器としての道具だけでは無い日本人に摺り込まれているものが働くからかもしれません。
 
 戦国時代末期ごろから戦闘方法が大きく変わってきて刀の武器としての役割は低くなってきています。天下人となった秀吉なども天下の名刀と称される刀を愛でていた様ですし、手柄を立てたものに褒美として授与し、秀吉からの賜りものとして扱われ、家康も同じ様なものでした。
 それは武将として名誉な事であり家宝としての役割も大きかった事でしょう。武士といわれる階級の人は名字帯刀を許され、人の上に立つ証しとして腰に差すものでした。
 元和偃武以降の徳川政権は兵士である武士に精神性を強く打ち出し、士農工商の階級制度・五常(朱子学による仁・義・礼・智・信)の精神による締め付け、人としての優位性を持たせたその証は刀を帯する事だったとも言えます。

 戦闘能力こそ乏しくとも、白兵戦や一対一の勝負にはその役割は担えたかもしれません。
 日本刀が崇められる理由の一つが名刀思想でしょう。それは武器としての能力を持つよりも神話や、歴史の中で語られてきたその刀の所有者とその役割、果ては為政者が作り上げた幻の由来かもしれません。
 然しそうこうしている間に、代を重ね家宝として代々受け継がれてきた刀には、人一倍の思いが込められてきたかもしれません。将にご先祖様からの大切な預かりものです。そこには名刀である事も歴史的由来も不要です。切れ味などは無関係です。
  武家社会が長く続いたために、日本人は刀に対する思い入れが強くなったのでしょう。同時に凛とした美しい姿も備わって神霊化したり、人の命に係わる武器としての精神性を極端に持つ事にもなったのでしょう。それに歴史的話題性があれば商売人はますます喜びます。掘り出し物ですよね。
 幻の刀信仰は一部の人に任せておけばいい事です。「お前に何が解る」と刀で商売する古老先生に叱られても、付和雷同する気にはなれません。それでは居合を模擬刀でするかと云えば、本身の刀で稽古をし、稽古の後には丁寧に手入れをして少しも怠る事はありません。それは古刀であれ新刀、新々刀であれ、現代刀であれ我が身に添うものは大切な持ち物である事には変わりないからで、如何に居合が仮想敵相手の兵法であろうとも幻の畏敬の念に惑わされる事では無いでしょう。大切に扱い次代に引き継いでいく事には何の違和感もありません。

 石舟斎のこの歌を読みながら、兵法を単なる形に依る棒振りの上手下手などと思い、刀の良し悪しばかり求め掘り出し物を手に入れる者を揶揄する奥に、刀の良し悪しは己の力量に合ったものを選び、刀に振り回されない本物の兵法を志すべきだよ。と諭している姿が目に浮かびます。
 高価な刀や名刀と云われる刀で、居合の稽古をすれば心もより高い思いに引かれて腕前も上がると嘯く人が居ましたが、稽古に持って来るのはせいぜい7、80万のものでした。
 私は、今持っている刀が折れたり、手元に無かった場合など考え、長さも重さも反りもバランスも拘らずに稽古に使用して来ました。条件が整っていなければ場に臨めないようなことでは武術では無いと思ったからです。 
 
 
 
 
 

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2020年4月26日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の11ふた腰を下げたる人

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の11ふた腰を下げたるひと

兵法百首
二古しをさ計多流人の兵法越
      いらぬといふ曾心もと奈き

二腰を下げたる人の兵法を
      要らぬと云うぞ心許無し


 大小の刀を帯びた人が、兵法を必要ないと云うのだが、刀を帯びているくせに意味が分からない。

 歌の意味はこんなところでしょう。
 この歌の対象になった人物は誰でしょう。関ケ原の戦いを終って間がない頃の事ですから、二本差しの浪人もごろごろいたでしょう。この頃の戦闘は、急速な変化を遂げて来ていた頃といえます。鉄砲や大砲が大きな役割を担っていたでしょうし、白兵戦では槍の役目も大きかったことでしょう。刀による戦闘は語りものにはなっても、殺傷力は低いものです。
 秀吉などは刀を差していたかもしれないが、刀で戦った話は知らない。その反面名刀を欲しがったでしょう。刀には日本人の心の中に特別な感情が埋め込まれている様です。それは現代でも納得なのですから不思議です。
 此処で云う兵法とは、刀による剣術を指しているとすれば、「要らぬ」と云っても可笑しくはない、地位と名誉を形で表せば武力を誇示する刀は手っ取り早い装飾品です。
 刀を持った以上は兵法を嗜むべきものと摺り込まれ、剣術を修業する中で心の修養も培われる、其の心で人として五常(儒教の五徳で仁・義・礼・智・信)の
精神を以って生きるもの、そんなことを思う歌です。
 現代では、刀による闘争など何の意味も持たない、古流剣術を修業する目的は何か、竹刀剣道による目先の勝負と関係なく修行することは・・しかも奥義をめざして。
 石舟斎は「兵法は浮かまぬ石の舟なれど好きの道にはすてられもせず」と受け流しています。
 

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2020年4月25日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の10兵法はうかまぬ石

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の10兵法はうかまぬ石

兵法百首
兵法ハう可ま奴石乃ふ年奈礼登
       すき乃ミ知尓ハ春てら礼も世須

兵法はうかまぬ石のふねなれど
       すきのみちにはすてられもせず


兵法は浮まぬ石の舟なれど
       好きの道には捨てられもせず

 兵法は浮ぶ事のない石の舟だけれど、好きな道なのでやめられない。

 兵法では石舟斎にとって武将として世に出る事のない道だが、好きな道なのでやめられない。
 武将として功成り名遂げて見たかった石舟斎の思いが伝わって来る歌です。宗厳兵法百首の一首目「世を渡る業のなきゆえ兵法を隠れ家とのみ頼む身の憂き」の鬱々とした思いも、兵法一筋として此の道と吹っ切って行くのでしょう。石舟斎73歳の兵法百首です、家康に仕官を望まれながら柳生宗矩を我が身の代わりに差し出してから6年の歳月がたっています。
 上泉伊勢守信綱より影目録を相伝したのが39年前38歳の時でした。
 兵法百首の2年後、慶長8年1603年石舟斎75歳の時新陰流截相口伝書亊、慶長10年1605年石舟斎77歳没茲味手段口伝書を第三丗柳生兵介平長厳後の兵庫助利厳に相伝しています。
 
 

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2020年4月24日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の9兵法をしりたるよし

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の9兵法をしりたるよし

兵法百首
兵法を志利多るよし乃手柄多て
       志らぬ耳おと留世うし成介利

兵法をしりたるよしの手柄たて
       しらぬにおとるせうし成けり

兵法を知りたるよしの手柄立て
       知らぬに劣る笑止なりけり

 この歌と前回の「まる太刀をけいこなくして兵法の調子手ききならじとぞおもふ」は今村嘉雄著史料柳生新陰流の宗厳(石舟斎)兵法百首の宝山寺蔵の石舟斎直筆の歌の部分の写真が抜けています。奈良女子大版を参考にして読み下します。
 この歌は、誰の事を読んだ歌なのか判りませんが石舟斎百首の成立が慶長6年1601年以前でしょう。直近では慶長5年1600年の関ケ原の戦いの誰かの印象、慶長3年1598年秀吉の逝去によるその周辺。もっと身近な武将に対するものかも知れません。

 兵法を知っていたので手柄を立てられたと言いふらしているのだが、其の戦い方から見れば、兵法を知らない者にも劣るもので可笑しく思う。

 兵法の捉え方を、剣法として小さな兵法と捉えるのか、大きな兵法として国同士の戦と捉えるのか、時の権力者の権力闘争と捉えるのか内容は兎も角、廻りへの影響は大きな違いがあります。それをひっくるめてこの歌を読んだ方が武将として世に出たかった石舟斎の歌心が感じられます。
 
 笑止は、広辞苑に依れば「笑止」は当て字で「勝事」の転、本来普通でないの意という。困った事、気の毒な事、同情すべき事、笑うべき事、おかしいこと。などの意味を持ちます。この時代の意味はどれだったのでしょう。
 元の「勝事(しょうじ、しょうし)」の意味は広辞苑では、人の耳目をひくような尋常でない事柄、奇怪な事件。

 当時話題に上る様な武将では、直近では関ケ原の戦いで西軍を指揮した石田三成、その前では朝鮮出兵をした豊臣秀吉、それ以前では本能寺の変の明智光秀。戦国時代末期の武将の采配は、成功と失敗の話として大変面白いものです。しかしその下で働いた人や、人民はなすすべもなく、肉親を失い、家を失い、職を失いなど多くの混乱を引き起こしてきたと思われます。 

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2020年4月23日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の8まる太刀をけいこなくして

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の8まる太刀をけいこなくして

兵法百首
ま留太刀をけいこ奈くして兵法の
       調子乃手きゝならしとそおもふ

まる太刀をけいこなくして兵法の
       調子の手ききならじとぞおもふ

丸太刀を稽古なくして兵法の
       調子の手利きならじとぞ思ふ

 丸太刀、円太刀とは何かわかりません。
 新陰流の稽古は袋竹刀を上泉伊勢守信綱が考案しています。これは竹の棒を割って皮袋に入れたものですから、まる太刀共云えます。棒や手で削った木刀ではどうか、など思いますが、意味無いでしょう。

