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2020年4月 2日 (木)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の26雲霧は稽古の中

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の26雲霧は稽古の中

無外流百足伝
雲霧は稽古の中の転変ぞ
       上は常住すめる月日ぞ

 雲や霧で周囲が見えなくなることは稽古の中でのことに過ぎない、雲や霧の上は常に澄んで月も日もはっきり見えるものだ。

 この様に読んでみたのですが、無外流の普段の稽古の中に「雲霧は稽古の中の転変」というものを互に発しながら行われているならば、うらやましい限りです。
 現代の形稽古は大抵の処は、約束された順番を打ち合うばかり、初心の内はゆっくり正しい刃筋を維持しながら約束された間合いで、気の合う相手とばかりやり合って、だんだん慣れて来ると早く強い打ち合いになるばかりです。YouTubeなど見ても、なれ合いの早打ちばかりで何処にも雲や霧など見られません。
 稽古相手も、形だからと決めつけ、間が近いの遠いの、打ち込む角度が高いの低いのと、泡吹いています。遠いならば足を盗め、近ければ引き足で打て、角度が違えば木刀を打たず腕を押さえろ、幾らでもやり様は有る筈です。
 更に居合では相手を置かずに仮想敵相手で、抜き付けの刀の位置だの、拳が何処だの是も有る特定の部位に特定の条件で抜付ける初歩の稽古の形ばかりです。
 相手になって貰えば、形の順番を知っているので、肩を打てというのに小手を打ちに来り、出鱈目に崩しに懸るばかりで、武術の本質を知らないニセモノばかりです。肩をどの様に打つかは相手に任せて其の起こりを捉える稽古にはならないものです。
 私のような天邪鬼はその方が自分の稽古相手には良いのですが、運剣の正しい道筋を以て崩す相手で無ければ、唯のチャンバラに過ぎず相手を勤めるべき資格はないと思っています。変化業は流派の業を以て変化するのでなければ、其処に稽古に来る意味など全くないのです。 

 「雲霧」とはそれがあって氷壺に相手の月が移らない、その中での転変は稽古でやっているだけにしろ、本来は雲や霧の無い晴れ渡った天空のように己が心を澄ませて相手の心を己が心に移してその隙を打つものぞ。
 妄心ばかりでチャンバラをしていても業の真髄は望めないものです。

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