道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の7兵法のならひはうとく
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兵法百首
兵法乃奈らひハうとくきろ〵登
めく者利まてを春留そお可し記
兵法のならひはうとくきろきろと
めくはりまてをするそおかしき
兵法の習いは疎くきろきろと
目配りまでをするぞおかしき(可笑しき)
*
兵法の修練が不十分なのできょろきょろと、相手のあちらこちらを目配り迄していて愉快である。
これでは歌のまま、解釈しただけです、この歌に使われている言葉を振り返って見ないと、歌の本当の所が読めないかもしれません。
「兵法の習いは疎く」の「疎く」はここでは、関心が薄い・よく知らないでいいのでしょう。次の「きろきろと」ですが、柳生の郷方面の当時の方言でしょうか、歌の雰囲気から「きょろきょろと落ち着かない目付け」と読んで見ました。目付も相手の一点に焦点を合わせれば、そこに居付いてしまいそうです。「目配り」は方々を注意して見る事。
「おかしき」は「可笑し気」で、こっけいである・おろかしい・へんだ・おもしろい・おもむきがある・みごとだ・うまい。などに使われて来ています。
「きろきろ」以外は広辞苑から検索したもので歌の解釈に問題は無さそうです。
兵法の習いが疎いからなのか、相手が何をしてくるのか、きょろきょろ眼を動かして落ち着きのない様子がよく出ている歌です。
それにしても目付の正しい在り方を習わなかったのでしょうか、それとも何を言われても上の空の人なのでしょうか、自分の感性以外は何も受け入れられない人も世の中には居る様です。
その上同輩や兄弟子位の教えなど全く無視してしまう、そのくせ師石舟斎の話は聞いても奥が深すぎ理解出来ないのでしょうか。
石舟斎の残された伝書は慶長8年の新陰流截相口傳書亊と石舟斎77歳の年慶長10年に嫡孫柳生兵介長厳(後の兵庫助利厳)に相伝した没茲味手段口傳書から石舟斎の新陰流の目付を学んでみます。
この教えによる目付を、きょろきょろせずに出来るようにまずなる事を、諭している歌と云えるのでしょう。
新陰流截相口傳書亊の目付
三見大事(1、太刀さきの事、1、敵之拳の事、1、敵の顔の事)
目付二星之事(敵の目)
峯谷之事、付三寸二ッ之事、十文字之事
遠山之事
二目遣之事
太刀間三尺之事
色付色随事(敵の働きを見る)
没茲味手段口傳書の目付
五合剣の第2目付之事
三見(太刀先、敵の拳、敵の顔)
二星(敵の目)
遠山
二目遣
字手裏見
一ノ目付
兵法家伝書
殺人刀
二星(敵の拳)
嶺谷(腕のかがみ、右肘を嶺、左肱を谷)
遠山(両肩先)
三ヶ心持の事
色に就き色に随ふ
二目遣之事
活人剣
手字種利剣の目付
神妙剣見る事
参考
宮本武蔵の五輪書・兵法35箇条
五輪書
兵法の目付といふ事
目の付けやうは、大きに広く付くる目也。観見二つの事、観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。敵の太刀をしり、聊かも敵の太刀を見ずといふ事、兵法の大事也。工夫有るべし。此目付、小さき兵法にも、大きなる兵法にも、同じ事也。目の玉うごかずして、両わきを見る事肝要也。かやうの事、いそがしき時、俄にはわきまへがたし。此書付を覚へ、常住此目付になりて、何事にも目付のかわらざる所、能々吟味あるべきもの也。
兵法35箇条
目付の事
目を付けると云所、昔は色々在ることなれ共、今伝わる処の目付は、大体顔に付けるなり。目のおさめ様は、常の目よりもすこし細きようにして、うらやかに見る也。目の玉を動かさず、敵合近く共、いか程も、遠く見る目也。其目にて見れば、敵のわざはもうすにおよばず、左右両脇迄も見ゆる也。観見二ッの見様、観の目つよく、見の目よはく見るべし。若し又敵に知らすると云ふ目在り。意は目に付、心は物に付かざる也。能々吟味有るべし。
一刀流の十二ヶ条目録・仮字目録
二つ之目付之事
一部分と全体を見る、相手の身体と心理を見る。・・活眼を開いて彼我の有無と一切の一円を見る。
色付之事
目心之事
鹿之事
見当之目付之事
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