 稽古の形の一つかも知れません。「まる」丸・円のつく形目録を捜してみます。上泉伊勢守信綱伝授の太刀では燕飛、三学円之太刀、九箇、天狗抄でしょう。
 柳生厳長著正傳新陰流では永禄9年1566年上泉伊勢守藤原信綱名で秘書四巻を柳生但馬守宗厳に影目録燕飛・七太刀・三学・九箇の四巻を相伝しています。
 三学円之太刀に「まる太刀」は無いけれど業名に「円」の文字が付されています。三学円之太刀は、一刀両断・斬釘截鉄・半開半向・右旋左轉・長短一味の五本です。決して容易な、初心者向けの形とは思えませんが目録の始めにあると云う事はこれから学ぶのでしょう。新陰流の極意業が秘められています。形は出来ても術が決まらない将に新陰流です。

 この歌は、三学円之太刀を稽古しないで、新陰流兵法の調子、手利きは身につかないと思う。と云い切っています。

 江戸末期に、防具を着けた竹刀稽古に対応するため創作された八勢法や中段を、初歩の新陰流の稽古勢法と決め込んで、好んで稽古する風潮がある様ですが、これは、所謂スポーツ竹刀剣道の試合に対抗する初期のものと云えるようです。

 新陰流は兎も角多くの古流剣術各流派が太平の時代にマンネリ化して、決められた刃筋で打ち込まれた相手太刀を決められた形で応じるばかりの稽古では、自由闊達な上、十分の気を以って打込んで来る竹刀による試合勢法に多くの形兵法が敗れ去ったのは当然と云えます。
 日本刀による真剣勝負の事を考えながら、三学円之太刀を稽古する事によって新陰流の刀法は幾つも身につきます。

 この三学円之太刀も決められた「順番通りの操法による運剣」だけを固執する頑固者もいますが、古伝の業は状況に応じて如何様にも変化できる「おおらかさ」をも持っています。其の上剣術としての術を秘めているのです、一つの「かたち」に拘って習い覚えても、初心者の為の演舞形の稽古役が精一杯のことでしょう。

 笑い話ですが、袋竹刀の竹を年に何本も折って取り換え終いには太くて丈夫そうな竹を袋に入れて稽古している者がいます。「何故」と聞いて見ますと、太刀中を打たれて、折れてしまうそうです。竹は中程から上は8本に割られていますから、一本でも折れると使い物にならなくなります。そんな太い袋竹刀で打たれたら小手をつけていても青あざが出来てしまいます。一本3000円から4000円ぐらいするはずですから、皆さんお金持ちです。
 稽古で袋竹刀に打ち込ませたり、あたり拍子の変化が出来なければ受太刀の方が衝撃は大きいものです。真剣刀法では受け太刀にならず、往なす運剣が求められるのが当然と思っています。

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2020年4月22日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の7兵法のならひはうとく

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の7兵法のならひはうとく

兵法百首
兵法乃奈らひハうとくきろ〵登
        めく者利まてを春留そお可し記

兵法のならひはうとくきろきろと
        めくはりまてをするそおかしき

兵法の習いは疎くきろきろと
        目配りまでをするぞおかしき(可笑しき)

 兵法の修練が不十分なのできょろきょろと、相手のあちらこちらを目配り迄していて愉快である。

 これでは歌のまま、解釈しただけです、この歌に使われている言葉を振り返って見ないと、歌の本当の所が読めないかもしれません。

 「兵法の習いは疎く」の「疎く」はここでは、関心が薄い・よく知らないでいいのでしょう。次の「きろきろと」ですが、柳生の郷方面の当時の方言でしょうか、歌の雰囲気から「きょろきょろと落ち着かない目付け」と読んで見ました。目付も相手の一点に焦点を合わせれば、そこに居付いてしまいそうです。「目配り」は方々を注意して見る事。
 「おかしき」は「可笑し気」で、こっけいである・おろかしい・へんだ・おもしろい・おもむきがある・みごとだ・うまい。などに使われて来ています。
 「きろきろ」以外は広辞苑から検索したもので歌の解釈に問題は無さそうです。
 兵法の習いが疎いからなのか、相手が何をしてくるのか、きょろきょろ眼を動かして落ち着きのない様子がよく出ている歌です。
 それにしても目付の正しい在り方を習わなかったのでしょうか、それとも何を言われても上の空の人なのでしょうか、自分の感性以外は何も受け入れられない人も世の中には居る様です。
 その上同輩や兄弟子位の教えなど全く無視してしまう、そのくせ師石舟斎の話は聞いても奥が深すぎ理解出来ないのでしょうか。

 石舟斎の残された伝書は慶長8年の新陰流截相口傳書亊と石舟斎77歳の年慶長10年に嫡孫柳生兵介長厳(後の兵庫助利厳)に相伝した没茲味手段口傳書から石舟斎の新陰流の目付を学んでみます。
 この教えによる目付を、きょろきょろせずに出来るようにまずなる事を、諭している歌と云えるのでしょう。

新陰流截相口傳書亊の目付
   三見大事(1、太刀さきの事、1、敵之拳の事、1、敵の顔の事)
 目付二星之事(敵の目)
 峯谷之事、付三寸二ッ之事、十文字之事
 遠山之事
 二目遣之事
 太刀間三尺之事
 色付色随事(敵の働きを見る)
 
没茲味手段口傳書の目付
 五合剣の第2目付之事
 三見(太刀先、敵の拳、敵の顔)
 二星(敵の目)
 遠山
   二目遣
 字手裏見
 一ノ目付
 
兵法家伝書
殺人刀
 二星(敵の拳)
 嶺谷(腕のかがみ、右肘を嶺、左肱を谷)
 遠山(両肩先)
 三ヶ心持の事
 色に就き色に随ふ
 二目遣之事
活人剣
 手字種利剣の目付
 神妙剣見る事
    
参考

宮本武蔵の五輪書・兵法35箇条
五輪書
 兵法の目付といふ事
 目の付けやうは、大きに広く付くる目也。観見二つの事、観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。敵の太刀をしり、聊かも敵の太刀を見ずといふ事、兵法の大事也。工夫有るべし。此目付、小さき兵法にも、大きなる兵法にも、同じ事也。目の玉うごかずして、両わきを見る事肝要也。かやうの事、いそがしき時、俄にはわきまへがたし。此書付を覚へ、常住此目付になりて、何事にも目付のかわらざる所、能々吟味あるべきもの也。
兵法35箇条
 目付の事
 目を付けると云所、昔は色々在ることなれ共、今伝わる処の目付は、大体顔に付けるなり。目のおさめ様は、常の目よりもすこし細きようにして、うらやかに見る也。目の玉を動かさず、敵合近く共、いか程も、遠く見る目也。其目にて見れば、敵のわざはもうすにおよばず、左右両脇迄も見ゆる也。観見二ッの見様、観の目つよく、見の目よはく見るべし。若し又敵に知らすると云ふ目在り。意は目に付、心は物に付かざる也。能々吟味有るべし。

一刀流の十二ヶ条目録・仮字目録
 二つ之目付之事
  一部分と全体を見る、相手の身体と心理を見る。・・活眼を開いて彼我の有無と一切の一円を見る。
 色付之事
 目心之事
 鹿之事
 見当之目付之事 
 
 
       

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2020年4月21日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の6兵法は能なきもののわざ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の6兵法は能なきもののわざ

兵法百首
兵法ハ能奈きも乃ゝわさ奈礼者
       かうきやう介んく王能もとひ成り介利

兵法は能なきもののわざなれば
       こうぎょうけんかのもとひなりけり

兵法は能なき者の業なれば
       口業喧嘩の基なりけり


 兵法は元々能の無い者が学ぶ業毎であるので、口先ばかりで喧嘩の基だ。

 この歌は、能があれば兵法などは不要で、事の本質を見極め互に和する事が出来るものなのに、能なしなので相手を罵倒したりしてしまい、喧嘩を引き起こすもとに過ぎないと歌っているのです。
 歌心が、私の解釈通りであるならば、なぜこの歌を百首の6番目に持って来たのでしょう。

 兵法百首の第一首目の歌を振り返ってみますと「世を渡る業の無き故兵法を隠れ家とのみ頼む身の憂き」でした。自分はこの時代に武将として立つ事の道を得られずに、習い覚えた兵法を以って生きなければならない侘しさを歌っていました。
 如何に能があっても、環境や手段に誤りがあれば思いは遂げられない事は何時の時代であれ、誰にでも起こり得るものです。しかしそれに甘んじることなく、兵法に精錬して、思いを遂げる道を求めて行く事も能ある事の一つで、「身の憂き」と嘆く事ではない、と思いますが、それは柳生家の事であって、石舟斎にとっては忸怩たる思いがあったのでしょう。
 そこで、「兵法は能なき者の業」と、自分の不甲斐なさを嘆く反面、兵法にうつつを抜かし生兵法をひけらかす者を叱るように、兵法ばかりでは、戦どころか喧嘩にしかならない。と諭しているのでしょう。
 何の為に武術を稽古するのか、稽古した先に何があるのか、それは自己実現の到達点なのか、そんなに思いつめずに、棒振り体操でいいじゃないか、試合で勝って喜べればいいじゃないか、技を覚えただけで師匠と仰がれそれでいいじゃないか、演武会で大道芸を演じてやんやの喝さいをうけられればいいじゃないか。そんな葛藤をしている間に試合ではコロコロ若者に負け、へぼでも老人体操でもお世辞が飛んで来る、其の内足腰も立たずに・・・この石舟斎の「兵法は能なき者の業」をかみしめたいものです。
 

 
 

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2020年4月20日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の5しあいして

