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2020年4月11日 (土)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の36兵法をあきらめぬれば

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の36兵法をあきらめぬれば

無外流百足伝
兵法をあきらめぬればもとよりも
       心の水に波は立つまじ

 兵法を身に付けるのをあきらめてしまうならば、心は静まり相手を打ち負かそうと闘争心に燃え盛ったりするような、激しく波立つ事も無かろう。

 直訳すれば、こんな事かとも思えるのですが、特に兵法に志すことでもなく、日常の生活においても心は激しく波だったり、ひたひたと打ち寄せたり、鏡のように穏やかであったりするものです。

 「心の水」を兵法で見聞きする「水月」や無外流真伝剣法訣の十剣秘訣「水月感応」の氷壺の教えの「氷壺に影像なく、猿猴水月を捉う」などは、相手の動きを澄みきった心に捉え、即座に応じる事、と歌うのですが、兵法をあきらめてしまえばそんな事を意図する必要などない、とでも云うのでしょうか。
 日常生活でも、心静かに周囲の変化に慌てず、騒がず、適切に対応する心を磨いて置きたいものです。それは「あきらめ」で得られるものでは無く、信じた道を守り通す強い心と状況を見抜く洞察力によって得られなければならないでしょう。
 あきらめて自分の思いに蓋をせざるを得ない事も度々あるのも人生でしょう。然しそんな中でも、違う道から歩き出して小さくともやり通した喜びは大きなものです。

 この歌心は兵法に於いてと限定するのであって、人生における事とは違うよと言われるかもしれません。
 然し何のために兵法を学ぶのかを突き詰めれば、澄んだ心そのものが、「平常心是道」であるものです。そして移り行く影に瞬時に応ずる心を磨く事なのだろうと思います。移り行く陰とは、人の暮らしに影を射すあらゆる事象に心正しく応じる事ではないですか。兵法の名を借りて生き方を示唆してくれる歌と信じます。

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