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2020年4月14日 (火)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の39兵法は君と親との

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の39兵法は君と親との

無外流百足伝
兵法は君と親との為なるを
      我が身の芸と思ふはかなさ

 兵法は主君と親の為に、死力を尽くして戦う修業をするもので、我が身の為の芸だと思うのでは、心に帰す事も無くむなしいものだ。

 「はかなさ」は不安定である・しっかりして居なくて頼りにならない・なすこともなくむなしい・物事の度合いなどが僅かである・ちょっとしたことである・かりそめである・粗略である・取りつき所がない・そっけない・ばかげている・つまらない・命が絶えたさまである。広辞苑ではこの様に解釈されています。

 この無外流百足伝は中川申一著無外流居合兵道解説によれば「自鏡流祖多賀自鏡軒盛政が門人を指導する毎に人体の差別を見て、指南した口受である。」無外流祖辻月旦は居合を自鏡流の多賀自鏡軒に学んでいます。
 辻月旦は、慶安2年1650年生まれ享和12年1813年に没しています。165歳になりますから疑問です。享和は享保の誤植でしょう。
 宝永7年1711年(61歳)に第6代将軍徳川家宣にお目見え予定が反故になり、天和2年1683年34歳の時江戸で燈明の火を切先で3度消した逸話がある。79歳ごろ(享保14年1729年ごろ)から病を得ているとされています。

 ここでは、自鏡流祖多賀自鏡軒盛政の居合は塩川寶祥監修無外流居合道連盟編著による塩川寶祥の武芸極意書真伝無外流居合道に依れば、「新田宮流祖和田平助正勝の高弟」とされています。
 いずれにしても、江戸時代前期後半の教えと云えるでしょう。寛永14年1637年島原の乱、元禄15年1702年赤穂浪士の討ち入りなどが見られますが、君主の為の兵法の行使は既に乏しいもので、この歌のような「何のために兵法を学ぶのか」が問われる時代だったかもしれません。
 現代は更にこの思いは強いもので、君は国そのものであり、寧ろ地球に住まう人々の平和を願い行使する事も疑問視されなければならない時代です。
 そうであれば、この歌のこころは、我が身の芸を殺人の為の武芸を学ぶ事によって、心と体の一致を学び、その極意から、利害の異なる人とも和す事を学ぶものであってほしいものです。それは別の事で充分身に付けられているならば、日本武道文化の正しい継承者としてあるべきでしょう。近年は、スポーツとしてアスリートを目指すが功成り名遂げることもならず、引退後は体がガタガタになっているのを多く見ます。無理な筋力増強や体の使用では無く、日常の身体操作で容易に体力を維持でき、奥義に至る過程の進歩も感じられる武術の稽古は、新しい体育知育の糧としても有効です。
 特に一人で畳二畳ほどもあれば稽古できる居合は有効なものでしょう。
  

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