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の5しあいして

兵法百首
志あひしてう多礼て恥乃兵法と
        心耳多え須くふうしてよし

しあいしてうたれて恥の兵法と
        心にたえずくふうしてよし

仕合して打たれて恥の兵法と
        心に絶えず工夫してよし

 仕合(試合)をして、打たれて恥をかくのも兵法なのだが、絶えず工夫する心が大切である。と歌っています。

 柳生石舟斎宗厳による「一流の紀綱・柳生家家憲」という一文が柳生厳長著「正傳新陰流」に掲載されています。
 この歌心を理解する一文として、お借りいたします。
 「歎いてもなげかわしきは、奥義に疎き仕相だで、其の身の恥辱かくのみならず、某甲(それがし)の道を沙汰し、兵法一流の師に難をきする事、まことにまことに不覚の次第也。
 兵法一儀にあらず、いづれの芸能か、稽古なくして上手のあるべきや。此の流には、第一仕相無用たる可き也。其の仔細は、余流を廃せずして道をたしなみ、幾重にも他流を育て相尋ねる事尤も也。世上修行するほどの仁は、一つ二つ是非共に、然るべき極意を存ずる者也。執心の道を育て、兵法建立の心、後代の為を存ず可し。
 家流に執心の仁は、先づ浅きより深きに至る。一文は無文の師、他流勝つ可きに非ず。きのふの我に、今日は勝つ可しと分別し、上手奇妙は、稽古鍛錬工夫上成ると、古人師伝にも申しつたへらるる事なれば、刀にて腰をふさげたらん者、一世の意思、所存、其の身の覚悟を分別の仁、懇望執心においては、相伝有る可し。努々、表太刀以下を稽古無く、他流の是非を嘲弄し、仕相好き、慢心の人へは、家法相伝有る可からざる也」

 奥義に疎いにもかかわらず、他流の者と仕合をして敗けて恥をかくのは某にも恥をかかせることになる。この流は仕合する事は無用の事、その理由は他流を排斥する事無く、一つや二つは他流の極意を得て自分の中に育てるものだ。他流に勝つべきものでは無く、昨日の我に今日は勝つと分別するものである。表太刀以下を稽古も碌にしないで他流を嘲弄したり、試合を好み、慢心の者へは家伝を相伝してはならない。と云っています。
 他流と仕合したり誹謗中傷するのではなく他流を積極的に学びなさい。と積極的です。これが道を究めようとする者の心得でしょう。無双直伝英信流の元関東地区の代表だった太田次吉先生は「弟子たるもの師匠の出来ない事でもやれ」と仰っていたそうです。よその道場に出稽古すら許さない様な道場長も居る様ですが、そんな処に居ても意味は無いでしょう。但し何故出稽古を許さないのか能々話を聞いて見るべきものです。我を一流に育て上げる為の心くばりである事もあり得ます。
 多くは考えも無く、昔からそんな風潮だったことを物知り顔に「他流、他道場の教えでは、お前の形が崩れる」だそうです。「かたち」はそっくりでも武術になっていないことの多い事、嘆かわしいばかりです。
 他流への出稽古の時は、試合でも無いのに、相手の打出す極意の技に、打ち勝とうとしてしまう考え違いの人もいるものです。稽古に出かけたのだから、素直に受けて相手の術をよくかみしめる事が大切と思っています。
 自流の場合でも、他道場の教えをよく噛みしめて、自道場と違う処を「違う」といって否定せずにとことんやってみるべきでしょう。きっと裏打ちされた素晴らしい心が潜んでいる筈です。

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2020年4月19日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の4兵法をかねてこちき

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の4兵法をかねてこちき

兵法百首
兵法を可年て都らきと於もハ須ハ
       阿らそひ由へ尓多ゝ可れやせん

兵法をかねてつらきとおもわずは
       あらそいゆへにたゝかれやせん

兵法をかねて辛きと思はずば
       争い故に叩かれやせん

兵法を可年て古ちきと於もハ須ハ
       阿らそひ由へ尓多ゝ可れやせん

兵法をかねてこちきと思はずは
       争い故に叩かれやせん


 この歌の原文の読みを今村嘉雄先生は「兵法をかねてちきと思もはずば争い故にたゝかれやせん」とされています。「古知き(こちき)」の読みでは意味がつたわってきません。古知を敢えて「東風」東から吹く春風と読む事は出来ますので、それを当ててみます。

 「兵法をかねてより春風のように優しいものと思わなければ、争い事なので激しく打ち懸かれば叩かれてしまう」。

 もう一つは「都らき」と草書体の漢字と仮名のらを当ててみました。

 「兵法を辛き事と思わないで、此方から争いを仕掛ける事をしたのでは、叩かれてしまう」

 歌心は両方共無理やり、「そうかな」となるのですが将にミツヒラの得意な「思いつくまゝに」になってしまいます。
 江戸時代初期の草書と仮名混じり文は文字さえわかりやすく書かれていれば読みこなせますが、当時の単語や方言によっては意味不明になるものです。
 意味不明な単語が出て来ると文字の良否が浮き彫りになってしまいます。この歌は石舟斎宗厳兵法百首の4首目に掲げられて居る歌です。充分意味ありの歌であろうと思いますが、文字の読みに問題が有りそうです。石舟斎直筆の兵法百首の別伝にお目に掛かれれば解けるかもしれません。今村嘉雄著の兵法百首も奈良女子大学学術情報センターの兵法百首も原本は同じですから判読はここまでです。後世の何方かがそれを写し書きしたのでは参考程度にしかなりません。
 取り敢えず、この辺にして置き、兵法百首を読みながら振り返ってみたいと思います。

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2020年4月18日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の3兵法の勝をとりても

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の3兵法の勝をとりても

兵法百首
兵法乃可知をとりても世乃うミを
       王多り可年多る石のふ年可奈

兵法のかちをとりても世のうみを
       わたりかねたる石のふねかな

兵法の勝を取りても世の海を
       渡りかねたる石の舟かな

 兵法での勝を取ったとしても世の中に横たわる海を渡り損ねた石舟斎であることよ。

 この兵法百首を柳生石舟斎宗厳は何時詠んだのかよく解りませんが、テキストとした慶長6年2月吉日に竹田七郎に相伝した奥書があるものです。従ってそれ以前になっていたと云えるでしょう。
 文禄3年1554年に66歳で徳川家康にお目見えし仕官を要請されたが、柳生宗矩を仕官させて石舟斎は柳生の郷に戻っています。慶長5年1600年は関ケ原の戦いで家康は勝利し江戸に幕府を開いて将軍となっています。此の時石舟斎は72歳。翌年慶長6年1601年宗矩は2代将軍秀忠の兵法師範になっています。
 兵法者として、宗矩という血筋を将軍の師範と云う、兵法者として最高の地位を勝ち得た事は認めたとしても、自分自身は世の中を渡り損なった石の舟と嘆いている事になるのでしょう。
 柳生宗矩はその後寛永13年1636年には一万石の大名に昇進しています。今から384年前の柳生家の出世を一括りで見れば、素晴らしい道統家族と見られるのですが、礎を築いただけで終わった人生を振りかえれば淋しさは一段とあったものなのでしょう。大名として功成り名遂げたとしても柳生宗矩は、其処に兵法者としての足跡を残すべく「兵法家伝書」を寛永9年1632年には完成させています。
 武将としての地位をなげうって武田信玄の許を去って兵法者としての真髄に迫ろうとした上泉伊勢守信綱。求めるとも得られなかった柳生石舟斎宗厳。宗厳の代理で一万石の大名となり父の思いを果たしたとしても兵法者としての血が波打っていた柳生宗矩、上泉伊勢守信綱はあの世でどのように見ていたのでしょう。
 兵法の極意は、気負い込んで相手の状況を無視して打込むのではなく、己の心を無にして相手の起こりに随ってここぞと云うところに勝てと云います。兵法の奥義は人生の奥義であるのでしょう。
 しかし、人の業はより深く、夢に描いた自己実現の道を歩きたい思いは消せないのかも知れません。
・・ ミツヒラ思いつくままに・・

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2020年4月17日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の2かくれがとたのむ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の2かくれがとたのむ

兵法百首
嘉くれ可とたの無はよしや兵法の
       阿らそひことハむよう成介利

かくれがとたのむはよしや兵法の
       あらそいことはむようなりけり


隠れ家と頼むはよしや兵法の
       争い事は無用なりけり


 兵法を生きる為の隠れ家として頼むのは良いのだが、争い事は無用である。
 この時代、剣法を兵法と通唱していた様ですから、現代の感覚で云う複数での戦い、所謂国同士の戦いと思う必要は無いとも言えます。しかし一首目の歌「世を渡る業の無き故兵法を隠れ家とのみ頼む身の憂き」の次に来る歌ですから、武将として出世したかった思いを絶たざるを得なかった石舟斎の環境を考えれば、「争い事は無用なりけり」は矛盾しているとも言えます。世に出る思いを強く断つには、戦争で手柄を立てる兵法では無く、剣法一筋に打込むぞと言い切った歌かも知れません。

 師であった上泉伊勢守信綱は遠祖を俵藤太秀郷とする大胡城主の一族として、上州の桂萱郷上泉(現前橋市)の上泉城という大胡城の出城で生をうけている。天文24年1555年大胡城は小田原の北条氏直に迫られ降伏。上杉謙信が関東管領の職分から上州に突入し北条勢を追い払い、大胡城も半年足らずで取り返せたが、謙信の采配で箕輪の長野信濃守業政の手に委ねられた。その箕輪城も永禄6年1563年武田信玄によって落されています。
 其の師、上泉伊勢守信綱は武田信玄に召されたが、新陰流を広めたい願望強く仕官を辞退したと言われる。
 武将であり続けるむなしさよりは、兵法者として生きていくことを選択したと云えるのでしょう。此の時信玄より他家に仕官しない条件として許可され信玄の一字「信」を貰い上泉伊勢守秀綱を信綱と改名したと云う。これを兵法者の業と捉えるか否かは疑問ですが、より奥を求めるならば在り得ることとも云えるでしょう。
 多くの兵法者が、仕官を求めて彷徨う時代であったと云えるし、多くの兵法者が乞食同然に野垂れ死にした時代でもあったかもしれません。柳生石舟斎が柳生の郷に兵法者の隠れ家として隠棲出来た事は、格別の事だったと云えるでしょう。それだけに争い事にはかかわらない事も生き方だったと云えるのでしょう。

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2020年4月16日 (木)

柳生石舟齊の頃の年表

柳生石舟斎の頃の年表

延徳元年1489年  塚原卜伝生まれる
永正5年1508年  上泉伊勢守信綱大胡に生まれる
享禄元年1528年  柳生宗厳生まれる 

天文7年1538年  陰流愛洲移香斎没87歳
天文10年代(1541年~50年)上泉伊勢守信綱新陰流創始か?
天文11年1542年 林崎甚助重信幼名民治丸生まれる
天文24年1555年 上泉伊勢守信綱の大胡城北条氏直に攻略降伏
           上杉謙信により北条氏を追い上州平定さる
           箕輪城首長野信濃守旗下となる

永禄5年1563年  武田信玄箕輪城攻略
永禄6年1564年  箕輪城落城上泉伊勢守信綱甲斐へ
           信綱廻国修行
永禄8年1565年  上泉伊勢守藤原秀綱(57歳)
           柳生新左衛門尉(後の石舟齊宗厳)に相伝允可
           柳生宗厳新陰流道統第2世継承
永禄9年1566年  上泉伊勢守、柳生宗厳38歳に「影目録」相伝
天正10年1582年 織田信長本能寺で没
天正13年1585年 太閤検地により柳生の土地没収される
文禄3年1594年  柳生宗厳67歳・宗矩徳川家康の要請により
           洛西柴竹村鷹ヶ峰陣屋にて演武上覧
           柳生宗矩家康に仕える
慶長3年1598年  太閤秀吉没
慶長5年1600年  関ケ原の戦い 柳生宗矩戦功あり
慶長6年1601年  柳生宗矩 将軍秀忠の兵法師範となる 
                               柳生宗厳73歳 兵法百首(宝山寺蔵)         
慶長8年1603年  徳川家康征夷大将軍、江戸に幕府
           柳生宗厳75歳 新陰流截相口伝書亊
慶長9年1604年  柳生宗厳76歳
慶長10年1605年 柳生宗厳77歳 没茲味手段口伝書
           柳生平介長厳(後の兵庫助利厳)に相伝
           柳生兵庫助利厳道統第3世継承
慶長19年1614年 大阪冬の陣
元和元年1615年  柳生兵庫助、尾張藩主徳川義直の兵法師範
           大阪夏の陣
元和2年1616年  徳川家康没

元和6年1621年  柳生兵庫助 道統第4世を徳川義直に相伝
                               柳生兵庫助 始終不捨書尾張大納言義直公に進上
寛永9年1632年  柳生宗矩 大監察となる
           柳生宗矩 兵法家伝書
寛永13年1636年 柳生宗矩 所領一万石大名となる
寛永14年1637年 島原の乱
寛永9年1642年  柳生十兵衛 月之抄
正保2年1645年  宮本武蔵没 武蔵五輪書
正保3年1646年  柳生宗矩没
慶安3年1650年  尾張大納言徳川義直没

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の1世をわたるわざのなきゆへ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の1世をわたるわざのなきゆへ

兵法百首
世をわ多流王ざ乃奈記由へ兵法を
        可くれ可とのミ多のむ身能(そ?)う記

世をわたるわざのなきゆえ兵法を
        かくれがとのみたのむみのうき

世を渡る業の無き故兵法を
        隠れ家とのみ頼む身の憂き

 柳生石舟斎宗厳が慶長6年1601年2月吉日に竹田七郎に伝授した兵法百首になります。
 世を渡るすべを知らない為に、兵法を生活の頼みにして来た、我が身の本意とは言えず切ない事よ。と歌っています。この歌の歌われた慶長年代とはどの様な世の中だったのでしょう。その中で柳生石舟斎の置かれた立場はどの様であったのでしょう。
 その時代の年表を次回に付しておきます。

 柳生延春著「柳生新陰流道眼」の津本陽氏との対談に新陰流4百年の伝統が語られています。兵法百首の一首目に置かれた歌心が伝わって来る処です。長文ですのでかいつまんでご披露させていただきます。「柳生氏と云うのは大和の柳生の庄に平安時代ごろから起きた土豪といいますか、地方の一豪族でした。世に出て来るのは、柳生石舟斎宗厳の時代になってからです。・・武将としての夢を持って足利将軍の下におった松永氏に仕え、信長が大和平定の為に手足となって力を尽くした。・・信長に将軍は追い出される。そうすると松永氏も信長と上手くいかなくなり、石舟斎の武将としての夢も消えた。(信長も消え秀吉も去り、)上泉伊勢守から受け継いだ新陰流兵法に40代から60代まで一途に専念した。そうした中で文禄3年家康の御前で新陰流を披露し、指南役を要請されたが五男の宗矩をよろしく頼むといってその場へ置いて来るのです。」
 この歌は、柳生家の将来を見通した上で、あの時代の武将と云うものへのあこがれと一武芸者の位置づけに、石舟斎自身のせつない思いが伝わって来る歌とも云えるのでしょう。

 柳生石舟斎宗厳による兵法百首は、百首揃って記載されているものは少なく、其の上当用漢字及び仮名使いに直されています。出来るだけ石舟斎の直筆によると思われる百首を捜したところ、今村嘉雄著「史料柳生新陰流下巻」に宗厳(石舟斎)兵法百首(慶長6年2月吉日、宝山寺蔵)の原文写真を示し読みをされておりますので、原文をお借りして読み下し、今村嘉雄先生の読み下しを参考にさせていただきます。ご了承下さい。なお今村嘉雄先生の原文写真は幾首か歌が撮影されていませんので別に奈良女子大学情報センターの原文写真を参考に読み下しています。 
 文字の判読の違いなどで、今村嘉雄先生と異なる読み下しも有ろうかと思います。400年前の古文書ですので、私の読める範囲を超えられません。歌心は柳生新陰流及び無雙神傳英信流居合兵法(無双直伝英信流居合兵法の古伝)による武術の力量から引き出されたもので、はるかに高い先生方から見れば読み足らず、心足らずかもしれません。しかし、その日の歌から心に移るものを素直に読んでみようと思います。
 ご指摘の事がございましたら、コメント欄でお知らせいただければと思います。本物の武術を手探りしながら歩き続ける武者修行と心得ております。

 

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2020年4月15日 (水)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の40一つより百まで

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の40一つより百まで

無外流百足伝
一つより百まで数へ学びては
       もとの初心となりにけるかな

 無外流真伝剣法訣の十剣秘訣の十番目は「万法帰一刀 問うて云く万法一に帰す、一とは何処にか帰す、答えて云く、我青洲に在って一領の布衫を作る、重き事七斤。 更に参ぜよ三十年。円相文字の沙汰にあらず。附短剣法就中三有りて三無し各三」
 これは中国宋の時代の雪竇重顕禅師(せっちょうじゅうけんぜんし)による碧巌録第45則「挙す、僧趙州に問う、万法一に帰す、一何れの処にか帰す、州云く、我青州に在り一領の布衫を作る、重き事七斤、編辟曽て挨す老古錐、七斤衫重し幾人か知る、如今抛擲す西湖の裏、下載清風誰にか付与せん」による禅問答です。
 
 この意味は、万法は一に帰着する、一とは何かといえばで、仏教では「空」、ここでは「一」。趙州は答えて、われ青州に在る時一領の布衫(麻布)を作った、重い事七斤あったと答えている。一とは何処にあると問うのに答える趙州の答えも老古錐のように鋭い。この答えの重さを幾人が知ろうか。それを西湖に投げ捨ててしまった。一切の重荷を下ろしてこの清風を誰に付与しようか。

 万法は重いから投げ捨てて初めからやり直すその清い心は素晴らしいよ、とでもいうのでしょう。
 この百足伝の歌は、一切の学びを得たものを下して、身軽になって元の初心に帰って学び直す心を歌っているのでしょう。学び直すとは言え全くの空では無く、新しい一からであればクルクル回る円相もスパイラルを描くのかも知れません。終わりなき修行とは進歩するもので、柳生新陰流の円相、習い・稽古・工夫とも通ずるものでしょう。
 然し、過去に習った或いは身に付けた、悟ったと云う事の上に重ねながら元に戻って習い稽古工夫するのではなく、総てを無にして初めからやり直してみる。それでなければ元の初心とは言えないでしょう。
 せっかく、他流を習うつもりが、自流のやり方を前面に出して己を認めさせようとする人が武術者の中にはなんと多い事でしょう。そんな人の進歩は全く遅く、気が付いた時には幾つも歳を無駄に重ねてしまいます。

 千利休宗易の歌に「稽古とは一より習い十を知り十より帰るもとのその一」と云うのがあります。「元のその一」、と「もとの初心」の意味を紐解く時、一とは元の一では無い筈です。「いやいや、何もわからずに始めた事だから、師の教えを理解されないまま抜けたところも沢山ある、再び初心に帰るのだ」と云われても、師も元の師ではありえない、また既に師は他界して居るかも知れません。己も又本の我とは言えないでしょう。然し「万法一に帰す」。
 過去の自分に固執する事無く、人の顔色を窺う事も無く「万法一に帰す」で無ければ、悪習を塗り立てるばかりで何が本物かもわからなくなってしまいます。
 中川申一先生は、死の間際に「宗家などと云う因習は、僕で最後にしなさい。後は皆で話し合って仲良く。是でお終い。アーメン」と言って息を引き取られたそうです(百足伝を読まれた無名さんからのmailにより2020年4月14日追記)。
 此の事をどの様に考えるかは百足伝を読まれた方にお任せする以外に有りません。
 無外流の流祖辻月丹が残されたものは「無外流真伝剣法訣」及びその中の「十剣秘訣」であってどこにも居合の形を残されていないのです。

 無外流百足伝40首を終ります。

 無外流居合は新田宮流から派生した自鏡流の居合とされています、古伝無雙神傳英信流居合兵法とも何処か根底で繋がるものがあるかもしれません。
 流派を越えて修行する事が憚られるような雰囲気が漂うのは、本物を求める武術修行には不必要です。自流の他道場への出稽古すら嫌ったり、他派の運剣を学ぶ事すら嫌う、他連盟への介入すら法度にする狭量を聞く時指導者は何を指導して居る事やらと思うばかりです。
 他流を知り自流を見直すそんな修行者でありたいものです。たとえ木刀や真剣を携えて学ばず共得られるものは多いものです。

 中川申一先生の無外流居合兵道解説には大変多くを教えられました。あえて無外流の先生方の教本や歌の解釈を流用致して居りません。ミツヒラの「思いつくままに」無双直伝英信流と柳生新陰流の教えから百足伝を紐解いて見ました。

 お気づきのことがありましたら、ご教授頂ければ幸いです。
 無外流「百足伝」を終ります。明日から柳生石舟斎宗厳の兵法百首を学んで見ます。

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2020年4月14日 (火)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の39兵法は君と親との

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の39兵法は君と親との

無外流百足伝
兵法は君と親との為なるを
      我が身の芸と思ふはかなさ

 兵法は主君と親の為に、死力を尽くして戦う修業をするもので、我が身の為の芸だと思うのでは、心に帰す事も無くむなしいものだ。

 「はかなさ」は不安定である・しっかりして居なくて頼りにならない・なすこともなくむなしい・物事の度合いなどが僅かである・ちょっとしたことである・かりそめである・粗略である・取りつき所がない・そっけない・ばかげている・つまらない・命が絶えたさまである。広辞苑ではこの様に解釈されています。

 この無外流百足伝は中川申一著無外流居合兵道解説によれば「自鏡流祖多賀自鏡軒盛政が門人を指導する毎に人体の差別を見て、指南した口受である。」無外流祖辻月旦は居合を自鏡流の多賀自鏡軒に学んでいます。
 辻月旦は、慶安2年1650年生まれ享和12年1813年に没しています。165歳になりますから疑問です。享和は享保の誤植でしょう。
 宝永7年1711年(61歳)に第6代将軍徳川家宣にお目見え予定が反故になり、天和2年1683年34歳の時江戸で燈明の火を切先で3度消した逸話がある。79歳ごろ(享保14年1729年ごろ)から病を得ているとされています。

 ここでは、自鏡流祖多賀自鏡軒盛政の居合は塩川寶祥監修無外流居合道連盟編著による塩川寶祥の武芸極意書真伝無外流居合道に依れば、「新田宮流祖和田平助正勝の高弟」とされています。
 いずれにしても、江戸時代前期後半の教えと云えるでしょう。寛永14年1637年島原の乱、元禄15年1702年赤穂浪士の討ち入りなどが見られますが、君主の為の兵法の行使は既に乏しいもので、この歌のような「何のために兵法を学ぶのか」が問われる時代だったかもしれません。
 現代は更にこの思いは強いもので、君は国そのものであり、寧ろ地球に住まう人々の平和を願い行使する事も疑問視されなければならない時代です。
 そうであれば、この歌のこころは、我が身の芸を殺人の為の武芸を学ぶ事によって、心と体の一致を学び、その極意から、利害の異なる人とも和す事を学ぶものであってほしいものです。それは別の事で充分身に付けられているならば、日本武道文化の正しい継承者としてあるべきでしょう。近年は、スポーツとしてアスリートを目指すが功成り名遂げることもならず、引退後は体がガタガタになっているのを多く見ます。無理な筋力増強や体の使用では無く、日常の身体操作で容易に体力を維持でき、奥義に至る過程の進歩も感じられる武術の稽古は、新しい体育知育の糧としても有効です。
 特に一人で畳二畳ほどもあれば稽古できる居合は有効なものでしょう。
  

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2020年4月13日 (月)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の38性を張る人

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の38性を張る人

無外流百足伝
性を張る人と見るなら前方に
       物争いをせぬが剣術

 自分本位の考えを突っ張って来る人と見たならば、前もって争いごとをしないのが剣術である。

 この歌はこの様に読んで見たのですが、武術は人間のコミュニケーションの最終手段であれば、最終手段を行使せずにコミュニケーションが取れて、互いを理解して和すことが出来れば「和を以て尊しとなす」という事になる訳です。
 しかし、人との付き合いの中で、無理やり人に自分の考を押付け従わせようとしたり、権威をかさに権力をふりかざしてきたり、元々性格が合わないとか、様々な出会いがあるものです。
 そんな時、事前に其れが分っているならば、其の人とは、争いごとをしないのが剣術の極意だというわけです。そんな人と知っていれば、付き合わない、接触しないとするわけにはいかないのも人の常です。
 然し最初から避けて通る事などなかなかできるものでは無いでしょう。上手に往なすと同時に打つ事も古流剣術では当たり前のことです。この歌を示された無外流の修行者は兄弟子や同輩に抑え込まれて居すくんでいたのでしょう。それが稽古にも表れて何をしているのか解らなくなっていたのかも知れません。

 土佐の居合で林六大夫守政がもたらした無双直伝英信流の古伝で無雙神伝英信流居合兵法の曽田本の最終章に「神妙剣」という教えがあります。「深き習いに至りては実は事で無し。常住座臥に之有る事にして、二六時中忘れて叶わざる事なり。彼怒りの色見ゆるときは直に是を知って怒りを抑えしむるの頓智(叡智?)あり。唯々気を見て治る亊肝要中の肝要也。是戦に至らしめずして勝を得る也。然りながら我臆して謝りて居る事と心得る時は、おおいに相違する也。兎角して彼に負けざるの道也。止める事を得ざる時は彼を殺さぬ内は我も死なずの道也。又、我が誤りも曲げて勝には非ず。謝るべき筋なれば直ぐに謝るも勝也。彼が気を先に知ってすぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也。委しくは書面にあらわし尽くし難し。心覚えの為に其の端を記し置く也。」
 この教えは、「性を張る」相手と武術での争い事となる前に察知して和する事を極意としています。私の出合った性を張る人は権力をかさに私を追い出しにかかってきました。そんな人と付き合ってるのも馬鹿らしくさっさとおさらばしてしまいました。今頃どうしているでしょうしっかり稽古出来ていればいいのですが。

曽田本居合兵法の和歌
 居合とは人に切られず人切らず
       唯請とめて平らかにかつ
 居合とは心に勝が居合也
       人と逆うは非刀としれ
 いかに人腹を立てつつ怒るとも
       拳を見込心ゆるすな
 無用なる手詰の論をすべからず
       無理の人には勝って利は無し

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2020年4月12日 (日)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の37剣術は何にたとえん

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の37剣術は何にたとえん

無外流百足伝
剣術は何にたとえん岩間もる
      苔の雫に宿る月影

 剣術は何に譬えたらいいのだろうか、岩間から漏れて来る月が苔の雫に宿るようなものだ。

 歌を其の儘読めばこのようになるのですが、歌い出しの、剣術は、苔の雫に宿る月影に譬えられるのだと歌っています。

 柳生宗矩の兵法家伝書では活人剣に「神妙剣は身の内の座取也」とあって、「心にて見るを根本とす。心から見てこそ目もつくべき物なれ。然れば、目にて見るは心の次也。目にて見て、その次に身足手のはづれぬ様にするを、身足手にて見ると云う也。心にて見るは、目にて見む為也。目にて見るは、足手を敵の神妙剣の座にあてんといふ事也」と云っています。
 更に「こころは水の中の月に似たり、形は鏡の上の影の如し」と歌い「右の句を兵法に取用ゐる心持は、水に月のかげをやどす物也。鏡には身のかげをやどす物也。人の心の物にうつる事は、月の水にうつるごとく也。いかにもすみやかにうつる物也。神妙剣の座を水にたとへ、我が心を月にたとへ、心を神妙剣の座へうつすべし。心がうつれば、身が神妙剣の座へうつる也。心がゆけば、身もゆくなり。心は身にしたがふ物也。」

 剣術の極意は、苔から滴り落ちる雫に、岩間から漏れて来る月がうつるように、その月の影がうつるや、速やかに打ち込む事だ。と歌っているものです。
 無外流真伝剣法訣の十剣秘訣には「神明剣」により、「変動は常に無く敵に因って転化す、先に事を為さずすなわち随う」とあって、敵の変化を移しとって動くのだとしています。更に「氷壺に影像無く、猿猴水月を捉う」を掲げ、心を波立たせずに静かに、澄んだ心で相手の心を移しとって、感応するのだと云います。此処では業のあり様では無く、剣術とは、相手の動きを感じ取ってするものだと歌っています。

 宮本武蔵も兵法35箇条で「心の持様は、めらず、からず、たくまず、おそれず、直ぐに広くして、意の心かろく、心のこころおもく、心を水にして、折りにふれ、事に応ずる心也。水にへきたんの色あり。一滴もあり、蒼海も在り。能々吟味あるべし。」

水にうつる月の歌
田宮流歌伝口訣
水月をとるとはなしに敵と我心の水に澄むにうつらふ
うき草はかきわけ見ればそこの月ここにありとはいかで知られん

笹森順造著一刀流極意
水月之事
早き瀬に浮びて流る水鳥の嘴振る露にうつる月影
敵をただ打と思ふな身を守れおのづからもる賤家の月

曽田本抜刀心持引歌
水月の大事
水や空空や水とも見えわかず通いて住める秋の夜の月

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2020年4月11日 (土)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の36兵法をあきらめぬれば

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の36兵法をあきらめぬれば

無外流百足伝
兵法をあきらめぬればもとよりも
       心の水に波は立つまじ

 兵法を身に付けるのをあきらめてしまうならば、心は静まり相手を打ち負かそうと闘争心に燃え盛ったりするような、激しく波立つ事も無かろう。

 直訳すれば、こんな事かとも思えるのですが、特に兵法に志すことでもなく、日常の生活においても心は激しく波だったり、ひたひたと打ち寄せたり、鏡のように穏やかであったりするものです。

 「心の水」を兵法で見聞きする「水月」や無外流真伝剣法訣の十剣秘訣「水月感応」の氷壺の教えの「氷壺に影像なく、猿猴水月を捉う」などは、相手の動きを澄みきった心に捉え、即座に応じる事、と歌うのですが、兵法をあきらめてしまえばそんな事を意図する必要などない、とでも云うのでしょうか。
 日常生活でも、心静かに周囲の変化に慌てず、騒がず、適切に対応する心を磨いて置きたいものです。それは「あきらめ」で得られるものでは無く、信じた道を守り通す強い心と状況を見抜く洞察力によって得られなければならないでしょう。
 あきらめて自分の思いに蓋をせざるを得ない事も度々あるのも人生でしょう。然しそんな中でも、違う道から歩き出して小さくともやり通した喜びは大きなものです。

 この歌心は兵法に於いてと限定するのであって、人生における事とは違うよと言われるかもしれません。
 然し何のために兵法を学ぶのかを突き詰めれば、澄んだ心そのものが、「平常心是道」であるものです。そして移り行く影に瞬時に応ずる心を磨く事なのだろうと思います。移り行く陰とは、人の暮らしに影を射すあらゆる事象に心正しく応じる事ではないですか。兵法の名を借りて生き方を示唆してくれる歌と信じます。

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2020年4月10日 (金)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の35世の中の器用不器用

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の35世の中の器用不器用

無外流百足伝
世の中の器用不器用異らず
      只真実の勤めにぞあり

 世の中には器用な人も不器用な人も居ると云うが、どちらも異なるものでも無い、ただ真実のみを求めて勤めることが奥義に至ることである。

 剣術を始めると、直ぐに技の順番を覚えてしまうとか、その業の術理に近づくとか、器用な人も、不器用な人も居るようですが、その程度の進歩では大した差があるものでも無い。
 中には優れた素質を持っていても、剣術に対する思い入れが薄い人も居るものです。それが何時まで経っても稽古はサボりがちで、物覚えも動作も鈍いものが志し高く日ごとに励めばスルスルと差がついて行きます。
 差がつくとは武術に於いては何なんでしょう。真剣勝負が許されて日本刀での切り合いで勝つのに、形の稽古で見せた器用不器用がどれだけの意味をなすでしょう。竹刀剣道の当てっこが上手でも、それで勝負がつくでしょうか。
 武術は人のコミュニケーションの最終手段とも言われます。そこには器用不器用や上手下手などの事が遥かに及ばない、事のあるべき真実とそれを己の内に信じて接していく心のありようの方が遥かに強く訴えかけて来るものです。
 無外流の歌にはこの様な、人間本来あるべき姿を示唆する歌心が随所に見られます。無外流真伝剣法訣の十剣秘訣「萬法帰一刀」更に参ず三十年の教えが棒振りの良し悪しにのみ拘り続ける事から昇華出来るのでしょうか。「道法自然」に本物を求めて歩み続ける事こそ、道かも知れません。

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2020年4月 9日 (木)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の34屈たくの起る心

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の34屈たくの起る心

無外流百足伝
屈たくの起る心のいづるのは
       そは剣術になると知るべし

 業の動作がどうも上手く行かない、どうしたらいいのだろうなどと気にかかって仕方がない、それは剣術になり始めて来たと云えますよ。と歌っています。

 「屈託がない」のは気にかかる事が無い状態ですから、「屈託が起る」は気になる事があって、他の事に手が付けられない状況です。
 竹刀剣道でも、古流剣術の形の稽古でも、入門し始めは見たままを、然も勝積りで唯矢鱈早く打込んだり、木刀が当たるや押さえこんで見たり、とにかく、勝って見たいものです。
 勝たなければ稽古じゃない位の気持ちなんでしょう。特に試合慣れした竹刀剣道をやってきた人など、打太刀の打ち込む木刀を当てっこ剣道の癖で叩き落とそうと力任せに受太刀になって居付いています。受けるや握りが緩んでいますから、木刀を押さえられて摺り込まれてしまいます。
 古流剣術は受太刀に為らず、打太刀の打込みを当たり拍子に切り込むとか、往なして斬り込むとかするように教えられます。
 今まで、速い強いで結果を出して来たし、打ち込んでも当たらなければ何度でも、打ち込む部位や角度を変えても、同じ様な繰り返しをしています。其の内相手が受け乍ら隙が出来て打たれてくれたわけですから体がそうなってしまっています。
 竹刀剣道をやった事のない人でも、速く強くは人生の糧だったのか、その上勝気な人は、身に降りかかる危険は「がっちり受け留る」人生で生き抜いてきたのでしょうから、自然にそれが出てしまう。
 少し形の順番を覚えたようなので、打太刀に為って仕太刀の動きを知って、形の業技法を学んでもらおうとすると、何が何でも仕太刀を負かそうとしてしまい、当てっこの打込みや、仕太刀の応じる木刀を弾き飛ばそうと全身で力んでしまう。
 そうかと思うと、ゆっくり大きく正確に仕打共にやるのは良いとしても、其の業の術理を体で認識できていないので、「かたち」ばかりで全然役に立たない。誰でもそんな時期を初心の頃は経験されていると思います。
 それでも、続けているうちに何とか形に成り、同輩や後輩には業の術が決まるのですが、先輩には刃が立たず、師匠の前では何故有効に術が決まらないのか、将に屈たくが起って来る。中には打ち込まれた角度が鋭角だったり鈍角だったり、間合いが遠いだの近すぎだの、都合の良い所を望む様になって、それでも剣術って言いたくなります。
 先輩を超えても師匠に叶わない。師匠に決まっても、他流の人とやってみると意味すらなさないなど幾らでもあるものです。業の決まらない理由は相手に求めるより己の術理が充分認識され稽古も充分になって初めて見えて来るのでしょう。然し人には年と共に来る衰えがあるものです。それを知って業の真髄に到達できなければ、其処で挫折すると共に、衰えに拍車がかかるのでしょう。
 「屈たくの起り」はどうやら生涯ついて廻る様です。
 

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2020年4月 8日 (水)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の33馴るゝより習

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の33馴るゝより習

無外流百足伝
馴るゝより習の大事願くは
     数も使へよ理を責めて問へ

 前回の百足伝は「習ふより慣るゝの大事願くは数を使ふにしくことはなし」でした。
 前回が習うよりも教えられた動作に慣れる事が大事ですよ、それには何度も練習する事が一番ですよ。と言っていたのです。

 今回は、自分流で馴れるよりも、細かい所までもしっかり習いなさい、でも沢山練習もしたうえで、なぜ、どうして、こうしたらどうです、とか理屈で納得できるまで師匠に攻め込んでお聞きなさい。と歌っています。

 習っても、練習もしないで理屈ばかり言って居ても少しも上達できるわけには行きません。かと言って分かったとばかり練習ばかりしていても誤った癖がついて、業の持つ本来の術が全然決まらず、形だけ見事に見えるものも困ったものです。ポイントはしっかり習って、術が確実に決まるようにしたいものです。
 百足伝は中川申一著無外流居合兵道解説に依れば「この百足伝の40首の道歌は自鏡流祖多賀自鏡軒盛政が、門人を指導する毎に人体の差別を見て、指南した口受である。人に大小長短幼老貧富の差別ある故指導者はこの点に心を配り、その人に応じて指導すべきで、決して画一的に指導すべきではない。指導者の心得うべき事である。」と序を書かれています。
 まさにその通りでしょう、更に付け加えるならば人それぞれの資質や経験などによって一律的な指導は無駄な時間を過ごさせてしまい、指導者を超える名人上手を生み出すこともままならないでしょう。指導者は己の習い覚えた業技法の上を行く弟子を育て、尚且つ己の要した時間より少しでも早く上達できるように指導して、初めて指導者と云えるのでしょう。

 笹森順造著一刀流極意の一刀流兵法仮字書目録に「師の教えを守らずして自らの才知すぐれたるを以て、其の師の業を能く学ぶといえども、おろかに其の心を知らざる故、物におし移るかげの如し、其の心は我が形は分寸たがわず、動くをうごくといえども詞あらんには如何に詞あらんや、・・然る間、至らざるにして其の師の得たるを以て、おしえる所作を学ばずして、教えを深く慎み守るべき事」と習いの心得が示されています。形を真似ても、師の心を学ばなければ、それは物に写っている影のようなものだと云います。形は少しも変わらないが、心をとらえていないのでは意味はない。
 業を習ったがどうしても思う様に出来ない、そんな時には師が得たものを以て教えられ、それをしっかり学ばなければ習ったとは云えない。一般的には、形が出来て居れば師もよし、我もできたで終わってしまうでしょう。どうしても出来ない事には、師からそれを見て、師が其処を超えたやり方を教えるとか、師も超えられない事であっても、其処までの工夫は教えるべきものでしょう。それが教える事であり習う事で、其処から共に超えられれば素晴らしい事です。
 何故そうするのかの問いに、師匠から習ったと返されるほど、情けない人についてしまったと思うばかりです。

 

 
 
 
 

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2020年4月 7日 (火)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の32習ふより慣るゝ

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の32習ふより慣るゝ

無外流百足伝
習ふより慣るゝの大事願くは
       数を使ふにしくことはなし

 習うよりも慣れる事の方が大事、出来るならば数を稽古する事に勝る事はない。

 柳生新陰流の尾張柳生の柳生兵庫助利厳が元和6年1620年に尾張権大納言義利に印可相伝の際「始終不捨書」を進上しています、その始めに三摩之位という一円相に三等分の点を打ち習い・稽古・工夫の三磨を示しています。柳生新陰流道眼の著者柳生延春先生によると「どこまでが「習い」であるか、「稽古」であるか、どこからが「工夫」であるのか境界なく、その三位を一円相上に追及して、循環して端無き位として渾然一体と化するように円成し、出精してつとむべきであるとの習訓である」と解説されています。

 業の動作を習っても、其の動作に慣れなければ耳学問、眼学問で終わってしまうわけで、体にその動作が慣れなければ、業は一人で演じられるものではないでしょう。繰り返し練習して初めてわざの動作が一人で演じられる様になるものです。
 業の動作に慣れて教えられた通りに出来るようになると、私は「何故」の疑問が湧いてきて、こんな状況だったら、あんな時にはどうしようと思い出すのです。そこから習ったものを軸にして稽古が始まったものです。合同稽古では、訳知り顔の兄弟子が「違う!」とすっ飛んで来るので、何故の解決は稽古日以外の日に一人稽古を欠かさずやって来ています。此処では練習では無く稽古です。そして問題解決の工夫は手当たり次第に業技法のDVDや書物で勉強しました。出来ない時は他流の門も叩いてきました。
 
 恐らく百足伝のこの歌も、教えた業の動作を手取り足取り教わるばかりでなく、自分で教えられた技を繰り返し練習して其処から業の本質を見つけ出しなさいと歌っていると思います。師匠のコピーはコピーに過ぎず、命の吹き込まれていない形にしかならないものです。
 柳生新陰流の始終不捨書の三摩之位は、習い・稽古・工夫を夫々ぶつ切りするのでは無く、それらを渾然一体として身に付ける事を示唆しています。

 形の稽古で、十分その業が出来てもいないのに、形の要求して居る事以外をやったりするとたちまち手直ししに来る者がいます。「何故そうしたのか」を少しも考慮せずに、自分流を押し付けられても少しも役に立たないものです。慣れる事によって形が出来上がってもその形には生気は無いものでしょう。遠廻りしても稽古の上で工夫を重ね、結果として教えられる形にたどり着いた方が遥かに生き生きしたものになります。
 或いは、何故、習った形が出来ないのかを、指導者はしっかり見つめて、例えば、姿勢とか手の内とか、或いは筋肉や関節の使い方を教えるとか、指導者としての工夫が必要なのでしょう。死に物の形ばかりに固執している指導者の下には出来る修行者は生まれないものです。
 最近は高齢者の入門もあるもので、いたずらに業数を指導するよりも、初伝・中伝・奥伝からピッキングして少ない業数で慣れてもらう方法なども取り入れる事も必要でしょう。中途半端に業数ばかりふやして教えて見ても中途半端は半端です。

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道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の31心こそ敵

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の31心こそ

無外流百足伝
心こそ敵と思いてすり磨け
       心の外に敵はあらじな

 自分の心こそ敵と思って修行しなさい、心の他に敵は居るわけはないでしょう。

 己の心の中に敵が居ると云うのです。
 沢庵和尚の不動智神妙録は「心こそ心迷はす心なれ心に心心許すな」の歌で終わっています。
 これを柳生宗矩は兵法家伝書で「さる歌に 
 心こそ(妄心とてあしき心也。わが本心をまよはす也)、
 心まよはす(本心也。此心を妄心がまよはす也)、
 心なれ(妄心をさして心なれと云ふ也。心をまよはす心也とさしていふ也。妄心也)、
 心に(妄心也。此妄心にと云ふ也)、
 心(本心也。心殿とよびかけて、本心よ妄心に心ゆるすなと也)
 心ゆるすな(本心也。妄心に本心をゆるすなといふなり)」
 この歌の兵法への解説は兵法家伝書活人剣に述べられています。心には本心と妄心の二つがあって、本心は本来の面目であり、妄心は血気であってはやる心、激しやすい心で非を以て理となすのだと云います。妄心がおこれば、本心がかくれ妄心となり皆悪しき事のみあらはるゝ也。というわけです。

 無外流真伝剣法訣十剣秘訣の翻車刀「互に争い有るに似たり、鼓舞還りて動かず」の教えの軸のぶれない動きを示唆していますが、この本心を妄心によって、血気にはやって本来やるべき事はぶれてしまうことをも戒めている気もします。玄夜刀に云う「陰陽測らず」で相手が何をしでかすかは計り知れない、従って、血気にはやって当て外れな動きをすれば必ず負ける、己の心を静めて神妙剣によって相手の変動はいつも同じと云う事はあり得ないのだから敵によって転化するのだ、だから己の妄心を本心によって押さえるべきもので、事を先に為さず敵の動きに随って、水月感応であるべきものだ。敵は己の心の中にある。と歌っているのでしょう。

 この歌心を、真剣勝負の心得とばかりに思うのでは修行足らずの演舞派でしょう、常の稽古の際により真剣に心掛けることが出来れば、形稽古が忽ち生きた稽古に成る筈です。良い稽古をした、いい稽古を見せてもらった、そんな稽古に打ち込みたいものです。

 曽田本居合兵法の和歌から、この歌心を彷彿とさせる歌を載せておきます。
 居合とは心を静め抜刀抜ければやがて勝を取るなり
 居合とは心に勝が居合也人に逆うは非刀としれ
 いかに人腹をたてつゝ怒るとも拳を見込心ゆるすな

  田宮神剣は居合歌の秘伝
 居合とは心を志ずめだす刀かたなぬくればやがて勝ちをとるなり
 居合とは心に勝つが居合なり人にさかふは非法なりけり
 人さまに腹を立てつついかるともこぶしを見つめ心志ずめる

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2020年4月 6日 (月)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の30目には見えて手には

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の30目には見えて手には

無外流百足伝
目には見えて手には取られぬ水の中の
        月とやいはん流儀なるべし

 目には見えるのだが、手に取ることは出来ないのが水の中の月と言うわけでは無いが、それが我が無外流の流儀なのだ。

 無外流の無外流真伝剣法訣の十剣秘訣に「水月感応 氷壺に影像無く猿猴水月を捉う」の文章があります。この意味は、我が澄みきった心に実体はなくとも猿が水に移った月を捕えようとするように、相手の心の動きが我が心に移り即座に反応するものだ。と伝書は伝えています。
 その、水に移る月のように、眼には見えても手に取ることは出来ない月の影のように我が心に移る相手の思いを察知して素早く応じるのが我が流儀なのだ。
 従って、「敵に因り転化す、事の先を為さず敵に随って動く」相手の動きに随って応じるもの、といいます。
 しかし「月とやいはん」と云うのは、水の中に写った実態のない影に反応して先を取るつもりで動くべきものでは無い、それが我が「流儀なるべし」なのでしょう。
 歌心はわかっても、相手が何をしようとするのかを心に移しとる水月感応に至らなければ結果として、相手の動きに随う前に闇雲に手を出してしまいそうです。
 回りくどい解釈をしませんと、他流のように相手の打ち込まんとする心を我が心に移し取って先を取ると解釈してしまいそうです。先を取る事ばかりを思い描くならば、「事の先を為さず敵に随って動く」が抜けて、敵に乗せられるばかりです。相手の心を読めたならば、相手の動きに従って何をすべきか瞬時に判断して応じろと云うのでしょう。
 
 

 

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2020年4月 5日 (日)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の29麓なる一木の花

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の29麓なる一木の花

無外流百足伝
麓なる一木の花を知り顔に
       奥も未だ見ぬ三芳野の春

 麓にある一本の桜の花を見ただけで、知ったかぶりして、奥山の桜を見ていないのに見た様に話すとは三芳野の春はそんなものでは無いのですよ、と歌っています。

 この歌は自流の奥義を知りもしないのに、少しばかりの業を習ったばかりで知ったかぶりするな、と諫めているとも取れる、大方はその程度で自流を振りかざしていい気になるものです。
 しかし、もっと武術は奥深いもので、自流を何とかこなせる程度で兵法家などとうぬぼれるなと歌ってもいるようです。

 柳生厳長著正傳新陰流に柳生石舟斎自筆の一流の紀綱・柳生家憲が残されています。ここに一文拝借させていただきます。「いずれの芸能か、稽古なくして上手のあるべきや。この流には、第一試相無用たるべき也。其の仔細は、余流を廃せずして道をたしなみ、幾重にも他流をそだて相尋ねる事尤も也、世上修行するほどの仁は、一つ二つ是非ともに、然るべき極意を存ずる者也。執心の道を育て、兵法建立の心、後代の為を存ずべし。家流に執心の仁は、先ずあさきより深きに至る。一文は無文の師、他流勝つべきに非ず。昨日の我に、今日は勝つべしと分別し、上手奇妙は、稽古鍛錬工夫上成ると、古人師伝にも申つたへらるる亊なれば・・。」
 この家憲の前に上泉流祖の兵法修行の史話を参考に上泉秀綱の履歴を上げています。
 慈父鐘愛によって幼時から兵法・兵術を励み、鎌倉にて念阿弥慈音の念流を学び、更に下総香取で飯篠長威斎の新当流を修め、塚原卜伝と親交し、常州鹿島で陰流の祖愛洲日向守移香齋から陰流之極意を授かっています。
 更に従三位小笠原武勇入道氏隆から兵法・軍法軍敗の三大事を相伝しています。そして多くの回国修行の上で、新陰流を立てています。史実の可否は問う程の事でもない、何を目指したかを考えさせてくれるものです。

 この「奥も未だ見ぬ三芳野の春」の奥とは自流の奥を超えた兵法全般に及ぶ「奥」を百足伝は伝えてはいないかもしれません。然し令和の時代には、現存するあらゆる武術流派の業技法は所属する団体の演武会などで拝見出来る上に、オープンな稽古会なども参加可能です。より知りたい場合には伝書類なども比較的入手しやすいと思われ、そのコピーで学ぶ事も江戸時代から見れば考えられない程の事だと思います。
 志すものは人それぞれであっても、他流、他部門に目をそらすほどの事では自流の真髄にも触れられないかもしれません。他流を勉強し始めた頃、訳知り顔の無双直伝英信流の十段を允可された古老の剣士が、「他流など嗜むと形が崩れる」と顔をしかめていました。競技会の形など少しも崩れる事も無く、お陰様で21代、22代、23代の御指導はどれも能く理解できます。

 
 

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2020年4月 4日 (土)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の28我が流を教へしまゝ

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の28我が流を教へしまゝ

百足伝
我が流を教へしまゝに直にせば
        所作鍛錬の人には勝つべし

 我が無外流を教えたままに素直に行えば、所作の形を学んだ人には勝でしょう。

 この歌心は、直ぐには読めませんでした。無外流は他の居合の流派のように形の所作だけを指導され、その後に奥義の心を教えられるのと違い、無外流真伝剣法訣とその十剣秘訣を心構えとして学び其の心を以て所作の修行しているのだから、当然他流のように業の運剣動作だけを鍛錬しただけの人には勝って当然でしょう。
 無外流真伝剣法訣及び十剣秘訣については本稿の4の17に今あるミツヒラなりの解釈をさせていただいています。この百足伝を終る頃にはもう一歩でも解釈が適切であればと思うばかりです。
 

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2020年4月 3日 (金)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の27兵法は行衛も知らず

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の27兵法は行衛も知らず

百足伝
兵法は行衛も知らず果てもなし
       命限りの勤めとぞ知れ

 兵法は何処が目的地なのかその行方も知らず果ても無い、命のある限り修行するものと知りなさい。

 歌を其のまま読んで見ました、更に奥があるのではと思うよりもこのサラッと読んだ事の奥深さは並の事では無いでしょう。
 武術に限らず歌でも踊でも、お芝居でも、書でも絵画でも、芸事全般に言われますから自然にそんなものかと思って居るようですが、本当にそう思って死ぬまで修行を続けられる人はどれくらい居られるでしょう。
 そこそこ段位も上がって、門弟など取るようになると、己の修行より弟子を育てて、昇段させたり競技会で優勝させたりすることに精を出し、挙句は団体などの役員などに打ち込んで益々己の修行を疎かにしてしまうのを見かけます。それでも70代ぐらいまでは、稽古も弟子達並みかそれ以上やっていても、目標が己の兵法の修行では無くなってしまい、其の内足腰も弱って剣を振るのも億劫になってしまうものです。
 目標が居合の極意を目指したのは遠い昔になってしまい、段位に依る権威と権力を振りかざして悦に入ってしまう者や、パワハラの大家になって指導者は愚か修行者の心は何処へやらでは、あの若き情熱に満ちた姿は見られなくなるものです。
 或いは、未だ見えないものを追って日々稽古に励む者も、人前では「稽古に出ないと体が弱る」と燃える気持ちを恥じらうようにする者も居るものです。
 「兵法は行衛も知らず」は「あそこ迄」「あれさえできれば」と思っても「そこまで行き着けば」更に向こうにチラチラ見えるものがあるものです。昨日よりは今日、今日よりは明日と幾つになっても励めよ、そして励みつつ天命を全うできれば素晴らしい人生でしょう。 

田宮神剣は居合歌の秘伝
世の中は我より外のことはなし
        思わば池のかへるなりけり
世はひろしわれより事の外なしと
        思ふは池の蛙なりけり
千八品草木薬を聞きしかど
       そのあてがひを知らでせんなし

曽田本居合兵法の和歌
世は広し我より外の事なしと
       思うは池の蛙なりけり
大事おば皆請取れと思うとも
       磨かざるには得道はなし
物をよく習い納と思うとも
       心掛ずば皆すたるべし
目の前のまつげの秘事をしらずして
       とやかくせんと一期気遣う
目の前のまつげの秘事をしりぬれば
        唯速やかの一筋のみち

笹森順造著一刀流極意仮名字目録原文古歌
是のみと思ひきはめつ幾数も
       上に上ありすいもうのけん
世はひろしことはつきせしさとりては
       わかしるはかり有とおもふな
(世は広し事は尽きせしさりとては
       我が知るばかり有ると思うな)

 
 
 

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2020年4月 2日 (木)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の26雲霧は稽古の中

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の26雲霧は稽古の中

無外流百足伝
雲霧は稽古の中の転変ぞ
       上は常住すめる月日ぞ

 雲や霧で周囲が見えなくなることは稽古の中でのことに過ぎない、雲や霧の上は常に澄んで月も日もはっきり見えるものだ。

 この様に読んでみたのですが、無外流の普段の稽古の中に「雲霧は稽古の中の転変」というものを互に発しながら行われているならば、うらやましい限りです。
 現代の形稽古は大抵の処は、約束された順番を打ち合うばかり、初心の内はゆっくり正しい刃筋を維持しながら約束された間合いで、気の合う相手とばかりやり合って、だんだん慣れて来ると早く強い打ち合いになるばかりです。YouTubeなど見ても、なれ合いの早打ちばかりで何処にも雲や霧など見られません。
 稽古相手も、形だからと決めつけ、間が近いの遠いの、打ち込む角度が高いの低いのと、泡吹いています。遠いならば足を盗め、近ければ引き足で打て、角度が違えば木刀を打たず腕を押さえろ、幾らでもやり様は有る筈です。
 更に居合では相手を置かずに仮想敵相手で、抜き付けの刀の位置だの、拳が何処だの是も有る特定の部位に特定の条件で抜付ける初歩の稽古の形ばかりです。
 相手になって貰えば、形の順番を知っているので、肩を打てというのに小手を打ちに来り、出鱈目に崩しに懸るばかりで、武術の本質を知らないニセモノばかりです。肩をどの様に打つかは相手に任せて其の起こりを捉える稽古にはならないものです。
 私のような天邪鬼はその方が自分の稽古相手には良いのですが、運剣の正しい道筋を以て崩す相手で無ければ、唯のチャンバラに過ぎず相手を勤めるべき資格はないと思っています。変化業は流派の業を以て変化するのでなければ、其処に稽古に来る意味など全くないのです。 

 「雲霧」とはそれがあって氷壺に相手の月が移らない、その中での転変は稽古でやっているだけにしろ、本来は雲や霧の無い晴れ渡った天空のように己が心を澄ませて相手の心を己が心に移してその隙を打つものぞ。
 妄心ばかりでチャンバラをしていても業の真髄は望めないものです。

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2020年4月 1日 (水)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の25前後左右

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の25前後左右

百足伝
前後左右心の技直ならば
      敵のゆがみは天然と見ゆ

 前後左右どちらにも偏らない心の置き所が直ぐであれば、敵のゆがみは自然に見えるものだ。

 「心の技」とは何でしょう。其の上その「技」が直ぐである事とはへそ曲がりには理解できないものです。敵と対して、威丈高になって機を窺う素振りや、今にも打込むぞと見せつける、此の様に来れば一気に打込まんなどと、兎や角相手の出方を想像して、いつの間にか妄心に覆われて平常心を忘れてしまう、懸ると待の心持ちも、懸るばかりに偏ったり、待にばかり偏ったり、妄心は自由勝手に走り回るものです。妄心に惑わされない本心を以て心静かに相手に向かうのであれば、逆に相手の心の歪みが自然に我が心に移って来るものだ、相手はこの様に誘いを懸ければこの様にするだろう抔思いめぐらし、誘いを懸けて来る。
 翻車刀の教えのように互に相争っている様に見えても、心の技直ぐなれば相手のゆがみが手に取るように見えるので不動の心で環り得るのでしょう。見せかけや、誘いに乗らずに動くとしても相手に随って無我の境地で応じるもの。飽くまでも心も体も軸をブラさない自然体と云えるのでしょう。そしてここぞという水月をとらえて打込んで行く、相手は其の打ち込みを逃れる事は出来ない。無外流真伝剣法訣十剣秘訣がここでも示されていると思います。

  

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